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終了!!

 夏休みが終わった。今年の夏休みは、始まりの7月21日が月曜で終わりの8月31日が日曜であるため、丸々6週間びっしり休みだったことになる。こんなことも珍しいが、とにかく疲れた。最後の一週間はかなりふらついたが、どうにか乗り越えることができた。夏休み前半は日が昇ると暑さで眠っていられなくなる日が続いたし、途中夏風邪で寝込む寸前までいったこともあったが、半ばやけくそで気力を振り絞ってきたら、何とか無事終えることができた。本当にうれしいし、ほっとした。年々体力の衰えを感じながらも、まだまだ弱音を吐くわけにはいかないので、この夏を乗り切れたのはちょっとした自信になった。気持ちが老け込まなければ何とかなる、そんな思いを抱けたのはよかった。

 このブログを始めてから4度目の夏休みになる。今年は例年よりも厳しい毎日になるのは休み前から分かっていたので、果たしてこのブログの記事を毎日書き続けられるか、あまり自信はなかった。と言っても、今はこのブログを毎日更新することにさほど執着しているわけでもないし、夏期講習に全精力を注ぎ込もうと思っていたので、更新する気力・体力がなくなったら、やめておけばいいやと、と案外気楽に構えていた。それに4年目ともなると、3年間曲がりなりにもやって来れたのだから、今年もきっとどうにか続けられるだろう、と高をくくっていたような気もする。
 だが、いざ夏休みが始まってみると、予想以上に時間割がきついのが分かった。授業と授業の間の時間はほぼずっとバスで生徒の送迎をしなければならず、ほとんどと言っていいほど自由に使える時間がなかった。例年なら、2、30分の空き時間はできて、それを利用すれば下書き程度は書くことができたから、それを塾が終わってから見直しをすればその日の記事が完成したものだった。今年はそれができないのが夏休みが始まってすぐに分かった私は、どうしたものか頭を悩ました。記事を探す時間などないし、本を読む時間も全くない。これじゃあ、続けるのは難しいな、と腹をくくるしかなかったが、それでも続けようと思うなら、日曜日にできるだけ多くのネタを集めるしかないな、とも考えた。それができれば続ければいいし、できなければやめればいい、そう思い切ることにした。
 そう決めてから、日曜日は毎週いろんなところに出かけた。ブログのネタを2つか3つは見つけておきたい、そんな気持ちも確かに働いたが、それよりも疲れた心と体を日曜日ごとにリフレッシュしたい、そうしなければとても一週間持たない、そんな気持ちのほうがずっと強かった。そうやって毎週日曜に出かけたことが結果としてはよかったと思う。出かけることで体の疲れは余り取れなかったが、心に少しずつたまった鬱積は日曜のたびにふるい落とすことができた。それがブログの記事にも反映できたかどうかは分からないが、何を書こうかと困ることもなく、毎日ささっと書き終えることができたのは幸いだった。しかも今年は、オリンピックがあったし、大学のサークルの同窓会で京都にも行けたから、ネタ枯れなどという心配は全くなかった。自分では楽しんで書けたように思っている。
 
 このブログを毎日欠かさず書き連ねることには、もう大して意味もないと思う。最初は一念発起したことをやり通すという目的に邁進していたが、それが過ぎてからは、自分の心のカタルシスにはなくてはならぬものだと思ってきた。それが今では、もうなくてもいいし、あってもいいくらいにしか思わなくなってきた。ブロガーとして老成したのかもしれない。だが、どういうわけだか、離れられない。夏風邪を引いて苦しんでいた夜も、申し訳程度の記事を載せてしまった。これでは、なんらの目的を持たないブログに記事を書くことだけをその日の目的にしているようなもので、自家撞着とも呼ぶべき境涯に陥っているのではないか、そんな恐れさえ抱いてしまった・・。
 
 などと愚にもつかぬ考えをめぐらすのも、長い夏休みが終わってほっとした心のなせる業なのだろう。だが、夏休が終われば受験生たちを新たな次元へ導いて行かねばならない。今日一日くらいは気を緩めてもいいだろうが、またすぐ厳しい毎日が始まる。ゆっくりはしたいが、油断だけはしないようにしなければいけない。
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去りゆく夏に

