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駐車場

 10日ほど前に、塾舎の隣にある珪砂工場の人が、「塾バスの車庫の横にある空き地を駐車場にする工事を始めるので、よろしく」と挨拶にやって来た。自分たちの土地をどうしようと勝手なので、「はい、わかりました」と答えるしかなかったが、早速その日から工事が始まった。川沿いの枯れ草ばかりの荒地だが、駐車場にすれば、社員の車が5台は置けるだろう。2、3日で工事は完了すると言っていたが、とてもそんな早くはできないだろうと思って眺めていたら、やはり完成まで1週間以上かかった。

  

 2人の作業員が手際よく工事を始めた。まずは一面に生えている枯れ草を根こそぎ取り除くために地面を掘り返す。小さなシャベルカーを手馴れた様子で操作するのを見ているだけでも面白い。以前塾舎の隣に大きな倉庫が建てられたのをここの記事にしたが、そのときと同じ作業員が段取りよく工事を進めていく。掘り返した土をトラックでどこかに運んでいって、その後で整地に取り掛かった。

 

 ここまで来るのに3日かかった。作業員は2人とも70歳近い高齢者だが、驚くほど動きがいい。若い頃から年季の入った職人というものは、何歳になっても体が覚えていて、気合が入ると見違えるような動きができるのかもしれない。ただ、私の父を見ていて分かるように、持続力が年齢とともに低下しているのは否めないだろう。以前よりも短時間で一日の工事を終えるようになっていた。それでも、そんじょそこらの若い者には負けないだけの仕事をこなしてしまうのだから、老人力は決して侮ってはいけない。
 整地が終われば、アスファルトを敷いて完成、と思っていたのだが、どういうわけか4・5日何も変化がなかった。ひょっとしたら舗装はしないのかな、と思い始めた矢先に、半日で一気に舗装してしまった。

 

 アスファルトの臭いが周囲に立ち込めてムッとしたが、枯れ草で荒れ放題になっていたときと比べれば、土地が生き返ったように見える。すぐに白線が引かれて、昨日あたりから時々車が止められるようになった。

 

 以前は定期的に草刈をしなければならなかったが、「それをしなくてもよくなっただけでも楽になった」と父は嬉しがっている。だが、私としては今年の夏に蛍が1匹、弱い光を点滅させながら、飛んでいたのを見たのがこの駐車場となった空き地だったので、果たして来年もこのあたりで蛍が飛ぶのを見ることができるのだろうか、と生態系への影響がちょっと心配になっている。
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見えるかな?

 中学校の期末試験も一段落し、久しぶりに時間が取れたので、名古屋まで買い物に出かけた。第一の目的は、私立中学受験生のための問題集とセンター試験対策用の問題集を買うこと。目前に迫った試験対策のための問題集は私の住む市では十分にそろわないので、毎年この時期になると1度か2度は名古屋まで出かけなくてはならない。不便な話だが、これも地方都市に住む者には仕方のないことだ。大きな書店に所狭しと並べられて問題集を前にして、最後の追い込みに向けて全力を集中しなければならないと、気を引き締めた。
 その後で、妻が最近欲しがっていたキーボードを買いに行った。車を止めた松坂屋では、楽器の販売はやめてしまったと案内所の女性が教えてくれたので、すぐ隣のPARCOに行ってみた。入るとすぐの案内板を見ていたら、係りの人が近づいてきて、楽器売り場が5階にあると教えてくれた。松坂屋になくてPARCOにあるというのも意外な気がしたが、行ってみると楽器各種が並べられていて見るだけでも楽しそうだ。キーボードも幾つか並べられていたが、その中に特価品として YAMAHAの製品が 13,000円ほどで売られていた。「立派なものじゃなくていいから」と言う妻が、試しに弾いてみるとなかなかいい音がする。ピアノの音だけじゃなく、色んな楽器の音に変換する装置も付いていて遊び道具には最適だ。大きくて少々重いのが難点だが、「これくらい鍵盤が付いてないと面白くないから」と妻が気に入ったので買うことにした。


