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タコを飼おうかな・・

 テレビ朝日系の番組「シルシルミシル」は毎週見ているが、その中でAD権田くんが小さなマダコを育てているコーナーがある。タコと人間ではどれだけ心が通じるかを実験するというのが、最初のテーマだったようだが、今ではタコの思いがけない賢さを紹介するような内容になっていてなかなか興味深い。
「いいなあ、タコ。オレも飼いたいなあ・・」
などと思っていたら、いつの間にか本気になってしまって、とうとう魚屋さんに生きたマダコが手に入るか尋ねてしまった。
「タコを飼われるんですか?」
と驚かれてしまったが、私の真面目な表情から本気であるのを悟った魚屋さんは、
「分かりました。仲買人さんにきいてみます。すぐっていうわけにはいかないでしょうけど・・」
と一応引き受けてくれた。見つかったら電話をくれる約束にして、その間に私は水槽を準備することにした。
 タコといえば海の生き物、当然海水を用意しなければならない。それと濾過装置は強力なものが必要だろう。さらにはエアーポンプ。本当はクーラーもあった方がいいようだが、かなりの高額なのでとても買えない。とりあえず必需品は揃えてみた。

 

 肝心かなめの水槽は、以前金魚を飼った60cmのものがあるので、水を満たしてカルキを抜くことにした。


 濾過装置やポンプを組み立てねばならないが、今はそんな時間がないので、もしタコが見つかればその時慌てて準備することになる・・。一応これで準備は整った。

 しかし、魚屋さんからはずっと連絡がない。私も夏期講習で忙しくて、魚屋を覗く余裕もない。「どうなんだろう・・。見つからないのかなあ・・」と半ば諦めかけているが、それならそれでもいいと思い始めている。というのも、あれこれ調べたり、水の生物に詳しい人に話を聞いたりするたびに、とても私には飼えそうもないというのが分かってきたからだ。
「死んだら食べちゃえばいいでしょ」
と妻は言うが、そうとばかりも言えないので、かなり逡巡している。なので、もうちょっと待っても連絡が来なかったら、断りを入れようと今は思っている・・。

 でも、せっかく道具をこれだけ揃えたのだから、このまま仕舞いこむのも惜しい。熱帯魚か何かを買ってきて飼おうかなと思っているのだが、さて何を飼えばいいのだろう・・。
 私としては、ランチュウを何匹か買ってきて、優雅に泳がすのもいいかなと思ってはいるが・・。
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恵みの雨

 待望久しかった雨がやっと降った。一昨日の記事にしたように、山の木々にも嬉しい雨だ。
 
 朝早く開け放した窓から雨が降りこんできたようで、足が冷たくなって思わず目覚めた。
「雨だ・・」
 寝ぼけ眼で窓の外を見たら、かなりの雨が降っていた。
「これなら一日涼しく過ごせるな」
とホッとしたら、また眠りこんでしまい、いつもより遅く起きた。
「やっぱり涼しいとよく眠れる・・」
と飛び起きたが、外は強い雨が降り続いていた。
 すぐに用意して生徒を迎えに出たところ、塾舎の横の川は大量の水が流れていた。久しぶりに見る水量だ。何だか嬉しくなって写真を撮った。

 昼を過ぎても雨は断続的に降り続き、気温も30度を超えなかったようだ。いつもならMAXの状態でフル回転しているエアコンも、昨日はかなり抑え気味だった。
 3時過ぎに生徒を送って山間の道を走ったら枯れた木々の目だつ山肌から白く湯気のようなものが立っているのが見えた。
「地面が熱いものだから、表面の水が蒸発してあんな湯気のようになっているのかな・・」
と、適当なことを思いながら写真に撮った。


