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文房具で・・

 今年は、7月17日が1学期の終業式の学校が多く(20日は「海の日」、19日は日曜、18日は土曜)、そのため例年よりも期末試験の日程が早めだ。1学期の期末試験といえば7月のものだと自分が中高生だった頃の感覚でいるとびっくりしてしまう。そのためここ2週間日曜日は朝からずっと試験対策の補習を行っている。試験中や試験が近い生徒を対象にしているが、全員に強制しているわけではなく、「出席したい者は来い」というスタンスで行っているため、当日にならないとどれだけの生徒がやってくるのか分からない。でも、毎回大多数の生徒が出席してくれるので、私としてもやり甲斐ができ、真剣に取り組んでいる。
 一昨日も多くの生徒が集まり、一生懸命勉強してくれた。午前中の授業を終え、昼食のため1時間休憩した。弁当を持参する者、近くのコンビニへ買出しに行く者、それぞれのランチタイムを楽しみにしている者も多く、授業中のしーんとした教室が一転し、ワイワイガヤガヤ皆楽しそうだ。学年や学校が違っていても、通塾している間に仲良くなる者たちが多く、そんな子供たちを見るのは楽しいものだが、いつまでも私が教室に残っていては鬱陶しいだろうから、すぐに退室するようにしている。午後の授業が始まる1時直前まで入室せずに、できるだけ生徒たちがリラックスできるように心がけてもいる。
 それでも遅刻するわけには行かない、「さあ、始めるか」と塾の玄関まで小走りに来ると、教室から話し声が漏れ聞こえてくる。わざと大きな足音を立てながら、階段を登っていくと次第に声が小さくなり、ガタガタと移動する音が聞こえる。慌てて席に着こうとしているのだ。そんな時はすぐに教室に入らず、事務室で時間を調えてから教室の扉を開ける。もうその頃には全員椅子に座っているはずなのだが、一昨日は少しばかりざわめいていた。何かな?と思って教室をぐるりと見回したら、こんなものが机の上に作られていた。


 素晴らしい!!数えてみたら15段くらいになっている。よくもこんなことを考え出したものだ。本当に素晴らしい!!思わず携帯で写真を撮ってしまった・・。
 でも、もう勉強を始めなくちゃね、と言いながらわざとよろめいて机の角にぶつかってみた。ガチャっと少し崩れたが、一気に崩れ落ちはしなかった。なかなか構造もしっかりしている、感心だ。
 そう言えば、今時の女子中学生の筆箱は筆記用具でパンパンに膨れ上がっている場合が多い。このオブジェを作り上げた2人の女の子の筆箱はこんな感じだ。

 

 シャープペン・ボールペン・チェックペン・修正ペン・消しゴム・定規・はさみ・スティックのり・・・そんなものがギュンギュンに詰められていてはちきれそうだ。これだけの文房具をかばんに入れて学校まで持っていくのだから、大変だ。それに比べると男の子の筆箱は至って実用的で面白みがない。もちろん中を物色したりはできないから、あくまでも外側から見た感想だが・・。
 
 殺伐とした気持ちになりがちな試験勉強の最中に、こんな愉快なことを思いつけるなんて、おおらかな心を持った子供たちである。見習わなくてはいけない。
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トマトラーメン

 私の偏食ぶりはこのブログでも何度か取り上げているが、よく考えてみるといい加減なところも多々ある。ちなみに大嫌いな食べ物ベスト(ワースト?)3を挙げてみれば、
  1.鶏肉
  2.トマト
  3・チーズ
となるだろうが(他にもナス、フキ、パセリなどいくらでもある・・)、不思議なことに鶏肉はまったく食べられないが鶏卵は大好きだし、トマトはダメだがケチャップならOK、チーズは臭くてイヤだが牛乳はいくらでも飲める、といった具合にかなりご都合主義的なものであるのに最近気づいた。子供の頃から嫌いなものは一切食べずに過ごしてきたのがそもそもの我儘なのだろう。それを大目(甘やかし)に見てきてくれた家族、とくに妻にはいくら感謝してもしきれない。しかも私は訳あって白米や牛肉・豚肉もまったく食べないのだから、日々の献立に頭を悩ませる妻に余計な負担をかけているわけで、妻の助けなくしては一日も暮らせないのだから、あまり偉そうなことを言えた義理ではない。
 などと珍しく殊勝なことを考えてしまうのも、土曜に「夏の冷たいトマトラーメン」というものを食べたからだ。 


