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牛乳

 最近、牛乳が好きだ。どんなきっかけだったかよく覚えていないが、ここ10日ほど、塾が終わって帰宅すると、冷蔵庫から牛乳を取り出してコップ1杯ぐっと飲み干す。おいしい、本当においしい。どうして今まで、飲まずにいられたんだろうと不思議に思うほどおいしい。これまで牛乳を飲むと言ったら、たまに旅行してホテルでの朝食がバイキングのときにコップ1杯を飲んだくらいでほとんど飲んだことはなかった。何故だろう。
 と言っても、理由ははっきりしている。私は牛乳を飲むとかなりの確率でお腹が痛くなる。冷たく冷やしてあるからなのかもしれないが、ギンギンに冷えたビールをいくら飲んでもお腹が痛くなることはないから、お腹が冷えて痛くなると言うのとは少し違うように思う。なら、成分なのだろうか。そう思って思い返してみると、濃い牛乳を飲んだときに腹痛になる可能性が高いようだ。昔は、起きてすぐに、濃い牛乳をグィッと飲むと、5分もしないうちにお腹が痛くなった。お腹が痛いのは辛いけれど、あまりに決まってそうなるものだから、食べ過ぎてお腹が苦しい朝などはワザと牛乳を一本ぐい飲みしたことさえある。すると、効果覿面すっきりできたから、不思議だ。
 腹痛は私には切っても切れない関係がある。中学高校のときは、朝ごはんに玉子を食べると通学途中の電車の中で、よくお腹が痛くなった。朝の満員電車の中では降りるに降りられず、自分の駅までただひたすら我慢するしかなかった。その時の地獄の苦しみは今思い出しても身震いがする。もうだめだ、と思ったことが何度かあったが、幸いなことに人に迷惑をかけることも、自分が恥をかくこともなくすんだのは奇跡のようなものだ。時々、塾生にそうした苦しみを味わったことがないかとたずねてみるのだが、今まで一度も共感してくれた者はいないから、私の特異な体験なのかもしれない。
 
 こんな私だから、腹痛のための薬は常備してある。即効性を期待するなら正露丸、少し余裕があるときには百草丸と飲む薬は決めてある。子供のときから胃腸の弱かった私は、ちょっとお腹の調子が悪くなると、百草丸を飲まされたものだから、いつの間にか慣れてあの苦い薬を飲み込まずに飴のようになめていることができるようになった。その話をすると誰も信じてくれないが、実演して見せると驚くのが面白くて、よく人前でやってみた。さすがに今はできない気がするが、あの味は今も嫌いではない。
 もう一つ、我が家には腹痛のための秘伝の薬がある。「梅エキス」というものだ。これは、青梅の絞り汁を長時間煮詰めて濃縮したものであるが、1kgの青梅から20~25g しか取れないと言われている。梅の有効成分を濃縮したものとして市販のものもあるようだが、我が家では母方の伯母が毎年作ってくれたものをもらっている。薬ではないだろうが、お腹が痛くてどうしようもなくなったときに、最後に出てくるのがこれだ。酸っぱいと言うか、苦いと言うか、一口なめただけで、全身に震えが来るほどだが、我慢してスプーン一杯ほどをなめると不思議に腹痛が治まる。どういう効能があるか知らないが、とにかく私の腹痛を治すための最終兵器だ。


 今年はいつももらう青梅のなりが悪くて、梅エキスを作ることができなかったと伯母は嘆いていたが、まだまだ去年、一昨年にもらったものがあるから大丈夫だ。だけど、暴飲暴食をしないように注意することが何よりも大事だろうな。当たり前か。。。



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武勇伝2

 昨日の夜、塾を終えて自宅に戻って台所で新聞を読んでいたら、居間のほうで息子が叫び声を上げながらバタバタし始めた。うるさいなと思いながらも、新聞を読み続けていたら、息子が走りこんで来た。
「どうしたんだ?」
「ムカデ!」
と言って戻っていった。私も後を追って行ったら、廊下がべとべとになっていて隅にムカデがコロンと転がっていた。


