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失せ物

 銀行印を失くしたことに気付いたのは9月の初めだった。銀行からの借入金の返済を毎月通帳から引き落とすようにしてあって、その手続きの度に書類に印を押す必要があるため、印鑑を探したのだが、見つからない。普段からだらしないことばかりしている私ではあるが、さすがに大事な印鑑は使ったらすぐに決めた場所に戻すようにしていたはずなのに、そこにない!どうしたんだろう?最後に使ったのは、たしかOCNの料金を銀行振り替えにするため、申し込み用紙に捺印したときだったと思うから、さほど前のことでもない。その時すぐに戻せばよかったのに、愚かにもポケットの中に入れてしばらく持ち歩いていた覚えはある。だが、その後のことはまったく記憶にない。
 銀行員に事情を話すと、「2日後にまた来ますから、それまでに見つけておいてください」と、猶予期間をくれた。私もちゃんと探せばすぐに見つかるものだと軽い気持ちで「了解!」などと約束したのだが、それからが大変だった。

   休むことも許されず
   笑うことは止められて
   這いつくばって 這いつくばって
   いったい何を 探しているのか
   探すのを止めたとき
   見つかることも よくある話で
   踊りましょう 夢の中へ
   行ってみたいと 思いませんか
   
 何度陽水のこの歌が頭に浮かんだことだろう。私の生活圏なんてたかが知れている。自宅と塾とバスと乗用車の中、これくらいをしらみつぶしに探していけば、どこかで必ず見つかるに決まっている。たいした苦労もなしに見つかるだろう、という甘い予想に反して、どこを探しても見つからない。各部屋をあれこれひっくり返してみたが、ない。車の中もシート周辺を探したがどこにもない。あの印鑑は高校を卒業するときに学校から生徒全員に配られたもので、もう30年近くも使っているものだから、愛着がある。もしこのまま見つからなかったら、かなり辛い。なんとしてでも見つけたい。そんな気持ちで必死に探したが、どうしても見つからない・・。もう途方に暮れてしまった。 
 2日後銀行員がやって来ても、結局見つけ出していなかったので、その旨伝えると、「今回は応急処置として手続きを完了しておきますが、次回までには印鑑の変更届をしておいてくださいね」と、言われた。2週間ほどかかるからなるべく早く届けを出すようにとも言われたが、ずっと使ってきた印鑑を見捨てるようなことはなかなかできなかった。次回の引き落とし日から逆算してぎりぎりまで探してみて、それで駄目だったら諦めて印鑑を変更しようと決めた。
 とは言っても、半ば諦めかけていたので、大して探しもしなかった。ただ、時々急に思い出してあちこち探し回ったことはあったが、何の役にも立たなかった。とうとう自分で設定した期日がやって来てしまったので、気乗りはしなかったが、銀行に紛失届けを出しに行った。その後しばらく経って、銀行から確認の葉書が届き、それを持参して新しい印鑑の届けをしたのが金曜の午後だった。何枚かの用紙に住所・氏名を書き込んで、買っておいた新しい印鑑を捺印して、手続きは完了した。やっとこれで印鑑騒動も一段落、ほっとして随分心が軽くなった。
 
 その日の午前中にバスのタイヤがパンクしているのに気付いた。スタンドに持って行ったら、釘が刺さっているのが見つかったので、修理してくれるよう頼んだら、店員が「このタイヤは擦り切れてますから交換した方がいいですよ」と教えてくれた。よく見ればかなり磨耗していて、溝も途切れ途切れになっている。これじゃあ、危ない、すぐに交換しなくちゃいけない、その場で自動車屋に電話した。機敏な対応をしてくれるセールスマンがいていつも助かっているが、今回も夕方までにタイヤの交換と定期点検をしてくれることになった。
 