 これをスーパーで見つけた妻が、「どう?」と私に聞いた。「トマトか・・」とすぐに拒否反応が出てしまったが、最近は「トマトソースのパスタ」と名付けられたものも食べられるようになった私であるから、トマトトマトしていないものならいけるかもしれない、そんな感覚で「食べてみようかな」と返事をした。

 調べてみたら、
【「夏の冷たいトマトのラーメン」は、冷たいスープと、氷水でキリッと冷しためんを合わせる、夏場に向けた新感覚のラーメンです。スープは、近年、外食ラーメン店で女性を中心に注目されているトマト味をベースとしており、チルドめんの主な購買層である女性に満足いただける商品に仕上げております。夏場に最適の冷たいめんメニューとして、これからの暑い季節に、最適な商品です。弊社では、当商品の発売により、夏場のチルドめん市場の活性化を図ります】
と発売元のニッシンのHPに書かれていた。「冷たいスープ」というのはこれから暑くなる時期だけにちょっといいかな、そんな思いでいたら、妻が土曜に作ってくれた。


 トマトソースをベースにしたパスタのようなものだろうな、と食べる前は思っていた。だが、一口食べてみてそんな思いは間違いだと気づいた。
「ラーメンだ!!」
確かにスープにトマトソースの味はするが、麺はまぎれもなくラーメンだ。こしもあり冷たいスープによくあっている。スープは「南欧産のトマトをたっぷり使い、バジルとオリーブオイルで仕上げた、コクのある冷たいスープ。冷水に溶かすだけで簡単に作れます」だそうだが、この言葉に偽りはない。本当においしい。ふりかけも付いているらしいが、それはやめにして、妻の創意でバジリコの葉が添えられた。それが絶妙の味を醸し出している。トマトスープなのは、トマトを食べたことがない私でも何となくわかるが、私が知っているトマトのいやな味とは違って全く苦にならない。
「これなら夏の暑いときでも十分食べられるなあ」
と、昨年冷やし茶漬けのおいしさに目覚めた私としては、また新しい発見ができて嬉しかった。
 これで、暑い夏を、忙しい夏休みを何とか乗り切るための力づけが一つ増えたわけで、「どんと来い、夏休み!!」、とちょっとばかり元気が出た。
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伯母

 金曜日、ちょっとした用事で伯母の家に立ち寄ったら、伯母が何か言いたそうにしている。
「何か?」
と尋ねたら、「う~~ん・・」と言って庭の方を見る。
「写真を撮ってもらいたいんだけど・・」
「何の?」
「あのサボテンの・・」
見ると庭の隅に置いてあるサボテンの鉢に黄色い花が咲いている。
「サボテンが咲いたの?」
「うん。ちょっと盛りは過ぎたみたいだけど、まだまだきれいだから、写真に撮ってもらえたらなあと思って」
お稲荷さんをはじめてして、伯母と出かけることはよくある。その度に私が写真を撮っているのを見ているから、「写真=私」という図式が伯母の中では出来上がったいるのかもしれない。
「いいよ」
と返事をしたとたんに、いい考えが閃いた。
「伯母さんの携帯電話にカメラ付いてるよね?」
「そんなもの付いてないよ」
「付いてないわけないって。ちょっと見せて」
と、伯母の携帯を見てみたら、やっぱり案の定カメラが付いていた。
「付いてるよ」
「ほお、知らなかった・・」
伯母は私に電話してくるときは専ら自分の携帯からであるから、電話のかけ方は知っている。だが、それ以外の機能はまるで使ったことがないのだろう。メールなどしないようだし、ネットなんて別世界の話だろう。だが、カメラぐらいは使えるようになってもいいじゃないか、そんな気持ちで少しばかり説明し始めた。
「このカメラの絵があるボタンを押してから、真ん中のボタンを押せばすぐに写真が撮れるよ。その後はもう真ん中のボタンを何回か押してれば写真が保存されるから、簡単。元に戻したかったら、電話を切るときのボタンを押せばいいからね」
と言いながら、実際に何枚かサボテンの花の写真を撮ってみた。伯母は「ふんふん」と聞いていたが、果たしてどれだけ理解してくれただろう、ちょっと心配な気がした。だが、分からなくても何も困らないだろうから、それ以上説明するのはやめておいた。

 家に戻ってこの話を妻にしたら、
「それはダメだよ、ちゃんとカメラで写真を撮ってあげなくちゃ」
「そうかなあ、やっぱり」
「そうだよ。すぐに行ったほうがいいよ」
そう言われたら行かざるをえない。急いで伯母の家に向かった。
「写真を撮りに来た」
伯母にそう言ったら、
「そうか・・、よかった、ありがとう」
と嬉しそうな顔をした・・。やっぱり妻の言ったとおりだった・・。私のほうこそほっとした。

