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コピー機(2)

 1月25日の記事で書いたように、コピー機の入れ替えが昨日行われた。私は午後からずっと何人かの塾生の母親と面談を行っていたため、その場に立ち会うことはできなかった。当然使い方の説明も受けなかったが、もうコピー機もこれで6、7台目になるからそんな説明を聞かなくても大丈夫だろうと高をくくっていた。ところが、設置された新しいコピー機を見てびっくりした。


すごい!今までの直方体のコピー機とはまるで違う。いかにもコピーロボットのような威容を誇っている。とにかく背が高い。乗せ台も含めて1m50cmくらいあるのではないだろうか。これでは背の低い子どもなどコピーすることはできない。デジタル複合コピー機というらしく、コピーだけでなくプリンターとしての機能もついているようだ。その他にも、ボックス機能(何それ?)、ネットワーク/スキャナ機能とかも付いているらしく、それぞれにマニュアル本が1冊ずつ、さらにはCDが4枚も付いている。


いったいこんな立派な機械が私の塾に必要かどうか大いに疑問に思うのだが、コピー業者は「もう旧来のタイプのコピー機はなくなってしまい、今はもうこうしたデジタルコピー機ばかりです」などと力説する。本当かなあ、と信じられない気持ちはぬぐえないが、月々のリース料が以前とそう変わらずに交換できたのだから、まあ、余り深く考えないでおこうと思っている。しかし、コントロールパネルは液晶表示でタッチボタン式なので、かっこいい。

 

 業者は、「後日、正式な契約書を作って持ってきて、その時に説明もします」と言い残して帰って行った。私は、面談が終わった後、試しにコピーをとってみようと思った。スイッチを入れ、コピーする問題集をガラス台の上に置こうとしたのだが、どこを基準にしたらいいのかよく分からない。今までの機械だと、左端の真ん中を中心線にすればよかったのだが、そんな線は新しい機械には見当たらない。色々試しても、機械に書いてある用紙の大きさを示す線とうまく合致しない。何だかイラ付いてきて、とにかく一度適当にやってしまえ、とガラスの左上の角に問題集の左上の角を合わせてスイッチを押したら、出てきた紙には上手く印刷されていた。(なるほど、左角を合わせるんだな)

 

でも、コピーされた紙が出てくる場所が違う。今までは側面にかけられたトレイの上に出てくるタイプだったが、この機械はガラス台の下に出てくる。初めて見る形式なので驚いた。今までならコピーされた紙をすぐ目で確認できたのだが、これだと一回取り出さなければ確認ができない。不便だ。何だか構えはものすごいが、使い勝手はよくないように思えてきた。さらには両面コピーのとり方が違う。今までは片面を印刷した用紙を裏返して、手差しトレイに差し込んでからもう一面をコピーしていたのだが、この機械はなんと両面のコピーが一度にできてしまう。と言っても、コントロールパネルで両面ボタンを押し、片面を記憶させた後で印刷物の方を裏返して、そちらの面も記憶させ、最後にスタートボタンを押すと、紙がぐるぐる回って両面コピーが出来上がってくるのだ。う~~ん、すごいなあ。これがこの機械の最大のセールスポイントなのかもしれない。
 しかし、私が慣れていないせいもあるのだろうが、こうした機能も余り役に立たないような気がするし、前の機械よりも煩雑な気がする。新しい機械はどんどん新しい機能(多くは不要なもの)を加えていくため、我々の耳目を驚かせたりはするが、実際には殆どの機能を使わないのだから、とっても無駄なものに高いお金を払っているような気がして仕方がない。このコピー機も多くの優秀な機能が使われないまま終わってしまうことだろう、もったいないなあ・・。
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題名