 生徒の送迎のため、戻ってきたバスに乗り込んだ瞬間に驚いた。印鑑だ、失くした印鑑が座席の上にちょこんと置いてあるではないか・・。「なんだ、これは!!!」と思わず大声を出してしまったので、乗っていた子供たちが一瞬シーンと静まり返ったほどだった。
 推察するに、自動車会社の人がタイヤ交換と点検を終えた後、気を利かせてバスの掃除をしてくれ、その際にどこかの隙間から出てきた印鑑を座席の上に置いてくれたのではないだろうか。なんてサービスがいいんだろう。それに反して、迂闊なのはこの私だ。何度バスの中を探したか分からないほどなのに、見つけることができなかったのだから・・。それにしても、よりによって変更届が受理されたその当日に出てこなくてもいいのに。なんだか運命のアイロニーを感じてしまう。
 だが、嬉しかった。家出していた子供が戻ってきたようで、心底嬉しかった。失くして初めて物の有難さが分かると言われるが、たとえ銀行印ではなくなっても、これからも大切にしなければならないと改めて思った。 
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ラーメン缶

 昨年の冬に何かと話題になったおでん缶。その進化形なのかどうかは定かでないが、ラーメン缶をスーパーで見つけた。


 本来は自動販売機の中で温められたものを売るのだろうが、スーパーでは缶が山積みされた状態で売られていた。値段は1缶390円、ちょっと高いんじゃないか?と思いながらも、話の種にと買ってみた。
 缶には「いつでもどこでも屋台気分!本場・博多の味をそのまま缶に詰め込んじゃいました!」との歌い文句が書かれている。さらに「特殊製法によりのびずにスープがよく染み込む新食感のこんにゃく麺が出来ました!缶を開ければそこは博多のラーメン屋台・・・小腹が空いた時、お酒の後にも最適です」とも書かれている。こんにゃく麺というのに少々引っかかったが、なんにせよ食べてみないことには何も言えない。缶のまま火にかけることはせずに、容器に移しかえて温めるようにとの注意書きがあったので、開封してどんぶりに移しかえてみた。

 

 白濁したとんこつスープが本格的なラーメンであるような気にさせるが、果たしてどうだろう。アツアツのものを食べたいので、レンジで3分間温めた。その間も待ちきれないほど、期待感が募ってきた。


 「とんこつには生姜でしょう」と妻が冷蔵庫から取り出した生姜を入れてくれた。さあ、食べよう、いただきま~~す!
 ん・・?何だ、この麺は?   
 こんにゃくだ、細く切ったこんにゃくだ!!こんなの麺じゃない、こんにゃくだァ!・・・がっかりしたが、最後まで食べなきゃもったいないと思って続けて食べてみた。だが、たった3口で完食、なんとも物足りない。いくら小腹が減ったときのものだと言っても、これで390円は高すぎる。スープを飲めば、それなりにとんこつの味はするし、小さなチャーシューも入っている。だけど、390円はいくらなんでもないだろう。これなら普通のカップ麺の方が安いし、おいしいし、お腹もふくれる。ただ、自動販売機で売られている場合なら、温める必要もなく、すぐその場で食べられるという手軽さがあるにはあるのだが、それだけのことだ。
 口直しに大好きなスガキヤのカップ麺「本店の味」を食べた。


やっぱりおいしい。でもスガキヤのラーメンは名古屋地区だけでしか食べられないんだろうか。
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ホルモー