その時何枚か撮ったうちの一部が次の写真。

 

20年ほど前にどこかのサボテン公園で買ったものがここ数年咲くようになったらしい。なかなかきれいな花弁だ。
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マイケル

 マイケル・ジャクソンが亡くなった。昨日の朝TVを点けたら、速報で「死去かも?」と未確認の情報が流されていた。その後すぐに死去が確認されたとの報道に変わり、それから後のTVはマイケルの死去をずっと報じ続けた。80年代は彼の時代といっていいほど数々のヒット曲を全世界で飛ばし続けた彼の死であるから、それは当然の反応であろう。しかも、音楽面だけでなく、ゴシップ面でもかなりの話題を提供し続けたスターであるから、TVが彼の死を追悼するのもまた当然なことであろう。
 マイケルは1958年生まれで、私と生年が同じである。ジャクソン5のボーカルとしてのマイケル少年の美声は今聞いても驚くほどだが、全世界で1億400万枚も売り上げたというアルバム「スリラー」には名曲がひしめき合っていて、初めて聴いた時にはその完成度の高さに一瞬で魅了されてしまった。当時は、まさにビデオクリップが盛んに作り始められた頃で、日本でも「MTV」が深夜に放送されるようになっていた。毎週欠かさず見ていた私が、初めて14分にも及ぶ「スリラー」のビデオクリップを見たときには、まるで1本の映画を見ているようで、一糸乱れぬ群舞とともに、マイケルをたぐい稀な才能を持った当代一のエンターテナーだと確信した。
 ただ、その頃は私と同い年などと意識したことはほとんどなく、私たち世代の世界的なシンボルであると漠然と思っていただけだった。その少し後に、マドンナがブレイクし、彼女も1958年生まれだと知った頃から、1958年生まれに音楽界の逸材が多いのを少し誇りに思うようになり、塾で「先生何歳?」と聞かれるたびに、「マイケルジャクソンと同い年」と答えるようにもなった。だが、その私の答えも年を経るにつれだんだんと通じなくなっていった。マイケルを知らない子供が多くなり、知っていても「あの宇宙人みたいな人?」と嘲りの対象となってしまったのだ。確かに「We are the World」より後のマイケルの迷走ぶりはひどかった。ネバーランドや幼児虐待などとセンセーショナルな話題ばかりが先行し、写真に撮られたマイケルの顔がどんどん変わっていくのに憂慮した。「こんなことしてたら、最後には顔が崩れちゃうね」と、よく妻と話したものだった。ジャクソン5のマイケルのファンだった妻にしてみれば、丸い童顔の可愛かったマイケル少年がどうしてこんなに・・という思いが強かったようだ。ピーターパンのようにいつまでも子供でいたかったのかもしれないが、年をとれば大人になり、やがては老いを迎える、その当然の時間の流れに無駄な抵抗を重ねるよりも、ムーンウォークしながらかっこよく年をとっていけばいいのに、と彼の醜悪としか呼べない整形顔を見るたびに残念に思った。
 彼が膨大な借金で苦しんでいたのは、ずいぶん以前から報道されていた。どうしてあんな大スターが、とどうしても思ってしまうが、それは同じ1958年生まれの小室哲哉の例を出すまでもなく、若くして成功を収め、巨万の富を手にしてしまった者達にとっては、宿命のようなものかもしれない。成功を収めた者に群がり来る取り巻きや、肥大し続ける己の欲望に歯止めを掛けることができなくなり、己の栄華が永遠に続くと思い込んでしまった瞬間に、彼らの悲劇は始まるのかもしれない。そう思うと、彼らのように派手な暮らしができなくとも、そこそこ暮らしている私のほうが結局は幸せなんだろうな、と小市民的な喜びに浸ってしまう・・。
 
 50年という人生(短いのか長いのか中途半端な長さだが・・)を駆け抜けたマイケルに哀悼の意を表し、彼が輝いていた頃を思い出すために、ポールマッカートニーとのコラボが懐かしい、「Say Say Say」を聴いてみようと思う。
 



Adieu, Michael!!
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惨敗・・

 サントリーウーロン茶の Pandaoキャンペーンは今月末まで続いている。前回のチャレンジで何とか Pandaoパンダを獲得した私ではあるが、その後も毎日サントリーウーロン茶を飲み続けているため、応募シールも自然と溜まってくる。そこで月末ぎりぎりまで待って、大勝負をかけてみようと、冷蔵庫のシールを貼りながら、機をうかがっていた。昨日それがとうとう100ポイントを超えてしまったので、もうこれが潮時かと勝負に出てみることにした。