 家の庭の片隅に私の背より高いユリが咲いた。どうしてこんなにも長く伸びたのかよく分からないが、気づいたら花が咲いていた。


 2年前今頃、道端に盛んに咲いていたユリのことを記事にしたことがあるが、その時このユリが「タカサゴユリ」であることを知った。今年も群生している場所がいくつもあって、思わず見惚れてしまうほど見事な眺めだ。しかし、我が家のユリのように2m近くもヒョロ高く伸びたユリは見かけたことはないから、ちょっとした変わり者なのかもしれない。
 過去の記事を検索したついでに、昨年稲穂が夏の終わりに実ったのを、早すぎないかと記事にしたのはいつだったか調べてみたら、8月の28日に「もう?」という題名でたわわになった稲穂の写真が載っていた。やはり自然のサイクルというものは確かなもので、昨年とほとんど同じ時期に同じ光景が見られるのだから、恐れ入る。これが昨日とって来た写真だが、稲穂の色づき具合、実のなり具合ともほぼ同じで驚いてしまった。当たり前と言えば当たり前だろうが、不思議な気がして仕方がない・・。

 

 昨年は厳しい残暑がいつまでも続き9月になってもげんなりしていた。今年の夏はお盆までは昨年を越える酷暑だと思っていたところ、お盆を過ぎたら一気に別の夏になってしまった。あれほど全身汗びっしょりになって目覚めたのが嘘のように、窓を開けたまま寝ると風邪を引きそうなくらい涼しくなってしまい、夜になると秋の虫たちが一斉に鳴き始め、まだ8月なのにいったいどうした?と思ったりしている。まあ、あの暑さが今も続いていたら、もっと体が疲れて何ともならなくなっていただろうから、私にとっては好都合だったが・・。
 今週に入ったら、全く天気が思わしくなく、毎日携帯にウェザーニュースから「雨雲アラーム」が何度も送られてくる。この雨雲アラームは名古屋の中心部を観測地点にしているため、東に20kmも離れた私の家では、かなりのタイムラグがあるし、一滴も降ってこないこともよくあるので、あまり気にはしていないが、一昨日などはアラームが届いた後すぐに激しい雷雨が襲ってきて、長時間降り続いたので、あながちおろそかにもできない。全く最近の天気は予測不可能な状態で、困ってしまう。毎日空一面に広がる黒雲を見ながら、もうこれで暑さがぶり返すこともなく、一気に秋になって行くのかな、と思ったりしている。
 

 あんなに暑くてたまらなかった前半のような夏はいらないが、やはりもう少しだけ夏が続いて欲しかったような気もする。もうそろそろ涼しくなってもいいだろう、などと思っているうちに徐々に風が冷たくなっていき、いつしか空も高くなり、すじ雲が流れていく、そんな穏やかな季節の変わり方をしてくれた方がいいように思う。今年はあまりに激甚だ・・。
 とは言え、まだまだ塾の前には父が植えた朝顔が元気に咲いている。琉球朝顔と違って、もう少ししたら咲かなくなるだろうから、去りゆく夏の記念に写真を何枚か載せておこう。

  

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小さな塾生

 夏期講習も終わろうとしているが、今年の夏期講習には小学校に入学前の幼稚園児が一人参加してくれて、タイトな時間割で青息吐息の状態だった私の心のオアシスになってくれた。名前はゼンくん。5才の男の子で、彼の祖母が私の従姉妹であり、彼の母親の勉強も小さいときからずっと見てきた。いわば親子二代にわたって勉強を教えることになるのだが、この年にもなると他にもそういう生徒が何人かいる。何だか自分の子供、いやもう孫のような気がして実に可愛い。もちろん勉強は厳しく教えているつもりだが、知らないうちに甘さがにじみ出てしまっているかもしれない。まあ、今の子供たちは厳しいばかりではついてこないので、気を抜くところがあった方がやりやすいのは事実であるが・・。
 夏休みに入ってすぐに、ゼン君の母親から夏期講習にゼン君を頼むというメールが来た。折り返し私から電話をかけて事情を聞いたところ、幼稚園の同級生の何人かが学習教室に通い始めたから、ゼン君も勉強が習いたいと言い出したのだそうだ。それなら夏の間だけでも私の塾に通わせようと思って、連絡をくれたと言う。ゼン君は「暴れん坊の一人っ子」だと言うイメージを持っていた私は少しばかり意外な気がしたが、少しは大人しくなったのかな?と思いながら、週に二回、火曜と木曜に一時間ずつなら何とか座っていられるんじゃないか、と日程を決めて夏期講習生として通ってくることになった。
 初めて来たときは、本当にちゃんと勉強するんだろうか、と少し心配していたが、そんな心配は全くの無用だった。私の話をしっかり聞いているし、言われたことは一生懸命こなす。家から持ってきた「ひらがなのおけいこ」と「すうじのおけいこ」のドリルを黙々と進めて行くゼン君を見て、小さい子供はすごく好奇心にあふれた存在だな、と改めて思った。ひらがな一つ一つを丁寧に書き、数字を順にたどって絵を完成させるたびに、「できた!」と自信満々に私に呼びかける姿は、学ぶ喜びにあふれていた。