 帰ってからずっと遊んでいたそうだが、「色んな機能がついていて無茶苦茶楽しい」と喜んでいた。あまり触らせてもらえないだろうが、私も何か一曲ぐらいは弾けるようになりたいと思う。
 
 キーボードを車に運んだ後で、また松坂屋に戻り昼食をとった。駐車場から店内に入ったら北館だった。いつもは本館か南館で食べるのだが、たまには北館で食べてみようと手ごろな店を探した。すると、


 松本といえばゴジ健さんのふるさと、そこのそば処とあれば一度味わってみなくてはならない。家に帰って調べたら、この「もとき」という店は「そば処の信州にあって、数ある名店の中でも「格が違う」と言わしめ、通の間にもその名を轟かせる有名店」なのだそうだ。(ご存知かな?)私はざるそばと天ぷらそばがセットになったものを注文した。

 

 そばが透き通るくらい白いのには驚いた。ざるそばは冷たくて麺は少し固め、それが天ぷらそばになるとやわらかくなっている。おつゆはさほど甘くなく、おいしかったが、肝心のそばに何も味が感じられなかったのはどうしてだろう。「新そばを使ってるからかな?」とたぶん的外れなことを思ってしまったが、私には物足りない味だった。残念・・。
 最後にケーキを買って帰ることにした。ちょっと大き目のケーキが食べたかったので、HARBSのケーキにした。ストロベリータルトとモンブランタルト、それと、ラムレーズンバターサンド。このバターサンドが絶品だった!!


 あまりにおいしそうなので、我慢できずに車に戻ってすぐに食べてしまった。HPには「ココナッツを加えた風味良いスポンジに、ラム酒を漬け込んだレーズンと濃厚なフレッシュバタークリームをサンドしました」とあるが、まさしくその通りの味わいだ。1個しか買わなかったのを食べ終わった瞬間に後悔した。「今度行ったら、箱買いするぞ!」と妙に高揚した気分で帰路に付いた私だった。
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ネズミ年になる前に

 もう12月だというのに、日本の南には2つの台風23号と24号が発生している。この時期に台風が2つも発生するのは珍しいが、それは海水温度が例年に比べて暖かいのが原因なのだそうだ。特に23号はここ数日台湾付近に大雨を降らせているが、沖縄付近を今日辺りにも通過するため、注意が必要だ。沖縄付近を通過後は前線に取り込まれて本州に接近する可能性が高く、太平洋側では雨が心配されている。また、この台風のために冬の冷たい空気が近づけず、寒さは北日本どまりになり、今週の西・東日本は比較的暖かく、本格的な冬の到来は遅れるのだそうだ。もう異常気象にも大分慣れっこになり、少々の異変では驚かなくなってきたが、暖冬かな?と気を緩めていると、一気に寒くなって、どかっと雪が降ったりするから、気安く考えてはいられない。雪が降ってもいいように、車のタイヤだけは早めにスタッドレスに替えておきたいが、寒さが身に沁みてこないと重い腰を上げる気にならず、雪がちらついて初めて慌てたりするのだろう。まあ、それも毎年のことだから、ちょっとしたわが塾の風物詩と言えなくもない。