 半年ほど前に、竜虎の母さんのブログで紹介のあった「鴨川ホルモー」を読んだ。作者の万城目学は、1976年生まれで私の卒業した大学の18年後輩にあたる。18才も違えば時代感覚や視点などに大きな懸隔があって当然のはずだが、どういうわけだか、本書からうかがえる彼が過ごした学生生活と私の過ごした学生生活とでは、オーバーラップするところがかなりあるようで、本書を読んでいるとあまりの懐かしさに切なくなり、胸がいっぱいになることもしばしばであった。
 4年前、娘の住まいを探すために久しぶりに訪れた百万遍辺りは、まるで30年近くも時計を戻したかのように昔のままだった。大学構内には新しく立派な校舎が林立していたが、漂う空気はまるで同じだった。あれはいったいどうしてなんだろう。道行く学生も、服装や髪型に違いはあるものの、かもし出す雰囲気が私の頃の学生たちに近いものがあった。今現在学生である娘と話していると、親子で物の見方や捉え方が似ている点を差っ引いたとしても、学生気質と呼ぶべきものは私と共通するものがかなりあるような気がする。それが校風なんだと言われればそうなのかもしれないが、京都という町が持つ独特の時間の流れの中で学生時代を過ごした者たちが共有する特異な感覚があるのかもしれない。卒業してずいぶんたったが、初めてそんな思いを持ったのも、「鴨川ホルモー」を読んだおかげだった。
 物語としては、他愛もない筋立てだと思う。京大青竜会と名付けられたサークルに集まった男女の青春グラフィティーを、かつて流行った「ピクミン」というTVゲームを連想させる、部員以外の目には見えない小さなオニを何百匹も戦わせる「ホルモー」という競技(?)を織り交ぜながら描いたもの、とでも要約できるだろう。それを少々頭でっかちで、実際には何の行動もできない、傍から見れば典型的なダサい京大生、安倍の目を通して描いていく。今どきの大学生の恋愛が、こんなにウブで純粋なのだろうかと訝しくなるくらいナイーブな安倍の思いも、京大キャンパスでは現実のものかもしれない。もちろん一部例外はあるだろうが、おおむねこの作品に描かれたプラトニックな恋愛観は京大の中では今でも主流であると、娘の話を聞いている限りでは想像できる。その辺りの事情は私の頃とあまりかわっていない印象を受けて思わず笑ってしまうのだが。
 この作品の文体は、いかにも京大生が書くような衒学的な印象を受けるが、それが作者の意図したところであるとしたなら、万城目学の文才はかなりのものだと思う。所々に冗漫で陳腐な表現も見受けられるが、安倍がホルモー仲間の楠木ふみから告白される次のくだりは、忘れられない珠玉の場面になっていると思う。

「すまない・・・俺が無神経だった。このとおりだ。ごめん――」
「違う」
彼女は唇を噛みながら、激しく首を振った。
「何で、そんなことばかり言うの?わ、わたしが好きなのはあ、安倍――お前なの!」
楠木ふみは一瞬、身体を大きく震わせ、叫んだ。
頭上で、ひときわ大きく雷が鳴った。楠木ふみの背後で、木々が風に煽られ、ごおっと音を立てた。
楠木ふみは髪をかき上げ、一歩、二歩、三歩と足を進め、俺の前で足を止めた。あまりのことに声も出ない俺の顔を楠木ふみは憎らしげに睨み上げ、メガネを手にしていない右手を大きく振り上げた。
次の瞬間――俺は楠木ふみの渾身の力をこめたビンタをくらっていた。

 
 こんな恋ができる若さが羨ましい。

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勉強何のため?

「ベネッセ教育研究開発センター」が、2006年6月~2007年1月に、東アジア3都市(東京、ソウル、北京)、欧米3都市(ヘルシンキ・ロンドン・ワシントンDC)の10~11歳の児童(日本の小学5年生に相当)を対象に、学習に関する意識・実態調査を行った結果が新聞に載っていた。その結果をまとめると次のようなものになる。

1.学校外の学習時間は都市により異なるが、東アジア3都市は学習時間が長いのに対して、欧米3都市では学習時間が短く、かつ学校の宿題が中心である。東京は、「30分」「1時間」という短い層と「3時間30分以上」という長い層の二極に回答が分化しているのが特徴である。
2.いずれの都市でも、小学生は勉強がさまざまなことに「役に立つ」と考えている。ただし、「役に立つ」と考えている割合は、ほとんどの項目で東京がもっとも低い。東京の小学生は、勉強が役に立つという意識が他の都市に比べ相対的に弱いことがわかる。
3.現在の自分の成績についてたずねたところ、上位(7段階で「1」または「2」を選択した比率)は東京がもっとも少なく22.3%である。つづいて、ソウル29.9%、北京34.8%、ヘルシンキ40.3%、ロンドン43.2%、ワシントンDC54.9%となっており、東京は最も自己評価が低い。