 ゼン君のようにうれしそうに勉強してくれる子供たちはなかなかいない。小学生もだんだん高学年になっていくと、だるそうに勉強している生徒もいて、教えていてもつまらなくなるときがある。私立中学受験を目指す小学生ともなると、押し寄せる様々なプレッシャーと必死で戦っている生徒もいたりして、まさに戦場のようでもある。生徒たちの心を何とか和ませようとするのだが、なかなか私の思い通りにならない生徒もいて、この夏休みも結構苦労した。そんな中、ゼン君が週に2回姿を見せてくれと私の頬が思わず緩んだ。ゼン君はまだまだひらがなを完全にマスターしているわけではなく、「く」が反対向きになったり、「い」と「り」の区別がつかない字を書いたり、と時々は間違いをしてしまうが、そんな時でもいやな顔をせずに何度も書き直してくれる、なんて素直でいい子なんだろう!!
 勉強は本来楽しいもののはずだ、と私は思っている。新しいことを知り、今までできなかったことができるようになる喜びは何物にも代え難い。それが苦しいものになってしまうのは、勉強する喜びを味わったことのない者たちが勉強を教えているからではないだろうか、などと偉そうに思ったりするが、それよりも勉強ができるできないという結果ばかりを追い求める風潮が根本の原因ではないだろうかと思う。勉強する過程、知識を増やす過程をもっと重視するようなシステムができたら、もう少し勉強を好きになる子供たちが増えるのではないだろうか、などと考えたりする。
 しかし、何よりも結果を出すことを要求される塾で毎日悪戦苦闘している私がこんな甘っちょろい考えを、いつも考えているわけではない。ただ、ゼン君の真摯に勉強に取り組む姿を見ていて、普段忘れていたものを思い出したに過ぎない。生き馬の目を抜く受験界で生きている息苦しさは相当なものだから、たまにはこうした心持になるのも必要かもしれない。
 
 短い間でもそうした思いを抱けたのはゼン君のおかげだ、感謝せねば。
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マウンテン

 息子が妻と名古屋にあるちょっと変わった店に行ってきた。その名は「喫茶マウンテン」。その珍妙なメニューの数々はTVで何度も紹介され、名古屋地区では有名点の一つだ。私は行ったことはないが、その存在だけは知っていた。息子は知らなかったようで、東京で行ったあるアーティストのコンサートのパンフレットにこの「喫茶マウンテン」が紹介されていたのを読んで、ぜひ行ってみたいと思ったのだそうだ。珍しいものが好きな妻が同伴することになって、水曜日二人で出かけた。この機会を逃すのも惜しいと思った私は、カメラを渡して写真を撮ってきて欲しいと頼んだ。「やっぱりな」と二人で私を見透かしたようなことを言ったので、少し悔しかったが、それでも絶好のブログ記事を物にするため、「気をつけて」などとおべんちゃらを言って送り出した。
 帰ってきた二人から早速カメラを受け取って、撮ってきてくれた写真を見てみた。

 

 この外観には見覚えがある。ちょうど昼食時だったせいもあるのか、多くの客で賑わっていてしばらく待ったと言っていた。タクシーで乗りつける人もいるらしく、TVの影響はやはりすごい。と言っても、この店の食事が美味しいわけではない。ただただインパクトあふれるメニューの数々を怖いもの見たさにやってくる人たちが後を絶たないようだ。(その恐るべきメニューの一部はこちらのメニューリポートで)
 息子が頼んだのは「甘口抹茶小倉スパ」。