 暖かさに気が緩んだわけでもないだろうが、日曜日・火曜日と連続して台所の隅に仕掛けてあった粘着式のネズミ捕りに子ネズミが捕まった。もうずいぶん前から置いてあったものなのに、何で今頃こんなに続けて、と不思議な気もする。
 日曜日散歩から戻ってきたら、台所からチューチュー鳴き声が聞こえてきた。何かなと思って見たら、ネズミ捕りに貼り付いて横倒しになっている子ネズミと目が合った。以前、間違ってヘビが捕まったときにはベンジンをかけて外して逃がしてやったが、ネズミではそんなわけにもいかない。哀れに思わないでもなかったが、日頃傍若無人に暴れているネズミたちの行状を見ている身には、捕まったことを喜ぶ気持ちのほうが強かった。
「処理してよ」と妻が言うので、「もうちょっと後で」と答えてビールを飲み始めた。酔った勢いじゃなくっちゃ、とてもそんなことはできやしない。かなりメートルが上がった頃、父の炭焼き小屋から、炭ばさみを取ってきた。さらにサングラスをはめて視界を暗くし、耳をふさいで鳴き声が聞こえないようにしながら、やっとの思いで、炭ばさみでネズミ捕りをつかんで塾の焼却炉まで持っていった。焼却炉に放り投げたときは大仕事を終えたような気分になったが、どうもこういうことにはからっきし弱くてイヤになる。とにかく生き物、特に鳥類と哺乳類の死体は大嫌いで、恐怖さえ感じてしまう。
 火曜日はもっと困った。朝起きて水を飲もうと台所に行ったら、またネズミが捕まっている。「またかよ」と妻に言ったら、「またお願いね」とニヤニヤしながら言う。私が嫌がるのを知ってて言うんだから、意地悪だ。「今日は酔っ払ってないから、無理だよ」と言ってみたものの、ここで引き下がっては沽券にかかわる。しばらくじっとTVを見て、体と心がほぐれてきてから、行動を開始した。また炭バサミでつかもうとしたのだが、周囲が明るいだけにサングラスをしてもネズミの姿が見えてしまいそうだ。じゃあ、と近くにあった折り込みチラシでネズミ捕りに覆いをして見えなくしてから、運ぶことにした。見えなければへっちゃらだ、苦もなく外に持ち出して焼却炉に持っていこうとしたら、途中に父がいた。「ねずみ」と言うと、「おお、そうか」と私から炭バサミを受け取って、さっさと歩いていく。「ネズミを外して、もう一回使おう」と、焼却炉の上にネズミ捕りを置いて、炭バサミで、ネズミをはがし始めた。「わあ!何するの!」と父から離れて様子を見ていたが、ねっとりくっ付いたネズミを力任せに無理やりはがしとって、焼却炉に捨てた。ネズミ捕りは自分の炭焼き小屋に持っていってネズミの通り道に置いたようだ。まったく無茶苦茶だ・・。
 それを洗濯物を干しながら、ベランダから見ていた妻が、「どうして親子でこうも違うんだろうね」と私をからかったが、「オレはソフィスティケートされた人間だから・・」などと力なく言い返すしかできなかった。だが、野蛮というか、野生児というか、いくつになっても力溢れる父のような人間にはとてもなれないから、さほど悔しくはない。(負け惜しみかな)。

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 今は一年中素足に草履で暮らしている私だが、その昔、高校生の頃は靴のお洒落にかなり凝っていた。中学はズック、今でいうスニーカーでしか通学を許されていなかったが、高校になると靴は自由になり、入学と同時に革靴を買ってもらった。当時はアイビーファッション全盛の頃で、革靴の定番と言えば REGAL だった。たくさんある人気アイテムの中から、私が最初に選んだのは全くオーソドックスなプレーントゥーと呼ばれるタイプだった。

 

 写真左がプレーントゥーだが、靴紐をきゅっと締めて颯爽と歩くと大人になったような気がした。だが、その末路は哀れだった。体育の時間にこの靴を履いてサッカーで走り回っていたら、ボロボロになってしまった。そんなことをしなければ、もっと長く履けたはずなのに、無茶なことをしたものだ。写真右のウィングチップは、一度は履いてみたいと思っていた、高校時代の私の憧れの靴だった。この靴で蹴られたらさぞかし痛いだろうな、とカタログを見ながら悶々としていたことを覚えている。

  

 2足目の革靴として私が選んだのは一番左の写真のタッセルという靴だ。房がワンポイントとなっていて、真ん中のローファーや何も飾りのないスリッポンよりもかっこいいと思って履いていた。ローファーは女子学生がよく履いていたから、男の履く物じゃないように思っていたような気もする。

 高校2年生になると、スウェードのデザートブーツが愛用の靴になった。夏の暑い時期、素足にこのデザートブーツを履いて学校に行くのがものすごく自分では粋だと思っていた。傍から見れば、暑苦しくて仕方なかっただろうが、その頃はカッコいいことだけを追求していたような気がする。(今の女子高生が真冬の寒い中、ミニスカートで学校に行くのと相通じるものがあったのかもしれない)
 だけど、やっぱり一番好きだったのはサドルシューズだ。白と黒のコンビが実に素敵だ。