 新聞には、2の勉強の効用に関してさらに詳しい分析が載っていた。
(1)一流の会社に入る
(2)お金持ちになる
(3)出世する
(4)社会で役立つ人になる
(5)心にゆとりある幸せな生活をする
(6)趣味やスポーツなどで楽しく生活する
(7)尊敬される人になる
(8)よい父、母になる。
のそれぞれについて勉強が役立つかどうかを聞いたところ、東京の児童は全設問で「役立つ」と肯定した割合が6都市中最も低い結果となった。特に(1)~(3)でその傾向が顕著で、勉強を出世や収入など社会的な成功の手段と考える傾向が低い。最も肯定率が低かったのは(2)「お金持ちになる」の42・6%だが、東京、北京以外では70%を超えた。
 さらに、価値観や社会観を問う「一流の会社に入ったり、一流の仕事に就きたい」「わが国は努力すれば報われる社会」という設問でも、東京の児童の肯定率は他都市より10ポイント以上下回った。
 こうした意識を反映するかのように、学校以外の平日学習時間(塾を含む)は東京は平均101分と、ソウル、北京に次いで長いものの、中学受験をする子は平均156分、受験しない子は平均54分で、その差は3倍。児童の4割弱を占める受験予定者が、平均学習時間を押し上げているわけで、勉強をする層としない層に二極化が進み、学習行動に格差社会の影がうかがえ、競争は極地的に激しくなっている。

 こうした結果を読んで、日々子供たちと接している私の実感とほぼ一致していると思った。東京だけではなく、名古屋近郊の町であるわが市でも東京と同じような傾向がうかがえるのは、考えさせられてしまう。今の子供たちは全般的に勉強しない。どうしようもないほど勉強をしない。それは、子供たちが勉強などしなくても生きていけると高をくくっているからかもしれないし、苦労して勉強した結果得られるものに重きをおいていないのからかもしれない。何もしないでいても周りの大人たちがあれこれ準備してしまう環境で育ってきた子供たちが、自分で何かを成し遂げようという意欲をもてないのも当然なのかもしれないが、そんな子供たちもやがて大人になる。社会に出れば、いやなこと納得できないことばかりだ。そんな中で他人と折り合いをつけながら生きていかねばならない。そんな時に自分の思いばかりを言い張らず、いやなことでも我慢してこなしていく癖がついていなければ、とてもやっていけないだろう。駄々っ子のまま大人になってしまったのでは周りから相手にされるはずもない。
 塾で「なんのために勉強するの?」と聞かれるたびに、私は「いやなことも我慢できる忍耐力を身に付けるためさ」と答えることにしている。本来なら「学ぶ喜びを知るためさ」などと答えたいものだが、あいにくその台詞は私には不釣合いすぎて誰もまともに相手してくれない。「我慢することを覚えないと俺みたいになるぞ」と付け加えると、「それはいやだ」とばかりに一生懸命勉強し始める塾生ばかりなのは、どうしてだろう・・。

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ディズニーランド

 先日いつもの書店に行ったら、デアゴズティー二の「My Disneyland」が山積みされていた。


 TVのCMでも何度か見かけていたので、思わず手にとってみた。自慢じゃないけど私は今まで一度もディズニーランドに足を踏み入れたことがない。東京ディズニーランドは開園してもう24年以上になるというが、私にはまったく縁のない世界だ。しかし、年に何度か塾生たちがクッキーなどのお土産を買ってきてくれるので、なんとなく親近感は持っている。これからもどうせ出かける暇などないだろうから、ちょっとこれくらい買い集めてみようかな、などと思いながらためつすがめつしてみた。
 「毎号に付属するパーツを組み合わせると『ディズニーランド・パーク』のジオラマが完成する」のだそうだ。「米カリフォルニア州にある世界で最初に開園した『ディズニーランド』を精巧に再現してあり、『眠れる森の美女の城』や『ビッグサンダーマウンテン』などの名物アトラクション、園内をめぐる列車なども作り込んであり、LEDライトで全体のライトアップもできる」というから、かなりの優れものかもしれない。第一、ディズニーがOKを出すくらいだから、いい加減なものであるはずがない。さらに、「ディズニーランドのアトラクションの誕生秘話や、ディズニーキャラクターの詳細解説を掲載。また、代表的な映画やアニメ作品の製作背景や苦労話なども紹介する」というから、本気で欲しくなってきた。レジに持っていこうとしたら、馴染みの店員がニコニコしながらこちらを見ていた。ちょっとばかり恥ずかしくなって、
「これって何号まであるの?」とたずねたら、
「100号です」とすぐに答えた。
「え~~~っ、100号!?」と叫んでしまったが、これはすごいことになってしまう。1年は52週だから100号完結するのにほぼ2年かかる。まあ、それはいいとしても問題はその価格だ。創刊号は特別価格で790円だが、2号以降は通常価格の1490円となる。ちょっと計算しただけでも、総額15万円近くになってしまう。まったく冗談じゃない、15万円もこんなものにかけられるか、と手に持っていた本をそっと戻して、
「100号は多すぎるね、やめた」と店員に話しかけると、
「まあ・・」と苦笑していた。書店員としてはこんな返事しかできないんだろう。そうは言ってもボチボチ売れているらしいから、全国にかなりいるディズニーフリークは大変だなあ、と余計な同情をしてしまった。