 などと書きながらも、実は困っている。というのも、写真を撮ったのはすべてデジカメなのだが、バカなことにメモリーカードを入れ忘れていて、撮った写真はデジカメ本体に記録されてしまった。悲しいことに、私の乏しい知識では、それをどうやったらPCの中に取り込めるのか分からない。説明書を見れば分かるかもしれないが、あいにく今手元にない。なんとかしたくても、何ともしようがない・・・。困ったものだ。
 とりあえず今はこのままにしておいて、後で時間ができたら説明書を読んで折角撮った写真に日の目を見せようと思う。だが、大げさではなく分刻みのスケジュールで行動している今の私に果たしてそんな時間的な余裕があるだろうか、それが一番の心配だ。

 なんとか取り込んだ写真。
まずは濁流。

 


そして山から立ち上る湯気・・。


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チョボ

 実は今我が家には猫がいる。日曜日、ある理由で市内の農協に行ったところ、「里親募集」の立て札のついた檻に猫が数匹収められていた。お店の人を呼びとめて事情を聞いたら、もらい手のない子猫を週末土日だけ預かって、飼い主を探す手伝いをしているのだという。
「飼うか?」
と軽い気持ちで私が尋ねると、
「だめ!」
と妻が強硬に反対した。
「トラが死んでもう大分経つからそろそろ飼ってもいいんじゃないか」
「だめ。あなたは世話もしないくせにいつだってないい加減なことを言うから・・」
「だって、かわいいじゃん」
「そうだけど・・、だめ」
その後私はその場を離れて、自分の欲しいものを探していたが、妻はそのまま猫をなでていた。
 少したって私が戻ると、
「この子たち、今日までに飼い主が見つからないと、保健所にもって行かれるらしいって・・」
「そうか・・。なら一匹だけでも助けてやればいいのに・・」
「そうだけど・・」
 そう言いながらもすぐに妻は携帯を取り出して、娘と息子に電話して事情を話しだした。最後にはTV電話まで使って話し込んでいる。横で聞いているとどうも飼うことに決めたようだ。
「じゃあ、この子でいいんだね」
と息子が選んだ猫を取り出して、電話に向かって見せている。
「そうか、飼うことにしたか。いくら可哀そうだと言っても、全部飼うわけにはいかないけどな・・」

 そんな事情で家に連れ帰ったのがこの猫。もちろん雑種だが、一見アメショーのような毛並みではある・・。


 家にいた父に見せたら、「名前はチョボ!」とすぐに命名してくれた。この写真では分からないが、口の周りにちょび髭が生えたような毛並みをしているのでそんな名にしたのだろう。「お前らが毎月お千代保さんに行くからピッタリだろう」と悦に入っていたが、そう考えればご利益のありそうないい名前だ。
 しかし、このチョボ、栄養状態はかなり悪く、可哀そうなくらいガリガリだ。しかも、家に連れて来たときにはノミだらけで、すぐに風呂場で洗わなければならなかった。暑い最中汗だくで妻が何度も何度もシャンプーで洗ってやった。私もノミ取りを手伝ったが、30匹近くは潰したような気がする・・。
 
 夏期講習で忙しい毎日を送っている私だけに、まだチョボと遊んだことはないが、徐々に家にも慣れてきたようで、少しずつ家の中を冒険し始めたようだ。
 何かの縁で命を長らえることができた幸運な猫だけに、悪い病気などにかからず、少しでも長生きしてくれること願うばかりだ・・。
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山枯れ?

 暑いなんてもんじゃないほど暑い日が続いている。調べてみたら、名古屋では20日以来8日連続で35℃を超える猛暑日となっている。ちなみに8日間の最高気温を記してみると、
   20日 35.1℃
   21日 36.4℃
   22日 38.0℃
   23日 36.6℃
   24日 37.3℃
   25日 37.2℃
   26日 37.7℃
   27日 35.9℃

この数字を見ているだけで目眩がしてきそうだ・・。
 今さら暑いなんてことも言いたくないほどだが、それ以外に話すことがないくらい暑いんだからどうしようもない。ほぼ一日中冷房の利いた教室にいる私でさえ、外気との温度差でフラフラになりそうなのだから、外仕事で頑張っている人たちは本当に大丈夫だろうか、心配になる。
 だが、この灼熱地獄に疲労困憊しているのは人間だけではないようだ。このところ気になって仕方がないのが、山の色合い。

