goo

95代・・・

 昨日、私立中受験を目指す小学生と勉強していた午後2時過ぎに携帯にメールが届いた。中学生や高校生の中には携帯のメールで欠席を知らせてくる生徒もいるので、チェックは欠かせない。

第95代首相に民主党野田新代表

というNHKからの速報メールだった。前日に決まったも同然のことをわざわざ速報メールしてこなくても、と思ったが、
 「新しい総理大臣決まったけど、名前分かる?」
と生徒に尋ねてみた。昨今の中学入試では、時事問題は必出の分野だ。折に触れて教えていかなくちゃいけないのだ。しかし、答えられた者はいなかった。
 「なんだ、誰もわからないのか・・。野田だ、野田よしひこ・・、漢字で書くと「野田佳彦」だ」
と黒板に大きく書いてみた。野田佳彦については、松下政経塾の一期生であることくらいしか知らない私でも、名前くらいは漢字で書ける。
 「ところで、前の総理大臣は知ってるよな、当然」
 「管首相」
2・3人が答えた。
 「そう、管直人」
これも黒板に書いておいた。
 「じゃあ、その前は誰?」
生徒は顔を見合わせてボソボソ言っているが、はっきりしないようだ。
 「鳩山由紀夫っていう人だったけど、名前くらいは知ってるだろう?」
ほぼ全員が頷いた。
 「なら、鳩山の前は誰だったかな?」
しばらく待ったが、誰も答えられなかった。
 「じゃあ、ヒント。吉田茂の孫で、漢字が読めなかった人」
吉田茂は6年生にとっては覚えておかねばならない名前だ。だが、さすがにその孫までは覚えてないようで、私としてはいいヒントだと思ったが、誰も分からないようだった。
 「答えは、麻生太郎」
その名を聞いてもあまりピンと来ないようで、生徒からの反応はまったくなかった。
 なるほど、3代前の総理大臣は覚えきれないようだな、と一旦は納得したものの、よく考えてみれば、民主党政権になって以来わずか2年しか経っていない。2年前の夏には麻生太郎は総理大臣だったのだ。ということはわずか2年の間に4人も総理大臣になったことになる。それじゃあ、いくら入試に出るといっても小学生が覚えきれないのももっともだ。粗製乱造もいい加減にしなくちゃいけない・・。

 野田佳彦さん、わが塾生たちにこれ以上の負担をかけないためにも、じっくり腰をすえて、日本の将来に明るい光が差し込むような政治をしてくださいよ、お願いですから。


 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風鈴寺

 矢作ダムを見終え、川沿いの道を走ってきたら、「夢かけ風鈴」という旗が何本も立てられているのを見た。行きにも見かけ、気になっていたので、ちょっと立ち寄ってみることにした。コンビニに車を停め、どこに行けばいいのか尋ねてみた。
 「この横の道を行けば、風鈴寺がありますよ」
 「風鈴寺?」
 「ええ、風鈴の奉納もできます」
なんだか不思議な気もしたが、とりあえず行ってみることにした。

  

 驚いたことに寺まで続く細い参道の両側に並ぶ家々の軒先に、いくつもの風鈴が掛けられている。ガラスの風鈴には思い思いの絵が描かれていて、一つ一つ見ていくのも楽しい。古い商店街でもあるようで、こうやって町おこしを図っているのだろう。住民たちの意気込みが感じられる面白い取り組みだ。
 

 「風鈴寺」というのは通称で、本当は「増福寺」と言うのだそうだ。どんな寺なのか興味をもって短い階段を上って行ってビックリした。すごい数の風鈴・・・。

  

 本殿に上がっていったら、陶製の大きな風鈴が置いてあった。その傍らには、奉納のための南部鉄で作られた風鈴。

 

 私も一つ購入して、塾生の成績向上と志望校合格を祈念して、短冊に願い事を認めた。それを風鈴に付けて置いていけば住職がご祈祷して境内に飾ってくれるのだそうだ。

 この豊田市小渡町の『夢かけ風鈴まつり』、今年は7月18日から8月31日まで開催されるのだそうだから、ぎりぎり間に合ったわけだ。なんて運がいい・・。
 
 帰り道、商店街の中の一軒の店でガラスの小さな風鈴を買った。花火がきれい・・。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