 抹茶色したスパゲティーの麺の上にたっぷりと生クリーム、小倉アンが掛けられているのが分かる。しかも、大きな皿に盛られていて、たっぷり大盛りサイズらしい。よくもこんなものを頼んだものだと思うが、「で、味はどうだった?」とたずねたところ、「2、3口目までは食べられたけど、もうそれからは甘いばかりで気持ち悪くなった・・」そりゃそうだろう、いくらアンコ好きの私でも、スパゲティーと一緒にあんこを食べたいとは思わない、しかも甘い生クリームを添えてはとても無理だ。だが、息子はしっかり完食してきたらしい。といっても、妻が頼んだ「ピカンテピラフ激辛」と交互に食べたから何とか最後まで食べられたらしいから、その甘さは想像を超えている気がする。ピラフの写真はなかったが、二人で二皿平らげた写真は撮ってあったので、記念に小さく載せておく。


 店中の客が皆頼んだ食事を大量に残していて、全部食べ終わった人などいなかったそうだから、食べ終わって汚れた皿の写真でも価値がるように思える。とても食べられたものではないのは容易に想像できるが、それでも近くの席の女の子たちが一口か二口食べただけで残して行ったのには、「初めから分かって来てるんだから、もう少し食べたらいいのに」と妻が文句を言っていた。まあ、見方を変えれば、それは「マウンテン」の料理が人智を超えた味である証拠なのかもしれないが・・。
 世にはB級グルメというジャンルがあるようだが、何も好き好んで変わったものをお金を払ってまで食べなくても・・、などと私は思ったりする。もちろんこの「マウンテン」にも行きたいとは全く思わない。などと言ったら、ファンに怒られてしまうかな・・。
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ライブ復活!!

 月曜日の朝、私が家を出ようとしていると、妻が「平日ばっかり!」と意味不明の叫び声を上げた。「何が?」とたずねると、「SMAPのコンサート、やっぱりやるんだって。メールでお知らせが来た」と嬉しそうに話した。そういえば、先週末には「ひょっとしたらコンサートがあるかも・・」と事情通だけにどこからか仕入れた情報を教えてくれたが、まさか本当だとは思いもしなかった。妻が言うには、スケジュールはだいぶ前から決まっていたが、オリンピックの閉幕を待って発表したのだそうだ。いくらSMAPでもオリンピックには勝てないのだろう、まあ賢明な判断だと言えるだろう・・。
 その後すぐに妻は娘と連絡を取って、いつどこの会場に行くかを相談したらしいが、問題なのは大阪公演が今のところ予定されていないことだ。現段階では、
 【東京ドーム】
    9月24日(水)25日(木)26日(金)28日(日)29日(月)30日(火)
 【福岡ヤフードーム】
    11月19日(水)20日(木)21日(金)
 【名古屋ドーム】
    11月26日(水)27日(木)
 【札幌ドーム】
    12月2日(火)3日(水)
 【京セラドーム】
    調整中
という日程のようだが、大阪がないため名古屋にファンが殺到してチケットが取れないかもしれない恐れがあり、それをすごく心配している。大阪の京セラドームが追加されればまた情勢は違ってくるのだろうが、今のところは妻が心配するのももっともなことだろう。うまくいけばいいが・・。
 ファンクラブに加入している人にチケットは優先販売されるそうだが、今回は1ヶ月しか時間がないため、今までのように郵便で申し込むのではなく、電話で申し込むシステムになったという。妻が早速電話したところ、意外にあっさりとつながって、希望する会場を申し込んだそうだ。以前は家族だけでなく、親戚や友人に頼んでファンクラブに加入してもらっていたが、退会した人もいるようで前ほど多くのチケットを確保できなくなってしまったようだ。それも妻の不安の一因でもあるが、一応東京と名古屋を何日か申し込んだと言っていた。それでも首尾よく入手できる自信がないらしく2年ぶりのコンサートだと言うのに、イマイチ浮かない顔をしている。
 「なら、札幌に行きゃいいだろう」と私が言うと、「まだそこまではね・・」とはっきりしない返事をした。「会員の口数が少ないから、そんなに申し込めないし・・」とも言ったが、ちょっといやな気がしなくもない。もし名古屋のチケットを手に入れることができなかったら、昔やったように暴走するのだろうか・・。
 だが、SMAPのメンバーの高齢化(!)が進み、ひょっとしたらこれが最後のライブなのでは、などと私は思ったりする。それならば、長年SMAPヲタを自認し、ひたすら彼らを追い続けてきた妻であるから、有終の美を飾ることになるかもしれない今年のコンサートは一回でも多く見ておくべきではないだろうか。私がそんな戯言を言うと、「そうかもしれないなあ・・」と妻も寂しそうな顔をしたから、ファンの間でもそんな雰囲気があるのかもしれない。

 まあ、そんなことはともかく「今まで見たことのないSMAP!」をコンセプトに、演出テーマが「魅せます」だという今年のコンサートは、曲やパフォーマンスをじっくりと堪能させる、SMAPの良さを最大まで引き出したステージを目指すと言うのだから、できるだけ多く会場に足を運んだほうが、後で悔やむよりずっといい。
 また妻がすっきりした顔をしてくれていた方が、私も明るい毎日を過ごせるわけだし・・。
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ジャズ?