 本当に好きで、私にしては丁寧に履いていたと思う。大学生になってからもしばらくはこの靴を履いていた記憶があるから、大事にしていたのだろう。私は今でもかっこいい靴だと思うが、今の若者たちが見たらどう思うだろう。今度、息子にきいてみよう。
 もちろん高校3年間ずっと革靴ばかり履いていたわけではない。アメリカから輸入されたケッズ(Keds)のスニーカーが学校で流行っていて、かなり高かったが、無理して買ってうれしそうに履いていた。


 写真と同じブルーともう一足黄色のを持っていた。当時はこんなにきれいな色のスニーカーは珍しかったので、それもちょっとした自慢だった。
 学生服を義務付けられた高校生にとって、靴くらいしかおしゃれするところがなかったのだろうが、それにしてもなんて贅沢な高校生だったんだろう。自分ながら驚いてしまう。
 
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土鍋

 日曜日、塾が終わってから愛犬弁慶を連れて魚屋まで買い物に行った。11月下旬にしては暖かい、散歩にはもってこいの日だった。久しぶりに遠出をする弁慶は相変わらず元気がいい。手綱をしっかり持っていなくては引っ張られそうだ。もう高齢の部類に入るだろうにまだまだ元気いっぱいだ。

 

 暖かいとはいえ、暦の上では冬だ。日の傾くのもずいぶん早い。サルビアの花も最近は色んな品種があると見えて、赤色の慣れ親しんだものばかりではないようだ。

 

 はっきり見えないかもしれないが、青とピンクの花びらがサルビアではないかと妻は言うのだが、本当だろうか。
 最初はおとなしくついてきた弁慶が途中から少し言うことを聞かなくなった。散歩に出てきた犬たちと、盛んに吠えあうのだが、私としては手綱を引っ張るだけで精一杯だ。「だからお前と散歩に来るのが面倒になるんだろ!」と心の中で弁慶に喝を入れても仕方ないことだが、体が大きいだけに他の犬には威圧感があるようだ。
 魚屋で刺身を買って、さあ帰ろうと踵を返したところ、通り沿いの瀬戸物屋の軒先に土鍋がいくつか見えた。
「あの土鍋いいなあ」と私が言うと、
「土鍋を買い換えなきゃいけないと思っていたの」と妻が答えた。
「そりゃ、タイミングがいい」と私が答えるのを聞きながら、妻が「こんにちは」と店の中に入っていった。

 

 昔ながらのたたずまいで懐かしささえ感じる。
「こんな店ばかりだったよなあ」と同じ町で生まれた妻に同意を求めようとしたが、店番のおばあさんと値段の交渉でそんな私の感慨など聞こえないようだ。


「じゃあ、これで」と決めた土鍋は、私の意見も聞き入れてくれた、少し淡い色調の土鍋。なんでも、蓋と本体の絵柄が一致しないB級品だとかで、1000円でいいのだそうだ。少し小振りだが、子供たちが外に出て行ってしまった我が家ではこれくらいがちょうどいいのかもしれない。それはそれで寂しい気持ちもするが、時の流れに逆らうことはできない。「ありがとう」と言って店を出たが、新聞紙に包んでくれた土鍋は見かけよりも重く感じた。
 そんな感傷など一時のもので、この土鍋でどんな料理が食べさせてもらえるか、そちらのほうに興味が向かうオヤジでありました・・・。

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「探偵物語」

 ここ最近、松田優作が主演したTVドラマ「探偵物語」のビデオを毎晩見ている。と言っても、このブログの記事を書き終え、家に戻って風呂に入るまでの30分間ほどのことであり、しかもビリー隊長に教えてもらったエクササイズを自分流にこなしながらなので、一話見終えるのに2日か3日かかる。もうずいぶん昔に何度目かの再放送を全話ビデオに収めたものなので、ところどころ画像や音声に乱れが出るが、DVD・BOXを買えないでいる私にとっては、貴重な映像である。
 試しに YouTube を探したら、オープニングの映像が見つかったので貼ってみる。




