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わかれうた

 草剛は、芸能活動を再開した金曜日の夜、「僕らの音楽」という番組のナレーターにも復帰していた。塾が終わって家に帰ると、妻がその番組を見ていた。ちょうど平井堅と薬師丸ひろ子が対談しているところだった。薬師丸は私の弟が大好きだったためよく見知っていたが、玉置浩二などというバカ野郎と不幸な結婚して以来、どうにも見る気がしなくなった。久しぶりに見た彼女はなんだか「おばさん然」としていて、「あんなに可愛かった薬師丸が・・これもみな玉置のせいだ!」と思わず憤然としてしまった。今いくつになったんだろう、と妻に訊いても分からずじまいだったが、それよりも気になったのは、その後で平井堅が歌った「わかれうた」だ。
 この曲は中島みゆきの名曲であり、私は今でもソラで歌えるほど繰り返し聞いた曲だ。その曲を平井堅が歌うのだから、興味をもって聞いてみた。だが、すぐにがっかりしてしまった・・。
 平井堅は顔を顰めながら苦しそうに歌うのが気にはなるが、総じて嫌いな歌手ではない。初めて彼の「楽園」を聞いたときには、男の色気が全編から感じ取れて、こんな歌手は今までいなかった、と感心したほどだった。最近の曲は裏声で歌う箇所が多くて、あまり好きではないが、それでも日本で有数のボーカリストであるとは思っていた。だが、彼が歌った「わかれうた」は私の好きな「わかれうた」じゃなかった・・。
 ちなみに YouTube に彼が歌っている「わかれうた」があったので載せてみる。(「スピッツ」の草野マサムネとデュエットしているものだが、きっとすぐに削除されてしまうだろうな・・) 




もちろん、中島みゆきの「わかれうた」を基にして言っているのだが、決して彼女のコピーをして欲しいと思っているわけではない。平井には平井なりの「わかれうた」があるのは構わない。ただ、あまりに平板で歌詞をなぞるだけの歌唱のように聞こえ、心に響いてくるものがまるでないように私は感じてしまった。
「だめだよなぁ、これじゃぁ・・」
と私が言うと、妻が、
「仕方ないよ、時代が違うんだから・・」
と妙に穿ったことを言った。
 確かに時代は違うだろう。
  ♪途にたおれて誰かの名を
   呼びつづけたことがありますか♪
などということなど、今では誰もしないだろうが、この曲が流行った頃ならきっと大勢の人が同じような実体験をしたことがあったのではないか、と思えてしまう。
  ♪あなたは憂いを身につけて
   うかれまちあたりで名を上げる♪
なんてのは、若者なのか大人なのかまるで境界線がない世界に生きている「あなた」を歌っているようで、現代のように若者社会と大人社会が隔絶している状況からみたら、まさに隔世の感があるのではないだろうか。これでは、77年当時の社会の空気を想起させるような歌い方をしろ、と望む方が無理なのかもしれない。
 平井堅も37歳、もういい加減大人だ。だが、この曲を作った当時25才だった中島みゆきと比べると、まるでひよっこにしか見えないほど、薄っぺらな「わかれうた」にしか聞こえなかったのは残念だった・・。

「俺の方がずっとうまいぜ」
と思わず口から出てしまったが、それを聞いた妻に、
「さすがにそれはない!!」
ときっぱり言われてしまった。そうかなあ・・、でも、「アザミ嬢のララバイ」なら負ける気はしないぞ!!

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復帰!

