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ノンポリ

 私が入学した30年ほど前の京大には、まだまだ学生運動の残り火が学内にくすぶっていて、赤いヘルメットを被った集団が堂々と闊歩していた。入学するに当たって、親や親戚の者たちから、「ヘルメットだけは被るなよ」と固く釘をさされていた私は、時計台の前でスピーカーを使ったアジテイションを繰り返す一団を、横目で見ながら無関心を装っていた。『二十歳の原点』『されどわれらが日々』など、当時の若者が一度は感化される書物もしっかり読んでいたが、いざヘルメットを被った人々を目にすると、私との時代感覚のずれが感じられ、何を今頃と思わずにいられなかった。
 学内のそんな様子も冷静に見始められるようになったある日、授業の開始を待って雑談していた私達の教室へ赤ヘルの集団が入ってきて、何か叫びながらビラを配り始めた。私の前に体格のいいひげ面で熊のような男がやって来て、私にビラを差し出した。『いらない。』と返す私を遮って、『受け取れ』と押し返してきたのに一瞬ムッとなった私は『受け取らないのも自由だろ。』と、怖いもの知らずの勢いで応戦した。すると、その熊男がいきなり私の胸ぐらをつかんで、『お前は******』と意味不明の言葉を大声でがなりたて始めた。その迫力に気おされて、生来小心者の私は、何も言えずに立ち尽くすだけだったが、様子に気付いた熊男の仲間が飛んできて、彼を押さえて私から引き離してくれた。私はといえば、カッコ悪いやらびっくりするやらで、ただ目を白黒させていただけだった。それ以来、こんなファナティックな人物がいる集団には絶対に近づくまいと心に誓って、いたって軟派な学生になってしまったが、大学生活で初めて受けた洗礼として、今でも鮮明に記憶に残っている。
 何故こんなことを持ち出したかといえば、8月30日に衆議院議員選挙が公示されたからである。私は今まで一度も特定の政党を支持したことのない、ただのノンポリオヤジだが、私がこうなった原点として、上に述べた体験がトラウマのようになって、政治に関心を持てなくなったと言ったら、ムシのいい言い分けになってしまうだろうか。今回の選挙が、郵政民営化の是非を問う国民投票的な選挙であることくらいは、いかな私でも知っているし、地元の選挙区で誰と誰が立候補したかくらいはちゃんと把握している。勿論、投票にはいくつもりだし、今までだって棄権したことはほとんどない、権利を主張するためには義務を果たさなければならないことは分かっているから。
 でも、でもなんだよなあ。投票したい、応援したいと思える候補者がいない。選挙公約を見れば立派なことを言っているし、それなりの努力もしてくれているのだろう。でも、魅力ある候補者がいない。ならば、今の私にとって魅力ある候補者とはどんな人なんだろう・・・
 それは、この夏休みに朝から深夜まで必死になって働いて納めさせていただく、文字通りの私の血税を、大事に無駄なく、有効に使うことを約束してくれる人物に決まっている。『ほんとうに、税金がきつくて・・・』などと愚痴を言っても始まらない。ただ、少しでも私達のためになる政治をしてくれる人が、一人でも多く当選することを願うのみである。
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小さい秋