 このオープニングからも分かるように、「探偵物語」はユーモアにあふれている。シリアスな場面も多いが、全編を流れるコミカルなタッチが見ていて楽しい。特に、成田三樹夫と山西道広の扮する二人の刑事と松田優作扮する探偵・工藤俊作との掛け合いは、ちょっとしたショートコントを見ているようで思わず笑ってしまう。松田優作が、いい意味で力が抜けた演技を見せてくれていて、彼の懐の深さというものが垣間見えるように思う。
 「探偵物語」は、1979年9月から翌80年4月まで全27話が放映された。松田優作は1949年9月21日生まれだから、ちょうど30歳になったばかりの頃の作品だ。黒か白のスーツに派手なカラーシャツとネクタイで身を固め、ソフト帽をかぶってべスパP-150 に乗り調査を依頼された事件に東奔西走する探偵・工藤俊作。「マンガチックで娯楽性あふれるシャレた作品にしたい」と番組スタート時に松田優作が抱負を語ったと言われるが、その通りの作品に仕上がり、大きな人気を博した。私はリアルタイムで何話か見たと思うが、本当にこのTVドラマの面白さが分かったのは再放送を毎日連続して見てからだと思う。一話完結の物語であり、撮影した監督によって微妙に色合いが違うので、それもまた見る者を飽きさせない要素であったように思う。
 初期のハードボイルドで「動」のイメージから、後期の感情を抑えた「静」の演技へのターニングポイントになったと位置づけられている、この「探偵物語」の中には、演技者・松田優作よりも、人間・松田優作がより多く表れているような気がする。見るたびにますます工藤探偵を好きになってしまうのはそのためかもしれない。役者としての松田優作は「それから」の代助役でひとつの頂点に達したように私は思っているが、工藤俊作を演じる松田優作は楽しくて仕方がないような顔をしている。この作品中の松田優作のように、心から楽しみながら演じている役者を、映画やドラマの中で見つけたことがない。役者が楽しみながら演じるからこそ、それを見る者も楽しめる――そんなことを教えてくれる作品だ。
 
 松田優作が亡くなったのは 1989年11月6日、今年でもう18年になる。彼の亡くなった40という年齢をとうに過ぎてしまった私ではあるが、彼のDVDやビデオを見ればたちまち熱い心がよみがえる。松田優作没後、私の心を熱くしてくれる役者は、残念ながらまだ現れていない。できれば還暦を迎えた松田優作を見てみたかった気もするが、今はもうかなうはずもない・・。
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松葉ガニ

 「これで3000円は安いでしょう」
宅急便で送られてきた包みを開けた妻が言った。


 「松葉ガニの卵を持ったメスは今しか食べられない」などという宣伝文句と、送料不要で3000円という値段にひかれて、ネットで思わず注文したのだという。数えたら全部で8匹、こんなに安くていいのかと思うほどだ。先日ラジオで、今年のカニの水揚げ量は例年並だが、燃料費の高騰が影響して値段が高くなるだろう、と心配なニュースを聞いたばかりなので、余計に驚くほどの安値だという気がした。確かにタラバガニと比べればはるかに小さく身はあまり詰まっていそうもない。しかし、「今の時期の松葉ガニのメスが持っている卵には、内子と外子の2種類あって、どちらもおいしいらしい」と妻が説明してくれた。だけど、「内子と外子って何だ?」。ちょっと調べてみた。

 『外子はセコガニ(メス)の腹に抱いている成熟した卵巣のこと。茹で方や卵の成長度合いでオレンジ色やエンジ色のものがあり、卵のプチプチとした食感が美味。また、内子はセコガニの甲羅の中にある未熟卵の卵巣で、オレンジ色の固まり。口に広がる独特の味と香りで、珍味として珍重されています』

 「なるほど」とは思ったが、実際に食べてみるまではどんなものか分かるはずもなく、その日の夕食を楽しみに待った。

 

 食卓について驚いた。まるまる1匹茹でたものが皿に乗っているし、味噌汁の中にも1匹入っている。豪華というか、豪快というか、なかなか豪勢な感じのする料理だ。茹でたカニが抱いているのが外子のようだ。「これは醤油をかけるとおいしかったよ」と、もう夕食を終えていた妻が教えてくれた。その部分を外し、醤油をかけて渡してくれたので、食べてみた。確かにプチプチした食感がいい。さらに妻は殻を外して内子とカニ味噌も取り出してくれた。

