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川床

 8月の休みにどこか行こうか、と久しぶりに考えている。娘が高校1年生までは、8月の休みには必ず、伊良湖へ一泊旅行に出かけたものだったが、ここ2,3年、娘の大学受験も重なって、家族全員で旅行に出ることなどなくなってしまった。妻や子供たちは、その間もSMAPのライブツアーに合わせて、日本中を飛び回っていたのだから、私1人が蚊帳の外に置かれただけなのかもしれない。何しろ、1年間ずっと塾ばかりで、まとまった休みなど盆と正月にしか取れないから(と言っても3日ずつだが)、彼らのスケジュールと合うはずもなく、行って来いよと送り出すしかできない。これからも、塾が私の生活の大部分を占めている間は、まとまった長期の休みは取るつもりもないのだから、仕方ないといえばそれまでだろう。
 しかし、今年は何故か、京都の川床で夕涼みをしながら、ビール片手に食事でもしたいものだという願望が少し前から芽生え出してきて、だんだんと形を帯びてきた。まず、インターネットで川床で食事をするにはいくらぐらいかかるだろうと調べてみた。何軒か当たってみたところ、一人当たり1万円から1万5千円ぐらいの予算でいけそうだった。もっとするものかと思っていたが、案外リーズナブルであったのには驚いた。次に8月の中ごろの週末に行くとして、ホテルは果たしてとれるのかどうか、これもネットで調べたところ、まだ空きはありそうだった。それから、妻、息子に打診してみたところ、まあ付き合ってくれそうだったので、最後に娘に先ほど電話してみた。すると、あっさりと、連れて行ってくれるなら行ってみたいと言ってくれた。いいじゃん、うまくいきそうじゃん。
 あとはこれに必要なお金をどう工面するかだが、それが実は一番厄介なのかもしれない。昨日妻がぶつけた車の修理代が、ざっと見、20万円近くかかるという見積もりが出た。そう大してひどくもないのに何で、と思わなくはないが、外車は維持費がかかることをここ15年ぐらいで勉強してきたお陰か、仕方ないなあ、ともう達観している。が、達観はしても、ない袖は振れないし、かと言って実現しかけている川床ツアーも諦めたくはない。修理と川床、どちらも成し遂げるにはかなりの額のお金が要る。あ~あ、いつも思うことだが、私という人間にはお金が貯まることなど一生ないだろう。悲しいことに、死ぬまでお金に齷齪しながら、必死に生きていく運命なんだろう。
 くそ、こんなこと考えていたらこのまま何もしないで朽ち果てるのも馬鹿らしくなってきた。明日中に川床ツアー、予約を全て取っておこう。やるぞ!
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奥さん、勘弁してよ。