 書店で本を選ぶのに何が決め手になるのだろう。作者の名前で選ぶことはよくある。自分が以前何作も読んだことのある作家の本は、書店にあるとつい手に取ってしまう。私は面白いと思った作家の作品は続けて読みたくなるので、書棚には同じ作者の本がまとまって並べられている。つい最近も内田樹の「態度が悪くてすみません」という本を読んだところ、その文章の語彙の豊かさに驚いてしまい、今時こんな文章が書ける人はなかなかいないだろうと、まだ最後まで読み終えていないのに、「寝ながら学べる構造主義」と「狼少年のパラドクス」の2冊を買ってきてしまった。現在この3冊を同時進行で読んでいるだが、読了したらまたこのブログで感想を述べてみたいと思っている。
 作者の名前以外に本を選ぶ動機となるものは、その本の題名ではないだろうか。題名と言えば古来短い一つの単語と相場が決まっていたが、今では「世界の中心で愛を叫ぶ」に代表されるような、短文を題名とする本も増えてきて、読者の購買意欲をそそる役目も担っているように思う。私が少し以前に読んだ「少し変わった子あります」という本の題名も、そうした類に入るだろう。
 私が書店でこの本を見つけたのは昨秋のことだ。「少し変わった子」などと題名にあったら、どんな変わった子が描かれているのだろうかと興味がわくのも当然だ。私は少し風変わりな人物が昔から好きだ。(「少し」でなければいけない。あまりに変わりすぎている人とは付き合えない)言葉の端々にその人独特な言い回しがあったり、動作にどこか特徴的なものがあったりすると、ついついその人に惹かれてしまう。私自身自分を至極まっとうな人間であると自負しているだけに、ちょっとたがが外れた人が羨ましくなるのかもしれない。そんな私がこんな題名の本を見つけたら、どうしたって買わないわけには行かない。作者の森博嗣という作家のことなどまるで知らなかったが、パラパラと申し訳程度にページを繰っただけですぐに買ってしまった。
 一気に読み終えてしまったが、正直言って私の期待は裏切られた。予想に反して、特に変わった子が登場するわけではない。小説中に設定された状況では、むしろ当然の反応をする人物を描いているに過ぎないと思った。ただ、その状況がかなり風変わりなだけだ。
 大学教授である「私」が、同僚からある料理店を紹介される。そこは電話で予約を取るたびに店の営業する場所が変わる。店が回したタクシーに乗って店にたどり着くと、女将が出迎えてくれる。その女将だけが毎回同じであるが、この店にはある特別な趣向を注文することができる。それは、店の用意した1人の女性と一緒に食事をするというものだ。出される料理をその女性と二人だけで食べる。その間会話が弾むこともあれば、全くの沈黙が続き、相手が食事するのを見ているだけの場合もある。そして食事が終わると、その女性は礼を言って退出し、「私」がその女性の分の食事代も払う--それだけのサービスなのだが、初対面の女性と食事することが、何故だか「私」の心に触れ、何度も通ってしまうようになる。
 毎回行くたびに食事を共にする女性が違うのだが、そのいずれの言動もさほど変わっているようには思えない。変わっているのはその店の存在自体なのだから、もっと違った題名を付ければよかったのに、などと読み終えた私は思った。話の終わり方もイマイチだったし、面白そうで面白くない本だったというのが素直な感想だった。
 ところが少し経って、驚くべきことを発見したのだ。本当に偶然に知ったのだが、この本の作者・森博嗣が私の卒業した中・高の1歳先輩だったのだ。全く知らなかった。そこでプロフィールを少し調べてみると、
「作家、研究者。1957年12月7日生まれ。愛知県出身。工学博士。国立N大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に第1回「メフィスト賞」を受賞し作家デビュー。本人はN大と言い張っているが、(名古屋大であることは)ばればれである。2005年3月に大学を退職」
とあった。発表されたミステリー作品がかなりあるようだから、知る人ぞ知るという作家なのだろう。でも、私のようにミステリーを読まない人間にとっては、「少し変わった子あります」という題名がなかったなら、彼のことはこのままずっと知らずにいただろうから、やはり題名というものは大切なんだなと実感した。