元々は10cm以上の大きさだったのだろうが、息子が熱湯をかけて殺したものだから、少しばかり縮んで硬くなっていた。ムカデが出た場合の退治の仕方には色々ある。何かモノで叩くのも一つの方法だが、なかなか死なないし、潰すときに体液がにじみ出てきて周りを汚すこともあって、後の処理が大変だ。そこで、我が家では熱湯をかけて殺すことにしている。ムカデを見つけると、一旦は何かで押さえつけておいて、ポットの湯を取りに行ってそれをかけるか、大声で家人を呼んで湯を持ってきてもらうかする。熱湯をかけると一瞬のうちにムカデは死んでしまう。体の色が濃い赤色から黒く変色するので、死んだことが確認できる。床などが水びたしになるが、さっとタオルで拭くだけなので処理もしやすい。昨夜は息子が大声を上げながらも、殺虫剤で動きを止めておいてから湯をかけて殺したようだ。手馴れたものである。
 というのも、私の家はやたらムカデが出る。小さいものから大きいものまで(15cm以上のものもざらだ)、本当によく見つかる。私たち家族はもう慣れっこになっているので、さすがにパニックにはならないが、それでもあの姿はグロテスク極まりない。にょろにょろ動いているのを見つけるとどうしても叫び声を上げてしまう。ああ、気持ち悪い。私は、足が4本か6本の生き物は平気だが、羽が生えていたり、足がなかったり、無数にあったりする生き物はどうにも苦手だ。
 しかし、最近本当にムカデがよく出る。このところ立て続けに3匹出てきて、息子がすべて退治した。その死骸を戦利品としてなのか何なのか、ペットボトルに入れて集めている。


水の中に浮かばせているだけなのだが、体からのエキスがにじみ出てきていやな色をしている。昔から、ムカデを油に漬けておいた物が塗り薬になると言って、ムカデが出ると箸ではさんで捕まえて食用油に入れていたそうだが、今はそんなことはあまり聞かなくなった。ただ、ムカデはつがいで生活しているから、1匹見つかったらすぐにもう1匹が出てくると言うのは今でもよく聞く。ということは、息子のコレクションは今3匹だから、すぐにもう1匹出てくることになる。いやだなあ。
 以前、塾の教室の壁にムカデがはり付いていたことがあった。生徒が目ざとく見つけて大事には至らなかったが、噛まれたりしたら大変だ。用心しなければいけない。
 それにしても、最近気持ちの悪い生き物が我が家に集まってくるし、その写真をこのブログで紹介している。今度はいったい何がやって来るだろうか・・・ 鶏だけは絶対にいやだよ。
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ひとり暮らし~荷風

 平日の午前中、妻の買い物に付き合わされることが多い。と言っても、最寄のスーパーまで車に乗せていって、妻が買い物をしている間は駐車場でボーっとしていることがほとんどだ。それでも、スーパーに出入りしている人々の様子を見ていると、結構楽しい。別に人間観察などと立派な名目をつけたいわけでもないが、いろんな人が入れ替わり立ち代りやってくるので飽きることはない。子供連れの主婦や、仕事着で昼食を買いに来る人、老夫婦など多種多様な人々がやってくる。その中に時々年老いた男性が、おぼつかない足取りでやって来るのを時々見かける。日々の食材を求めにやってくるのだろうが、一人暮らしなのだろうか。それとも、病身の妻の代わりにやってくるのだろうか。あれこれ想像してみるのだが、女性の場合、どんなに年をとっていても、ある程度てきぱきと買い物ができるが、男性の場合は遠くで見ていると、どうしても不器用な感じが否めない。若い頃に八百屋で買い物などしたことがない世代であろうから、習慣が身についていないのは仕方がないのかもしれない。私も年をとって、一人で暮らさなければならなくなったとしたら、買い物などうまくできないだろうなと、身につまされる。その時に備えて、妻の買い物に付き添って練習しておけばいいのかもしれないが、今はそんな気になれない。そうした見栄が後から自分を苦しめることになるかもしれないと思っても、どうにも妻と並んで買い物籠を持つというのは照れくさい。誰も私のことなど気にするはずもないから自意識過剰なんだと思っても、なかなかできない。