 うちの奥様がやってくれた。3月に買ったばかりのBMWをぶつけてくれた。買い物に行った帰りに駐車場から出ようとして、ちょっとバックしたら、あんなところに壁があるなんて・・とか何とかしどろもどろに弁解を重ねていたが、何を言ってるやら訳が分からず、心配で車庫まで走って見に行った。そしたら、左後ろのドアの下のほうがかなりへこんでおり、その周辺も削れた後がくっきり残っていた。こりゃ、重傷だわと呟きながら家に戻ってゆっくり話を聞こうとしたら、ディーラーに電話をしているところで、すでに修理の段取りをしているところだった。電話を切るのを待っていると、一瞬頭に血が上って叫びそうになった気持ちが徐々に治まってきて、彼女が電話を切った頃には、結構落ち着いてきた。『お金は定期を解約して・・・』消え入るような声で話し出す様子を見ると、もうどうでもいいやという気にさえなった。怒りが長続きしないのが、最近の私の特徴で、すぐにどうでもよくなってしまう。それは何もいい加減な気持ちからではなく、怒っていることが何だか馬鹿らしくなってしまうのだ。もっと楽しく時間を使おうよ、という気になる。
 このBMWは4年ちょっと乗った前のBMWツーリングが、車検も近づき、タイヤがすれすれでちょっと急ブレーキをかけただけでABSがかかってしまうほどになり、さらに、エアコンが時々暴走して多分夏には使い物にならず修理代がかなりかさむ、などなどの理由で3月に買い換えたばかりだ。これで4台目のBMW車になるが、一度ドイツ車に乗ってしまうとなかなか日本車に戻すのは難しい。別に私が車好きというのではない。どちらかといえば、見栄で乗っているだけなのだが、それでもやはり日本車にはない、『駆け抜ける喜び』を味あわせてくれるBMW車を他社の車に乗り換える気は起こらなかった。日本のBMW所有者の中で最も貧乏人を自覚している私だが、運転しているときにはリッチな気分になれるので、毎月のローンに苦しみながらも何とか支払いを続けている。
 BMWに乗り換えた頃は、分不相応だと思われはしないかと戦々恐々としていた時期もあったが、現在では、一年間、少ない休みで頑張り続けている自分へのご褒美と、励ましだと思って車庫に堂々と止めている。
 そんな大事な車を妻が・・・きっと今度の土・日に行く、藤原竜也の名古屋公演のことを考えていたんじゃないかと疑いたくもなるような不注意で、ぶつけてしまうなんて・・・というほど、今はもう大して気にしていない。修理すれば直るものだから、別に気に病むほどのことではない。ただ、修理代がきついよなあ、と思うとどうやって工面しようかと、少しばかり憂鬱になるだけだ。
 それでも、安全運転をしなけりゃいけないでしょう、奥さん!
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デジタル・デバイド

 今日、高校生が『デジタル・デバイド』について、具体例を挙げて300字以内で述べよ、という宿題を見せ、教えてくれと言ってきた。彼の場合、教わろうとしているのではなく、答えを書いてくれと頼んでいるに等しいので、IT用語集なるものを渡し、『自分で調べろ』と言ってみた。彼は手にとってぺらぺらめくった後、『お願いだから、ヒントちょうだい』と今度は直接的に踏み込んできた。ヒントも何も『デジタル・デバイド』という項目を開いて、そこに書いてある説明を丸写しすればいいんだと、言ってみても、『どうやって300字にまとめればいいの、線引いてよ』とあくまでも宿題を丸投げしようという意志を崩さない。さすがに私も業を煮やして、いやだと突っぱねたものの、提出日が明日である彼には引き下がることは許されない。『お願い、お願い』と駄々っ子のようにしつこく繰り返すので、最後には面倒くさくなって、適当に線を引いて、『これをレポート用紙に写せ』と用語集を突っ返してやると、『ありがとう』と屈託のない笑顔を見せて、一生懸命写していた。
 こんな彼でももう高校2年生。大学を意識し始める年頃だが、彼の場合、私立中・高と進んできて、うまくいけば大学までエレベーター式に進学できる身分である。今のところ、推薦枠にぎりぎり入れるかどうかという立場なのに、本人は至って呑気である。年中遊ぶことばかり考えていて、うちの塾に通い始めて、かれこれ5年近くになるのに、精神年齢はちっとも成長しない。私がいくら口酸っぱく諭しても、馬耳東風、馬の耳に念仏で一向に効き目がない。いっそのこと見捨ててやろうかと何回か思ったことがあるが、何故か憎めないキャラの持ち主であるため、縁を切れないで今日まで来た。
 彼を見ていると、他人に頼らず、自分の力でやり遂げようとする意志を持った高校生ってのはいないのかと、暗澹たる思いに駆られる。本当に今の高校生は勉強しない。勉強しなくても何とかなるという安心感を現代社会が彼らに与えているのだとしたら、彼らは、ある意味、平和国家の象徴なのかもしれない。齷齪せずとも、十分暮らしていける社会の構築、明治維新以来、幾多の先人が目標に掲げ、努力してきた国是が、やっと今具現化されたのだ、と声高に叫んでも誰も喜びはしないだろう。それどころか、彼ら先人たちの努力の結果がこれなのか、と嘆くばかりだろう・・・
 高校生諸君、とにかく学べ!もっと必死で生きてみろ!