 だが、シールの上蓋を剥がして上下8桁の数字を入力しなければ参加ポイントが得られないため、それを入力するだけでかなりの時間がかかってしまった。深夜12時過ぎから始めた作業を終えたとき、すでに1時を回っていた。「勝負は明日にしようかな」とチラッと思ったが、「一気に攻めるのが兵法の常道だ」とわけの分からぬ理屈をひねり出して、合計101ポイントをすべて使い切ろうと覚悟を決めた。


 パンダが当たったとき、次は Pandao時計を狙おうと決めたが、決戦を前にして急に気が変わった。ピンクの Pandaoバッグが急に欲しくなった。そんなもの手に入れても、私に使い道がないのは分かっているが、淡いピンクとPandaoのマークが微妙にマッチしていて、ぜひ欲しくなったのだ。101回も試せば、一回くらいは当たるだろう。時計はその後で狙っても十分いける、とパンダを手に入れた妙な自信が私を強気にさせた。だが・・・、

 ムカつく!!当たった!と思った瞬間に丸が一つずれる。「くそッ!!なんだ、バカ野郎!」、PCの画面に向かって何度叫んだことか・・。とにかくうまく行かない。10回、20回と失敗を繰り返し、ブツブツ言いながらもとにかく向かっていく。そのうち当たるさ、と余裕ぶっこいた振りをしてみても当たらない。情けない・・。はっと気づいたら、もう50ポイントしか残っていない・・。もう51回失敗したのか・・。


 「これじゃあ、ダメだ」、気を取り直すために家に戻って、自室のPCで試すことにした。もう2時近くなっていた・・。
 
 自室の新しいPCの方が画面がくっきりして見やすい気もしたが、う~~~ん、やっぱりダメだ・・。残り40、30、20とポイントがどんどん減っていく。「やった!!」と叫んだ瞬間も何度かあったが、その度にするっとずれてしまう。あ~~あ、ダメだなあ・・。風呂に入って身を清めてから出直すか、とも思ったが、もう面倒になってきた。目もチカチカし始めたし、早く済ませてしまったほうがいい。半ばやけくそになってやり続けたが、結果はいつも同じ。残り、10・・5・・3・2・1・・・、


 終了!!!!101ポイントが霧散してしまった・・。完敗だ・・・。

 もう呆れて苦笑いするしかなかったが、やっぱりこんなものだろう。結構悔しいけど、どうせおまけのゲームだ、パンダが当たっただけでもよしとしなくっちゃ・・・などと自分を慰めながら、失意の涙を洗い流すために風呂に入った・・。

 きっとダメだろうが、30日の24時まで残りわずかな時間、できる限りのポイントを集めてもう一度、本当に最後の決戦に臨みたい。待ってろよ、Pandaoバッグ!!