 デアゴスティーニと言えば、私は「青春のうた」を第1巻からずっと買い続けている。最新号は43号まで発売されたが、いったい何号まで続くのだろう。1960年代・70年代・80年代の懐かしい曲がそれぞれ年代別に毎号6曲ずつCDに収められている。さすがに60年代の曲はあまりよく知らないが、70年代になるともう聞くたびに涙があふれてきそうな名曲ばかりである。もうずいぶん長い間聞いたことがなかった曲を久しぶりに聞ける喜びもあって、何号まで続こうと全巻揃えるつもりでいる。
 その中で最近最も心に響いた曲は、「日暮し」というグループの「い・に・し・え」。運良く YouTube でビデオクリップが見つかったので載せておく。ヴォーカル・杉村尚美の切なそうでどこか投げやりな歌い方が、何度も聞いているうちに優しさにあふれたものに聞こえてくる。いい曲だ。


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三方一両損

 中学生の国語のテキストに、次のような古文が載っていた。

 伊賀守殿(板倉勝重)、京都を守護したまへるころ、金三両を拾へるひとあり。落としたる人いかに憂ふらん(どれだけ嘆いているだろう)と、さまざま求むれども出で来たる人なし。せんかたなく官(しかたなく役所に)に訴へければ、落としたる人出で来たりて、我落とせしも、かの者拾へるも皆天なり(運命である)。我取るべきにあらずと辞す。拾へる人はもとより受けず。互ひに譲りければ、今の世にもかかる(こんな)めづらしき訴へを聞くことのうれしさと(伊賀守殿は)大いに感じたまひて、我もその中に交はらんとて、また新たに三両を出だし、六両となし、両人へ二両づつ与へ、残る二両を自ら納めたまひ、この後なんぢらむつましくせよと、ねんごろに(心をこめて)おはせたまふ。   (三熊思考「続近世畸人伝」)

 これを読んで、落語の噺にある「三方一両損」のことじゃないかと思った。落語の中では、この裁きをしたのは大岡忠相であり、拾った三両に大岡が一両を足して四両としたものを、落とし主と拾い主のそれぞれに二両ずつ分け与えて「これ呼んで三方一両損なり」と無事解決させたことなど細部で違いはある。だが、そんな考証はさておき、この「三方一両損」という言葉が、何年か前に医療制度改革の必要を説くのに盛んに使われたことを思い出す。その内容は、「患者と医療機関と健康保険組合などの保険者の三者が痛みを分かち合う」というもので、具体的にいえば、
「患者としての国民はお医者さんに診てもらう時の自己負担が上がって1両の損。 医療機関は診療報酬が下がって1両の損。さらには、まだ病気になっていない健康な国民が保険料の引き上げなどで1両の損、これで三方一両損・・」
というようなことだったが、なんだかすっきりしない。現実の経済において三者ともすべて損をするなどありえない。損をする者がいれば、得をする者がいるのが原則であろう。ならばいったい誰が得をするのか?当時もよく分からなかったが、今でもよく分からない。怪しい・・。もともと「三方一両損」という内容自体も、実際に三者とも損をしているわけではなく、落とし主と奉行が一両ずつ損をしているだけで、拾い主は二両得することになる。深く考えもせずに表層のイメージだけで捉え、「全員一両ずつ損をしているのだから痛み分けだ」などと丸く収めようとするのは、事の本質を見抜けなくしてしまう詭弁というべき論理の展開だ。どうしても納得がいかない。
 この言葉に脚光を浴びせたのは小泉元首相であるが、彼の残した負の遺産とも言うべきものの中には、実体が伴っていないイメージだけが先行するワンフレーズで物事を表現するという軽佻浮薄な政局運営もその一つにあったように思う。その小泉純一郎が退き、後を受けた安倍晋太郎も十分な言葉で説明責任を果たさないまま、政権を投げ出してしまった。こうした国民に対して「語る」ことをしてこなかった二人の首相の後、新たに首相となるであろう福田康夫はどういう姿勢で臨もうとするのだろう。悪しき流れを食い止めて、我々国民に真摯に語りかける首相に果たしてなろうとするだろうか。
 稚拙で拙速の謗りを免れなかった前首相の政治手法に、No! を突きつけた国民の意思をどれだけ政治に反映することができるのか、私は福田康夫という人物をよく知らないだけに注目していきたいと思うが、とりあえず損だけはしたくない。
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招き猫まつり