 というようなことを考えている時に、書店で、「永井荷風 ひとり暮らしの贅沢」(新潮社)という本を見つけた。
 永井荷風といえば、明治36年から約5年間アメリカ・フランスで生活しており、その時の様子を「あめりか物語」「ふらんす物語」に書いてあるのを随分昔に読んだことがある。33歳の時に結婚しているが翌年離婚し、またその翌年に再婚したものの1年もたたないうちに再び離婚してしまい、それ以来亡くなるまでひとり暮らしを続けた。
 「最初私は独身といふことを、大変愉快なことのやうに感じてゐた。それは西洋の独身者などの生活を見たり聞いたりしてゐたからである。(中略)日本の今日の状態では、男の独身生活といふものは、日常生活の些細な点に於て非常に不便なものである」
と随筆「独居雑感」に書いている。しかし、帰宅がどんなに遅くなっても家で待つ者のいない気楽な生活を楽しみ、他人から干渉されない自由を至福として、生涯独身を貫いた。
 昭和32年に、終の棲家となった家を新築したが、引越しの荷物は机と火鉢・本といった程度で、他に大きな家財道具はなく、2時間ほどで整理が終わったという。間取りは六畳と四畳半・三畳・台所・トイレと小じんまりとしていて、好きなことに打ち込める家だったようだ。荷風が誰にも看取られること亡くなった家だが、発見されたとき六畳間には年中敷きっぱなしにされた布団と机、造り付けの本棚があり、玄関脇の四畳半には七輪や鍋・湯のみ・コーヒーの瓶、煙草や空き缶などが畳の上に無造作に並べられていたといいう。吝嗇だ、奇行だと陰口も叩かれたようだが、この家で独り暮らし、独り死んでいった晩年の荷風は何を考えていたのだろう。
 それを知るためには、79歳で亡くなる死の前日まで42年間にわたって綴られた、日記文学の名作との誉れ高い「断腸亭日常乗」が残されている。私はまだ一度も読んだことはないが、『四月廿九日。祭日。陰。』で終わるこの日記を読んでみるべき年齢が近づいてきたのを感じる。

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六月の子守唄

 先週の土曜日、ラジオから懐かしい曲が流れてきた。ウィッシュという姉妹デュオの「六月の子守唄」という曲だ。




六月の子守唄
              詞:あだちあかね
         
 星がひとつ空から落ちてきた
 六月の子守唄 うたう母のもとへ

 さわるとすぐにこわれそう
 ガラスのようなおまえだから
 風がわるさせぬように
 悪魔がさらって行かぬよう

 そしておまえが
 目をさましたならば
 一番はじめに私が見えるよう

 母はこうしていつまでも いつまでも
 おまえのそばにいてあげるから

 大きくおなり優しくおなり
 母はこうしていつまでも
 おまえのそばにいてあげよう
 私の愛を忘れずに

 星がひとつ空から落ちてきた
 六月の子守唄をうたう母のもとへ

この曲は、1973年に発表された。ウィッシュというグループの曲は、「御案内」という曲も記憶に残っている。
  ♪今日、お葬式をします
   私の愛が死んだのです
   同情も今はいりません 
   ただ見守っていてください♪
「六月の子守唄」もそうだが、きれいな歌声とは少しばかり違和感のある歌詞が当時の私には新鮮だった。久しぶりに聞いてみたいと思ってちょっと調べた。他にも、「私が昔好きだった人」という曲などと共にベストアルバムが発売されたが、あいにく今は廃盤となっていて入手できないようだ。残念だ。
 
 ウィッシュが活躍していた当時、YAMAHAの主催したヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポップコン)出場者の曲が1つの音楽シーンを形成していた。その数々の名曲は、大石吾朗が司会をする深夜のラジオ番組「コッキーポップ」で流されていた。私はほとんど毎日聞いていたように思うが、ざっと思い出しただけでも、素晴らしい歌手と曲がすぐに頭に浮かんでくる。
  
  中島みゆき『時代』
  八神純子『思い出は美しすぎて』
  谷山浩子『河のほとりに』
  長渕剛『巡恋歌』
  CHAGE & ASKA『万里の河』
  円広志『夢想花』
  小坂明子『あなた』
  高木麻早『想い出が多すぎて』
  因幡晃『わかって下さい』
  世良公則&ツイスト『あんたのバラード』
  あみん『待つわ』