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窮余の一策

 東国原宮崎県知事(私は今でも「東」と呼んでいるが・・)が、次期衆議院議員選挙に立候補要請をした古賀誠・自民党選挙対策委員長に対して、「自民党の総裁候補にしてくれるなら出馬を考える」とか言ったというニュースを一昨日の夜聞いたとき、まったくなんて奴だと思った。発言自体が分をわきまえないとか、調子に乗るなとか、そんな次元の問題ではなく、もし自民党がトチ狂って彼の提案を受諾したならば、何の根拠もない「東国原ブーム」が起こって、瀕死の自民党が息を吹き返すかもしれないと思ったからだ。
 私はどこの政党の支持者でもない。だが、少なくとも今の自民党政権では先が見えないと思っている者である。場当たり的な政策を重ね、いったいこの国をどこに導いていこうとしているのか、まったくビジョンの見えてこない政党にこれ以上この国を託すわけにはいかないと憂うる者である(単に憂いているだけど何もしていないけどね・・)。かと言って、民主党をはじめとする野党にも期待をかけてかけているわけでもない。ただ、四面楚歌なこの状況を打破するための小さな風穴くらいにはなるかもしれない、と政権交代にほんのわずかながら期待をかけているだけに、東国原が妙なブームを巻き起こして、選挙民が思考停止の状態になってしまったら、またしばらく停滞が続くだけだ、と暗澹たる気持ちになってしまったのだ・・。
 元々私は東が好きじゃない。たけし軍団で馬鹿なことを繰り返していたのは糊口を凌ぐための手段だったから仕方のないことであろうが、私が一番許せないのは、かとうかずこという奥さんがいながら、何度も浮名を流したことであり、最後には愛想を付かされた格好で離婚したことである。私はかとうかずこのファンだった。彼女が東と結婚すると聞いたときは、我が耳を疑ったほどだ。「あんなに人品の卑しい男と・・」などとたけし軍団での粗暴な振る舞いしか知らなかった私は憤った。結婚後もバカな行いを繰り返す東の愚かさを知るたびに、「だからあんな男と結婚しちゃいけないんだ!」と悔しい思いが募ったが、何年も経ってやっと離婚したと知った時には思わず快哉を叫んだ。
 そんな私にとって、知事となって東国原と呼ばれるようになった東が、いくら立派なことを言おうとも、まともに受け取ることなどできはしない。常に四囲の状況を窺い、どうやったら見栄えのする行動を取れるか、それしか考えていないような男に思えて仕方がない(TV番組で、和田アキ子と共演したりするともうとても見ていられない・・)。
 確かに宮崎県知事としてそれなりの働きをしてきたのかもしれない。それはそれで評価すべきことも多々あるだろうが、宮崎県民ではない私がとやかく言うべき問題でもない。しかし、万一彼が国政に進出するとなると話は別だ。好悪の感情は抜きにして、客観的に見れば彼の動向が注目を集めるのは時節柄当然のことかもしれない。だが、もうこれ以上彼の顔を見たくないのが私の正直な気持ちだ。かとうかずこに関する私怨などとうに超越して、東に対する不信感がどうしても拭い去れないのだ。いくら立派な大義名分を持ち出しても、彼が目指すのはただひたすら国政でリーダーシップを執ることであり、宮崎県知事の椅子などステップアップの手段に過ぎなかったのではないか、そんな野心満々な男に私たちの運命を委任する気にはとてもなれない・・。
 でも、彼の発言にも一理あることは認めねばならない。思い切って東を自民党総裁に迎えるくらい自民党が変わらなければならない、という彼の主張は正鵠を射たものだ。「自民党をぶっ壊す」とか言って、この国をやりたいように混乱させてしまった元総理とは違う意味で、国政の一翼を担う自民党が今こそ変わらなければこの国の将来は見えてこない。そうした憂国の志からの発言であったとするなら私も同意しないでもないが、その奥底には彼の野望が見え隠れするようで、どうしても素直には受け取れない。
 
 何にしてもTVに出過ぎだよなあ・・。せめて「バラエティー番組にはもう出演しない」、ぐらいの気概をもってくれなきゃ、信じろって言う方が無理だよなあ・・。
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皆既日食

 7月22日に日食が起こるそうだ。日本では、全国で部分日食を観察することができ、奄美大島北部・トカラ列島・屋久島・種子島南部などの、皆既日食帯と呼ばれる細長くのびた地域・海域内では、皆既日食を観察することができるという。


 皆既日食が見られたのは、日本の陸地に限ると、1963年7月21日の北海道東部で見られた皆既日食以来実に46年ぶりだそうで、次回になると2035年9月2日の北陸・北関東などで見られる皆既日食まで26年間待たねばならないらしい。これだけ珍しい現象だから、娘が日食をみるために九州まで飛んでいく、というのも納得できる。天体好きで好奇心旺盛な娘であり、母親譲りの行動力も備えているから、見学に行くのも当然のことだろうが、それでもやっぱり出不精の私から見ると、「よくやるなあ」と感心してしまう。まあ、残された学生生活をできるだけ楽しめばいいから、楽しい旅になればいいな、と願っている。
 今、私は私立中学を受験するための小学生用に理科と社会の問題集をせっせと製作中だ。参考にしている問題集にちょうど「日食」についての記事があり、日食の起こる仕組みに関してのポイントがコンパクトにまとめられている。私の住む地方でも日食は観察できるであろうから、その時に子供たちからの質問にきちんと答えられるよう、復習も兼ねて以下に要点をまとめてみようと思う。

「太陽―月―地球」と一直線に並んだとき、月が太陽をさえぎって、太陽の一部または全部が欠けて見えることを日食という。日食は「新月」のときに起こる。


 日食のとき、太陽は右(西)のほうから欠けていく。これは新月が西から東へ公転していくためである。月と太陽がちょうど重なると皆既日食。
 *月の公転面は、地球の公転面に対して約5度傾いているので、新月のときにいつも日食が起こるとは限らない。
 (私のメモ)要するに、上から見ると「太陽―月―地球」と一直線上に並んでいても、公転面がずれているため、横から見ると一直線上になっていない、というのが普段の新月の状態で、横から見ても上から見ても一直線上に見えるときに日食という現象が起こるのである。