 

 今年で12回目になるという「来る福 招き猫まつり」。このブログにも何度か書いたことがあるが、実際に出かけたことはなかった。日曜日、暇に任せて始めて行ってみた。

  

 驚いた、人がたくさんいる!!メイン会場というものはなく、市の中心部の各所でさみだれ的に行われている行事だが、行くところどころ人であふれている。普段は閑散とした商店街も見違えるほど活気にあふれ、かつての賑わいを髣髴とさせるようだった。すれ違う人の多くが顔に猫のヒゲなどをペインティングしたり、猫耳のヘアーバンドを付けたりして妙に盛り上がっているのがおかしかった。町興しのイベントとしてはかなりの盛況のようだ。

  

 こうしたイベントがあると市内を巡回するボンネットバスも招き猫のコスプレ(?)をまとわされて走っていた。乗り場には多くの人が列を作っていたから、ちょっとした名物なんだろう。

  

  

 いろんなところに招き猫がいる。よくもこれだけ集めたものだと感心するほどだが、市内には普段からこんなに大きな陶製の招き猫も道端に飾られている。

 

 でも、これは余りに時流に乗り過ぎだろう。


 こんな招き猫、いらね~~。
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最悪!!

 たしか先週の初めに見た郷ひろみのCM。何とあの松田聖子の「青い珊瑚礁」の歌詞を「あ~~、あなたの髪は~~」と白髪染めのCMにふさわしく替えて歌っている・・。
 いくら何でもありの芸能界だといっても、さすがにこのCMを見た時は、開いた口がふさがらなかった。CM製作発表の席で、「どのくらいのインパクトを与えられるか協力したかった」と語ったように確かにインパクトは物凄いものがある。あまりにすごすぎて、何の製品を売るためのCMなのか、まるで記憶に残らないほどだ。
 「生まれ変わったら一緒になろうね」という松田聖子の有名な言葉を残して、破局を迎えた2人だったが、そのときの騒動は、2人にあまり関心のなかった私でもよく覚えている。郷ひろみの熱烈なファンであったという松田聖子が念願を果たす寸前になって別れてしまうのだから、芸能界の人気スター同士のカップルはなかなかうまくいかないものなんだなあ、と思ったものだ。その後の松田聖子の無軌道ぶりはこの時のショックから立ち直れないからなのか、と思わせるほどだった。近藤真彦と別れた中森明菜、横綱貴乃花と別れた宮沢りえも長くその痛手を払拭できないでいたが、松田聖子はその後の奔放な男性関係ばかりが目立って、色々なゴシップを見聞きするたびに、私は「まったく・・」と眉をひそめるばかりだった。
 そんな上っ面な経緯しか知らない私でさえ、このCMを見て驚いたくらいだから、世の中にごまんといるかつての、また現在の郷ひろみファン・松田聖子ファンはこのCMをどんな気持ちで見るのだろう。「もう20年以上も昔のことだから、これくらいどうってことないよ」とか「いつまでも過去に拘らない男だね」と郷ひろみを評価する向きもあるかもしれないから、私があれこれ文句を言う筋合いではないかもしれない。しかし、このCMを見てすぐに「バカか!」と画面に向かって私が怒鳴ってしまったのはなぜだろう。昨今流行の自虐ネタにしてはあまりにあっけらかんとしているし、己の愚かさを売り物にしている若手タレントに感じるやるせなさもない。もう突き抜けているというか、なんの衒いもなく「あ~~、あなたの髪は~」と歌い出すのだから、見事だとさえ言えるほどだ。
 だが、私にはどうしても我慢ができない。郷ひろみにとって、松田聖子と過ごした時間は美しい思い出ではないのだろうか。私はてっきりそうだと思っていた。だからこそ、いくら20年以上の歳月が過ぎたとはいえ、その思い出を切り売りするような行為に対して、思い出を蹂躙する暴挙であると感じたのかもしれない。さらには、彼ら2人の関係を超えて、誰にでも1つや2つはあるだろう、記憶の中のサンクチュアリとも呼ぶべき思い出を、何のためらいもなく土足で踏み荒らすような郷ひろみの節操のなさに憤慨したのかもしれない。露悪趣味と言ってもいいような行為は、真剣に過ごした過去の時間に対してあまりに失礼ではないか、そんな思いが心の中に募ったのだろう。
 八神純子に「思い出は美しすぎて」という曲がある。その詞の一節に、
    