 で、『デジタル・デバイド』って何なの?
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野菜が好きか

 私の父は昭和8年生まれの御年72歳の男である。高等小学校を卒業すると同時に、大工の見習い小僧として私の祖父が経営していた建設会社に就職した。そこで祖父に認められ、5番目の娘(私の母)と結婚することを許され、祖父が若くして死去した後、暫くして独立して建築会社を起こした。起こしたといっても、自分が中心となって、まさに馬車馬となって働いてくれたお陰で私たち兄弟は、大工の息子・娘としては妙にお坊ちゃん・お嬢ちゃんとして育てられ、3人とも私立中高・大学まで出してもらった。若い頃の父は、太い胸板と太い上腕をして、ひょろひょろで病弱に育った私には、まさに力のシンボルであった。性格は豪快な中にも特有な弱さを併せ持ったで、10何人兄弟の末っ子として生まれた微妙な立場を具現化している。
 私は多分父から見れば、ひ弱だが、勉強は妙にできる、自分とどことなくずれた息子であったことだろう。私立の中学に行きたいと言い出した私を許してくれた父は、それ以後子供たちの教育をつけることを自らの第一義としたかのように本当に一生懸命働いた。上り調子の勢いだったのだろう、毎日毎日働き、その頃の父と話をした記憶はまるでない。子は父の背を見て育つとはよく言ったもので、私が今、日曜なしで働いているのは父の影響が少なからずある。
 今では、自分生家まで車で20分ほどかけて行き、広い畑で季節ごとに楽しめる野菜の栽培に忙しい。最近のように暑くなってくると、かなり体力的に辛い様子が見られるが、翌日になると、車で出かけてい行く。そう毎日行かなくてもと思うが、家の周りを無目的にうろうろするのは自分が許せないだろうから、『気をつけて行ってよ』と声をかけるだけにしている。
 野菜が好きか、と聞かれたら、私の家族は皆、『おじいちゃんが作った野菜は大好き』と口をそろえて答えることだろう。それだけ、化学肥料や科学薬品に頼らず育てた野菜はおいしい。おいしいに決まっている!!
 自然の生き物は、人間が心を込めれば込めただけのものを必ず返してくれる。年を重ねて見えてきた真理の一つである。
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日曜日

 今日は日曜日。だけど仕事。ちょっと辛いけど、これも暮らしのため。
 本当は休みたい。何もせずぶらぶらしていたい。日の高いうちからさんざんっぱらビールを飲みたい。だけど、そんな気持ちを押し殺して、一日全力投球しよう。
 
 と今は思う。しかし、まずいことにヤンキーズの試合が早朝5時から始まるのだ。こういった場合、必ずといっていいほど6時ごろに目が覚めてしまう。そうすると手元にある携帯で試合経過をチェックする。松井が何本かヒットを打っていると、うれしくってTVを点けたくなるし、打っていなければむかむかしてとても寝ていられなくなる。いずれにしても、日本で夜明けに試合がある場合、ほぼ確実に寝不足の状態で一日を過ごすことになる。が、まだ幸いなことに、そういう日程が組まれているのは、日本で日曜の早朝に限られているので、生徒の送迎をしないことにしている日曜なら、眠い目をこすっていれば何とか乗り切れるだけありがたい。平日でフルタイムで運転しなければならないときだったら、危なくて仕方がなく、なに考えてるんだってことになるが、とりあえずはその点だけは安心できる。
 年をとると朝早く目が覚めるというのは昔からよく聞いていたが、私がこれほど早く目覚めることができるようになったのも、やはり寄る年波のせいなのだろうか。近頃はなんだかんだ言ってもベッドに入るのが3時近くになってしまうが、それでもヤンキーズの試合が始まる8時ごろには自然と目が覚めてしまう。体内時計なのか、脳内時計なのか知らないが、結構正確に働いてしまう。不思議なのはそれだけではない。睡眠時間がこれほど短くなったのに、日中ほとんど眠気を感じないのだ。何年か前だったら、睡眠時間が足りないと1日ボーっとしていたものだが、この頃はそんなことがなくなった。目覚めている間はずっと集中力が働いているのか、睡眠時間とあまり関係なく、頭の中はいつもはっきりしている。ただ、塾が終わって一旦気が抜けてしまうともうだめだ、一気に眠気が襲ってくる。必ずと言っていいほど、浴槽の中で眠ってしまう。だから、寝つきはすこぶるいい。短時間でぐっすり寝ているのかもしれない。
 だけど、やっぱりもう少し寝る時間は早くしないといけないと思う。もう若くないからね・・・