 土曜日に息子が帰ってきた。5月の連休以来だから、3ヵ月半ぶりに顔を見たことになる。その間私は千篇一律な毎日を送ってきたが、やはり血気盛んな若者は流れる時間の密度が違うようで、何と息子はジャズに興味を持ち始め、ジャズ研究会に所属したと言う。東京でジャズバーやジャズ喫茶に何度か行ったのがきっかけだそうだが、全くジャズというジャンルに親しんでこなかった私には、まさに晴天の霹靂ともいうべきできごとで、どこからそんな遺伝子が迷い込んだものかと驚かずにはいられない。しかも、自分でもサックスを演奏できるようになりたいと、週に一回レッスンを受け始めたところ、ちょっとした経緯で知り合いになった人からサックスを借りることができるようになり、さらにはそのサックスを安く譲ってもらえたなどと、牛歩のごとく展開の遅い我が暮らしを思えば、目まぐるしく動く都会の気ぜわしさそのものの展開を漏れ聞くたびに、私は目を白黒させるばかりだった。
 とは言え、こちらの時間軸で生まれてからずっと暮らしてきた息子にとって、一旦戻って来ればペースを修正するのはさほど難しいはずもなく、日曜になったら以前のようにノンベンダラリとした時間のすごし方をするようになっていた。帰省する前日まで企業のインターンシップに参加していたとかで、将来のことも気になるようだが、家に戻ってくればまだまだ私の息子でいればいい。
 そこで、息子の大好きなマス釣りに出かけて久しぶりに親子で楽しむことにした。ちょうど息子の幼馴染も東京から帰省しているらしく、電話で呼び出したところ、すぐにやって来た。昔よく行ったメンバーが全員揃ったわけで、息子が運転する途中も会話が弾んで楽しかった。

 

 どういうわけだか、水が濁っていて魚影を認めにくくて苦労したが、マス釣りに関してはプロ並の腕前を持つ息子だけに、少し慣れたらどんどん釣り始め、塩焼き、フライ、刺し身にして食べるのに十分なだけ釣ってくれた。運転しなくてもいい私は、安心して缶ビールをぐいぐい飲んでいたら、すぐに酔っ払ってしまった。

 いい気持ちで家に戻った私は、息子をそそのかして東京から持ち帰ったアルトサックスを吹かせてみた。

 

 まだまだやっと音が出るくらいの段階だが、それでも聞き覚えのある曲を演奏してくれた。題名を教えてくれたが、酔っ払った頭では記憶できるはずもない。まあ、大きな音で回りに迷惑を掛けたりしなければ、趣味の程度でずっと楽しんでいけれればいいなと思った。まかり間違っても趣味が高じて・・、などということだけは避けて欲しいものだ。
 一通り、ブカブカやった後で、マス釣りに行く前に寄った本屋で偶然見つけた、ディアゴスティーニの 「Cool Jazz Collection」から、「ビ・バップに挑んだアルトサックスの天才」と呼ばれる(と書いてある)Charlie Parker のCDを聞かせてくれた。「すごいでしょう」などと私に尋ねられてもよく分からない。もう一人、「”ファンキー”で豊麗なアルトサックス」 Cannonball Adderley という人物の号も買ってきたが、この人の名が息子のサックスに彫りこんであるらしい。何にせよ、名プレーヤーの演奏を聞くことは役に立つことだろうな・・。
 などと全くの素人が書いたところで何が何やら分からないが、おいおいゴジ健さんに教えを請いながら、少しは息子の話し相手になれたらいいかな、と思っている。
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北京オリンピック閉幕

 北京オリンピックが閉幕した。まずは大きな支障もなく、全日程を終えられたことを喜ぼう。その間私は様々な競技に熱狂し、感動し、涙した。この日のために弛まぬ努力を続け、その成果を十二分に発揮できた選手、不完全燃焼に終わってしまった選手、まさに十人十色のオリンピックであっただろうが、私は一人のスポーツファンとして、出場した選手一人一人に「ご苦労様」とねぎらいの声を掛けたいと思う。
 