 草剛が謹慎生活に入って、さほど日が経ってない頃から、スマヲタの妻は「すぐに復帰するんじゃないの」という観測を述べていた。「映画やドラマやその他もろもろのことを考え合わせるときっとそうなると思うよ」と言っていたが、結果として妻の予想どおりになったのだから、さすがだと言うしかない。テレビなどでは草に対する同情論、さらには警察の捜査方法を論難する者さえ現れて、彼の復帰をテレビ界全体で後押しした感が強いが、それだけSMAPというグループが今のテレビ界には必要不可欠だということなのだろう。ジャニーズ事務所から28日に「スマスマ」の収録で現場復帰するという通達が出された時も、妻には当たり前のことだったようで、特にコメントはしなかったほどだが、同時にSMAPのファンクラブ会員には、草から復帰を伝えるメールが送られたようで、それには納得顔をしていたのが面白かった。まずはファンを大事にしなくちゃね・・。
 28日の復帰記者会見は翌朝のワイドショーで見たが、ひょっとしたら反省の気持ちを表すために坊主頭にしてくるんじゃないかと内心思っていた私には、拍子抜けするくらい、草は明るい顔をしていた。
「今日から芸能生活に復帰します。また一から頑張りますので、よろしくお願いします」と頭を深々と下げた男が、次の瞬間には抑えきれない笑みで相好を崩してしまうのだから、何が何だか分からなくなってしまった。
「復帰してSMAPになれるのが嬉しくてたまらないんだろうね」
と妻が彼の胸中を代弁してくれた。なるほど、そうなのか。そうだよな、35日間一歩も外に出ずに蟄居してたんだから、解放感もあるんだろうな、きっと。でも、釈放直後の会見で見せた憔悴しきった表情とは打って変わった晴れがましい表情を見せてくれた方がファンにはいいんだろうな、と思って妻を見たら、
「もうちょっと抑えた方がいいのになあ・・」
と相変わらずチェックが厳しい。とは言え、この日を待ち望んでいた妻だけに草が生番組で初登場する「笑っていいとも」の始まる時間になったら、テレビの正面に正座していた。
「ひと月休んでしまいました。この空気を毎週感じることは僕にとって、生活の一部だということがわかりました。今後、みなさん、よろしくお願いします」
というオープニングでの彼の短い挨拶には、
「休んでしまいましたって、他人事みたいに・・」
とまた苦言を呈したが、目は涙で溢れていた。会場はスマファンでいっぱいなのだろう、ものすごい熱気がテレビを通しても伝わってきた。こんなに大勢の人たちから愛されているんだから、もう二度とバカな真似はするなよ、などと部外者の私でさえ草にエールを送りたくなった。
 その後の「笑っていいとも」はいつもどおりに進んでいった。草も次第に緊張がほぐれてきたのか、いつの間にか普段の彼に戻っていた。中でも、川柳を作るコーナーで、「妻の尻に敷かれている夫の気持ち」を表せというお題に対して、
「あの頃はこんなにお尻重くない」
という、つよぽんの面目躍如たるおバカな川柳を披露してくれた。草が謹慎中の1ヶ月間、このコーナーで彼の不在を惜しいと思ったことはなかったが、これだけ秀逸(!)な川柳を作れるキャラはそうそういるものではないから、やはり彼の存在はテレビ界に不可欠なものだと実感した。
 
 ともかく禊は一応済んだのだから、この1ヶ月間の蹉跌と苦悩を決して忘れずに、これからの人生・芸能活動に生かしてくれるよう、心から願ってやまない。
 さあ、次の楽しみは「ぷっすま」だ(「スマスマ」は塾の授業中で見ることはできない。録画まではさすがに・・)。まさか復帰初回からビールを注文したりはしないだろうなあ・・。
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疲れたときには・・

 ここ数日、体がだるい・・。地球の重力に引き付けられたように足は重いし、大気圧に上体が抑え付けられたような感覚が抜けない。昼過ぎからは少し楽になるが、午前中は体全体が重く感じられ、動くのも億劫になるほどだ。梅雨が近づくと毎年こんな感じになってしまう。季節の変わり目は調子が今ひとつなのはいつものことなので、特にどこかが悪いわけではないだろう(たぶん・・)。だが、連休後に、中間試験が各学校で始まり、土・日はその対策授業でずっと忙しいかったから、かなり疲れてしまったのは確かだ。この前の土曜など、最後の授業時間になる前にヘトヘトに疲れきってしまった。さすがにもう年だな、と実感せざるをえない・・。
 なので、ユンケルの世話になる回数が多くなった。今週など一日おきに飲んでいる。夏休みや冬休みの忙しい時期でもそれほど飲んだことはあまりないから、ちょっと飲みすぎたなと反省している。ユンケルに頼ってばかりいてはいけない、と思いはするが、なにせ意志薄弱な私であるから、ついつい手を伸ばしてしまう。だが、近頃はユンケルを飲んでも以前ほどの効果はないように思えるから、体の疲弊具合が年とともにだんだん増しているのかもしれない。くわばらくわばら・・。
 少し前から、パソコンで私立中を受験する生徒向けの問題集を作っているのも疲れがなかなか抜けない原因かもしれない。ブログで好き勝手なことを書き散らす分にはさほど疲れを感じないが、型にはまった問題をレイアウトも考えながら作成していくのは、自由度が少ない分だけストレスが溜まってしまうようだ。30分くらいパソコンに向かっているとイライラし始め、1時間近くになるともう限界だ。入力間違いも多くなってくるので、この辺りが潮時だと思ってその日の作業は終了する。以前はもう少し長いあいだ問題集作りができたのに、これでは思い通りに進まず、完成までしばらくかかってしまいそうだ。もうちょっと集中力を切らさないようにしなくては、と意気込みだけはあるが、なかなか実行が伴わない。こうなったら、たとえ短時間でもいいから、何度かに分けてPCに向かうようにした方がいいのかもしれない。