 もうこれだけ押さえておけば「日食」について尋ねられても大丈夫だろう。もちろん準備が整った以上、私もできるだけ長い時間日食を観察したいと思うが、問題はその日がもう夏休みに入っているということだ。夏期講習でずっと缶詰状態になっているはずの私では、簡単にはいかないであろう。だが、こんなに素晴らしい天体ショーを拝まなくてどうする。それに塾で勉強している子供たちにもできるだけ観察させてやらねばならない。「自然から学ぶことも大切だ」などと大見得を切ることもできるだろうから、その日はうまく時間を調節してみんなで観察することにしよう!!
って上手な理屈だと思うんだけど・・。
 
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「ペスト」

 アルベール・カミュは私の人生の何%かを決定づけた人物である。大学進学時に文学部を選択したのは、夏目漱石の影響が相当大きかっただろうが、文学部に入学後フランス文学科に進学したのは、もっぱらカミュに導かれたからだと今は思う。「異邦人」を読んだ時の衝撃は今でも忘れられない。「太陽がまぶしかったから」などという短絡的な理由で人一人を殺してしまえる存在に、10代の私は魂が揺さぶられる気がした。もちろんその作者が人の生命を軽んじているわけではないのは、直観として分かっていたつもりであるが、「ペスト」を読んでそれは確信に変わった。カミュがどれだけ生命を尊んでいる人なのか、痛切に理解できた。ペストが蔓延する最中、己を省みずペストに侵された人々のために働く者たちを描いたこの作品は、まさしく20世紀文学の最高傑作の1つである。
 もう一度読み直したいとずっと思ってきた。毎日の生活に追われ、ゆっくり読書する時間を見つけるのが難しくなった時でさえ、機会があれば読み直さねば、とずっと思ってきた。それを果たせずにきてしまったのだが、今度の新型インフルエンザ騒動で、世の中が騒然とし始めた頃に、このままインフルが猛威を振るうようになったら社会はどうなるのだろう・・と漠然とした不安に駆られた。その時突然、「ペスト」を読み直そうと思いついた。ペストとインフルではその病魔の程度に雲泥の差はあるだろうが、姿の見えぬ病原菌に脅され、抜け道が見えない四面楚歌の状況は些かなりとも通底するものがあるのではないか、そんな気がしたのだ。(同時に「コレラ時代の愛」も読み進めていたので、伝染病に囲まれたようにも思えたが、意図したものではなく、まったくの偶然だった・・)
 読み直してみて、圧倒的な力にねじ伏せられてしまった、というのが素直な感想だ。カミュはすごい、と改めて実感した。アルジェリアの第2の都市・オランにペストが流行したと言う想定のもとに描かれた架空の物語であるはずだが、架空の話とは到底思えないほどの迫力をもって私を引っ張り続けた。まるでルポルタージュを読んでいるようだ。ペストの渦中で、誰よりも献身的に働いた医師・リウーが、極力主観的な記述を省いた、第3者的な筆致でペストに襲われたオランの一部始終を描くという形式をとっているが、その淡々とした記述が一層状況の深刻さを浮かび上がらせて、途中で巻をおくことを難しくしている。まるで眼前に繰り広げられたものを写し取るように描かれていて、どうしてここまで精緻になれるのか、カミュの想像力の豊かさにはただただ感服するのみだ。しかも確固たる小説世界を描きあげながらも、同時にそこに生きる登場人物一人一人が持っている心の陰影までもきっちりと書き上げているため、物語の枠を超えた一個の有機体のような世界となっているのだから、もう脱帽するのみだ・・。
 最初に読んだ10代の頃に、こうしたことを感じていたとはとても思えない。あの時は物語の展開の強い力に引きずられ、一気に読み終えたような気がする。その証拠に、小説のデテールは初めて読むようなことばかりで、いったいこの小説から私は何を掴み取ったつもりでいたのか、甚だ心もとない。若い頃は勢いだけの読書に終わってしまい、感覚的に書物のエキスを吸い取っていただけのように思う。私の土台はその頃の読書によって築きあげられたものであるから、現在の私がかなりあやふやな者であるのは仕方のないことかもしれない。
 だが、こんな私でも、リウーとともにペストに立ち向かったタルーの次の告白を読んだとき、知らず知らずのうちにカミュの考えが己の根幹となっていたんだな、と少なからず感じ入った・・。