ディアゴスティー二が隔週で発売している「青春のうた」シリーズの中にも彼らの曲が何曲か収められている。私は今まで出たものをすべて買っているが、そのCDを聴くたびに懐かしさとともに当時の思い出がよみがえってきて、思わず涙ぐんでしまうこともある。昔を振り返ったところで何もなりはしないと分かっていても、ただただ懐かしい。 
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たこ焼き

 日曜日、夕食を食べたあと、妻が「たこ焼きが食べたい」と言った。食べたばかりでどうしてたこ焼きが食べたくなるのか理解できなかったが、まあ、言うことを聞いておけば機嫌がいいので、一緒に買いに行くことにした。私は、塾が終わって気楽になっていたため、ビールを何本か飲んだあとだったので、車を運転するわけには行かない。弁慶の散歩もかねて歩いていくかということになった。バス停で言えば、3停留所ほど離れたたこ焼き屋までは1kmほどあるが、ぼちぼち歩いていくには適当な距離だ。
 夏至が過ぎたばかりで日は長いといっても、さすがに夕方7時近くなると夕闇が迫ってくる。歩く時間が長くなるにつれ、周りが見えにくくなるが、勝手知ったる道であるから、真っ暗だろうがさして困ったりはしない。弁慶の気の向くままのんびり歩いていった。
 しかし、梅雨の頃は色々な花々がいたるところに咲いている。道すがら、あれこれ携帯の写真で撮ってみたのだが、きれいな花が多くて驚いた。


今の時期、紫陽花は定番過ぎて面白みに欠ける。それでも、紫陽花が咲いていないと寂しくなるのも確かだから、お約束で載せておく。あとは、私では名も知らぬ花が咲き乱れていたので、写しただけ載せておく。



薄暗くて、しかも携帯のカメラだからうまく写っていない。でも、こんなにきれいな花があちこちに咲いているなんて思いもしなかった。いつも思うことだが、頭のどこかに常にブログのネタにするものはないか、と思っているから自然の微妙な変化にも思いが行き、季節の移り変わりにも随分注意が向くようになった。ブログを続けていなければ、これらの花に気付くこともなかっただろう。
 などと考えてる間に、たこ焼き屋に着いた。店の閉店間際で余り残っていなかったが、あるだけ包んでもらった。

 

串に刺したたこ焼きはかためだが、おいしい。おでんは赤味噌で煮込んであり、玉子やこんにゃく以外に「どて煮」(=モツ煮)もあって、どれもおいしい。この他にみたらし団子もあるのだが、あいにく売切れてしまっていた。どれもこれも、私の住む町を象徴するものである。時々TVの取材が訪れているのを見かける。名古屋地区では隠れた名店と言えるかもしれない。(でも、まったく町のたこ焼き屋さん。かどやさん

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骨折

 松井に関してこんな報道が流れた。

  「本格リハビリは2週間後 松井秀、完全に癒合せず」 by 共同通信社
【ニューヨーク22日共同】米大リーグ、ヤンキースの松井秀喜外野手は22日、ニューヨーク市内の病院で骨折した左手首の検査を受け、本格的なリハビリテーション開始までに、さらに2週間が必要と診断された。今後もヤンキースタジアムでランニングなどの練習を続ける。
 骨の癒合は進んでいるが、完全ではなく、まだエックス線写真にわずかな線が写るという。松井秀は「多少レベルの高いことができるようになる。動きが硬いというだけで、痛みはない」と説明した。患部に負荷は掛けられないが、関節を動かすリハビリテーションは徐々に増える予定。

 この報道は最初妻が教えてくれた。「松井の復帰は延びるみたいだよ、骨がちゃんとつながっていないんだって」。それを聞いて、「そうか、せっかく手術したのに簡単にはいかないもんだな」、そんな感想が頭に浮かんだ。手術しなくてもいいが、完全に治すためには手術したほうがいいという話で手術したと記憶しているが、なかなかうまくは行かないものだ。松井も人の子、機械のように簡単に修理できるはずもないから、焦らずじっくりと治療するしかないのだろう。
 