 この年になると、疲れが溜まるのはもうどうしようもない。簡単に疲れが抜けないのも仕方ない。ならばたとえだましだましでも、一時凌ぎであっても、少しでも体が楽になる方法を考えた出した方がいいのかもしれない。それにはまず・・、
 「甘いものを食べることだ!!」
なんて短絡的な考えだろう。でもやっぱり甘いものを食べればパワーが戻ってくるような気がするから不思議だ。そこで、久しぶり(1年ぶり以上かなあ・・)に見つけた寒天に、あんこを混ぜて食べてみようと思った。その時妻が、
 「あんこじゃなくてこれにしたら」
と渡してくれたのが、伯母からもらったという花園万頭の「ぬれ甘なつと」。なるほどそれはいい考えかもしれない。


 残念なことに、デジカメが近くになかったため携帯で撮った写真だから、あまりおいしそうに見えない。だが、一口食べてみたら、「甘なつと」の上品で控えめな甘みが口の中に広がった。おいしい・・。寒天とのバランスもちょうどいい。いつもなら、甘い甘いあんこをたっぷりと入れて食べるものだから、食べ終わる頃には少々くどくてムネヤケすることさえある。物足りないかな、と思うくらいが多分ちょうどいいのだろう。
 果たして疲れた私の体に十分な糖分が行き渡っただろうか。すぐに成果が現れるはずもないが、食べ終わってしばらくしたらだるさが少し減ったように感じられたから、それなりの効果はあったのかもしれない。

 まあ、もう少し早く寝て睡眠時間を多くとるようにするのが一番の疲労回復策であるのは十分分かっている。でも、ついつい寝るのが遅くなっちゃって・・。
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クモの巣

 クモは嫌いだ。と言うよりも、クモの巣が嫌いだと言いなおした方がいいだろう。時々気付かぬうちに部屋の隅にクモの巣が張っていたりすると、もうぞっとしてすぐに取っ払ってしまう。クモの巣が張っているのは落ちぶれた家屋敷という思い込みが強くて、自分の家がそんな風に見えてしまうのが我慢ならないのかもしれない。だが、いくら注意していても、知らぬうちに張っているのがクモの巣だ。先日も塾舎の階段横にある窓から外を見たら、軒先から窓に向かって大きなクモの巣が張られているのを見つけてびっくりした。その時は慌てて手で振り払ったのだが、その際クモの糸が思いのほか粘っこいのに驚いた。気持ちが悪くて手を洗おうとしてもなかなか剥がれずに苦労した。思わず手で払ったのを後悔したが、このままクモにイヤな思いをさせられただけではバカらしい、どうせならクモの巣をブログの記事にしてやろうという悪だくみが働いた。気が弱いくせに「ゲテモノ」好きな私であるから、クモも一度は記事にしたっていいだろう。
 と言うことで、その後数日我慢したら、同じ所に同じクモが前よりも大きな巣を張ってくれた。ラッキー!!