 


いつになくサービスがいいなと思いながら、渡されたものを黙々と食べた。今までもカニの卵は何度か食べたことがあるが、正直言っておいしいと思ったことはなかった。それなのに、このカニの卵は食べやすい。カニ味噌もあまり得意なほうではないが、さほど苦にならず食べられた。思ったとおり、あまり身はついてなかったが、それでもおいしかった。私が食べた殻をスプーンで穿り返して、「まだこんなにも身があるよ。勿体無いなあ」と妻が文句をつけるが、どうにもカニを食べるのは面倒でいけない。
 味噌汁は、最初あわせ味噌だけで煮たらしいが、やはり物足りない感じがして赤味噌を足したのだそうだ。「やっぱり赤味噌がいいよな」と白味噌が苦手な私にはおいしく味わえた。
 妻の協力があったにせよ、いつになく隅々まできれいに食べたから、カニたちもきっと成仏してくれるだろうと思いながら、「ごちそう様でした」と冬の味覚にお礼を言った。
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イマイチ・・

 昨日紅葉狩りに行ってきた。場所は去年このブログで「紅葉狩り」という記事にしたのと同じ所だ。時期は今年のほうが少し遅い。ひょっとしたら、もう見ごろの時期は過ぎてしまったのかなと心配していたのだが、杞憂だった。まだ赤く染まっていない葉も多く、緑から黄色に移り変わる途中のものさえ多く見られた。

  

 はっきり言ってきれいではなかった。斑な感じがして「なんだ・・」と落胆するほどだった。去年の写真と比べても今年はどうにも寂しい。どうしてだろう。
 先日TVの情報番組で、ここ50年の間に紅葉の見ごろの時期が15日ほど遅くなったと言っていた。「ここにも温暖化の影響が表れていますね」、と出演者が深刻な顔をしていたが、今年は猛暑が終わったあとも、暖かい秋が続いたから、どうしても紅葉の時期がずれ込んできたのかもしれない。ここ数日ぐっと冷え込んできたものの、急なことなので楓の木もすぐには対応できず、こんなにみすぼらしい紅葉になってしまったのかもしれない。
 赤くない葉が多い割には、散ってしまった葉も多かった。夏になるとせき止めて自然プールにする川の面にたくさんの紅葉が浮かんでいた。

 

 晴天で陽が当たればぽかぽかする日中だったので、見物客は昨年よりも多かった。カメラ片手の老夫婦が多く、のんびりと秋の一日を楽しむという風情だった。
「イマイチだね」
という声がすれ違う人の多くから聞こえたように、やはり誰もがこの紅葉では物足りないようだ。そう言えば、今年からこの公園では紅葉のライトアップをするようになったという。18日の日曜日から24日土曜日までの1週間、夜9時までライトアップをしているそうだ。私はそんな時間にやってくることはできない。できたとしても、寒い中、これくらいの紅葉ならわざわざ見に来る気は起こらないなあ、と思ったが、果たしてどれくらいの人が訪れているのだろう。
 しばらく歩いたら、もう十分だった。「おお、きれい・・」とため息をつくような紅葉がどこにもない。期待はずれの気持ちを慰めようと、川沿いに何軒か開いている売店で、おでんとどて煮を買って妻と食べた。昼食を食べた後だったので、私はコンニャクを1本食べれば十分だったが、妻はどて煮を2本ぺろっと食べて、さらに別の店でコロッケを1つ買って、半分平らげてしまった。
「後は晩御飯にしよう」と残り半分をバッグにしまっていたが、恐るべし・・。食べた分だけのカロリーをちゃんと消費しさえすれば、何も問題はないのだけど、果たして・・。


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印刷機(2)

 新しい印刷機がやって来た。その名も「リソグラフRZ330」、シンプル操作の高速デジタル印刷機と銘打ってある。拡大縮小ができて印刷が速くて耐久性があればいい、という私の要望に答えた機械だ。(それとリース代を安く・・)