 塾生でも10日ほど前に左手首を骨折した男子生徒がいる。掃除中に友達とじゃれあっていて、追いかけられて走って逃げようとしたら滑って転んでしまい、かばおうとして左手をついた瞬間に折れてしまったのだそうだ。折れたときは手が変な方向に曲がり、激痛のため動くことができなかったと話してくれた。彼は野球部の中3年生で、セカンドのレギュラー選手だが、この骨折のため、最後の大会に出場するのは絶望的だそうだ。折角今まで苦しい練習に耐えてきたのに、総決算ともいえる大会に出場できない無念さは相当なものだろう。「大会には出られないけれど、一生懸命仲間を応援します」とけなげなことを言うものだから、余計にかわいそうになる。
 また先週の土曜には、私立中受験を目指す6年生の女の子が右手の薬指を骨折してしまった。友達と遊んでいたときに転んで折ったということだが、救急車で運ばれて病院まで行ったそうだ。治療後、病院から直接塾に来たのだが、その日は鉛筆も持てないくらいの状態だった。しかし、模擬試験が近いため無理に親に連れてこられたようだ。今週の終わりにはに、大分楽になったようでギプスをしたまま器用に鉛筆を使って勉強している。大変そうだが、今勉強しないと後で苦しむのはその子であるから、痛くない程度で、頑張らせなくてはいけない。なかなか厳しい。
 これら塾生の場合は二人とも手術を受けず、ギプスで固めているだけだが、それでも全治まで2ヶ月以上かかるそうだ。子供は直りが早いはずなのに、それでもそんなに時間がかかる。松井は今年32歳、当然回復能力にもかげりがあるだろう。骨折した試合は、5月11日のレッドソックス戦だったから、1ヵ月半近く経った。私たちファンとしては、松井のいない1ヵ月半は全くの手持ち無沙汰の毎日だった。私など、それ以来まともにヤンキースの試合を見たことがないし、ヤンキースの勝敗さえ知らない日もある。まあ、もともとがヤンキースファンではなく、松井ファンだから当然ではあるが、ここ3年の過ごし方と比べれば雲泥の差だ。
 
 でも、私は我慢強く待つつもりだ。ここで焦ってはこれからの松井の野球人生に悪い影響を与えてしまう。少しずつ、心境を語る言葉も聞こえてくるが、まだまだ鷹揚に構えているように見える。そうした言葉を見聞きするたびに私の方がほっとしてしまう。
 
 頑張れ、松井!!

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旧暦

 「旧暦ライフ 温故知新」(川口澄子 画・文、ピエ・ブックス)を読んでみた。帯に、

 「旧暦」とは月の動きで日付を、太陽の動きで季節を測る「太陰太陽暦」のこと。
日本では飛鳥時代に中国より輸入、明治の始めまで使われました。
旧暦の主な特徴としては、季節を二十四に分ける(二十四節気)、新暦に対して一ヶ月ほど遅い、同じ時期に同じ日付にならない等々。
ちょっとフシギな旧暦を当世の私的な日常生活に当てはめ、旧暦の仕組みと共に画と文でご紹介。

とある。以前新聞で、旧暦で生活している人のことが取り上げられていたが、なかなか面白かった。この本もそうした生活を実践している人の話かなと思ったのだが、どうも違うようだ。「旧暦の特徴である二十四節気には、今では私たちの日常生活で喪いつつある季節感があります。そんな節気にまつわる食べ物や年中行事を、私的なエピソードを交えた画文により当世風に」紹介した内容になっている。いわば歳時記のようなものだ。
 読んでいるうちに、この二十四節気というのがすごくいいことに気付いた。普段何気なく使っている言葉も多いが、私たちの季節感と密接に結びついている。書き出してみる。
 「春」 立春 りっしゅん  正月節気   新暦2月4日頃 
     雨水 うすい    正月中気   新暦2月19日頃  
     啓蟄 けいちつ   如月節気   新暦3月6日頃
     春分 しゅんぶん  如月中気   新暦3月21日頃
     清明 せいめい   弥生節気   新暦4月5日頃
     穀雨 こくう    弥生中気   新暦4月20日頃
 「夏」 立夏 りっか    卯月節気   新暦5月6日頃
     小満 しょうまん  卯月中気   新暦5月21日頃
     芒種 ぼうしゅ   皐月節気   新暦6月6日頃
     夏至 げし     皐月中気   新暦6月22日頃
     小暑 しょうしょ  水無月節気  新暦7月8日頃
     大暑 たいしょ   水無月中気  新暦7月23日頃  
 「秋」 立秋 りっしゅう  文月節気   新暦8月8日頃
     処暑 しょしょ   文月中気   新暦8月24日頃
     白露 はくろ    葉月節気   新暦9月8日頃
     秋分 しゅうぶん  葉月中気   新暦9月23日頃
     寒露 かんろ    長月節気   新暦10月9日頃
     霜降 そうこう   長月中気   新暦10月23~24日頃 
 「冬」 立冬 りっとう   神無月節気  新暦11月8日頃
     小雪 しょうせつ  神無月中気  新暦11月23日頃
     大雪 たいせつ   霜月節気   新暦12月8日頃
     冬至 とうじ    霜月中気   新暦12月22日頃
     小寒 しょうかん  師走節気   新暦1月6日頃
     大寒 だいかん   師走中気   新暦1月20日頃      