 クモの巣を見ていると、こんなに精緻なものを作るクモをすごいと感心する。が、同時にこの芸術的な美しさを持ったクモの巣をグチャグチャにしてやりたいという衝動に駆られる。クモの巣で遊ぶよりも一瞬のうちに壊してしまった方がカタルシスになっていい、そうは思ったが、ブログの記事ができるまでは我慢しよう、そう思い直して、この巣の主を探してみた。すると・・、
 いたいた、軒先に体を丸めて張り付いている。昼間はクモの巣から離れたところで休んでいるようだ。「では、ちょっと御免」と言いながら箒の先で刺激してやったら、糸を伸ばしながらスーッと下りて来た。

  

 何という種類のクモだろう?脚を伸ばしたら7・8cmはありそうだ。少し気味が悪いが、少しの間観察に協力してもらおう。
 さっそく板の上を這わせてみたら、逃げるようにして板から落ちていった。しかし、糸で身を支えるから大丈夫。

 

 それにしても太くて丈夫そうな糸だ。どこから出ているのか、じっと見ようとしたが、さすがにクモを触る気はしないので、口からなのか、どこか他の部位から出ているのか、確認できなかったのは残念だ。だが、糸と巣を眺めていたら、クモの糸とはどれだけ粘りがあり、どれだけのものを貼り付けることができるのだろうか知りたくなった。何かいいものはないかと見つけてきたのが、メモ用紙、ペットボトルのキャップ、それと鉛筆。1つずつ巣に張り付くかどうか試してみた。

  

 おお!見事ぜんぶくっついた!!すごい!!メモ用紙は付くと思っていたが、キャップや鉛筆は無理かな、と思っていただけに驚いた。これくらいの粘りがあれば、たいていの虫なら一度巣にかかってしまったら、逃げ出すことはできないだろう。恐るべし、クモの巣の威力!!

 などと遊んでいたら、クモの巣はグチャグチャになってしまった。
「ごめんね、クモさん、せっかく何日もかかって苦労して作った巣なのに、私のワガママで・・」などと少しは思いもしたが、今更いい子ぶっても仕方ないよね・・。

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ヤンキー

 春先から、定期購読している雑誌を市内の小さな書店が家まで配達してくれることになり、毎週一回は書店に行っていた習慣がなくなってしまった。そのため、書店に行く回数が激減してしまい、面白い本を見つける楽しみから最近はずいぶんご無沙汰している。仕方なしに、「読みたい」と思う本はアマゾンで注文しているが、それでもやはりたまには書店に足を運ばねばまずいな、と思って少し離れた書店に出かけた2週間ほど前に見つけたのが、難波功士「ヤンキー進化論」(光文社新書)だった。別に私はヤンキーのシンパでも、いわゆる「元ヤン」でもない。だが、長年塾をやっているとヤンキーもどきの生徒に接することもたびたびあったので、ヤンキーの生態に関しては少しばかり興味がある。近年は「不良=ヤンキー」という図式は崩れてきているが、ヤンキーは決して死滅した種族ではない。しばらく見ないうちに、見事にプチ・ヤンキー化した元塾生に会ったりすることもよくあるから、ヤンキーに関する論考を見つけたなら、読んでみたくなるのもごく自然なことだ。また京大-博報堂-東大大学院-関西学院大学教授という華々しい経歴を持つ筆者が、白眼視されることの多いヤンキーにどんな考えを持っているのかも知りたくて、読んでみることにした。
 
 筆者はヤンキーを次のように定義する。
「階層的には下位と目され、旧来型の男女性役割(と性愛)になじみ、地元・自国志向を帯びた若者たち」(P.77)
これには私も異論はない。過不足ない見事な定義であるとさえ思う。しかし、この定義に当てはまるヤンキーたちの生の声を筆者がまったく聞いていないのはどういうことだろうか。彼らの肉声を聞きながら、彼らの考えや感覚などを分析していった結果が本書に収められている、と勝手に思い込んでいた私が悪いのかもしれないが、筆者は膨大な資料の中からピックアップした箇所を引用しながら、ヤンキーの過去から現在に至る歴史を振り返っているだけで、実際にヤンキーたちと話し合った形跡はまったく見られない。果たしてこれでいいのだろうか?
 筆者が常日頃相手をしている関学の生徒の中には生粋のヤンキーなどという者はいないであろう。自らの生活でまるで接点のない集団に関して研究をするのに、その集団と接触しないまま、他人の調査資料や研究資料に依存してばかりいては、その論考は机上の空論になりはしないのだろうか?筆者自身はその点に関し、
「もちろんヤンキーについて語る以上、フィールドに入る必要もあったのだろうが、資料だけに頼るアームチェアなやり方がどこまで可能かをトライしたつもりである」(P.241)
と開き直っているのには恐れ入るばかりだが、筆者が書いた何冊かの本を決して読むことのない者たちこそがまさにヤンキーであろうから、筆者の方から近づかなくては、決して交わることなどないだろう。それは私が一度も行ったことのないパリに関して膨大な資料を読みこなし、ここぞと思う文章や写真を引用しながら、パリ・ガイドブックを作って得意顔をしているようなものであり、魂の入っていない上っ面だけの本となってしまうのは必然のことのように思う。
 事実、本書を読み始めてしばらくしたら、退屈で仕方がなかった。確かによく勉強はしている。「マンガ喫茶でヤンキー・マンガを通読したり、レンタル店で借りたVシネやOVAをチェック」した量とそれにかけた時間は相当なものであっただろう。だが、だからと言ってそこから生まれた本が面白いというわけではない。目の付け所はなかなかよかったとは思うが、それを論じ切れていないのは、やはりヤンキー諸君と「魂が通じ合うような」会話をしていないためなのではないだろうか・・。
 