 10日前に『赤とんぼ』と題して、秋が近いことを書いたが、ちょっとフライング気味かなと思っていた。しかし、昨日あたりから、日中はまだまだ残暑が厳しいものの、日が落ちるとずいぶん涼しくなってきた。4・5日前までは、夜でも教室のクーラーは設定温度を最低にしていたが、ここ数日は設定を少し上げないと寒く感じられるほどだ。昨日の日曜の夜など、塾舎の事務室で、クーラーをつけたまま酔っ払って眠り込んでいたら、寒くて寒くて目が覚めた。おかげで今日は、喉の調子がずっと変だったが、これも自業自得と笑うしかない。夏はどこで倒れこんでも大丈夫だったが、もうそろそろ用心しないとすぐに風邪を引いてしまう、自戒しよう。
 秋が確実に近づいてきているのは、近頃やたら蝉の死骸が道端に転がっていることでも分かる。何か茶色いものが地面に落ちているのに気付いて、じっと見ると、油蝉の死骸が文字通り、モノのように転がっている。生き物が死んでしまえばゴミになると、頭では理解していても、いざ現実にゴミになってしまった蝉を見ると物悲しくなってしまう。それは何も、蝉に限ったものではない。人間だって、同様に、死んでしまえばゴミになるだけだ。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に、人々から敬愛されていたゾシマ長老が亡くなった後しばらくして、死臭が漂い始め、信徒達がひどく動揺する場面が描かれている。どんなに徳を積んだ聖人であろうと、己が死んだ後の肉体にまで責任は持てない。いつまでも醜態をさらさず、さっさと荼毘に付されたほうがいいに決まっている。
 なんだか暗い気分になってしまったが、『徒然草』の次の一節は、季節の移ろいを的確に表現した名文だと思う。
    春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏より既に秋はかよひ、秋は則ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。
                           (第155段)
つまり、季節というものは、夏から秋へとある1日を境にしてすぱっと変わるものなどではなく、夏の中に秋が徐々に育まれ、いつしか秋の気が夏を凌駕して、季節は秋となる。と同時に、秋の中に冬が既に身ごもられ、ゆっくりと大きくなっていき・・といった循環を繰り返しているというのだ。科学的ともいえる目を鎌倉時代の人々が持っていたのには驚く。
 確かに、小さい秋をいくつか見つけながら、私達は秋を受け入れる準備をしているのかもしれない。家の外を探せば、日一日ごとに見つかる小さい秋は増えていくことだろう。私はもういくつか見つけたけれど。  
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大漁だあ!

 夏休み最後の日曜日ということで、妻の妹家族を誘って魚釣りに出かけた。魚釣りといっても、アウトドア派では決してない私が行くところといえば、養殖された鱒が池の中で泳いでいるのを釣る、釣堀のような所だが、釣った鱒をその場で調理して食べられるという、なかなか野趣あふれる場所であり、昔から年に何回か訪れている。家から車で20分ほど山間部に行ったところにあり、私の父親の生家に近いこともあって、ほぼ常連のような感覚で楽しんでいる。山中にあるにもかかわらず、時々TVで紹介されたりガイドブックに載ったりしているせいか、行く度に賑わっているのは嬉しいことである。というのも、そこで働いている人々、と言っても老人ばかりだが、ほぼ全員が私の父親の幼馴染であるため、身内のような気がしてしまうからであろう。
 今日は、到着した時間が11時30分とまだ早かったせいもあり、それほど混んでいなかったが、釣っているうちに次々と車がやって来たので、混む前に釣りきってしまおうと、小2の甥っ子を急き立てた。私の息子は、幼い頃からこの釣り場に通い詰めているせいか、鱒を釣ることにはセミプロ級の腕前を持っているのだが、今日は夏休み明けの試験が近いから家で勉強すると、立派なことを言って欠席した。家にいたって勉強しないだろうと喉まででかかった言葉を飲み込んで、家に残してきたけれど、最近になってやっと自覚が生まれてきたのかと嬉しい気持ちになったのは、やはり親バカなのだろう。
 いつもは息子がガンガン釣って、あっという間に食べられる数を釣り上げてしまうのだが、今日は息子がいないため、招待した妹家族にゆっくり楽しんでもらおうと私達夫婦は見学に回っていた。ところが、都会暮らしの彼らに任せていたのではなかなか釣果があがらないのに業を煮やして、私と妻が参戦した。ここの魚を釣るのには天然の釣りと違って、少々コツがいる。練り餌を針に付け、池の中に投げ入れるとすぐに鱒が群がり寄って来る。水は至ってきれいなので、魚がエサに食らい付く瞬間もはっきり見えるが、口に入れた瞬間よりももう一呼吸おいて、飲み込んだと思った瞬間に、思い切り竿を引き上げると十中八九釣ることができる。そのタイミングの妙を幼い頃から体得している私や息子は、たやすく釣り上げられるのだが、経験が少なく、タイミングが分からない人たちは、結構苦労するようだ。
 結局12匹釣って、それらを調理してもらった。6匹を塩焼きにして6匹をフライに揚げてもらったのだが、どちらもすこぶるおいしい。塩焼きは、腸を取った鱒を一匹ごと木串に刺し、塩をぶっ掛けて薪で起こした火で焼くだけなのだが、simple is best 、喩えようもないくらいおいしい。フライも一口大に切って油で揚げた一切れ一切れが、香ばしくてとてもうまい。釣ったばかりの魚をその場で食べるというのは、人の手など加えずともうまい物はうまいということを証明してくれるのだが、同時に、命を頂くという生物としての人間存在の業というものを実感させてくれる。甥っ子が、塩焼きを塩っ辛すぎると言って残そうとしたのを見て、『自分が釣った魚を全部食べてあげなきゃ、魚に申し訳ないでしょ!』と妻が怒鳴ったのは、さすが24時間TVでメイン司会をしているシンツヨのファンだけあって、命の尊さを伝えようとしているんだなと感心した。
 今日が、甥っ子にとって、ただの行楽の一日ではなく、人間が他の命を食らいながら生きていく存在であることを体感した一日として、記憶に残ってくれたら、夏休み最後の日曜日としては有意義だったと思うし、是非そうであってもらいたい。