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お部屋探し

 息子が東京の大学に合格したため、下宿探しが急務となった。しかし、他の大学の合格発表がまだ残っているため、下宿先を限定できない。しかし、大学近くの物件から埋まっていってしまうため、意に適った物件を見つけるためには一日でも早く交渉することが必要になる。そこで、25日に公立大学の受験のために上京した息子と娘には、受験よりも部屋探しをするようにと言い渡しておいた。
 大学受験の際にいくつかの不動産仲介業者のパンフレットをもらっていたし、大学の生協が主催する説明会にも妻が参加していたため、ある程度のことは分かっているつもりだった。そこで、付き添いの娘に目星を付けておいた物件に関して説明を受けてくるように、さらにはポイントとなるようなことはあれこれ質問するようにと言い渡してあった。
  だが、不動産屋もなかなかしたたかだ。ある会社のパンフレットを見て、礼金は不要と明記してあったので、他のところよりも安いと思い、子どもたちにその店を訪ねるように指示しておいた。ところが細部について問い合わせたところ、全室電話回線を利用したオートロックであるために固定電話を必ず引かねばならないから毎月4,000円必要だとか、インターネット利用可と書いてあるのに、利用するためには工事費とプロバイダーとの契約料が別途必要であると、パンフレットには全く触れてない費用がいくつも必要になって、結局明示された家賃よりもかなり上乗せした金額を払わなければならないようになっているのが明らかになった。娘から報告を受けた妻は憮然としながらも、そうした事情を私に説明してくれたのだが、私も思わず「それはインチキだろう!」と叫んでしまった。私たち素人は後で何か面倒が起こってもいやだと細心の注意を払っているつもりでも、見落とす箇所がどうしてもでてくる。そういったところで不動産屋がもうけるのかもしれないが、釈然としない気持ちは残った。
 それにしても東京の物件は高い。京都で娘が住んでいるのと同じ程度の部屋を探そうとすると、1.5倍近くの費用がかかってしまう。息子がいくら私立に進むとはいえ、国立大学で学ぶ娘と同じだけの仕送りはしてやるつもりだ。そうすると、諸物価が京都よりも高い東京で暮らす息子には家賃が少ないに越したことはない。しかし、1Kでバス・トイレ別、エアコン設置済み、なるべく自転車で通学可能な範囲で、などという条件を満たす物件は、パンフレットを見ただけではなかなか見つからない。娘たちの訪ねた不動産屋の物件はこうした条件を満たしてはいたが、明記されていない料金がいくつか必要であると分った時点で候補から外さねばならない。しかも、大学の発表が日に日に多くなって、下宿を探す者たちが増えてきているため、焦らずにはいられない。だが、焦ってバカな物件をつかまされたらどうしようもない。
 などと考えていたら、帰宅した息子が先に挙げた不動産屋とは違うところで、紹介を受けた2、3の物件の資料を見せてくれた。そのうち、築10年近く経っているが、2階建ての建物の1階部分に大家さんが住んでいるという物件が私の目に留まった。
「これいいじゃない」
「うん、それはお勧めだって言ってたよ」
間取りも娘の部屋と同じようだし、階下に大家が住んでいるのが親としては安心できる。しかも進学先がどちらの大学になっても、ほぼ等距離に位置しており自転車を使って通学できる範囲なのも嬉しい。
「それじゃあ、ここに決めるか」
「うん、ありがとう」
などと息子は簡単に返事したが、まだまだ細部でたずねなければならないことはいくつかあるだろう。しかし、とりあえずは仮押さえをしておかなければならない。いくら広告によさそうなことが書いてあっても、実際に見てみなけらば判断のしようがない。残りの大学の発表が終わってすべての結果が出た瞬間に妻が上京して契約する算段にはしてあるが、はてさてどうなることやら。
 もちろん第一志望の大学に合格するにこしたことはないが、ここまで挫けることなく必死で努力した息子を見てきただけに、私としては大満足の受験であった。どこの大学に進学するにせよ、すべてが終わった暁には結果如何にかかわらず、「ご苦労様」とねぎらってやりたいと思っている。
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なぜ今?

 
モリゾーとキッコロと言えば、愛知万博のキャラクターとして少しは有名になった者たちである。万博会場となった海上の森に住む、森の精・モリゾーとキッコロ。「モリゾーは、縄文時代よりも前から生きている物知りな森のおじいちゃん、そんなおじいちゃんが大好きなキッコロは、生まれたばかりの森のこども」という設定らしいが、万博の閉幕とともに森に帰っていったことになっていた。その後、万博会場が「モリコロパーク」と言う名前で一般公開されるようになると、モリゾーとキッコロも復帰して、各種の公的なイベントでその姿を見かけるようになった。あのまま消えてしまうには惜しいキャラクターであったから、活躍できる場が与えられるのは喜ばしいことだ。
 私としては、モリゾーの細い目が余り好きではないのだが、こんな絵になっているとやっぱり可愛い。

 
と思い出したのが、万博開催中に娘が描いたモリゾーとキッコロの似顔絵。とても大学生が描いた絵とは思えないが、妙な味わいがあって面白い。


左のモリゾーの目が感じの悪さを上手くとらえてると思うし、キッコロは何も見ずに描いたわりには特徴をとらえている。真ん中の怪しいものは一体なんだろう。この写真は前の携帯の待ち受け画面にしていたほど、私には愛着のあるものである。娘は時々おかしな絵を描く。画才など親に似てまるでないのだが、発想がみんなと違う方向を向いているような気がする。いわば少々シュールなんだろう・・。(よく言えば)
 しかし、どうしてここまでモリコロの話をしてきたと言えば、ただ次の写真を載せたかったからに過ぎない。