PS.
やっぱり起きちゃった。7時に目が覚め、携帯でチェック、あ~あ負けてる、クソ、ムカツク、松井はグラビンからヒット1本、よし、これならいけるかも、と眠い目をこすりながら、スカパーをつけると、打つは打つはメッツが・・・あーーーあああ、これで4連敗、チャンピオンリングが遠ざかって行く。
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大阪公演も・・・

 7月2・3日と藤原竜也の名古屋公演に我妻が行くことは、前にも書いたと思うが、大阪公演へも行くことになったらしい。今日買い物帰りに、車の中で『7月に京都へ行くことになったから、いい?』と言って来た。娘のところへ行くのかと思った私は、『何で』と聞き返すと、『大阪のチケットが取れたから』『スマップのか』『ううん、藤原の。だっていつまでも売ってるんだもん』『人気ないのか』『そういうわけではないと思うけど。確かにネット上でもファンサイトは少ないけど・・・』『スマップと比べたらいかんだろう、あっちは5人だぜ』『まあね』などと下らぬ会話を続けたが、スマップの方のチケットは予約の結果がそろそろ出るそうだ。『ほんと、羨ましいなあ』『あなたもどこか行けばいいじゃない』『オレはどこにも行きたくはない。お前の、行こうというパワーが羨ましいだけだ』などと年寄りじみたことを言って話題は別のものに変わった。
 ちょっと前に、いつも投稿するのとは別の松井トピに何故だか藤原クンの埼玉公演を見に行った人が閑話休題ということで、『藤原の舞台はよかった。特に夕日のシーンが。とても23の男ができる演技じゃなかった、すごい』と絶賛してあったのを思い出して、教えたところ、『そんなの見に行った人なら当たり前ジャン』と軽く一蹴された。『それじゃあ、どんな風にすごいんだ』と尋ねても、『蜷川に鍛えられてるから』とだけで終わってしまった。ふ~ん、蜷川演出がすごいのか、と訳も分からず思わず納得してしまった。演劇など舞台を見に行ったことはおろか、TVでも放送をほとんど見たことのない私のような者にとって、どこがどうすごいのか具体的に言ってくれたとしてもちんぷんかんぷんなのだろうが、やっぱり気になる。『なら、スマップよりもすごいのか』と聞こうとしたが、あと一歩のところで踏みとどまった。彼女のサンクチュアリに踏み込んではならない、私の防衛本能がそうさせたのだろう。
 なんにしろ、彼女にとっての暑い夏はもう始まっている。くれぐれも自愛しながら、元気にハッスルしてくれよ!!
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コピーガード