こうやって書き出していると、節気その時々の季節の情景が目に浮かんでくる。素晴らしい。
 今はちょうど、夏至が過ぎたばかりだ。夏至のページを開いてみると、作者の誕生日が今頃らしくて、誕生日ケーキにまつわるエピソードが紹介されている。20年前はこの頃になるとイチゴが八百屋の店先から消えてしまったようだ。そのため、母親の手作りケーキにはイチゴがなかった。その代わりに、
 「さくらんぼをびっしり並べ、縁を生クリームで飾り、ゼラチンを流す。『あらー、宝石みたいやねえ』。で、私はゴキゲン」

そんな話がちりばめられた、なかなか気持ちのいい本だ。
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武勇伝

 父はせっせと毎日畑に通っている。雨だろうが、晴れだろうが、昼食を終えると、空のペットボトルにお茶を入れて出かけていく。車で片道15分ほどの畑まで通っている。先週はジャガイモを大量に掘ってきたようで、食卓はジャガイモの煮っころがし、ポテトサラダなどジャガイモ尽くしだった。化学肥料や薬を使っていないため安心して食べられ、味もいい。収穫の時期になると、同じ食材がずっと続くというのがちょっと困りものだが、贅沢を言ってはバチが当たる。
 その父が、つい最近新たな武勇伝を披露してくれた。田舎育ちの野生児みたいな男だから、ちょっとやそっとのことをしても私たちは驚かないのだが、今回ばかりはかなりぎょっとした。
 
 父の話をまとめるとこうだ、
『畑仕事が一段落したため、筍でも掘って来ようと山の中に入った。手ごろなものを見つけて掘っていると、そこにマムシが出てきた。ほかっておこうかなと思ったが、後で噛まれてもいやだから、持っていたスコップで頭を何回か叩いて殺した。殺したら、そのまま捨てるのも勿体無いから、持って帰ろうと思ってその場で皮を剥いだ。それを手にぶら下げて車まで戻って、ビニール袋に入れて家に持ち帰った』

そんな話を平気な顔でする。マムシを見つけて少しもたじろがないのもすごいが、叩き殺したものの皮を剥いで持ち帰って来たのにはもっと驚いた。ちなみにそのビニール袋の写真を撮ってみた。


ビニール越しだが、皮が剥いであって腹が割いてあるのが分かる。血もついているし、さすがに袋から出してまで写す気はしなかった。妻に見せると、結構面白がるかなと思っていたが、「見たくない」と一言のもとに拒否された。父に、「これどうするの」と聞いたら、「食べる。今食べてもいいけど、もう少しこのままにしておいてパリパリになってから焼いて食べると香ばしくっておいしいぞ」と、身の毛もよだつようなことを答えた。昔、マムシ一匹をそのままの姿で焼酎に漬けてあったビンがあった。それは怪我に塗るための薬だったような気がするが、強壮剤として飲んだりしていたのだろうか。よく分からないが、想像もできないことを平気でするのが、わが父だ。何か変事が起こっても、最後まで生き続けることができるだろう。
 今年73歳だが、まだまだ力に溢れ、野山を闊歩とまでは行かなくても、あちこちするだけの元気さは十分持ち合わせている。そのため、坂を滑り落ちたとか、転んで体を打っただとか、生傷は耐えない。2、3年前には蜂に襲われて、顔から腕までパンパンに腫らして帰ってきたことがある。蜂に何度も刺されると死んでしまうこともあると聞くが、父は何度死んでもおかしくないほど刺されているが元気だ。また、別の時には、どこかの飼い犬に腕を噛まれたと言って、血を流しながら帰ってきたこともある。
 子供じゃないんだから、注意すれば防げることばかりなのに、根が怖いもの知らずなのか、少々の危険など顧みずに自分の思う通りにやってしまう。もういい加減歳だから、万一のためを思って携帯電話を渡してあるのだが、充電器にさしっ放しになって埃をかぶっている。これじゃあ、最期は野山で野垂れ死にかな、などとついつい思ってしまう。

