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「ゲド戦記」

 金曜日の夜、塾が終わって帰宅すると、妻と息子が台所の横の小さなTVを見ていた。何を見ているのかたずねたら、『ハウルの動く城』だと言う。わざわざそんなものTVで見なくてもDVDがあるだろうと私が言っても、妻と息子は自分たちの会話で忙しい。
「ジブリの映画ってTVでやるときは必ずノーカットじゃん、ずるいよね」
「そうだけど、私が許せないのはハウルの声を木村さんがやってるから、ハウルがやってる間はSMAPの他のメンバーが同時にTVに出られないの。だから、金スマに仲居くんが今日は出てないんだよ。頭きちゃうよね」と妻がぷりぷりしている。さすが、ジャーニーズ事務所、その辺はしっかりしている、などと私が感心していると、
「だけど、仕方ないかもね。来週から『ゲド戦記』が公開されるから、今日しかTVで『ハウル』やる日がないものね・・」と妻がさらに解説を加えた。そうか、『ゲド戦記』がもう上映されるのか。
 
 私の部屋の本棚にはずっと以前から『ゲド戦記』が並べられている。3巻しか出ていなかった頃に買ったものだからずいぶん古い。手にとってみたが、ボロボロだ。


開いてみると、1990年発行の第21刷とある。今から15年ほど前に買った本だ。どうしてこの本を読もうとしたのかはっきり覚えていない。しかも内容もまったくといっていいほど覚えていない。それじゃあ、いくら何でもと思いながら、ちょっと読み返してみようかと思っているうちに、第一巻の「訳者あとがき」に目がとまった。そこに『ゲド戦記』1~3巻の大雑把な内容が記されていたので、復習を兼ねて以下に写してみる。

 この作品の舞台となっているアースシーという多島海世界は、もちろん実在の世界ではなく、作者ル=グウィンの創造になるものです。ル=グウィンはここに血気にはやる高慢な若者ゲドを登場させました。ゲドは魔法の修行中、傲(おご)りと妬(ねた)みの心から死の影を呼び出し、その影に追われてさまよいますが、師と仰ぐ魔法使いの言葉に従って、ある時を境に逆にその影を追うようになります。追いつめていった世界の果てで何が起こったか。ゲドがついに手にしたのは勝利でも敗北でもありませんでした。彼は己の名をになう影を自らに吸収して一体となります。ゲドはそうなって初めて全き人間になったのでした。

さらに、2巻・3巻へと話が進むのだが、私はこれ以上記せない。というのは、1巻は読んだ覚えがあり、話の内容もおぼろげながら思い出せたのだが、当時はどうしてもそれ以上読み進めることができずに、2巻の途中で放棄してしまったのだ。それは物語がつまらなかったからではなく、日本語訳がごつごつしていてとても我慢ができなくなってしまったからだ。清水真砂子という人の翻訳だが、あとがきを読む限りはすばらしい訳者のように思えるのだが、どうしてなんだろう。
 先日本屋へ行ったら、『ゲド戦記』がコンパクトサイズの本となってセットで売られていた。知らないうちに全6巻にまで話が進んでいたようだ。7000円ほどだったから、買ってみようかなと一瞬思ったのだが、そういえば読みにくかったよな・・と思いとどまってしまった。今調べてみたら、訳者は同じ人だ。どうだろう、改訂はされているだろうか。
 それにしても、ジブリも『ゲド戦記』を題材にするとは度胸がいい。きっと劇場に足を運ぶ時間はないだろうからDVD化を待つしかないだろうけど、『ハウルの動く城』でのがっかりをまた味あわせてくれたら、怒るよ。
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