 私としては、ヤンキーの時代的変遷を知るには、本書の中にも紹介されている、嘉門達夫が歌う「ヤンキーの兄ちゃんのうた」「絶滅・ヤンキーの兄ちゃんのうた」の歌詞を比べた方が、ずっと分かりやすいと思うのだが・・。
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辛いけど・・

 WOWOWで録画した「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を日曜の夜に見た。しんどい映画なのは知っていたが、実際に見てみると何度も途中で見るのをやめたくなった。「総括」とか「自己批判」とか、悪魔の呪文のような言葉で同志を虐殺していく過程を克明に描く場面は辛くて、見なきゃよかったと心から後悔した。日曜の夜でかなり酔っ払っていたため、何とか我慢して最後まで見ることができたが、素面で見るにはかなりの気合がいるだろう。正視に耐えられないような凄惨な場面が続き、連合赤軍という団体が、思想という(しかもかなり偏狭な)仮面をかぶった殺人集団としか思えず、彼らの目指した「革命」というものが一体何であったのか、まるで理解できなかった。学生運動がほぼ収束した頃に大学生となった私であるから、些かのノスタルジーも感じずに、そうした感想をもてるのかもしれない。その証拠に連合赤軍の「兵士」たちの主張は生硬な言葉の羅列としか思えず、まったく私の心に響くものではなかった。
だが、社会を変革することを標榜する「革命運動」が、社会の広範な支持を得られずに次第にカルト化していった道程を描いた映画であるとするなら、その意図は十分伝わってきて、見応えのある作品だった。
 「革命」と言えば、今年の初めに「チェ・ゲバラ」の生き様を描いた映画を続けて見た。そこに描かれていた革命家たちは、ひたすら社会を変革しようという熱情に駆られ、自らの命を燃やし尽くしていた。悲惨な生活を余儀なくさせられていた人々が中心となって行われていた南米の革命運動と、大学生たちの頭の中で理想化された日本の革命闘争とでは、比較できないのは自明だと思えるが、当時その渦中にいた人々にはその違いが見えなかったのであろう。よりよい社会を作り出すための手段としての「革命」が、いつの間にか目的となってしまい、その目的を貫徹するためにはどんな手段も厭わないという思想の暴走が起こってしまったのだろう。 一旦暴走し始めた集団から離脱することはとても難しい。声高に叫ぶ者の勢いに気圧されて思考停止状態になってしまった者たちが、善悪の判断を留保して自動人形のように行動してしまう。それが何度も繰り返された挙句に破滅に達する。私には映画の最後で、あさま山荘に立てこもったメンバー1人である16歳の少年が仲間に向かって叫ぶ言葉が、全てを語っているように思えた。
 「おれたち、勇気がなかったんだ!、あんたも、あんたも!!」
勇気、「それは間違っている、そんなことをしても何もならない」と言うだけの勇気、たとえ命令されたとしてもできないことはできないと断る勇気、「おかしいな、ついていけないな」と感じたら立ち止まる勇気、そうした勇気が欠けていた者たちが追い詰められて、あさま山荘まで突き進んで来てしまった、まさにそう「総括」する少年の叫びは、私の心の真ん中を射抜いた・・。
 だが、それは普段の我々の生活でも心に留めておかねばならない教訓だろう。当たり前のことが当たり前にできない状況の中でも、当たり前のことを当たり前にしなければならない、簡単そうで難しいことではあるが、それができなければやがて大きな過ちとなってしまう。それはわざわざ過去の歴史を紐解くまでもない真実であるが、ともすれば忘れてしまう真実であろう。その意味でも、そうした危うい過程を私たちに知らしめてくれるこの映画は必見の価値があると言っても過言ではないように思う。