 私としては、好きなことをやって毎日を楽しく過ごしてくれることだけを願っているのだが、くれぐれも無茶だけはしないでもらいたい。 
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むくみ

 日曜の夜、ふと足元を見たらなんだか足が腫れているような気がした。その時は酔っ払っていたから、変なの、とさほど気にもしなかったが、月曜の昼になってまた足を見たら、やっぱりむくんでいた。右足はさほどでもなかったが、左足は見るからにおかしい。土踏まずのアーチがなくなりかけているし、甲も皮膚がぽっと腫れたようになっていて、右足と比べると明らかに違う。右足は血管が浮き出てるのに左足は一本も出てなくて、なんだかぬめっとしている。私がしげしげと眺めていると、近くにいた妻が「あれ、腫れてる。おかしいよ」と一目で見抜いた。絶対に嫌味を言われるから見つけられたくはなかったが仕方ない、「うん・・なんか変だよね」「右も腫れてるけど、左のほうがひどい」と言って、足を指で突っつく。「ほら、ちょっとプニプ二するよ。腫れてるじゃん。飲みすぎなんだって。いつも言ってるでしょ、休肝日を作れって。言うこと聞かないからこうなるんだわ。入院したら、私は看病しないからね」と手厳しい。「こんなものすぐに直るさ」と、私は嘯いてみたが、内心少なからず動揺した。ちょうど今、従兄弟が肝臓を悪くして入院しているが、見舞いに行ったときに見た、パンパンに腫れた足を思い出して、ちょっとまずいかなと思った。まあ、大したことはないだろうけど、ちょっと今日一日くらいはおとなしくしておこうかなと、その夜はビールを飲むのをやめて寝た。
 飲まずに寝ると寝つきが悪い気がして、ついつい毎晩飲んでしまっているのが、ここに来てちょっと体が警告を発したのかなと思う。息子が生まれる前までは、ずっとタバコを吸っていたが、息子が生まれるとすぐに、どういうわけかタバコを吸うたびに胸が苦しく痛くて仕方なくなって、自然とタバコを吸わなくなった。というよりも吸えなくなった。今回のむくみもそれと同じように体が教えてくれたのかもしれない。センサー機能などというほど立派なものではないだろうが、ちょっと言うことを聞いておいたほうがいいなと素直に従ってみた。火曜の夕方頃になって、全身からビールが抜けたような気持ちになって、これは調子がよくなったかなと足を見たら、大分普通に戻っていた。右足はもう元通りだったが左足にむくみが多少残っていたため、もう一晩飲まずにおこうと決めておといなしく寝た。飲みたいとも余り思わなかったし、ぎりぎりまで起きていたためすっと眠ることができた。
 2晩連続でビールを飲まなかったのは、実に5年ぶりくらいだ。5年前、酔っ払って二階から降りるときに階段を踏み外して、階段の下に置いてあった箪笥に背中からぶつかって肋骨を3本折ったことがある。その時はさすがに1週間近く飲まずにいたが、私にとってはそれ以来の快挙だ。5年前は、1週間経って、じゃあ久しぶりに飲むかと思って飲んだビールの美味しかったこと、まさしく五臓六腑まで染み渡る感覚が実感できた。酔いの回るのもいつもより早くて、これもたまにはいいなと思ったものだが、それ以来そんなことはしたことがなかった。いつもついつい惰性で飲んでしまう、そんなことがずっと続いていた。
 妻は、月・火を休肝日にしている。私にも口を酸っぱく「休肝日を作れ、休肝日を作れ」と繰り返すが、私が従わないものだから、イライラが募るのだろう、「飲み続けて死んでもいいけど、迷惑掛けないように一気に死んでよ」と憎まれ口を叩く。「おう、そのつもりだよ」と私も言い返してやるが、まだちょっとそんなことになっては困る。
 飲まないで寝ると寝つきが悪いという強迫観念らしきものが私の中にあるのかもしれない。今度のことで、飲まずに寝てもちゃんと寝られることが体で分かったことは嬉しい。このまま、もうちょっと断酒生活を続けてみようかなと今は思っている。
 でも、冷たく冷やしたビールを風呂上りにぐっと一息で飲み干す快感にいつまで背を向けていられるだろうか。自信はないけど、できるだけ頑張ってみよう。
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ワールド・カップ