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結果発表

 8月24日に出題いたしましたクイズに、多数(?)の皆様のご応募を頂き、恐悦至極でございました。
 途中、様々な障害を乗り越えて、めでたく正解をお答えくださいました方々は、以下の方々です。

 1.ゴジ健さん
 2.☆さん
 3.師匠さん
 4.竜虎の母さん
 5.葵さん
 6.ともやさん  (解答順)

 皆様の健闘を祝すとともに、ご参加くださいました御礼に粗品を贈呈いたします。(ご辞退された方々の御意思は尊重させていただきます)
 時節柄、9月になってしまう可能性が高いので、お許しください。
 心のこもったお品を選びましたので、楽しみにお待ちください。

 なお正解は、
  ①エビフライ (ABFRY)
  ②保母さん  (ほぼ3)
  ③スピード  (急カーブではスピードを落とす)

 本当にありがとうございました。
 私は十分、十分すぎるほど楽しませていただきました。


(しつこいようですが、おまけの2問)
 ①大変!、子供が池に落ちました。男の子でしょうか女の子でしょうか。
 
 ②ある、ないクイズ
       (ある)     (ない)
        愛        恋
      ボクシング    レスリング
       岩手県      青森県
     カフェ・オレ    ミルクティー
  
  さあ、あるに共通するのは何でしょう。
  
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カモ

 このブログを書き始めるようになって、ネタになるものを毎日あれこれ探すようになった。手っ取り早いのは松井とヤンキーズの話題を書くことだが、夏休みになって試合をじっくり見ていないので書きようがない。妻の話題でお茶を濁そうにも接触する時間が本当に少ないので、SMAPネタを聞き出すこともできない。かと言って、塾の話題となると生々しくて、こんな忙しい時期にはちょっと遠慮したい。いきおい、身の回りで見聞きすることで落ち着くことになるが、いざじっくり周りを見回してみると、実に様々な生き物が見つかる。今まで話題にしたヤモリやカマキリ以外にも、無数の動植物であふれている。自然に恵まれた土地だと言えば聞こえはいいが、ただの田舎だと言ってしまえばそれまでだ。
 そこで、今日は塾舎の横を流れる川に生息しているカモを話題にしたいと思う。携帯で撮った写真では、遠くて判然と見えないが、4・5羽のカモが常時泳いでいる。10羽を超えるときもあるが、上手に隊列を組んで泳ぐ姿は、見ていて飽きない。幅5mほどの川で、水量も多くはないが、エサが豊富なのか、ここ5年ほどずっといる。カモと言えば渡り鳥のはずだから、1年中ずっといるような気がするのは錯覚なのだろうが、ことほど左様に迂闊な私は、それらが何という種類のカモなのか知らなかった。ブログに書くなら種類ぐらいは知らなければと、息子に尋ねてみたところ、『カルガモ』だと答えた。『よくTVに出てくるカルガモにそっくりだから、そうでしょう』と補足してくれたが、さて本当だろうか。
 他にも、白いサギのような鳥がつがいで来るし、灰色と黒の羽根を持った嘴の黄色い大きめの鳥も時々見かける。(すっぽんもいる!)こんなにも多くの水鳥が集まるのだから、エサとなるものが多いのだろうとじっと水面を見ると、かなりの数の小魚が勢いよく泳いでいる。私の小さな頃は、この川は繁栄する町の象徴だった。工場から流れ出る汚水で川は常に白濁し、それを自慢にさえしていたほどだ。それが、公害問題が声高に叫ばれるようになり、この川もいつの間にか浄化され、魚が住めるほどきれいになった。それと反比例するかのように、わが町が衰退してきたのは歴史の皮肉なのであろうか。ずっとここに住み続けている私のような者にとっては、汚いのが当たり前だったこの川が、これほどきれいになると何故か違和感を感じてしまう。もう時代遅れの存在になりつつあるのかもしれない。
 しかし、長閑に住みなしてきたカモたちに、強力な敵が登場した。それは、近くの工場で働く、南米系の外国人労働者たちだ。彼らは休憩時間になると、工場から出てきて川を泳ぐカモたち目掛けて石を投げつける。当てるつもりのないことは、遠くから見ていても分かるが、バタバタ逃げ惑うカモを見て、子供のように興じている彼らを見ると、柄にもなく動物愛護の心が湧き上がってくる。だが、異国の地でつらい労働に耐えた後のちょっとした息抜きに、そう目くじら立てなくてもいいかなと思ったりもする。そう頻繁なことでもないし、第一注意しようにも言葉が通じないから、難しい。
 もともと鳥という生き物が、この世で何よりも嫌いな私としては、ほかっとけという気持ちが強い、といったら、きっと世間の顰蹙を買ってしまうだろうな。
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ボケてる