    思い出は美しすぎて
    それは悲しいほどに
    もう今は別々の夢
    二人追いかける

とある。美しい思い出は、そっとしておいて決して触れてはならないものだ。そのあたりの機微を郷ひろみは理解していない。
 さらに言えば、郷ひろみと松田聖子の恋愛の思い出は、二人だけのものではなく、二人のファン共通の思い出かもしれない。それなのに、ファンあっての芸能人という基本を無視して、多くのファンの気持ちを逆なでするような愚挙を犯してしまうのだから、このCMだけはもう二度と見たくない。  
 まあ、こんなことが平気でできる郷ひろみを真剣に相手にする私が間違っているのだろうが、それにしても、会見の最後を「渚のバルコニーで待ってる人がいるんで…」と締めくくったという郷の愚かさは如何ともしがたい。
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さいころ

 高校生の女子生徒が面白いものを持っていた。「サイコロメモ」。

 

 紙一面に昔よく食べた明治製菓の「サイコロキャラメル」の展開図が描かれていて、切れ目の通り切って組み立てればサイコロが出来上がる。もちろん裏面はメモ用紙になっているため、文房具としての機能も果たす。懐かしさにつられて、1枚もらって組み立ててみた。

  

 簡単に作れたが、紙質も厚めで思ったよりもしっかりしている。最近の文房具は本来の用途だけでなく、付加価値をつけないと主な購入者である子供たちに選ばれないのかもしれない。でも、こんなメモなら大人でも喜んで買うような気がする。
 などと考えていたら、立方体の展開図って何種類あったっけ?と疑問がわいてきた。小学生で学習することであり、私立中学を受験する子供たちには必須の暗記事項なのに、塾長たるものがそんなことを思い出せないでどうする!大急ぎで調べてみた。
 すると、回転したり裏返したりして重なるものは同一のものとみなせば、「立方体の異なる展開図は11種類」であることが分かった。二度と忘れないようにしなければならないが、度忘れしたときのために異なる展開図の見つけ方を以下にメモ書きしておこうと思う。(4つの正方形が横に並び、その上下に正方形が並んでいる展開図を1-4-1型と名づける)


 立方体の展開図は、1-4-1型Aを基本形として、重なっている1辺を切って左右どちらかに90°回転していくことで別の形を作ることができる。上の図では、1-4-1型Aの下の正方形を90°右に回転させたものが 1-4-1型Bであり、さらに90°ずつ回転させていくと 1-4-1型C、1-4-1型Dとなる。また、1-4-1型Bで上の正方形を右に90°回転させたものが 1-4-1型Eであり、1-4-1型Cで上の正方形を右に90°回転させたものが 1-4-1型Fとなる。あとはひっくり返したりすればどれもA~Fの形になってしまうので、1-4-1型はこの6種類だけということになる。


 次に、1-4-1型Dを、写真の図中赤く塗られた辺で切って縦2つの正方形をまとめて左に90°回転させると、1-3-2型Gとなる。このGの上の正方形を右に90°ずつ回転させると、1-3-2型H、1-3-2型Iとなる。1-3-2はこの3種類である。
 さらに、1-4-1型Aの赤く塗られた辺を切って、縦3つの正方形をまとめて左に90°回転させると、3-3型Jになる。(縦に並んだ形を横向きにする)
 最後に、1-4-1型Bの赤く塗られた辺で切って、右2つの正方形をまとめて90°回転させると、2-2-2型Kとなる。(これも縦に並んだ形を横向きにする)
 あとの形は一見違うように見えても、回したりひっくり返したりすればみなこの形のどれかになってしまうので、合計は11種類ということになる。本当にこれだけか?と疑問が浮かんでくるが、その証明はかなり難しいのでここでは省略する。