 実はこの映画を撮った若松孝二監督の記事が4月25日の毎日新聞夕刊に載っていた。そこには、この映画をかつての赤軍派のメンバーに見せたら、全員が泣いたという監督の言葉があった。彼らが生半可な反応を見せたら殴ってやろうと思っていた監督は拳を納めたそうだ。「全共闘世代はあの時代の総括をしていないよ」という言葉、さらには、全共闘世代への「社会でもあなたたちが『嫌なものは嫌だ』と言い続けてくれていたらもう少しはまともな国になっていたよ」というメッセージも載っていた・・。

 いろんな意味で厳しい映画だった。


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お祝い会

 就職活動で忙しかった娘が、内定をもらい、一段落ついた報告をするため家に帰って来た。昨今の経済事情の悪化をまともに受けた就職活動であったため、かなり苦労をしたようだが、自分の意図した会社に入れる見通しができたことは、特別就職活動を応援したわけでもない私でも、素直にうれしいと思っている。会社組織に属したことがない私では、何もアドバイスできることはないが、娘なりに自分の将来を考えた挙句の選択であるのだから、せめて労をねぎらうことくらいはしてやらなくてはいけないだろうと、小宴を開くことにした。
 息子にも声をかけたが、都合がつかず、ごく内輪の宴になってしまった。就職活動でかなり痩せてしまった娘に少しでも精がつくようにと選んだ場所は、家から近いところにある鰻屋。市内では一番の老舗であり、私も子供のころから何度も行ったことがある店である。

 

 通されたのは別棟。この店の本宅は父が建てたものであるが、この別棟だけはずっと以前に建てられたものであり、父は屋根の葺き替えを何度かしたことがある。私は久しぶりにこの店を訪れたが、この別棟に入ったのは初めてだった。よく見ればかなり老朽化しいてはいるものの、国道沿いの店にしてはなかなかの風流をかもし出していて、面白い。

 

 電話で予約を取っておいたが、さすがに父の性格を熟知している店主だけあって、さほど待たずに料理が運ばれてきたのには驚いた。

  

 鰻肝も肝吸いもおいしかった。残念ながら、白米を食べない私ではどんぶりをかきこむことはできないので、上にのったかば焼きだけを食べたが焼き加減もちょうどよく、おいしかった。私以外の者は、全員ぺろりと平らげてしまった。さすがの私も食べたいな、と思ったが、必死で我慢した・・。

 娘の就職先が決まって以来、もうこれで家に戻っては来ないのか、と少々寂しい気持ちに襲われがちだった私だが、娘の元気そうな顔を見て、いつも通りのおしゃべりを聞いていたら、そんな憂愁も吹き飛んでしまった。
 ただ、「辛いことがあったら、いつでも家に戻ってこいよ、待ってるぞ」と伝えようとは思っているが、娘の晴れやかな顔を見ていると、余計なことを言わない方がいいかな、と少々迷っている・・・。
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 先日妻のお供で出掛けたスーパー、ぼやっとしながら歩いていたら、「4:1」という数字が大きく目立つ棚があった。何だろう?と思ってじっと目を凝らしたら、「牛乳4:お酢1」と書いてある。
「牛乳と酢を4:1で混ぜて飲め、ってことだよな?」
と妻に聞いたら、
「これはおいしいと思うよ。トロッとしてヨーグルトみたいな感じになるんじゃないかな」
と言った。
「ふ~ん」
と少しばかり食指が動かされたのを目敏く見つけた妻が
「買う?」
と言ってくれた。だてに銀婚式を迎えていない、私の心の中などお見通しだ。かと言って嬉しそうにするのも何となく癪なので、
「ああ」
となるべくぶっきら棒に言って、手に取ったのが mizkanの「ブルーベリー黒酢」。酢っていうのはあまり得意じゃないが、牛乳と混ぜるという発想に思わず惹かれてしまったのだ。
「どんな味がするんだろう?酸っぱくないんだろうか?」
牛乳も買って早速試してみた。