 1週間前に買い替えを決めたが、新しい機械では今までの機械の消耗品を使えなくなってしまうので、あるだけ全部使い切ってしまおうと、せっせと印刷に励んできた。もちろん機械の調子はよくないので、1枚印刷するのにあれこれ手間取って、やたら疲れた。印刷台紙のマスターで手を真っ黒にしながら、ただただ勿体無いという欲だけで必死の一週間だった。そのお陰で、大量の印刷を一気に済ますことができたので、期末試験対策プリントをいつもより早く生徒に渡せたのはラッキーだった。これで生徒たちが勉強に励んでくれれば申し分ないのだが、どうだろう。

 リソグラフの印刷機はこれで4代目となる。昼一番で納入に来ると連絡があったので、午前中は古い機械の掃除をした。「長い間ご苦労様」とねぎらいの言葉を掛けながら、久しぶりに雑巾がけまでした。最後はヨタヨタになってしまった機械だが、今までで一番丈夫だった。6年苦楽をともにしてきたかと思うと、サヨナラするのは少々寂しかったが、そんな感傷にふける間もなく、新しい機械を持って運送業者がやって来た。
 機械の入れ替えが終わって運送業者が帰った後、リソーの販売員が試し刷りのために何か原稿を貸してくれと言う。それじゃあ、と昨日最後に印刷したテスト用紙の残りを印刷してもらおうと思って探したがない。「あれ?」とあちこち探したが見つからない。「ひょっとしたら古い印刷機の読み取り面に置いたままじゃないか・・」と思いついた。それを販売員に伝えたら、慌てて連絡を取ってくれた。しばらく待つと、「見つかったから戻ります」と返事があった。「やっぱり」と、大事なテスト用紙なので、ほっとしたが、大事なものならもっとちゃんとしておけと、相も変らぬいい加減さには自分ながら呆れてしまった。
 運送業者が親切にも届けてくれた時、「すみませんでした」と何度も頭を下げたが、本当に余計な仕事をさせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 その後、販売員が使い方の説明をしようとしたが、さすがに使い方はもう熟知しているので、私が疑問に思うことをいくつか質問して細かな説明は省略してもらった。最後に届けられたテスト用紙を試し刷りして、「今までの解像度は400dpi だったのが新しい機械は 600dpi になりましたから、仕上がりはきれいですよ」と強調したが、出来上がったものを見てもさほどの違いは感じられなかった。新しいから印刷が鮮明なのは当たり前なんだろうけど、一応比べてみた。

  

 左の古い機械で印刷したものはインクのかすれがところどころにあるが、右の新しい機械のものはかすれは見つからない。数学のプリントを印刷すると、+か-か÷かがかすれて見えなくなって生徒たちから質問されることが時々あったが、これからはそういったことがなくなるかもしれない。新しく買い換えたメリットはこれから少しずつ実感できるだろう。
 なんにせよ、新しい印刷機には末永く元気に頑張ってほしいと願っている。

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陽光を浴びて

 昨日「陶のあかり路」のアート作品の写真を貼り付けて記事にした。今見直してみても、確かにきれいだ。しかし、いったい何を表しているのかまったく分からない作品もいくつかあるように思った。せっかくの作品を意味の分からぬまま載せておくのも少々気がひける。せめてどういう形のものなのかくらいははっきりさせておいたほうがいいんじゃないか、と日差しが明らかな午前中に写真を撮ってきた。灯りをともさずともオブジェとして十分鑑賞に堪える作品ばかりだから、写真を載せることにした。昨日の写真の配列と全く同じにして、昼と夜では作品がどう違って見えるか、どちらのほうが好ましいかを比べてみるのも楽しいかもしれない。

  

  

  

  

  

  

  

  

 
 アクリルガラスに反射して私の姿がところどころ写っているのはご愛嬌だが、そんなことなど気にならないくらいさわやかな秋の朝だった。ヤンキースのスタジャンを羽織り、素足にぞうり履きで熱心に写真を撮り続ける姿は、さぞや異様だったことだろうが、これもブログの記事のため、塾関係者に見つからなかったことを祈るばかりである。
 と、やっとここで本題。24組の写真の中で、夜と昼とで異なる作品が写っているものが1組だけある。さて、それはどれでしょうか?
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