 

 秋の紅葉に色づいた山と見間違えるばかりの景色、私は最初花が咲いているのかな、と思っていた。しかし、妻から「あれは木が枯れているんじゃないの?」と指摘を受けて以来、山間の道路を通るたびに木々の様子に注目してみた。すると、妻が言った通り葉が枯れてしまった木がやたら目立った。

 

 思うに、この地方では梅雨明けした瞬間から一滴の雨も降ってない。そこにこの記録的な酷暑だ。もともと梅雨の頃でもさほど大量の雨が降ったわけでもなかったから、このカンカン照りで水持ちの悪い土壌に生えた木々は一気に干上がってしまったのではないだろうか。その結果、葉が枯れ、見るも無残な姿を晒すことになってしまったのではないか・・、それが私の推論である。
 夏にこれほど枯れ果てた木々を見たことは今までなかったように思う。私の推論がすべて正しいとは思えないが、大きな的外れでもないように思えてしまう。もうしばらく高温が続くのは仕方ないかもしれないが、せめて夕立ちでもやって来て、山の木々を潤してもらいたいものだ。しかし、ゲリラ豪雨などは御免蒙りたい・・。
 


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「インセプション」

 日曜日、「インセプション」を見た。2時間30分の長い映画であるため、少しばかり躊躇したが、監督が「ダークナイト」のクリストファー・ノーランなので、きっと面白い映画になっているだろうと期待して見ることにした。
 そのストーリーは、

 「ドム・コブ(レオナルド・デカプリオ)は、人が一番無防備になる状態―夢に入っている時に潜在意識の奥底まで潜り込み、他人のアイデアを盗み出すという、危険極まりない犯罪分野において最高の技術を持つスペシャリスト。コブが備えもつ類稀な才能はこの業界でトップレベルであり、裏切りに満ちた企業スパイの世界において引っ張りだこの存在となっていた。だがその才能ゆえ、彼は最愛のものを失い、国際指名手配犯となってしまう。そんな彼に絶好のチャンスが訪れる。彼が最後の仕事と決めたミッションを果たすことさえできれば、かつての幸せな人生を取り戻せるかもしれないのだ。だがその任務はほぼ不可能に近い「インセプション」と呼ばれるものだった。それは彼が得意とするアイデアを盗み取るミッションではなく、他人の潜在意識に入り込み、ある考えを“植えつける”という最高難度のミッションだった。だが、最高の技術を持ち、細心の注意を払って準備を行ったが、予測していなかった展開が待ち受けていた…」

 こう書かれれば確かにその通りだが、そもそも他人の夢の中に同時に何人もの人間が入り込んで、夢の操作をする、という設定がどうにも納得できなかった。いくら映画でも、どうしてそんなことが可能なのかを、たとえ眉唾な理論であっても、ある程度なるほどと思わせてくれなけりゃ、とても話についていけない。そんな思いが最後まで消えずに、映画を楽しむことができなかった。途中からはアメリカ映画恒例のドンパチが始まってしまい、何を言いたい映画だったのかよく分からなくなったし、夢の中でまた他人の夢の中に入り込み、さらにその先でも・・、というような無理を重ねていくのだから、もう呆れてしまい、ストーリーなど度外視して、渡辺謙の演技だけを中心に見るようにした・・。