 昨日のヤンキーズ対デビルレイズの試合は球史に残るといってもいいくらいのすごい試合だった。200勝を達成した野茂がデビルレイズの先発、ヤンキーズはビッグユニット(大きな物体)と呼ばれる現役最強左腕ランディージョンソンの先発で始まったが、両先発ともピリッとせず、8回表終了時で11対7とデビルレイズがリードしていた。しかしここからのヤンキーズの反撃がすごかった。35分間攻撃を続け、あっという間に逆転した後、圧巻だったことには、3、4、5番バッターが3者連続ホームランを放ったのだ!球場は歓喜の坩堝と化し、見ていた私も何度声を張り上げたか知れないほど興奮した。松井が最後の仕上げにセンター奥の『ブラックシート』に打ち込んだときは、もう夢見心地の気分だった。かつて甲子園で阪神のクリーンアップが3連続バックスクリーンホームランを放ったが、私にとってはそれよりはるかに昨夜の方がすごかった。
 その夜、松井のトピをたずねたところ、興奮した投稿が殺到していた中に、『今日の試合のDVD売ってください』という投稿があった。投稿者は見覚えのない人であったのでスルーしていったところ、常連さんの1人が『私も欲しい』と書き込んでいた。これを見て、私は日本で放映される試合は全て(NHKBS1,BSdigital各社,skyperfecTV)録画しているので、昨日の試合も当然録画してあったため、よかったらダビングしましょうかと書き込んでみた。すると、今朝になって、やってもらえるならうれしいとレスが来た。ならば一肌脱ごうかと軽い気分で妻に頼み込んで、時間の制限がないならダビングしてもいいと返事をもらった。
 じゃあ、早くね。とまた今夜になって掲示板を開いたところ、私宛に『BShiはコピーガードがかかっていて、録画した映像をダビングできませんよ』と忠告してくれた人がいた。私は驚いて、妻に大丈夫かときいら、『1回はコピーできるけど、それ以上はガードがかかる』と答えた。はてさてどちらが正しいのだろう。門外漢の私には予想もつかないが、ダビングして送りますといい人ぶってメールを送ってしまった私にとっては、妻の方が正しいことを願うばかりである。色々忙しくてダビングする時間がないと妻は言うので、結果が分かるまでには時間がかかるかもしれないが、もしガードがかかってダビングできなかったら、男としての面子を保つために、宝物になるはずの元テープを送り届けるしかないと覚悟を決めようと思う。
 文系人間の私が、IT関連のことに首を突っ込むと多くの人に迷惑をかけかねない。偉そうなことは言ってはいけないと自戒しよう。


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ねた枯れ

 2ヶ月近く毎日投稿してくると、だんだん書くネタが見つからなくなってきた。変化のある毎日を過ごす人間ならまだしも、こんな単調な日々を重ねている者にとって、話題にするべきことなど、そうそうあるはずがない。勤め人なら、通勤の途中でふと見かけた景色について述べるとか、電車の中でいつも会う人について想像を働かせみるとか、色々ネタ探しができるかもしれないが、通勤時間せいぜい1分の目と鼻の先を1日に何往復したところで、変わったことは起こるわけもない。中途半端に忙しいので外出もままならず、畢竟話題とすることができるのは松井と、妻(SMAP)、塾、昔の思い出などに限られてしまう。時事問題を論ずるのも何か自分らしくないし、大した見識も持ち合わせていないから、世間の不評を買うだけだから、止めにしておくがよい。
 これらを順繰りに書いていても何の新鮮味もなくなってしまうので、書く本人である私が真っ先につまらなくなる。私がもっと社交的な人間であれば、他人から聞いた話をさも自分が見聞きしたように脚色して投稿することもできるだろうが、妻が唯一かつ一番の親友という身では自ずから限界がある。ならば、そろそろこのブログを閉じれば気が楽になるとは思うが、何も書けなくなるまでは悪戦苦闘してみようと己に誓った手前、まだまだ白旗を揚げるには早すぎる。
 もともと大学は文学部だったし、物を書く仕事に就きたくもあったから、文章を書くことはさほど苦痛ではない。本当に久しぶりにこうやって文章を書き連ねてきた間に、今まではおぼろげだった考えがかなりしっかりしてきたように思う。50の手習いというのではないが、精神修養としてはなかなか役に立ってくれている。腹筋、腕立て伏せ、バットの素振りと体を鍛え始めて1年近くなるが、何とか今日まで続けてきて、体もだいぶ締まった。それと同じように心・精神を鍛えるために、へこたれず、毎日どんなことでもいいから書き続けていかなければならない。
 今日、改めて誓う、このブログをできるだけ長く続けるぞ!
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びっくりした