 コップには牛乳を先に入れるべきか、酢を先にするべきか、少し迷ったが、まずは「ブルーベリー黒酢」がどんな味がするものなのか、確かめることにした。


「案外、飲みやすいよ、これ」
先に飲んだ妻が驚いている。すぐ私も一口飲んでみた。口に含んですぐはブルーベリージュースの味がした。だが、飲み込む時に思わず「おえっ!」となった。やっぱり酢だ!かなりブルーベリーの味で中和されているが、それでもしっかり酢の味はする。それなら、これに牛乳を入れたらいったいどうなるのだろう?楽しみにしながら、牛乳を1:4の割合になるところまで注いでみた。


スプーンでかき混ぜていたら、手ごたえが少し重くなってきた。全体的にドロッとしてきて、妻が言ったようにヨーグルト状になってきたように見える。いい感じだ。今度は先に私が飲んでみた。
「おいしい!!」
酢の酸っぱさがほとんど感じられない。まさにブルーベリーヨーグルトといった風情だ。これはいい!!
「本当だね」
妻も同意した。
「しばらく続けてみたら」
酢が体にいいというのはよく耳にする。だが、あの酸っぱさがあまり好きではない私には縁遠いものだった。だが、これなら長続きできるかもしれない。他にも「バナナ黒酢」や「梅はちみつ黒酢」「甘熟りんご酢」などなどといった製品もあるようだから、ブルーベリーに飽きたら他のを試してみるのもいいかもしれない。
 
 とりあえず「ブルーベリー」の次は「バナナ」にしてみよう。
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予防のために

 政府が、新型インフルエンザに対する新たな「基本的対処方針」を正式に決めた。その中でも私が知っておかねばならないのは、学校に関する対処法であるため、以下にその要旨をまとめておく。

 全国一律の対応から、感染拡大の度合いに応じて地域ごとに二つの分類で対応する方針に転換する。
 まず、患者が少数の地域では感染拡大防止に重点を置き、従来の対策を踏襲し、学校・保育施設などの休校要請は市区町村単位とする。
 これに対し、急激に患者が増えている地域では、休校も効果が薄いとして、患者がいる学校・保育施設単位で設置者が判断するとし、学級閉鎖も認める。
 なお、個別の自治体をどちらの地域に区分するかは、都道府県などが厚労省と協議し、判断する。

 現段階で、新型インフルエンザの患者が見つかっていない愛知県は、「患者が小数の地域」にあたるわけだから、「学校・保育施設などの休校要請は市区町村単位とする」ということになるであろう。今まで塾の生徒に色々聞いてみたところ、愛知県内で患者が一人でも見つかれば即休校、ということになっていたようだから、これによって対処法が変わるかもしれない。だが、生徒の住居がひとつの地域に固まっている公立の小中高では市単位の対応で済むかもしれないが、生徒が様々な地域から通学してくる私立中学や高校では、県単位の対応になるかもしれない。そうすれば、同じ愛知県でも患者が見つかった地域が私の住む市から離れた所だった場合、小中学校はいつもどおり学校があるが、高校や私立中学は休校、ということになる場合もあるだろう。一律の対応には違和感を持っていた私から見れば、当然のことだと思える。冷静かつ迅速な対応をするためには、各市町村にある程度の裁量権を持たせたほうがいいはずだ。
 ただ、住んでいる地域は限定されるものの、通学している学校の所在地が広範な地域に渡っている塾生が集まっている私の塾の場合、一段と対処法が難しくなるような気がする。全県下一斉に休校となってしまうなら、判断もしやすかっただろうが、生徒によって平常どおり通学している者と休校となった者とが混在する状況では、どちらの生徒も納得できるような判断をしなければならない。これがなかなか難しい。生徒の健康を第一に考え、しかも塾としての責務も十分果たすため、このところ色んな場合を想定してあれこれ考えてきたが、これだという妙案を思いつくことはできなかった。状況は刻々と変わるものだ。愛知県内ではこのまま一人も患者が見つからないことだってあるだろうし、一両日中にわが市で見つかる可能性だってある。いくら考えても私の想像を超える事態だっていつ何時起こるかもしれない。結局は堂々巡りを繰り返してしまうだけだから、この際シュミレーションなどしないで、そのときの状況に応じた的確な対応ができるよう、できるだけ正確な情報を集め、それによって冷静に判断するのが一番いいだろうと考えるに至った。
 生徒たちには、
「学校が休校になっても、一応塾はやることにしている。でも、市内で患者が見つかったり、塾生やその家族に患者が出たりした場合などは、休まなくちゃいけないだろうから、その時は塾から電話する。要するに電話がない限りは、いつも通り塾はあるってことだよ」
と、伝えることにした。
 それと同時に、数日前から始めている、教室に入ってきた生徒に消毒液で手指を消毒させるのを徹底していこうと決めた。もちろん状況に応じては、マスクを付けるなど、予防措置としてできるだけのことはしていかねばならないと思っている。