 日本人が外国映画に出演するとキワモノのように扱われることが多く、決して好きではないのだが、この映画の渡辺謙は一人の俳優としてきちんと演技していた。その堂々とした演技もさることながら、表情にも余裕が感じられ、フィクサー的な「サイトー」を存在感たっぷりに演じていた(「ブラックレイン」で松田優作の演じた「佐藤」を、マイケルダグラスに「セイトー」と発音していたが、渡辺謙の「斎藤」はきちんと「サイトー」と呼ばれていた)。日本人もやっとアメリカ映画の中で重要なファクターにんって来たのかな、と少なからず嬉しく思った。
 詰まらないなあ、と途中何度も思いながら、結局は最後まで見てしまった。終わってみれば2時間半もさほど長くは感じなかった。不思議な気もするけど、やはり映像の圧倒的な迫力によるのかもしれない。コンピューターでどんな映像でも可能になった現在、もう大抵のことでは驚かなくなった気もするが、それでもやっぱりこの映画の映像には、多くの場面で息を呑んでしまう。私としてはストーリーの展開で驚かせて欲しかったが、これだけ映像に凝るとそちらはお座なりになってしまうのかもしれない・・。
 ただ、エンディング間近にグッとくる場面があった。まあ、それだけでも見てよかったかな、と思わないでもないが・・。
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誕生日会?

 今日は、6月の私の誕生日に次のようなメールをくれた妹の50回目の誕生日だ。

〓誕生日おめでとう〓
52才かぁ驚いちゃうよねぇ ・・

 そんなこと言った妹も今日で50才、笑っちゃう・・。
 思えば、今年は私たち兄妹にとって、記念すべき年だ。私が52才になり、妹が50才になった。今の時代、大過なくすごしていれば誰だって50才になれるだろうが、母親が52才で亡くなった私たち兄妹には、一つの milestone とすべき年のように思う・・。
 私が52才になった日には、さほどの感想をこのブログに記さなかった私でも、妹が50才になったのには些かの感慨がある。
 母がすい臓がんで余命3カ月と診断された日から、妹は仕事をやめ、母の看病に専念した。毎日父と交代で必死の看病をしたものの、癌が相手では手の施しようがなかった・・。母が亡くなった時、「もっと色々話を聞きたかった・・」と後悔した妹も、その後縁あって三人の子供をもうけたが、私としては常にその暮らしぶりが気にかかっていた。幸いなことに、優しい家族に恵まれて幸せそうな妹の顔を見るたびに、母が妹を見守っていてくれるのだと、心では思ってきた。そのおかげか、大きな病気もなく、毎日忙しそうにしている妹であるから、それなりに幸せな日々を過ごしているようだ。
 そんな妹が50才になった・・。
 それを知ってか知らずか、昨日の日曜日に父が子供たち家族を招いて、食事会を催してくれた。私の妹と弟の家族、そして妻の妹家族まで、総勢16名の会だったが、上機嫌の父の姿を見れただけでも楽しいひと時だった。

 

 私も早い時間からビールを飲み始め、会の頃にはかなりでき上がっていたため、途中で妹に向けて、「HAPPY BIRTHDAY!!」を歌い始めた。すると、多くの者たちが私に唱和してくれたから、妹にとってはちょっとしたサプライズになったようだ・・。
 普段は兄らしいことなど何もしていない私ではあるが、このときばかりは日ごろの借りを少しは返せたような気がして、嬉しかった・・。

 改めて、
 「妹よ、誕生日おめでとう。これからも、毎日元気で楽しく過ごしてくれよ!!」
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日程決定!!

 夏期講習の第1週目が無事終わった。酷暑でボーっとすることも多いが、滑り出しとしては順調に行けたと思う。まあ、もういい加減ベテランなんだから当たり前なんだろうけど・・。
 しかし、この一週間は塾以外のことにはほとんど気が回らなかった。金賢姫が来日したのは知っているが、いったい何のためだったのか全然分からなかった。白鵬が大鵬の連勝記録を超えたのも知っているが、その映像は一番も見ていない。世の中は、この暑さにもかかわらず、滞りなく動いているのに、なんだかその動きから取り残されているような気がしてならない。今の私に見える物は、塾の教室の中の風景とバスの運転席から見る外の景色くらいのもので、それ以外のものはまったくの背景に過ぎない。あと1カ月以上もこんな生活が続くのかと思うと、早くも食傷気味ではあるが、そんな中からも喜びを見つけながら楽しくやっていけたらいいなと思ってる。