 
山間の畑の中に唐突に現れた、モリコロのお雛様飾り。見つけたときは「何じゃこれ?」と叫んでしまった。モリゾーなど2m近くはある。松の枝で作り上げたもののようだが、よく見ると着色してある。畑の後ろが陶芸家の家のようなので、ちょっとしたオブジェのつもりで作ったのだろうか、なかなかの出来栄えだ。市内には芸術家(または芸術家気取りの人たち)がたくさんいるので、庭先などに思いがけず作品と思しき物を目にすることはよくある。「町全体が博物館」などとこそばゆいキャッチフレーズもあるくらいだから、面白いものを見つけることもしばしばだ。ただそれが、私たちの目を楽しませてくれるだけの出来であるかどうかは保証の限りではないが。

 このお雛様も桃の節句までの展示(?)なのだろうか。その後で武者飾りにでも変身したりしたら、ちょっとした名物になりそうだ。楽しみに待っていよう。
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A-ロッド

 「週刊文春」に李啓光が書いている「大リーグファン養成コラム」、今週は「A-ロッドが輝けない理由」と題するものだった。A-ロッドと言えば、過去にMVP2回、HRキング4回の輝かしい実績を持つN.Y.ヤンキースの主砲であるが、地元ニューヨークでの人気は今ひとつである。昨シーズンなど、打率.290 HR.35 打点121の成績を残しながらも、ヤンキースタジアムでは激しいブーイングを受けたりした。27億円もの球界最高年俸をもらっている選手であるから、少々の活躍ではファンが納得しないのは当たり前であり、特に結果を残せない選手には手厳しいと言われるN.Y.でプレーする以上宿命的なものかもしれないが、それにしても彼がそこまでバッシングされるにはどんな原因があるのであろうか。李は、このコラムで2つの原因を述べている。
 1つ目にA-ロッドの「自意識過剰」を挙げる。「必要以上に自分のイメージに気を使っているのだが、気の使い方が鼻につくほど露骨なので、逆にファンの反感を買っている」という。そのよい例として挙げられているのが、2月6日に彼が出版した子供向けの絵本の促販キャンペーンとして出演する予定のTVの朝のワイドショーをドタキャンしたことことだ。自分のイメージに気を使うA-ロッドが司会者の質問内容を事前に規制しようとしたことが原因のようだが、「かっこつけようとしてまた墓穴を掘った」などと地元では揶揄されているらしい。確かに私も昨年、自分が余りにかっこいいから、他人がやっかみ半分にひどいことを言うのだ、などとA-ロッドが語ったという記事を読んだ記憶がある。それならそれでいいのかもしれないが、そうした「自意識過剰」なところが、「ここぞと言うときに実力を発揮できない、『プレッシャーに対する弱さ』にも現れている」と李は指摘する。なるほどそうかもしれない。さらには昨シーズンのプレーオフの地区シリーズ最終戦で、トーリ監督が彼を8番まで降格したことを挙げ、「チームもファンもまったくA-ロッドを信頼していないことを象徴する事件だった」と述べている。もうA-ロッドが可哀相になるくらいだ。
 第2の原因として李はヤンキースのキャプテン、D.ジーターの存在を挙げる。A-ロッドがヤンキース入団前に、かつては仲のよかったジーターを「所詮は2番。中心打者のプレッシャーを知らない」と腐したことで、冷たい関係になってしまったと言われている。今年のキャンプ前にも、A-ロッドがジーターとの不仲をほのめかすような発言が物議を呼んだ。しかし、一緒にプレーするようになってジーターと直接比較対照され、プレッシャーに弱いのは自分の方だとA-ロッド自らが証明してしまったのだから、皮肉なものだ。李は、「『太陽神』ジーターが強烈な光を放ち続ける限り、A-ロッドが『ヤンキースの星」として光り輝く日は、永遠に来そうもないのである』とまで言い切っている。ヤンキース入団時に、ゴールドグラブにも選ばれたショートのポジションをジーターに遠慮してあきらめ、慣れないサードに移って守備に苦しむようになった時点で、こうした事態は予測できたような気もする。
 コラムはここで終わっているが、私にはもう一つ理由があるように思われる。それは、2004年リーグチャンピオンシップにおいて、必死になるあまり走塁中に一塁手が捕球したボールを無意識のうちに手ではたき落としたプレーに象徴されているように、A-ロッドには一つのプレーに集中しすぎて周りの状況が見えなくなってしまうような傾向があるように思う。集中力は何をするにしても大切なものだが、過度になってしまうと思わず眉をひそめたくなるようなことをしてしまうことは誰にもある。昨シーズン松井が復帰した後の試合で、3番バッター、アブレイユがHR.を放った。すると普通なら次打者はHR.を打ったバッターをホームプレート辺りで出迎えるのが習慣であるのに、A-ロッドはじっと自分のバット見つめながら、わざと遠回りをしてアブレイユがホームインするのをやり過ごしたようにTVでは見えた。善意に解釈すれば集中力を高めていたから、気づかなかったと言えなくもないが、まあ見ていて気持ちのいいことではなかった。そうした細かなプレー1つ1つに対する不満が観客の心に蓄積していき、彼が凡プレーをしたときに一気に爆発するのかもしれない。
 