 オリンピックの精神は幻想であるという人もいる。確かに、
「オリンピックムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある」
などということを現在まともに信じている人はあまりいないであろう。現実に北京オリンピック開催を狙ったかのように、ロシアとグルジアが紛争を始め、今なお情勢は混沌としている。さらには、二国間の争いだけでなくアメリカやEU諸国も巻き込んだ国際的な紛争に発展しつつあり、今後の動向次第では冷戦の悪夢が再現されるかもしれない。しかも、この紛争には経済的要因も複雑に絡み合っていて、この混沌を快刀乱麻のように解決する策などないように思われる。新聞やTVの解説を読んでも私ではよく分からないから、一日も早く平和が訪れることを祈るしかできない。
 こうした情勢を鑑みれば、北京オリンピックで発揚されたスポーツマンシップ、国境を越えた友愛の精神など、厳しい現実の前では何の力も持たないように見えてしまう。オリンピックを終えた中国自身が今後の民族運動にどう対処していくかも世界中が注目するところであり、一歩間違えれば国際的に非難の嵐にさらされることにもなりかねない。オリンピック後の世界は問題山積の状況であり、舵取りを誤れば多くの国を巻き込んだ混乱に発展する可能性は十分にある、などとも言われている。くわばらくわばら・・・。
 しかし、しかしである。そんなに悲観する必要もない、人間は互いを理解しあえないはずはない、とオリンピックの中継を見るたびに思ったのも事実である。どれだけ厳しい戦いをしてきた選手同士でも、いったん結果が出て表彰台に上ってしまえば、互いの健闘を心から称え合う、そんなシーンを何度となく見てきた私には、オリンピック精神は決して幻想ではないと思える。角つき合わせて戦ってきた者たちが、結果は結果として素直に受け入れ、戦いが終わってしまえば抱き合うこともできる、それを幻想と言ってしまっては余りにも悲しいし、選手一人一人に対する侮辱であるとさえ思う。
 「オリンピック・ムーブメントの活動は、結び合う5つの輪に象徴される通り、普遍的かつ恒久的であり、5大陸にまたがるものである」
という文言を決して理想論に終わらせてはならないと思う。スポーツと政治は次元が違う、と言われるかもしれないが、どちらも人間がやること、大差があるはずもない。ただ、勝利という目的に向かってただひたすら精進すればいいスポーツと、複雑な利権や思惑が絡み合った政治とでは、同じ土俵で語るには無理があるのは承知しているが、それでも昨今の世界の政治状況はスポーツの世界と大差がないように思えてしまう。勝つか負けるか、そうした面ばかりクローズアップされるのは日本だけでなく世界的傾向のようだが、そうした情勢に楔を入れるだけの力を持たない政治的貧困さが現代世界の一番の問題なのかもしれない。だが、それこそが現状なのだから、どうにかしてそれを打破しようとしなければならない。
 
 次のオリンピックは2012年のロンドン大会。それまでに世界が少しでも安定して、無事オリンピックが開催できるよう、祈る。
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ドアラのパン

 中日ドラゴンズのマスコット、ドアラは写真集やDVDを出したりして名古屋地区ではかなりの人気キャラクターである。私はそれほど詳しくはないが、聞くところによると、今までのマスコットたちと比べて奔放な態度(調子の乗りすぎ・・という評判もあるほど)で人気を博している。地元中日スポーツには「ドアラの気持ち」なるコーナーも連載されていて、ドラゴンズには欠かすことのできないマスコットになっているようだ。(ドアラも、オリンピック韓国戦で岩瀬がイ・スンヨプに2ランHRを打たれたのをさぞや悲しい思いで見ていたことだろう・・)


 一度人気が出ると、そのブームに乗っかっていろんな商売に結び付けようとする輩はいつの世にもいるもので、このドアラ人気もご多分に漏れず、様々な形でビジネス展開されている。その一つがサークルKで売られている「ドアラのパン」。一目見て、「商魂たくましいものだ」と無視しようと思ったのだが、視界の端に「小倉&マーガリン」という文字が入ってしまったのが運の尽き・・、どう抗ってみてもアンコ好きのブロガー魂に抑えはきかず、当然のごとく買ってしまった。
 「小倉マーガリン」というサンドロールは実に美味しい。最初に食べたのはずいぶん昔のことだが、アンコとマーガリンがこれほどマッチするものかと、感動したことを覚えている。それ以来、私の朝食の重要なアイテムとなっているが、このドアラパンもそれに匹敵するくらい美味しいのだろうか。期待を込めて封を開けてみた。