 「それ以来、僕の考えは変らなかった。それからずいぶん長い間、僕は恥ずかしく思っていたものだ。たといきわめて間接的であったにしろ、また善意の意図からにせよ、今度は自分が殺害者の側にまわっていたということが、死ぬほど恥ずかしかった。時がたつにつれて、僕は単純にそう気がついたのだが、ほかの連中よりりっぱな人々でさえ、こんにちでは人を殺したり、あるいは殺させておいたりしないではいられないし、それというのが、そいつは彼らの生きている論理の中に含まれていることだからで、われわれは人を死なせる恐れなしにはこの世で身ぶり一つもなしえないのだ。まったく、僕は恥ずかしく思いつづけていたし、僕ははっきりそれを知った-われわれはみんなペストの中にいるのだ、と。そこで僕は心の平和を失ってしまった。僕は現在もまだそれを捜し求めながら、すべての人々を理解しよう、誰に対しても不倶戴天の敵にはなるまいと努めているのだ。ただ、僕はこういうことだけを知っている-今後はもうペスト患者にならないように、なすべきことをなさねばならないのだ。それだけがただ一つ、心の平和を、あるいはそれがえられなければ恥ずかしからぬ死を、期待させてくれるものなのだ。これこそ人々をいたわることができるもの、彼らを救いえないまでも、ともかくできるだけ危害を加えないようにして、時には多少いいことさえしてやれるものなのだ。そうして、そういう理由で、僕は、直接にしろ間接にしろ、いい理由からにしろ悪い理由からにしろ、人を死なせたり、死なせることを正当化したりする、いっさいのものを拒否しようと決心したのだ」
                         新潮文庫・宮崎嶺雄訳から
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父の日

 昨日は年に一度の父の日、とは言え、我が家はいたって平穏な一日になるはずだった。一週間前の私の誕生日には、息子が「おめでとう」と電話をしてきてくれたし、娘は夜遅くなってから「Happy Birthday」のメールをくれた。もうそれだけで胸が熱くなるほど嬉しかったから、父の日だからと言って特に何かをしてくれなくても十分だ。だが、それは自分が父親だという視点に立った話であり、子供として父の日を迎える準備をしていなかったのに気づいたのは、昼前に弟からかかってきた電話のことを聞いた時だった。
 「あーちゃんが電話してきたよ」と妻が言ったが、ここ一週間ほど風邪が抜けずに困っている妻だけに子供たちに接触はできない旨を伝えた上で、一家の来訪を待っていると答えたそうだ。体が丈夫であちこち飛び跳ねてきた妻だが、今年に入って体の不調を訴えることが多くなった。更年期に達した女性の宿命のようなものかもしれない。あれこれ試みてはいるものの、やはり忍び寄る老いには勝てないのか、と寂しい思いがしないでもない。まあ、それは同い年と私が日々実感することなので、改めて悩むほどのことではないであろうが・・。

 弟家族があって来たのは夕方も5時近く。塾を終えてビールを飲み始めていた私には待ち遠しい到着だった。
「おじちゃん。。」
とか言いながら家に入って来たあーちゃんはいつものごとく元気がいい。つくし組になったとかで、すみれ組になったひまちゃんとはクラスが分かれたそうだ。いつまでもワンペアーでいるわけにもいかないだろうから、それは幼稚園の賢明な処置だろう。全身エネルギーの塊のようなあーちゃんはじっとしていられない。絶えず動き回って忙しい。二階で蟄居している妻にも階下から何度も声をかけるが、彼らに風邪が伝染するのを用心した妻は言葉を返すのみ。つまらなさそうなあ-ちゃんには申し訳ないが、風邪が伝染っては大変だ。昨日は頑として子供たちに接触しなかった・・。


 玄関に並んだクロックス、2歳になったばかりのひかる君も愛用しているようだ。そう言えば、先日家に戻ってきた娘も、バレーシューズのようなクロックスを履いていたから、いろんな種類があって広く定着しているのだろう。が、私はあくまでも草履で押し通す覚悟だが・・。
 子供たちと遊んでいたら、居間にいた弟が私を呼ぶ。「出たよ!」
何だよ、と思いながらTVを見たら東京ドームに巨人の55番がバッターボックスに入ったところだった。「大田だ・・」大きな身体をして顔付きは精悍だ。それに比べると構えが小さな気がしたが、どんなバッティングをするのか楽しみに見た。一球目は豪快に空振り。いいぞ!二球目は明らかにボール球だったが、これも大きな空振り。いいぞ、いいぞ!!「三球三振だな」と呟いていたら、三球目も全身を使って空振り!!最高だ!!こんなに気持ちのいい三球三振を見たのは久しぶりだ。ちまちま当てに行こうとせずに三球とも振り切ったのは立派だ。さすが55番を受け継いだ男だ。これなら期待が持てる。本家の55番が停滞しているだけに新55番に気持ちがシフトしてしまいそうだ・・。