 しかし、何といっても素晴らしい選手だ。素晴らしいからこそ見ているほうは期待してしまう。今年もかなりのブーイングは受けるだろうが、最後まで気持ちのいいプレーを続けていって欲しいものだ。
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クッキング

 昨日妻と息子が1週間ぶりに帰宅した。これで家事から解放されたわけだが、この1週間自分なりによく頑張ったと思う。慣れないこと、難しいことを大過なくやり遂げたのには満足している。そうした思いを何か形で残しておこうと思って、昨日の昼食は、惣菜を買ってきたり冷凍食品をチンしたりせずに、自分の力で作ってみようと思い立った。と言っても、私にできるものなどごくわずかである。以前ゴジ健さんのブログで紹介した「ソース焼き飯」ぐらいしかレパートリーがない。ゴジ健さんもその味には太鼓判(?)を押してくださったものなので、どれだけのものなのかをここで紹介したいと思う。

 まず、ネギを切る。包丁を持ったのは久しぶりだ。ちょっと怖い。父が作った太いネギをザクザク切っていると目に沁みて涙が出てきた。

 

フライパンに油をひいて、玉子を焼く。ちょっと贅沢に2個を割って、胡椒をたっぷりかける。ぐちゃぐちゃにつぶしながら焼いていく。これだけでも、十分おかずになる。マヨネーズをかけて食べる玉子焼きは大好物だ。

  

さあ、ここに冷やご飯を入れる。私の場合は玄米なので、少々勝手が違う。固まったものをほぐすのには力が要るし、時間もかかる。なので早い段階でソースをかけると、いい具合にしみこんでほぐしやすくなる。ちょっと調子に乗って入れすぎると、真っ黒になってしまうので注意しなければならない。でも、たっぷりかけたほうが私は好きだ。丹念にほぐしながら玉子とからめていく。またここでも胡椒をかける。もう無茶苦茶・・。

  


首尾よくご飯と玉子、ソースが混ざり合ったら、切っておいたネギを入れる。ネギは生のまま食べてもおいしいからあまり火にかけないほうがいいのかもしれない。プロの知識を私は持ち合わせていないので、ネギがしんなりとするまで炒ることにしている。

 

これを皿に移せば完成!ちょっとグロテスクな色合いだが、おいしいはずだ。


実は、これと同時にインスタントラーメンも作っていた。私はインスタントラーメンを作らせたら、なかなかの腕前だと自負している。ラーメンを作っている過程の写真も載せようかと思ったが、面倒くさいから、完成品だけを載せる。


久しぶりに自分で作った昼食は、私に充実感を与えてくれた。問題はその味だが・・・・・、なかなかおいしゅうございました。(ネギが甘い!!)
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合格発表

 30年前、私は東京の大学2校と京都の大学1校を受験した。その時代の合格発表は大学構内の掲示板に貼り出された。私のように名古屋近郊に住んでいる者にとって、合格発表を見るためだけにわざわざ上京することもできず、かといって大学からの合否の案内を待つだけの心の余裕もないため、試験会場の近くで盛んに勧誘していた学生アルバイトの合格電報を頼んだ。大学はそれにまったく関与していないことを強調していたが、電報の文面にも各大学で特色があったというような話も聞いたことがあるほど、当時としてはごく当たり前のことだったと思う。
 京都の大学は、母と発表を見に行った。発表を見たらすぐに下宿を探そうというつもりであったから、自信満々というか怖いもの知らずの高校生だった。でも、さすがに掲示板に近づくにつれ足取りが重くなって、どきどきしながら発表を見た。運良く自分の受験番号と名前があるのを見つけた時には小躍りしたのを覚えている。そうだ、当時は個人情報などという難しい観念は全くといっていいほど気にかけられていなかった。今では信じられないことだが、大学合格者の氏名が出身高校別に新聞に掲載されてもいた。母が私の名前の載った新聞を大事そうにとっておいたが、今はもうどこに行ったのか分からない。おおらかな時代であったと言えなくもないが、今の時代があまりに世知辛いと言いたくもなる。
 しかし、今は合格者の名前どころか受験番号さえも、大学の構内に掲げられなくなってきた。3年前娘が国立大学に合格したときは、掲示板の前で自分の受験番号を指差している記念写真がとってあるから、確かに受験番号は掲示されていた。しかし、今年になって息子が受験した私立大学の合格発表では、大学構内での発表をしている学校は1つもない。すべてインターネットか電話案内になっている。インターネットで大学のHPに合格者の受験番号を掲示するのはもう随分前から行われてきた。息子の受験したうち1校はHPでしか発表せず、大学からの案内も合格者にしか届けられず、不合格者には何も連絡しないという学校があった。そのため合格発表時間にはHPへの訪問者が殺到し、30分以上接続できなかった。塾生の中には、途中であきらめて何時間か経ってからやっと合否が分かったという子もいたほどだ。全学の合格発表を同時に行えば当然こうなることは分かっているのに、何も対策を講じなかったのだから何て要領の悪い大学なんだろう、と私も思わず毒ついてしまった。
 でも、このインターネットでの発表は、昔ながらの掲示板を使った発表をIT化したものに過ぎない。便利ではあるが古典的でもある。今ではも一段進んだ、電話を使って合否を知ることのできる「電話応答システム」というものを採用している大学が増えている。娘の時にはまだごく小数の大学しか利用していなかったと思うが、今年は随分多くなっている。私はもう何度かこれを使って息子の合否を知った。簡単な操作でまったく他人に知られずに自分の合否が分かるだけに今後も採用する大学が多くなるだろう。以下にある大学の操作手順を書いてみる。
  