 

 パンを取り出した瞬間がっかりした。「何だ、このまばらなアンコは!!」もっとアンコが盛り上がったように塗られているとばかり思っていた私は裏切られたようにさえ感じた。一気に食べる気も失せてしまったが、買った以上は食べなくてはもったいない。仕方なく口に入れてみたが、やっぱり物足りなかった・・。アンコがもっともっと入ってなくっちゃ!!
 あまりの情けなさに腹が立って仕方なかった私は、これこそ「小倉サンド」というものを自分で作って食べてみたくなった。実はこの「ドアラのパン」には「シュガーマーガリン」という姉妹品がある。

 

 早速買ってきて、買い置きしてあった井村屋の「小倉あん」を使って「これぞ小倉サンド」というお手本を作ってみた。


 大きな口をあけてざっくりと食べてみた・・・。やっぱりこれくらいアンコがのっていなくてはだめだ。砂糖の甘さ(GG佐藤の守備の甘さじゃない・・)が、少し邪魔な気がしたが、本当においしかった。
 
 そう言えば、竜虎の母さんは関東の「コメダ珈琲店」で「小倉トースト」に舌鼓を打たれたそうだが、アンコはこれくらいたっぷりのせて食べられたのだろうか?老婆心ながら気になるところだ・・。
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眼鏡はどこ?

 遠近両用の眼鏡がどこかに行ってしまってもう2週間近くになる。毎週日曜は早くから酔っ払って、家のどこかで眠り込んでしまうのが慣例となっているので、夜になったら眼鏡など掛けていない。酔眼ではどうせ何も見えないので外してどこかに打っ棄ってしまうのがそもそもの間違いだ。その夜は何も苦にならないが、翌朝になると、はてどこにおいたんだろう?と必死になって探さねばならなくなる。なにせ車の運転に眼鏡がなくては心配なので家中探し回る。すると、今までならすったもんだした挙句でも、何とか見つけて車の運転に支障をきたしたことはなかった。だが、今回はどうしても見つからなかった・・。
 どこに置いたものやら全く記憶にない。ベッド、風呂場、居間、台所・・、一応目ぼしい所は探し尽くしたが、どこにも見つからなかった。夏休み中だけにゆっくり探す時間などない。しかし、いつもより長くバスを運転しなければならないだけに眼鏡はどうしてもいる。困った・・。としばらく思案した結果、苦肉の策を思いついた。「度の入ったサングラスを掛けて運転しよう!」
 だが、実際にサングラスを掛けて塾バスを運転してみると、なんとなく気が引ける。私が旧世代の人間なのかもしれないが、どうにも塾バスにサングラスを掛けた運転手は不似合いな気がする。子供たちを迎えに行っても、皆一様にドキッとした顔をするので、「眼鏡がなくなったから臨時に掛けてる・・」と説明しなければならないし、父兄が一緒に待っている場合には、サングラスを外してから停車して「こんにちは」と挨拶しなければならなかった・・、何かと面倒だ。それに夜になったら、サングラスを掛けたまま運転したら前が見えない!!と、次の策を考えねばならなくなった。で、しばらく考えた後、以前掛けていた近視用の眼鏡を奥から引っ張り出してきて、掛けてみるしかないと思い当たった。
 その眼鏡は、老眼が進んで小さな文字が見えにくくなって仕方なく遠近両用眼鏡に変えて以来、ずっと仕舞い込んであったものだが、久しぶりに掛けてみると、いつもの眼鏡より周りがはっきりと見える。最近、遠近両用眼鏡がなんだか目に合わなくなってきて、「見にくいなあ」とよく愚痴ったのを思い出した。車の運転にはこの近視用の眼鏡のほうがよく見えて安全だ。しかし・・・、
 塾の授業でこの眼鏡を掛けたままでは仕事にならない。全く小さな字が見えないから、眼鏡の用を成さない。どうも老眼が一段と進んだようだ。仕方なく眼鏡を外して裸眼で授業をすることになる。昔は眼鏡を外すと何故か気恥ずかしい気がしたものだが、もうこの年になってしまうとそんな気持ちも起こってこない。とにかく文字が見えなくちゃどうにもならない。でも・・、
 眼鏡を外して、それをどこに置いておくかが問題だ。ポケットに入れることもあったが、知らぬうちに押し潰してしまいそうでイヤだし、ポケットに入れたのを忘れて眼鏡は?と探したりしたこともあったから、それも見苦しい。かと言って教室の片隅に置いて授業をしたら、掛けるのを忘れてバスに乗り込んでしまいそうでそれも厄介だ。どうしたらいいんだろう・・、と困っていたら、突然閃いた。そうだ、眼鏡チェーンを付けよう!!確か、妻が1つ持っていたはずだ、最近は使っていないみたいだから、貸してくれないだろうか、とすぐに頼んでみたら、珍しく簡単にOKが出た(どうも半分壊れかけているみたいだが・・)。
 

