毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
虹
やっと雨が上がった。雨が上がるとさすがに暑い。暑いのがいいか、じめじめしたのがいいか、などと考えてみても仕方ないが、やっと本格的な夏が到来するようだ。せみの初鳴きを観測してから9日ほどで梅雨が明けるものらしいから、今年の場合、今週末がそれにあたる。昨日などはもうせみがうるさかったが、これから1ヶ月ほどはせみの声で朝は起こされるかもしれない。暑さを倍化させるようなせみの鳴き声だが、夏の象徴としてしばらくは我慢しなければならない。
梅雨明け間近の晴天について何か書こうと思って考えていたら、不意に上の写真の絵が頭に浮かんだ。これは息子が字を書き始めて間もない頃だから、保育園に通っていた5歳くらいの時の絵だ。車に乗っていたときに雨上がりの大きな虹を見たときの感動を絵にしたものだ。黄色で「にじ」と題名が書いてあり、その下に赤・青・緑・黄のアーチが思い切りよく描かれている。とても今の息子からは想像できないような大胆さで気持ちよく描かれている。右には「6月19日 ほくたち」と濁点を忘れた文が書かれ、その下に自分の姓名が書かれている。左には「3んにでにじをみてた」と日記風な言葉が続いている。よく見ると、ちゃんと虹を見てる3人の姿が描かれている。「よくできました、上手に描けたね」と、この絵を見た私は息子を心から褒めたのだが、次の瞬間、おやっと思った。あの日は確か、私、妻、娘、息子の4人で車に乗っていたときに虹を見たはずだ。すると、3人というのは息子の勘違いかな、そう思って私はたずねた。すると息子は、指を折りながら、「お母さん、お姉ちゃん、ぼく」と言って3本の指を見せた。「えっ、お父さんは?」と私がたずねると、息子ははっとした顔をして、私にすまなさそうな顔をした。近くにいた妻が、「お父さんなんていなくてもいいよ、3人でいいよ」と言ったのだが、息子のばつの悪そうな顔は変わらなかった。
そうだった、あの頃の私は妙に家族から迫害されていた。今でもそう変わらないかもしれないが、妻が娘と息子と大の仲良しで、私だけが別物のような扱いを受けていた。「被害妄想だよ」、と妻はニヤニヤしていたが、あれは間違いなく妻が子供たちに刷り込んだものに違いない。まあ、あの頃はよくけんかをして年中プリプリしていたから、仕方ないかもしれないが。
息子が面白いのは、これから先だ。
「7がつ9にち ぼくあどばるんおみた」と説明があって、虹を見た20日後にアドバルーンを車の中から見たことが書かれている。よく見ると、前の失敗に懲りたのか、「ぼくたち」が「ぼく」に変わって、車の中の人数も2人になっている。このときも家族4人でいたはずだが、息子なりにバランス感覚が働いたのだろう、絶妙な人数にしてある。仲間はずれはお父さんだけじゃないよと言いたいのかもしれないし、今度はお父さんと二人だよと言いたかったのかもしれない。結局は確かめることはしなかったが、同じ轍を踏まないだけの知恵は備わっていたようだ。これが息子のよさなのか弱さなのか、よくは分からないが、小さい頃からちょっとした思いやりのできる子供だった。
などと言いながらも、この2枚の絵は額に入れて今でも我が家のリビングに掲げてある。紛れもなく我が家の家宝だ。
梅雨明け間近の晴天について何か書こうと思って考えていたら、不意に上の写真の絵が頭に浮かんだ。これは息子が字を書き始めて間もない頃だから、保育園に通っていた5歳くらいの時の絵だ。車に乗っていたときに雨上がりの大きな虹を見たときの感動を絵にしたものだ。黄色で「にじ」と題名が書いてあり、その下に赤・青・緑・黄のアーチが思い切りよく描かれている。とても今の息子からは想像できないような大胆さで気持ちよく描かれている。右には「6月19日 ほくたち」と濁点を忘れた文が書かれ、その下に自分の姓名が書かれている。左には「3んにでにじをみてた」と日記風な言葉が続いている。よく見ると、ちゃんと虹を見てる3人の姿が描かれている。「よくできました、上手に描けたね」と、この絵を見た私は息子を心から褒めたのだが、次の瞬間、おやっと思った。あの日は確か、私、妻、娘、息子の4人で車に乗っていたときに虹を見たはずだ。すると、3人というのは息子の勘違いかな、そう思って私はたずねた。すると息子は、指を折りながら、「お母さん、お姉ちゃん、ぼく」と言って3本の指を見せた。「えっ、お父さんは?」と私がたずねると、息子ははっとした顔をして、私にすまなさそうな顔をした。近くにいた妻が、「お父さんなんていなくてもいいよ、3人でいいよ」と言ったのだが、息子のばつの悪そうな顔は変わらなかった。