  ①各大学の入試合否案内センターに電話する。
  ②各大学で決められた、学部・学科・専修コード(4桁)、各受験者の受験番号(5桁)を続けてダイヤルする。
  ③ガイダンスが復唱するので、正しければ暗証番号4桁を、訂正するときは5をダイヤルする。
  ④暗証番号は受験者の(生年)月日になるので、私のように6月15日生まれなら0615をダイヤルする。
  ⑤すると、合格の場合には「おめでとうございます!合格です!」
        不合格の場合には「残念ながら、不合格です」
   と案内される。

私はもう何度か「残念ながら・・・」というのを聞いた。いずれもセンター出願の私立大学の発表なので、センターを失敗した息子には当然の結果である。それでもあわよくば、などと甘い考えを持ってしまう私を諭すように、このアナウンスはご丁寧にも2度繰り返される。とほほ・・である。
 しかし、今のところ1校は「おめでとうございます!合格です!」という声が聞けた。それを聞いて思わず涙がこぼれたが、まだこれから何校か合格発表が残っている。通える大学は1つしかないが、合格して悪い気がするはずはないから、これからもどんどん「あめでとうございます!・・」という声を聞きたいと願っている。
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ムーディー勝山

 昨日の夜、授業をやっている途中で、突然「チャラチャッチャッチャラチャ・・」というメロディーを口ずさんでしまった。え?何これ?と自分に突っ込みを入れていたら、そのメロディーを聞きつけた女の子が、「先生、ムーディー知ってるの?」とたずねた。ああ、そうか、日曜日の夜TVに「ムーディー勝山」とかいうお笑い芸人が出てきて訳のわからぬ歌を熱唱していたが、あの歌か、と思い出した。それはそれですっきりしたが、またなんで突然思い出したものだろう。「有名なの、あの芸人?」と私がたずねると、「私は日曜に初めて見ました」と答えた。「なんだ、同じ番組を見ていたのか」と、私が言うと、「変な人ですよね、あの人。歌も変だし」と思い出しながらクスクス笑っている。確かに変な歌だ。「右から来たものを左へ受け流すの唄」というらしい。そこで、もしやと思い YouTube で探してみたら映像があった。驚いた。何度見ても変だ。おかしい。

ムーディー勝山の写真も見つけた。


白いタキシードを着たひげ面の男だが、自分のオリジナル曲「右から来たものを左へ受け流すの唄」という「ムード歌謡曲」めいた歌を、アカペラでただひたすら熱唱している。メロディーはどこかで聴いたことがあるような気もするが、詞はあまりにシュールなので、普通の人間には理解できそうもない。(理解する必要もないが・・)映像をもとにして、私が聞き取った歌詞を以下に載せてみる。

  (チャラチャッチャッチャラ~チャ
   チャラチャッチャッチャラ~チャ)

 右から 右から 何かが来てる
 僕はそれを 左へ受け流す
 いきなりやって来たぁ 右からやって来たぁ
 不意にやってきたぁ 右からやって来たぁ
 僕はそれを 左へ受け流す