 今朝いつものようにこのブログを開き、何気なく訪問者の数をチェックしたところ、なんと46人もの人が昨日1日で訪れていた。今まで、2桁の訪問者を記録したことなど滅多になく、本当に独り言を続けてきたのに、いきなり46人もこのブログを開いてくれたのだと思うと少なからず感動した。それと同時に、何故こんなに突然に訪問者が増えたのだろうと考えてみたところ、すぐに答えは分かった。前日の、投稿のタイトルが『藤原竜也』になっていたのだ。これがために、彼のファンがタイトルに釣られてたくさん訪問されたのだろう。きっと多くの方が何か藤原君についての情報が得られるものと思われたのだろうが、門外漢の私の文章ではさぞやがっかりされ、詐欺に会ったような気がされたことだろう。お詫びします。
 私としては何も大向こう受けを狙ってこのようなタイトルにしたわけではなく、その日のトピックスとして一番最初に浮かんだのが、妻の観劇だったのでこのタイトルにしたまでだった。そう言えば、今までにも若干訪問者が増えたのは、タイトルに『松井秀喜』か『SMAP』を加えたときだった。松井は今の私の生活の多くの部分を占めているから、それなりに中身のあることは書いているつもりだが、SMAPに関しては、バイタリティあふれる我妻を登場させるための枕詞のようなものだから、内容はSMAPとは直接関係していない。訪問者を増やすコツとでも言うべきものを垣間見たようで、これからはタイトルに必ず『松井秀喜』か、『藤原竜也』か、『SMAP』を入れてみるかと、冗談で妻に話したところ、彼女に『馬鹿じゃないの』と一蹴されてしまった。『そんなことをしたって、中身がなければすぐにみんな来なくなるよ』とお叱りを受けた。
 妻はSMAP関係の仲間とは皆ネットで知り合ったというくらい、ネット歴が古いし、それなりの知識を持っている。私のようにいい加減にキーボードを叩いているものとは違って、スクールにも通い秩序だって勉強しただけに、PCの扱い方もプロ並を自負している。そんな彼女の忠告だけに素直に聞かなければならない。変な色気は出さずに、毎日こつこつと投稿を連ねていこう。

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自分で考えること

 今の子供は自分で考えることが苦手だ。例えば、宿題を何の科目の何ペーから何ページまでやってこいと言われたなら、それをきちんとすることはできる。だが、何をやったらいいか、今何を勉強するべきかを考えて、それをやってこいといきなり言われたなら、ほとんど何もできない子が多い。教える立場から見れば、自分のことをちょっとでも反省したら、何を勉強したらいいか分かるのにと思える子でも、何をやるべきか分からないらしい。それこそ想像力の欠如だと言わざるを得ないが、これが現代の子供たちに蔓延する病だと私は思う。考える=想像することができない。目の前にあるもの、与えられたものしか見えない。自分で探し出し、つかみ取ろうとはしない。
 中学受験を目指す男の子で、典型的な子がいる。プリントを与え、やってこいと言われれば、必ずやって来る。しかし、こちらが宿題を言い忘れたりすると、何をやったらいいか分からなかったから、何もやってこなかったと答える。そんなものちょっと考えれば分かるだろう、と私が叱ってもそんなの無理だと言わんばかりの顔をする。6年にもなって情けないとは思うが、彼の家庭環境を考えてみれば、さもありなんと思えてくる。
 母方の実家がかなり裕福な家で、ただのサラリーマンの家庭にしては考えられないような派手な生活を送っている。小さい頃から何でも買い与えられて、周りからちやほやされて育ってきた。生来素直な性格の子なので祖父母に猫可愛がりされた子がよくなるように、傍若無人なクソ餓鬼にはならなっかたのは幸いだが、痒いところに手が何本も出てくるため、いつの間にか自分で考えることができなくなってしまったようだ。何故勉強するのだと聞いたことがあるが、何も答えてくれなかった。まるで頭にないことなのだろう、一言も答えられなかった。
 この子は極端な例だが、彼には最近宿題をあれこれ細かく指示しないことにした。家に帰ったら今日は何をやるか自分でメニューを決めて、それをノートに書き出してから勉強を始めろとだけ約束した。それからはちゃんと約束を守ってくるが、まだまだ軌道に乗るには時間がかかりそうだ。しかし、急がば回れ、これが彼のためにきっと役に立つと私は信じている。結果は来年の2月に出るが、絶対にいい結果を出してくれるものと期待している。
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