 

「はい、消毒!」
と言って、霧吹きに詰め替えた消毒液を、シュッ、シュッ広げた手に掛けてやると、皆おとなしく手にすり込んでいる。「こんなことしても効果があるの?」と憎まれ口を叩く者もいるが、「予防のため!」ときつく言ってやると素直に従う。
 願わくは、このまま終息せんことを・・。



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鏡餅

 ずっと気になっているが、どうしても手が出せない、そんなことがよくある。塾バスのダッシュボードの上に置いてある鏡餅もその1つだった。毎年大晦日に新しい年を迎えるため、車一台ずつに鏡餅を供える。以前は米穀店が売る生餅を供えていたが、すぐに割れてしまい後片付けが面倒だったので、近年は真空パックに入ったものを供えるようになった。これだと車内に餅の破片が散乱することはなくなったが、逆に鏡餅の存在が苦にならなくなった分だけ、片付けることなくいつまでも車に乗せたままになってしまう。それでも例年なら1月中には片付けていたのに、今年はなんと今になるまでずっと車内に置いたままになっていた。
 これじゃあ、いけない、と思ったのが昨日。はっと気づいたら、餅が茶色く変色していた・・・。ぎゃっ!!


 餅と言えばカビが付き物だが、さすがに真空パック、カビなど一切生えていない。ならば茶色く変色したのは何故だろう?日光に晒したままになっていたから、日焼けしたのかな?などと冗談めいたことも考えてみたが、ひょっとしたら本当にそうかもしれない。勿論推測で物を言っていても仕方がない、実際に調べるに如くはない、などと久しぶりにバカができるとワクワクしながら、真空パックから餅を取り出すことにした。 
 だが、うまく行かない。普通なら底面に貼ってあるフィルムをさっと剥がせばストンと餅が取り出せるはずだ。なのに、長い間日光の影響を受けたためか、フィルムがぱりぱりになってしまい、引っ張っても途中で割れてしまう。う~~ん、困った、こうなったらハサミで切るしかない。無理やり切っていったら何とかフィルムを剥がすことができた・・。


 すぐに匂いをかいでみた。おえっ!!何だこのすえたにおいは!!酸っぱいという形容がいちばんなのかなあ・・。そうか米が発酵したのかもしれない、そうだその匂いだ、たぶん・・。
 何となくこの先を続ける気がしなくなったが、この色や匂いの変化が表面だけのものなのか、あるいは内部まで変わってしまっているのか、それを確かめなくては不十分な気がしてきたので、心を奮い立たせて残りのパックもハサミで破ってみた。

 


 取り出した鏡餅はこんがり焼けたパンのようだ。すえた匂いはうっすらしてくるが最初ほど強くはない。もしかしたら中まで侵食されていないのかもしれない。少し安心して、餅をハサミで切ってみた


 やっぱり・・。中は白い。変色は表面だけのようだ。切った餅を鼻にあててみた。すえたにおいはしない。触ると水気がわずかながらあるようで、見ていると食べられそうだ。どうしよう、少し口に含んでみようか?などとかなり誘惑されたが、さすがにインフルで社会が騒がしいときに、食中毒のようなものを引き起こしたりしたら大いに顰蹙を買うだろうから、何とか踏みとどまった。だけど、焼いたらきっと食べられるはずだ・・。

最後まで野次馬根性を貫くことができなかったのは残念だが、真空パックの威力を少しながら実感できて、バカみたいだけどなかなか有意義な調査だった。
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