 右から左へ 受け流す
 左から右へは 受け流さない
 右から 右から そう右から来たものを
 僕は 左へ受け流す

 もしもあなたにも
 右からいきなりやって来ることがあれば
 この歌を思い出して そして左へ受け流して欲しい
 右から来たものを左へ受け流すの唄


この「ムーディー勝山」なる男は Wikipedia によると『1980年6月11日生まれの、滋賀県大津市出身のお笑いタレント。血液型はO型。 漫才コンビの勝山梶の勝山慎司がムード歌謡ネタを披露する時の歌手名、キャラクター。大阪NSC23期生、吉本興業所属』なのだそうだ。しかし、そんなことはどうでもいい。私は、この意味不明の曲のバカらしさが一体どこから来るものなのか、少し考えてみようかなと思ったのだが、それこそどうでもいいことなので止めることにする。
 ただ、最近は YouTube もTVなどの映像はすぐに削除してしまうらしいから、映像が残っているうちにこのブログで彼のことを紹介したいという思いは残った。最近のお笑い芸人はあっという間に消えていってしまうから、彼も今が旬なのかもしれない。でも、変な奴・・・。


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「不動心」

 松井秀喜の「不動心」(新潮新書)を読んだ。
 私はこの本が出版されるのを知ったとき、反射的に「やめろよ!」と思った。松井はまだ32歳、これからまだまだ現役選手として第一線に立って闘わなければいけない男だ。それなのに今までの自分を振り返り、自分はこうやって生きてきた、というような本を書くなんて早すぎる、と思ったのだ。それに、たとえ多くの部分に代筆者がいるにせよ、一冊の本を仕上げるのには相当の時間がかかるだろう、そんな時間があるならトレーニングにまわせよ、といいたい気持ちもあった。確かに松井が左手首の骨折から復帰に至るまでの過程で、どんなことを感じたり、考えたりしたのかを知りたい気持ちはある。しかし、私は基本的にグランドでプレーする松井に興味があるのであって、ユニフォームを脱いだ松井をあまり見たいとは思わない。シーズンが終わって帰国した松井の記事やインタビューは数多くあったが、あえてそうしたものから目をそらそうともしていた。
 しかし、やはりこの「不動心」は松井ファンとしてはどんなことをしてでも読まねばならないだろう。身震いするようなピンチに立っても、押しつぶされそうなプレッシャーのかかる場面でも、己を見失わず常に最高のプレーを心がけている松井の姿をずっと追いかけている私のような者には、内容の良し悪しは別にして一度は目を通さねばならない書だ。ゴジ健さんの言葉を借りれば、松井が直接私たちに話しかけてくれているのだから。
 P.12に松井が復帰後構えるようになった、がに股打法の写真が載っている。この写真を見ると、松井が復帰した第一打席でヤンキースタジアムの満員の観客からスタンディングオベーションで迎えられたシーンを思い出す。あれには泣けた、松井がどれだけN.Y.の人々に愛されているかがわかって誇らしくもあった。松井は言う、
 「野球選手になってよかった。大リーグに来てよかった。ヤンキースタジアムの大歓声を受けながら、何度もそう思いました」(P.42)
 
 この本全編を通して感じられたのは、松井が本当に野球を愛しているということだ。野球を好きだから少しでも上手くなりたい、上手くなるためだったらどんな努力でも惜しまないという意欲がにじみ出ている。長嶋監督とマンツーマンで取り組んだ素振りのことが繰り返し書かれているが、ここまで真剣に取り組むのは「自分は不器用で野球の素質もないのだと認識すること、つまり、己を知り、力の足りない自分自身を受け入れ」(P.109)ることによって、「現状を打破したいと必死になる」(P.111)からだ。松井ほどの選手が己に野球の才能がないなどと言われてしまうと素直に受け取れない気もするが、器用でないのは確かな気がする。松井ならずとも、誰も自分の欠点を認めたくはない。しかし、そこを曖昧にしてしまうと先へ進めななくなってしまう。私も塾で「自分の分からない問題を適当にごまかすな。分からないことはわからないと正直に言え。そうしないと、分からないまま過ぎていってしまうからな」とよく生徒たちに話す。どんな分野であっても、基本は同じなんだなと改めて思った。
 