 妻が言っていた。「日曜日、吾郎ちゃんの舞台が終わったあと、食事をしに行った店で、近くにいた若い男の子たちがジャパンブルーのユニフォームに着替えて、いきなり『ニッポン、ニッポン!』と手拍子し始めたのにはびっくりした。別にTVがおいてあるわけでもなく、時間もまだ早かったから、何事かと思った。渋谷を歩いても、確かに人が少なかった。みんなサッカーを見るんだなと思った」その話を聞いて、日本人は本当にサッカーが好きなのかどうか分からないけど、お祭り騒ぎがすきなのは確かだなと思った。(舞台はよかったらしい。「ストーリーは、?という点もあったけど、役者が4人ともすごくよかった。吾郎ちゃんが目の前にいるんだよ」などと、瞳孔を開いたまま(?)話してくれた)
 オーストラリア戦で惨敗したあとのクロアチア戦、決勝トーナメントに進むには勝つことが大命題であったにもかかわらず、相変わらずの決定力不足で引き分け。オーストラリアに勝っていればこれでよかったのだろうが、現実的には痛恨の引き分けだ。可能性としては0ではないが、ブラジル相手に2点差以上の差を付けて勝つなんてことは、よほどの楽天家でも、全くサッカーを知らない人でも、とても考えられることではない。
 それなのに、TVを見るといかにも可能性があるかのような映像が繰り返されるし、コメンテーターもそんな口吻をにおわす。ブラジル戦を放送するTV局がそうするのは視聴率を上げるために当然のことであろうが、それにしてももうちょっと気楽にブラジル戦を楽しめる方向に番組作りはできないものかと思ってしまう。
 確かにブラジルも魔法のカルテット(FWのロナウド・アドリアーノ、中盤の指令塔カカとロナウジーニョ)がまだ本来の力を出していないから、さほど迫力が感じられないかもしれないが、でもやっぱり日本が勝つなんてことは考えられない。WBCでは、王ジャパンが奇跡的な優勝を果たしたが、サッカーではそんなことは起こらないように思う。勿論、何が起こるかわからないし、最後まで日本を応援するつもりだけれど、できれば最高の舞台で最高の相手とぶつかる日本代表を、勝負を度外視した目で応援したいと思っている。

 
 日本の動向も気にはなるが、私が今注目しているのはG組の戦いだ。現在、スイスが1勝1分けで勝ち点4、韓国も1勝1分けで勝ち点4、フランスが2分けで勝ち点2、トーゴが2敗で勝ち点0となっている。最終戦の組み合わせは、トーゴvsフランス、スイスvs韓国、この結果次第で決勝トーナメント進出が決まるのだが、フランスがトーゴに勝って、スイス・韓国が引き分けると3カ国が勝ち点5で並んで得失点差の争いになる。ジダンが代表復活したフランスは精彩を欠いているから、トーゴに簡単には勝てないかもしれない。それに引き換え前回4強入りした韓国は今大会も力強い。スイスも強い。どのチームが進出できるか、目が離せないグループである。
 
 日本時間23日金曜がブラジル戦である。試合開始時間は早朝4:00。とても起きて応援はできないが、夢の中で応援しているから、日本代表、頑張れ!!是非とも悔いのない試合を!!
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