 最近やたら間違いが多い。数学の問題を解いていても、以前だったら計算間違いなどしたことがなかったのに、何度も暗算を間違えて正解にたどりつくのに時間がかかることが多くなった。問題を読み間違え、何がなんだか分からなくなることも増えた。冷静に読み直してみるとスーッと頭に入るのに、何かの拍子で焦ったりすると、思考回路が混乱してしまうようだ。もともと物事を深く考える質ではなく、直感で生きてきたようなところがあるから、頭のめぐりが悪くなると、色々と愚行を犯してしまう。
 先日も小学生が持っていた参考書を見て驚いた。表紙に『ボケてる』と書いてあるではないか。『何だ、これは?』と思って手にとってよく見ると、『ポケでる』と読み取れた。テストに出る要点をまとめたポケットサイズの参考書という意味なんだろうが、なにもこんな紛らわしい表現にしなくてもと、命名者のセンスを疑った。こんな例は枚挙に暇がない。掲示板上で話題になった『バッテリー』という小説を書店で見つけて、立ち読みしてみたら、『おちち峠を越えると・・』と始まっていた。青少年向けの小説だと思っていた私は目を疑ったが、もう一度読み直したら、『おろち峠をこえると・・』とちゃんと書いてあった。またか、と苦笑するしかなかったが、笑い話にもならないバカを繰り返していてはどうしようもない。
 今日も、妻から『また、話をいい加減にしか聞いていない』となじられた。自分としてはしっかり聞いていたつもりだが、思い当たるふしがないではないので、『うん、まあ、でもちゃんと分かってるから』と言うと、『昔はそれでもよかったかもしれないけど、今はもうそんなに頭が回らないんでしょ。最後まで聞いてないと分からないわよ。』とかなりきついことを言った。図星だ。若い頃は、人が言うことなど半分も聞けば全て理解できるという自負と言うか、傲慢さに満ち溢れていたのだが、最近とみに人の話を理解するのに時間がかかるようになってきた。生徒から質問を受けても、少し前なら瞬時に答えられたことが、近頃は一瞬間があいてしまう。それは傍目から見ればほんの一刹那なのかもしれないが、私にはそれが我慢できない。
 このように、老化というものは知らないうちに忍び寄ってくる。鈍っているのは頭の回転だけではないようだ。感性というか、周りの空気というか他人の胸のうちを読み取る能力が弱くなってきている。さらに、自己を全ての判断の基準にしようという傾向が強まっているから、独善的な行動が多くなっている。(ネット上でご迷惑をおかけした方々申し訳ありません)しかし、『昔はもうちょっと・・・だったのに』などと言うようになったら、老いに負けを宣言するようなものだ。
 『今がベスト』、常にそう思って生きていくことにしよう。
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中国