 松井をずっと見てきて、私はもっとやんちゃになればいいのに、と何度も思ってきた。感情をもっと激しく表してもいいじゃないかと物足りなく感じたのもしばしばだ。それに対して松井が答えてくれている。
 「悔しさは胸にしまっておきます。そうしないと、次も失敗する可能性が高くなってしまうからです。コントロールできない過去よりも、変えていける未来にかけます」(P.65)。
 「態度や口に出してしまうと、気持ちが乱れ、バッティングが乱れ、自分が苦しむことになる」(P.68)
言われてみれば理解できなくはない。でも、何も言わないでいるのも結構つらいだろうなと私などは思ってしまう。だが、それができるのが松井秀喜なのだろう。またそれができなければ、「162試合同じように準備をして、すべて同じ心境で打席に入りたいと思っている」(P.95)己をコントロールできないのかもしれない。ここで松井はそうした心の有り様を「平常心」と表現しているが、これこそが「不動心」の意味することだと思う。
 しかし、本書の最後で松井は本音を漏らしている。
 「松井秀喜でいることに大変だなあと思うことも正直、結構あります。楽しい時ももちろんありますが、窮屈な思いもしなきゃいけない。(中略)ただ、松井秀喜をやめたくなったことはありません。窮屈なのは仕方がないことだし、なんでも受け入れようと思えば、たいていのことは我慢できますから」(P.185)
これこそ、松井が心を開いて私に話してくれた言葉ではないだろうか。この言葉を読めただけでも、この本を読んだ価値はあったと思った。松井のことがまた好きになった。
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家事

 先週の金曜から妻は息子の受験の付き添いで東京に行っている。火曜まで帰って来ない予定なので、その間は家事全般を私が引き受けなければならない。しかし、普段からほとんど妻に任せっきりにしている私に大したことができるはずもなく、せいぜい妻が言い残していったことをするのが関の山だ。毎晩風呂の掃除すること、できたら洗濯をすること、そして掃除も・・。しかし、私にも毎日の仕事があり、そうそう時間を割くことはできない。特に食事の準備には塾との兼ね合いもあって、それほど時間をかけられない。それを見越した妻は自分の不在の間に私と父が食べられる物をいくつかの作っておいてくれた。魚の切り身を焼いたもの、魚の煮物、うま煮、昆布豆など、盛り付けるだけで食べられるおかずを何品か作ってくれた。私はそれを電子レンジで温めればいいだけだ。他にも冷凍食品を冷凍庫いっぱいに買い置きしておいてくれた。


今のところ作り置きしてくれたもので間に合っているが、そろそろこうした食品の世話にならなければならなくなってきた。レンジでチンすればいいだけなんだろうが、それだけでも面倒な気がするのは、いくらなんでも怠惰と言うものだろう。この機会に少しでも自力でご飯くらい作れるようにならなくてはいけない。などと殊勝なことを思ってみるが、妻が帰ってくれば元通りの生活になってしまうのだろう。
 しかし、今回最もしんどかったことは米を洗うことだった。私は玄米しか食べない。玄米はほこりを取るためだけに一度水に漬けるだけですむ。しかし、白米はそういうわけには行かない。父の食べる白米を毎晩洗わなければならない。これが結構きつかった。
 私の大学時代はほとんど外食でめったに自炊をしたことはなかった。それでもほんのたまに炊飯器でご飯を炊いて簡単な夕食を食べたことはある。その時、家から送ってもらった米を洗うのに時間がかかって面倒だった記憶があって、どうにも米を洗うのが好きではなかった。しかし、今はこんな便利なものがある。


だが、これで少しは簡便になったといっても手で米を洗わなければ糠はなかなか落ちない。糠が身体にいいのか悪いのかよくは知らないが、洗っていると水が透明になるまで洗い続けなければいけない気がしてくる。

  

しかし、水がやたら冷たい。ざくざく洗っていると、右手から冷たさが全身に伝わって身震いする。とにかく右の手が痛い。春が近いなどと言った私がただの馬鹿者に思われるほど、身を切るような冷たさだ。1分と我慢ができない。自分の根性のなさを恥じるとともに、毎日妻がこの冷たさを我慢していたのかと思って、しばし呆然とした。塾が忙しいとか、身体がしんどいだとか、あれこれ不平不満を言っている私であるが、この水の冷たさ、痛さと比べれば何てこともないような気がしてくる。これは何も妻に限ったことではない、日本全国でこの冷たさ、痛さを我慢している人がいるのだ、そう思うと自分の我慢がまだまだ不足しているという気がしてくる。
 これをタイマーセットすれば朝になるとご飯が炊けているのだから、考えてみれば魔法のようなことだ。


 だが、この世には魔法なんてものは存在しない。必ず誰かが人知れず努力してくれた成果を他人が味わっているに過ぎないのだ。確かに自分が今こうしていることは大切なことであり、それは動かしがたい事実であるが、それを当然とするには自分以外の人々の労力がなければ成り立たないものであることを常に覚えていなければならないだろう。今回妻の不在がいい勉強になった。
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