 こんなことは、普段の生活には何の役にも立たない知識であり、知ってて損はない豆知識でもないだろう。でも、算数のこうした薀蓄を語れる人ってかなりクールだと思うが、どうだろう。
 


 
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スクリーニングテスト

 2年ほど前と比べるとかなり飲酒量が減った。平日は寝る前に350mlのビールを1缶飲むだけで、土曜の夜は休肝日にしている。時には週の半ばに飲まないこともある。ただ、日曜だけは飲みたいだけ飲んでしまう。と言っても、ある程度まで飲んでしまうと眠くて仕方がなくなり、居眠りを繰り返してしまうので、浴びるようには飲んでいない(はずだ)。その証拠に以前は月曜の午前中は二日酔いで最悪の状態だったことが多いが、近頃はそんなことはなくなった。したがって、2年前と比べれば総飲酒量は半分近くになったように思う。
 そうは言っても、新聞に「アルコール依存症」の記事が載ると、ついつい目が行ってしまう。18日の毎日新聞朝刊に、「久里浜式アルコール症スクリーニングテスト(KAST)」というものが載っていたので、試してみた。「最近6ヶ月間に次のようなことがありましたか」と14の質問が並べられている。それに対する答えにそれぞれ点数が付けられていて、合計が2点以上の場合に「アルコール依存症の疑い」と判定されるのだそうだ。ただし、KASTもスクリーニングテスト全般に共通しているように、臨床で遭遇するアルコール依存症よりも軽症の人まで拾い上げる傾向があるので、アルコール依存症の診断までには使用できないそうだ。要するに2点以上になったら、「注意が必要だ」くらいの気持ちでテストしてみるといいのかもしれない。(  )内の数字が点数。

  1.酒が原因で、大切な人(家族や友人)との人間関係にひびが入ったことがある。
     ある (3.7)  ない (-1.1)
  2.せめて今日だけは酒を飲むまいと思っても、つい飲んでしまうことが多い。
     あてはまる (3.2)  あてはまらない (-1.1)
  3.周囲の人(家族、友人、上役など)から大酒飲みと非難されたことがある。
     ある (2.3)  ない (-0.8)
  4.適量でやめようと思っても、つい酔いつぶれるまで飲んでしまう。
     あてはまる (2.2)  あてはまらない (-2.2)
  5.酒を飲んだ翌日に、前夜のことをところどころ思い出せないことがしばしばある。
     あてはまる (2.1)  あてはまらない (-0.7)
  6.休日には、ほとんどいつも朝から酒を飲む。
     あてはまる (1.7)  あてはまらない (-0.4)
  7.二日酔いで仕事を休んだり、大事な約束を守らなかったりしたことが時々ある。
     あてはまる (1.5)  あてはまらない (-0.5)  
  8.糖尿病、肝臓病、または心臓病と診断されたり、その治療を受けたことがある。
     ある (1.2)  ない(-0.2)
  9.酒がきれたときに汗が出たり、手が震えたり、いらいらや不眠など苦しいことがある。
     ある (0.8)  ない(-0.2)
 10.商売や仕事上の必要で飲む。
     よくある (0.7)  時々ある (0)  めったにない・ない (-0.2)
 11.酒を飲まないと寝つけないことが多い。
     あてはまる (0.7)  あてはまらない (-0.1)
 12.ほとんど毎日3合以上の晩酌(ウイスキーなら1/4本以上、ビールなら大瓶3本以上)をしている。
     あてはまる (0.6)  あてはまらない (-0.1)
 13.酒の上の失敗で警察の厄介になったことがある。
     ある (0.5)  ない (0)
 14.酔うといつも怒りっぽくなる
     あてはまる (0.1)  あてはまらない (0)

結果は、2が「多い」とまでは行かないが、11でビールを飲まずに寝ると寝つきが悪くなることが時々あるので、睡眠不足を恐れるあまり仕方なく飲んでしまうことがある。そのあたりを少し厳しく判定してみたら、合計点は-0.3となった。さすがに2点は行かなかったが、何かの拍子で暴走する危険がないとはいえない。時々はチェックしてみるといいかもしれない。  
     
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