 いいおっさんがちゃらちゃらさせているのは少しばかり嫌味な気がするが、背に腹は変えられない。眼鏡を外すと鎖が首にかかって眼鏡が胸の辺りでブラブラしている。少しうるさく感じるときもあるが、こうやっていつでも側にあるほうが安心できる。失くすこともないし・・。
 しばらくはこうした格好でやっていこうと思っているが、それにしてもどこに行っちゃったんだろう、あの眼鏡は・・。出て来い!!
 
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あっぱれ!!

 ソフトボール日本代表チームがアメリカを破り、金メダルを獲得した。予選ではコールド負けをし、準決勝では延長の末敗れたアメリカとの3度目の戦いに勝利して手に入れた金メダルの喜びは格別であろう。心から「おめでとう!!」と言おう。
 
 

 それにしても日本のエース、上野由岐子というピッチャーはなんてすごいのだろう。前日にアメリカ・オーストラリアを相手に延長の試合を戦い、合計318球投げたばかりなのに、強豪アメリカ打線をホームランの1点だけに抑えてしまうのだから、全く驚いてしまう。 私は彼女がものすごく速い球を投げるピッチャーだとは知っていたが、これだけタフな女性だとは全く知らなかった。生年月日は 1982年7月22日で、出身地は福岡、身長174cm、体重72kg ・・・、とプロフィール紹介にはあったが、やはり彼女のすごさを知るにはそのスピードボールをたとえ映像を通してでも実感することが一番だろう。いつだったか、彼女の投げるボールを元プロ野球選手が打つという番組を見たことがある。バッターが誰だったか覚えていないが、全くバットに当たらずヒーヒー言っていたのは覚えている。その時は華奢な感じさえ受けた彼女が、こんなにもスタミナあふれた選手であったとは本当に驚きだ。
 もちろん好守で彼女を盛り立て、貴重な得点を叩き出した他の選手の功績も大きいというのは決して忘れてはいけないが、余りに彼女のピッチングが鬼気迫るものであったがために、どうしても彼女がクローズアップされてしまうのは仕方のないことであろう。もし彼女の右腕がなかったら、またそのタフさがなかったならば、到底金メダルなどに手が届かなかっただろうから、彼女を褒め称えるのも当然であろう。


 私はこの試合、日本の勝つ可能性は極め少ないだろうと、思っていた。上野の疲労や日本のバッターがアメリカのピッチャーを打てないことなど、不安材料はたくさんあったはずだ。だが、そんなもの全くものともせずに勝ってしまったのだから驚いてしまう。「宇津木ジャパン」と呼ばれ、監督が注目を浴びる度合いの多かった前回オリンピックまでの代表チームと違い、今回のチームはそうした呼び方をされていない。私は代表監督がなんという人なのかさえも知らないが、監督が前面に出ず、選手一人一人に注目が集まる方がチームとしてのまとまりがよく、底力を発揮できるのかもしれない、などとこの快挙を祝いながら思った。
 ならば、「星野ジャパン」はどうだろう。闘将星野監督ばかりが目立ってしまい、選手が小粒な印象をどうしても拭い去れない今回の日本代表チームは、果たして準決勝の韓国戦に勝ち、さらには決勝で勝って金メダルを手にすることができるだろうか。私が思うに、ソフトボールチームの一丸となった攻守を手本として、選手個々が己の力を信じて戦うならば、頂点に立つことは何も難しいことではないだろう。
 
 まあ、そんなことはともかく、今しばらくはソフトボールの金メダル獲得の喜びに酔いしれていたい・・。

(女子サッカーも全力を尽くした上での4位!!よくやった。ソフトの陰に隠れてしまいそうなのは残念だけど、私は決して忘れないぞ!)
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