 近頃の子供達は、夏休みになると海へ山へ、様々な所へ家族旅行に出かけていく。私の小さな頃などは・・と羨ましがっても仕方ないが、自分の子供が小さかった時分には、私も世間並みの親としてよく遠出したものだから、だいたいの事情は分かる。親にとっては、夏休みというのは、子供と触れ合う時間が増えて喜ばしい反面、何かと出費が嵩むつらい時期であるようだ。
 今年の夏休みも、多くの塾生が家族旅行に出かけ、楽しい時を過ごしてきたが、そのうちの何人かがお土産を買ってきてくれた。何も私などにそんな気を使わなくてもと思うが、『お土産!』と差し出されてうれしくないはずもなく、『ありがとう。』と受け取ることにしている。旅行先の名産品が多く、それを見ると、本当に色々なところに行くもんだなあと感心してしまう。
 写真のボールペンをくれたのは、小2の女の子だ。彼女の父親は、大手都市銀行の行員で、現在中国の大連に単身赴任しており、夏休みを利用して父親に会うため、母親と中国を訪ねたのだった。『中国はどうだった?』と私がたずねると、しばらく考えた後で『道が汚かった。』と答えた。『えっ、道が汚いの?』『うん、ゴミとかがいっぱい落ちてて汚かった。』大連以外に上海にも行ったらしいが、上海も大連ほどではないにしろ汚かったと、教えてくれた。
 反日デモなど日本との関係が悪化している中国だが、2008年には北京オリンピックが開催される予定になっているのに、8才の女の子に『汚い国だ』との印象を残してしまってはまずいだろう。これからずっと、彼女は中国を汚い国だと思い続けるだろうから、中国のよい面が彼女には見えなくなったとしても不思議ではない。それは、中国にとっても彼女にとっても不幸なことである。
 顧みて私達はどうだろう。この半年間、万博関連で多くの人々が私の住む市を訪れた。外国から来た人たちも多いだろうが、彼らは私の市、ひいては日本という国にどんな印象を持ち帰っただろうか。中国のように、路傍にゴミが投げ捨てられているようなことはなく、我々市民も快く接したと思うが、果たして彼らの目にはどう映ったことであろう。少し心配ではある。
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負うた子に教えられ

 昨夜、全ての仕事を終え、塾舎を出ようとしたら、15cmほどの大きなカマキリが玄関のドアにとまっていた。茶色くて枯れ草かと見まがうほどだったが、傍にあった箒でそっと払い落とした。カマキリなんて大嫌いだが、とりあえず写真に収めた。まだ緑あふれるこの時期に、擬態で茶色に変わったのなら気が早すぎるだろうと、緑色のカマキリに見慣れた私は思った。それとも、緑が茶に変色するのではなく、緑と茶の2種類のカマキリがいるのだろうかと考えてもみたのだが、調べるのも面倒なのでそのまま寝てしまった。
 そして今日、ふと昨夜の疑問を思い出して、物知りな一人の中学生に尋ねてみた、『カマキリって、緑色と茶色の2種類がいるの?』すると、彼はなかなかの薀蓄を披露してくれた。つまり、『カマキリは生まれて育つ環境によって色が決まるんです。枯れ草ばかりの草むらだと茶色になり、緑の草むらだと緑色になります。』『へえー、本当か、知らなかった。すごいな、キミは!』と一瞬に疑問が霧散した喜びに、思い切り彼を賞賛したが、塾長がそんなことを知らなくては少しカッコ悪いなと、内心忸怩たる思いがした。後生おそるべし、とはよく言ったもので、日頃の勉強不足を大いに反省した。
 『蟷螂の斧』とは、弱い者が自分の力を考えずに強いものに向かう喩えだが、写真のカマキリも、確かに前足を振り上げて私を威嚇してきた。故事の通り、そんなことをしても何の効果もないが、その意気やよしである。踏み潰されようとも決してお前には負けないぞという強い意思表示が見てとれ、忘れかけていたものを思い出させてくれた。日常のしがらみの中に、ともすれば埋没しがちになる己の意思を、あまりに鮮明にしてしまえば軋轢も生じるが、ここぞという時には、どんな圧力にも屈せずに、掲げられるだけの気概は、常に持ち続けていなくてはいけないと。
 中学生に教えられ、カマキリに諭される、生きとし生けるもの、己を磨く糧とならぬものはない。己の知らぬことをたずねる勇気は必要だ。私の中にある大きな空洞を、彼らに少しだけ埋めてもらったような気がする。
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遊びをせんとや

  遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、
  遊ぶ子供の声聞けば、わが身さへこそ揺るがるれ
                        ー梁塵秘抄ー

  生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくあらな
                        -大伴旅人ー

 ということで、一部で好評だった『なぞなぞチャンピオン大会』を当ブログのメイン会場で開催することに決定いたしました。たまには頭をひねってみるのも楽しいモンですよ、などと偉そうなことを言うつもりはありません。ただ、ひと時でも行く夏を惜しむよすがにしていただけたら幸いに思います。

(ルール)以下の選りすぐりのなぞなぞ3問を、全てお答えください。
   答えがお分かりになったら、公平を期すため、私のアドレスにメールで答えを送信してください。
   正解者の中から、先着5名様に粗品(万博関連グッズかなあ)を進呈いたします。
   その際、私めにご住所・お名前を通知されたくない場合は、『粗品不要』と記入してださい。
   代わりにブログ上で賛辞の言葉をお送りいたします。

 では、
 (問題)
 ①(初級)ご馳走を運ぶ途中で転んでしまい、皿にのせてあった料理がばらばらになって、「RAFBY」となってしまいました。さあ、何という料理がのっていたのでしょうか? (この問題は、私が今日作りました)

 ②(中級)小数第5位で四捨五入すると3になるような職業の人って、どんな人でしょうか。

 ③(上級かも)パンやさんが、メロンパンとカレーパンとアンパンを持って配達に出かけました。すると、急カーブで何かを落としてしまいました。さて、何を落としたのでしょうか。

 どうでしょう?あまり難しくないでしょう。基本的に私は心優しい男でありますから、人様を悩ますようなことはしたくないのです。
 
 言い忘れましたが、どなたでもご応募ください。
 一応、タイムリミットは、8月27日24時までとしておきます。

  アドレス:jukucho19580615@yahoo.co.jp

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video tape

 私の寝室の隣部屋には、TVと箪笥しかおいてないが、1年もこの時期になると、撮り溜めしたビデオテープがうずたかく積み上げられるようになる。言わずと知れた、ヤンキーズ松井の試合のビデオであるが、少しでも忙しくて整理に手が回らなくなると、あっという間に山のようになってしまう。午前中に撮ったテープを夜見てから、ラベルを貼って、整理箱に入れるという作業を怠らなければ、そんなことにはならないのだが、生来の怠惰な性格に加えて、夏休み中はとてもビデオを再生する暇などないものだから、TVの前にぽんと置いておくだけになる。いきおい、いつのどことの試合か全く分からなくなり、ますます収拾が付かなくなって、写真のような有様になってしまった。
 ところが、まだこれだけではないのだ。階段や、居間のビデオデッキの横にも数多くのテープが放置されている。妻からは毎日うるさく言われるのだが、なかなか片付けれない。(DVDレコーダーも居間のTVに接続してあるのだが、娘や息子が映画を録画するための WOWWOW 専用レコーダーとなっていて、私は触らせてもらえないので仕方がない)実を言えば、今年の松井を見ていると、撮ったビデオを2階の部屋にまで運ぶ気がなかなか湧いてこないのである。数字的にはそこそこの成績だが、印象がすごく希薄だ。春先のスランプが長かったせいもあるだろうが、今年の松井はイマイチ活躍していない気がして、もどかしくてたまらない。死ぬ覚悟で海を渡った男がこんなことでどうする、と最近またスランプ気味の彼を見ていると思ってしまう。松井トピである方も言っておられたように、彼には『スペシャル』な選手になって欲しいのだ。今年の彼はそこへ上り詰めるための最後の苦闘を繰り返しているのだから、見ている私達ももう少し我慢しなければ、と思うのだが、それでもやはり彼には毎試合活躍して欲しい・・・
 技術的なことは私には分からないが、前半戦終了時に『もう大きく落ち込むことはないと思う』と胸を張った彼を誇らしく思ったのは、つい1ヶ月ほど前のことだ。それがこんな状態になるなんて思いもしなかった。彼ほどの選手がこれほどの上下を繰り返すのだから、やはりメジャーリーグという世界は私などの想像をはるかに超えた厳しい世界なんだろう。
 私は松井を信じている。お盆休みはもう終わりにして、すぐにガンガン打ち出してくれると信じている。どんなことが合っても応援するぞ。頑張れ、松井!!
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