 そんな私でも、毎日接している妻の機嫌くらいはすぐに分かる。昨日も妙に嬉しそうな顔をしているので
「何かいいことあったの?」と尋ねてみたら、
「チケットが全部取れた」と満面の笑みで答えた。
「そりゃあよかった・・。で、どこに行くの?」
「ナゴヤドームが4日間全部と、京セラドームが土日の2日、東京ドームがラス前と大ラスの2日」
「よくとれたなあ・・」
「そう、びっくりした。大阪なんてなかなか取れない所だから心配してたけど、申し込んだ2日とも取れた」
「ふ~~ん、SMAP、人気ないのか?」
「そうかもねえ・・。案外今年は楽かもと思ってたけど、やっぱりそうだったみたい・・」
  大丈夫か、SMAP!!

 ナゴヤドームでのコンサートは8/26・27・28・29 の4日間なのだそうだから、妻の本当に暑い夏は月末からのようだ。
「結局、札幌は行かないのか?」
「札幌はもう来週だよ。藤原の舞台と重なるって話したでしょ」
「ああ、そうか・・」
 福岡も行かないそうだから、結局8回の出動のようだが、 すべての日にチケットは2枚ずつ確保してあって、娘が仕事を休める日には参戦してくる予定なのだそうだ。わざわざ電車を乗り継いでやってくるのかと思えば、ご苦労さんな話ではあるが、それくらいしなけりゃやってられないのかもしれない・・。

 そう言えば、毎回コンサートに合わせて発表するSMAPのニューアルバム、もう発売されたかなと思って調べたら、21日にリリースされていた。それなら、と思って妻のPCの周辺を探したら、当たり前のように置いてあった、『We are SMAP!』。



 SMAPのペットボトルに入ったドリンクが何本も家にある。私も飲んだが、特別おいしくもない。だが、これを買って飲む度に妻の臨戦態勢は整っていくんだろうなあ・・。


 
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おばさん科学相談室

司会者「おばさん科学相談室のお時間です。この番組は世のおばさんたちが日ごろ疑問に思っている科学的な質問に電話でお答えするものです。さっそくお電話がつながっていんす。最初の方、お名前とお年を教えてください」
質問者「塾長の妻です。年は塾長と同じです」
司会者「はい、分かりました。解説の先生にお聞きしたい質問は何ですか」
質問者「普通の雲は白いのに、雨雲が黒いのはどうしてですか?」
解説者「そうかあ・・、そう言われたら不思議ですね。この質問にはお天気に詳しい先生にお答えしていただきます」
回答者「はい、塾長の妻さん、こんにちは」
質問者「こんにちは」
解説者「まず最初に私が質問してもいいですか?」
質問者「何ですか?」
解説者「塾長さんが身近にいらっしゃったら、その質問にも答えてくれそうなのに・・。塾長さんには質問してみなかったんですか?」
質問者「今は夏期講習で忙しくて私の質問に答えている時間はとてもないみたいなのでここに電話しました」
解説者「なるほど・・、それは大変ですね・・。じゃあ、お忙しい塾長さんに代わって私がお答えいたしましょう。
質問者「お願いします」
解説者「雲は水滴が浮かんでできているということはご存知ですか?」
質問者「はい、分かります」
解説者「雨雲も、普通の雲も細かい水滴の塊なんですが、晴れているときに浮かんでいる雲は、太陽の光を乱反射して白く見えています。また厚さも薄いため、太陽光線を透き通すので白く見えます。一方、一面に広がった雨雲は、晴れているときの雲に比べて、厚さが大変厚いため太陽光線をさえぎり、雲の下まで届かず暗くなり、その結果、黒く見えるのです。分かりますか?」
質問者「う~~ん、分かるような分からないような・・」
解説者「例えば、透明なビニールを何枚も重ねると灰色っぽくなりますよね。あれと同じ原理です」
質問者「じゃあ、遠くで見るとモクモクした白い入道雲もその真下で見上げると黒く見えるってことですか?」
解説者「そうです。雨を降らせる雲は、厚さにして3000メートル以上、夏の夕立などを降らせる積乱雲になると10000メートルにも達します。そのため、いくら強い太陽の光でも通りにくくなってしまうので、下から見上げれば黒く見えるのです」
質問者「それなら、飛行機に乗って上から雨雲を見たら白く見えますか?黒く見えますか?」
解説者「白く見えますねえ」
質問者「やっぱり・・」