そうだった、あの頃の私は妙に家族から迫害されていた。今でもそう変わらないかもしれないが、妻が娘と息子と大の仲良しで、私だけが別物のような扱いを受けていた。「被害妄想だよ」、と妻はニヤニヤしていたが、あれは間違いなく妻が子供たちに刷り込んだものに違いない。まあ、あの頃はよくけんかをして年中プリプリしていたから、仕方ないかもしれないが。
息子が面白いのは、これから先だ。
「7がつ9にち ぼくあどばるんおみた」と説明があって、虹を見た20日後にアドバルーンを車の中から見たことが書かれている。よく見ると、前の失敗に懲りたのか、「ぼくたち」が「ぼく」に変わって、車の中の人数も2人になっている。このときも家族4人でいたはずだが、息子なりにバランス感覚が働いたのだろう、絶妙な人数にしてある。仲間はずれはお父さんだけじゃないよと言いたいのかもしれないし、今度はお父さんと二人だよと言いたかったのかもしれない。結局は確かめることはしなかったが、同じ轍を踏まないだけの知恵は備わっていたようだ。これが息子のよさなのか弱さなのか、よくは分からないが、小さい頃からちょっとした思いやりのできる子供だった。
などと言いながらも、この2枚の絵は額に入れて今でも我が家のリビングに掲げてある。紛れもなく我が家の家宝だ。
コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )
« お祝い | カブト虫 » |
。
いろいろ思い出の品をとっておけますものね。
引越しを重ね、家財一切を水没させたこともあるうちは、あまり残っていません。
小学低学年で描いた数枚の絵くらいです。
うちの娘はキリンの脚を5本描いて写生大会で入賞しました。
キリンが4本脚って知っていても、その時彼女に見えたままを描いてあって、これだけはなくさないようにしてやりたいと思っています。
こちらは今日、梅雨明け宣言がされましたがそちらはどうですか?
このところの雨の被害はないですか?
お元気なんでしょうか?
健康あってのすべてですね。
お体を大切にお過ごしください。
(バツイチ女のひとり言)
私の絵は、どちらかと言うと「印象派」なのでしょうか、「写実的」に描くのは苦手です。感じた色や形を、思ったままに描いていました。
小学校の担任教師は、どうもそういう私の絵を認めてはくれませんでした。「樹」を描くと葉っぱの色が緑だけでなく、黒かったり、白かったり・・・一筆ずつ違う色になってしまうのです。「これは樹の絵ではない」と言われたことが忘れられません。
ところが中学の美術の先生は、私の絵をひどく気に入ってくれて、写生大会では、毎年「金賞」をくださいました。「アングル」や「色の捉え方」を特に褒めてくださいました。
中学3年生のときの写生大会では、松本城を描いています。私は、天守閣ではなく大手門とその脇の樹(何の樹だったか覚えがないのですが・・・)を描きました。今でもその絵は、額に入っておばあちゃんの部屋に掲げてあります。
30年以上経っているので多少色褪せてはいる水彩画。
私の大好きだったおばあちゃんが、ことあるごとに見上げていてくれたのでしょうね。
息子の小学校のときに描いた人間は針金でできていました。
針金くん、と呼んでいましたが、ちょっとした連載物になっていました。
なかなか面白かったのですが、そんな才能(?)もいつの間にか埋もれてしまうものですね。
針金くんはまだどこかにあるのかなあ。
九州はまだ梅雨明けではありませんか?
こちらはもうそろそろのようです。
暑い日が続きますが、お体をご自愛召されてこれからもご活躍ください。
唯一自慢できるのが、以前描いたことのある『オバQ』の絵だといえば、どれだけ惨めなものかお察しいただけるでしょう。
おばあ様のお部屋に掲げてあるゴジ健さんの絵、一度拝見したいです。
やはり「樹」がお好きなんですね。
好きなものを描いちゃうんでしょうか。
そのことに心が向いているから、その他のことは自然に遠のいていたのだと思います。決してお父さんを取りこぼされていたのではない・・・?でしょう。
とりあえず飾っておこうと思った写真や作品が、そのままの場所で過去の思い出になっているのは、少々切ないものがあります。時のたつのは早いですね。
その時にも慰めていただきましたが、父親なんてそんなものですよ、多分。
まあ、それでもまったくかまいませんが、やっぱりちょっとは寂しいですね。
勉強も。
楽しむと、おちゃらけになるって言うのは違うと思うので、何でも楽しんでやれることが大切だと思います。
ブログも楽しまなけりゃいけませんね。