 その後妻を除いた全員でワイワイ言いながら夕食を食べた。やはり小さな子がいる食卓は賑やかでいい。子供たちは3人とも父が畑で採って来たばかりのきゅうりを1本ずつまるかじりしていた。その豪快な食べっぷりを見ているだけで嬉しくなる。
 自分の子供たちは身近にいなくとも、楽しい「父の日」だった。
 
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S-1バトル

 よく覚えていないけど、確か10日ほど前の深夜、TVを点けたら「S-1バトル」なるものがやっていた。お笑い好きの私としては、そうした企画があるのは知っていたが、「M-1」とか「P-1」とかお笑い芸人を競わせる企画がいくつもあって、少々食傷気味なので、大して気にも留めないでいた。実際、その夜もただぼんやりと眺めていただけで、大して面白くもなかった。が、5月の優勝者がトータルテンボスに決まり、優勝賞金がなんと1,000万円も贈られる!!と知ってびっくり仰天してしまった。こんな大して面白くもないネタで1000万円ももらえるのはおかしいぞ、いくらトータルテンボスの漫才が好きな私でも、「ちょっと待てよ!!」と怒鳴ってしまった。芸人を甘やかしすぎだ!
 ちなみにYouTubeに優勝したネタがあったので、以下に貼り付けてみる。




この程度で1000万はいくらなんでも納得できない。大まけに見てもせいぜい10分の1、100万円がいいところだろう。それでも多すぎるなあ・・。
 いったいこの「S-1」という企画はどういうものなのか、少し調べてみた。すると・・

 「S-1バトルはソフトバンクモバイルが主催するお笑いの大会。賞金総額2億2000万円、年間チャンピオンは賞金1億円と、M-1グランプリなど他の多くのお笑いの大会と比べても破格の高額賞金を売りにしている。基本は毎日お笑い芸人2組が自身のネタを披露した動画が参加者(原則としてSoftBank 3Gユーザーのみ)に配信され、参加者はどちらのネタが面白かったかを評価して投票を行う。最終的に月毎の決勝で最も得票を集めた芸人は「月間チャンピオン」となり、賞金1000万円及び年間チャンピオン大会への出場権を得る」

 SoftBankが大盤振る舞いしているのは芸人に対してだけではない。毎月抽選で「S-1バトルメール」に登録して投票に参加したユーザー10名に10万円(年間合計1200万円)プレゼントするらしいし、一番最後に投票者に1000万円が当たる「年間チャンピオン大会」までも行うというのだから、いったいこの会社は何を考えているんだろう?と疑問に思ってしまう。
 が、もちろんこれには裏がある。事情通によれば、「携帯電話で動画コンテンツの視聴などを行う場合、高額なパケット料金が発生する可能性があるため、「S-1バトル」公式ページでは「パケットし放題」などのパケット定額プランへの登録を薦めてある」のだそうだ。結局は「パケット定額プランを上限まで使わせることが目的」らしい。毎日バトルメールが届くことで発生するパケット通信料や動画視聴・投票にかかるパケット通信料を考えると、パケット定額の上限まで利用することになるユーザーはきっと多いはずで、それがSoftBankには莫大な利益となる・・、どうもそうしたからくりが潜んでいるらしい。
 なるほど、あれこれ知恵をひねって少しでも儲けようという商売根性は素晴らしい、見習わねばならない。それに、利用される芸人たちだって、たとえ優勝賞金はもらえなくても露出は確実に増えるから、彼らにとっても大きなメリットになるだろう。
 でも、いくらなんでも1000万はないだろう。トータルテンボスは3月に続いて2度目の優勝らしいが、これが彼らの驕りにつながらなければいいが・・、などと老婆心がはたらいてしまう。ただでさえ、やたらTV番組に出演するようになったお笑い芸人たちにうんざりし始めた頃だけに、もうちょっと地道に芸人を支えるような企画を出したくれたらなあ、とSoftBankに注文を付けたくなる。
 などと言っても私の携帯はDOCOMO、どっちみちS-1バトルに参加することなどできやしない。余計なおせっかいを焼いたところで仕方ないのだけど、それでも、やっぱり気になる・・。

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