 

司会者「塾長の妻さん、分かりましたか?」
質問者「なんとか・・」
司会者「それじゃあ、また何か質問があったらお電話下さいね」
質問者「ありがとうございました」



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早くもピンチ!


塾長、早くもピンチ!


 「塾長新聞」というものがあったら、1面トップに大きな見出しで書かれれるべき一大事だった・・。
 夏期講習初日を終えて、「ああ、疲れた・・」と思いながらも、ブログの記事を書き終え、風呂に入っていつもより早めにベッドに寝転んだ。さすがに疲れただけあって、その瞬間に眠りに入ってしまったようだが、「お腹が痛い!!」と唸り声をあげたのは、夜が明け始めた頃。ほんのり明るくなった窓の外は、早くもセミの鳴き声が聞こえている。「ヤバい!!」と思ったもののすぐにトイレに駆けこんでもうまくはいかない。ここはしばらく我慢して、もう少し激甚な痛みに変わったらトイレに走るべきなのは経験上熟知している。目を瞑って、眠れる時に寝ておかなくちゃ、起きてからが大変だ、とばかりに第2波が襲ってくるのを待っているうちにいつの間にかうとうとしたようだった。第2波など来なくてもいいのに、律儀にやってきた。しかも猛烈な痛みを伴って・・。慌てて飛び起きて、トイレに走りこみ、なんとかセーフ。だが、まだまだ余波が襲ってきそうだ・・。
 一旦トイレを後にして、ベッドに横になったが、窓が開いているため、蝉の声がやたらうるさい。鳥のさえずりまで聞こえてきて、もうとても眠れそうにない。どうしようかなあ・・と思っていたら、予想通り余波が襲ってきた。もうこれで大丈夫だろうと、トイレに行ってすっきりさせた後、どうにかしてまた眠らなきゃいけない、と一計を案じた。
「やはり雨戸と窓を閉めて光と音を遮断すべきだろう」
寝ている間はクーラーをできる限り点けたくないと思っている私ではあるが、背に腹は代えられない。すぐに雨戸と窓を閉め、久しぶりにクーラーのスイッチをONにした・・。その効果は抜群で、少ししたら部屋の中がひんやりし始め、いつの間にか私も眠っていた・・。

 しかし、朝起きてもお腹の調子は良くなかった。絶えずゴロゴロしていて、いつまた痛みが襲ってくるかもしれない。
「こんな状態で大丈夫だろうか」
 何と言ってもここ数日の暑さは凄惨だ。塾の教室の冷房をフル回転させても、思ったほど冷えない。そんな酷暑の日に果たして最後まで授業を続けることができるだろうか・・、本気で心配になった。
 そこで、正露丸を一日何度か飲むことにしたのだが、あの臭いは強烈だ。口に入れてすぐに水で飲み干しても、臭いは残ってしまう。それでは生徒に迷惑だろう。
「困ったなあ」
と思ったものの、すぐに思い出した。
「そうだ、正露丸糖衣があった!!」
少し前に塾の授業の合間にでも飲めるようにと、白い錠剤の正露丸糖衣を買っておいたのだった。

 

 普通の正露丸との違いは「糖衣をつくり、においを気にならなくして飲みやすくした」ことだが、成分の種類・量も若干違うようで、それに伴って一回に使用する量が、成人では 正露丸で3粒、正露丸糖衣Aで4錠となっている。私としてはあの臭い正露丸の方が効くような気がしてならないが、そんな我儘を言っている場合ではない。しっかり糖衣を4錠飲んだ・・。

 そのお陰か、軽い痛みは終日消えなかったものの、なんとか無事最後まで塾を続けることができた。さすがに朝9時から夜中の12時まで、ぶっ通しで働くのはこの年になると辛い。でも、私の指導を受けるためにせっせと通ってきてくれる生徒がいる限りは、できるだけ頑張っていこうと思っている。



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しゃばぞう

 小池龍之介著「考えない練習」(小学館)を読んだ。買ったのはもうだいぶ以前のことだが、本を読む時間がなかなかとれなかったため、読み終わるのにかなり時間がかかってしまった。
 読むのに時間がかかる本というのは、だいたい面白くない。何で買ってしまったんだろう・・、でも買ってしまった以上読まなきゃ勿体ない・・、そんな葛藤を心の中で繰り広げながら、少しずつ読み進めていって、なんとか読了し、そのご褒美としてここに不平不満を記して、少しばかり溜飲を下げる・・、そんな邪道な楽しみくらいしか詰まらない本を我慢して読んだ憂さを晴らす手はない。
 筆者の小池龍之介は、1978年生まれの僧侶。何と私よりも20歳も若い。そんな彼が「考えない練習」を勧めるのにはどういう理由があるのだろう、と興味が湧いたのがこの本を買った動機だ。「仏門に帰依し、住職にもなっているのだから、若いみそらでありながらも、きっと仏道を究めているに違いない。ならばこの書を読む者にさぞや高邁な智慧を与えてくれることだろう」と、厭味ったらしい思いもあったのも事実だが・・。
 
 しかし、数ページ読んでがっかりしてしまった。まずは文章が稚拙だ。とても仏道を究めた人の文ではない。迷える衆生に分かりやすく噛み砕いた表現を使っているのかもしれないが、あまり才知は感じられない。若者向けの軽薄な雑誌のライターのような用語の羅列や独善的な断定ばかりでは、彼の言わんとすることが十全に伝わってこない。そもそも「考えない練習」とは何ぞや?
 子供たちと日々接していて、実感するのは「物を考える習慣が付いていない」ということだ。ほんの少しだけ考えてみれば分かるだろうと思えることでも面倒くさがって、なかなか考えようとしない。直感で分かればそれでよし、分からなくても別にどうだっていい、そんな短絡な子供が多くなっていると憂慮しているだけに、「考えない練習」などというのはとんでもない話だと思う。もちろん、余計なことを考え過ぎて、それがノイズとなって心の奥底に沈澱していき、いつかのっぴきならない状態になってしまう、と彼が警告するのも理解できなくはない。「絶望は死に至る病だ」というキルケゴールの言葉を借りるまでもなく、考え過ぎてどうにもならなくなるという事態は誰にでも起こりうるだろう。しかし、それはきちんと考える習慣が身に付いていないからではないだろうか。まずはきちんと考える習慣を身に付けるべきだろう。なのに、
 
 「五感を研ぎ澄ませて実感を強めることにより、思考というヴァーチャルなものを乗り越える手だてです。目・耳・鼻・舌・身の五感に集中しながら暮らす練習を経て、さらには思考を自由に操る練習を始めてまいりましょう」

などと、書いてあって、もう何のことやら私には理解ができない。「五感に集中しよう」とするのは、そう「考えて」するのであって、そう「考えず」にただ漫然と「感じて」いるだけでは、どうにもならない。第一、この本が作者が一生懸命考えた末の産物であることは明らかなのに、それで「考えないでおきましょう」というのは自家撞着しているとしか思えない・・。
 
 この本を読みながら、「娑婆僧(しゃばぞう)」という言葉を思い出した。「ビーバップハイスクール」で盛んに使われていた言葉であるが、中途半端なヤンキー気取りの者を揶揄する言葉だったように思う。私は「娑婆に未練が捨てられない中途半端な僧侶」が語源ではないかと勝手に思っていたが、そんな意味合いでこの本の作者に向かって、「もっと修行しろ、この娑婆僧が!!」と喝を入れたくて仕方がない・・。

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