激流

 8月最後の日曜日、鮎でも食べに行こうか、と矢作川沿いのやなに向かった。やなのことは3年前に記事にしているが、そのときよりも上流のやなに行こうと車を走らせたが、残念なことに満員で、とても入る余地はなかった。あきらめてさらに上流へと向かっていったら、いつの間にか矢作ダムに着いてしまった。このダムのことも以前記事にしてあるが、2週間前に佐久間ダムを見たばかりなので、どうしても比べてしまうが、迫力から言えば矢作ダムの方があるように思えてしまった。

 

 たぶん水量が多いのが原因なんだろうが、悠然とした趣が感じられ、ダム全体に荘厳ささえ感じられる。「ああ、ダムはすごいなあ」と改めて思いながら、来た道を下っていったら、第2ダムで放流しているのに出会った。


 ものすごい勢いで水が落ちている。水しぶきがすごい。大きなダムではないが、やはり水の勢いが感じられるダムは力強い。

 昼食は沿道の店で適当に済ましたが、せっかくなら鮎が食べたい。もう一度やなに戻って塩焼きを持って帰ろうということになった。
 3時過ぎだったので、もう客はまばらになっていて、すぐに塩焼きをもらえたが、やなの前の水量は一段と多くて、ものすごい勢いで水が流れていた。

 

 


 やはり、うねるような水は怖い・・。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢野久作

 塾生に読書好きの女子高生がいて、時々私の持っている本を貸している。なかなか読書欲が旺盛で、貸した本はあっという間に読了してしまうので、私としてはあれこれ考えながら、貸す本を吟味している。その子に貸してあった本が一冊戻ってきた。「新・ちくま文学の森5 子供の風景」。15年ほど前に刊行されたシリーズ本だが、各巻にテーマを決めて、それにふさわしい短編・中編を集めたものである。
 「ちょっと私には内容が古かったみたい・・」
と素直な感想を言いながら返してくれたが、洋の東西を問わず集めた作品集であっても、現代の若者には読みづらい面があるかもしれない。
 「もっと今風なのがいいな」
という気持ちも分からないでもないが、ある程度名作として評価が高い作品は読んでおくべきだろうと思って貸したのだから、私としては苦笑するしかなかった・・。

 返してもらった本をペラペラとめくってみたら、夢野久作の「人の顔」という短編が収録されているのを見つけた。私はその名は知っていても、作品を今まで読んだことがなかったので、興味をひかれてさっと読んでみた。

 う~~~ん、臆病者の私であるから、こういう類いの小説は得意ではない。後に尾を引きそうで極力読まないようにしてきたのだが、禁断の園に一歩足を踏み入れてしまったような感じだ。
 読後の印象としては、楳図かずおの怪奇漫画の世界に引き込まれたようで、あれこれ考えているうちにじわじわと背筋が寒くなってくる・・。私としては最も嫌う読後感だが、読んでしまった以上は仕方がない。だが、内容はさほど単純ではない。特異な能力を持った子どもが中心に描かれている空想物語のようでいて、その実どろどろした大人の愛憎が蠢いている、はなはだ現実的な世界を描いた小説であった。怪奇現象よりも生身人間の生活の方が余程恐ろしい・・、そんなことさえ考えさせてくれる。そういう意味では、私が夢野久作に抱いていた先入観とは少し違った印象を与えるエスプリに富んだ小説でもあった。
 夏期講習中は本を読む時間などとてもなかったが、もう少しで夏休みも終わり、少しは本を読む時間ができるだろう。その時に夢野久作の書を手にする勇気が持てるよう、彼のプロフィールを「新・ちくま文学の森」から引用しておこうと思う。

 夢野久作 1889(明治22)-1936(昭和11)
  本名:杉山泰道(たいどう) 政治結社玄洋社の杉山茂丸の長男として福岡に生まれた。
  はじめ軍人を志して陸軍少尉。除隊後、農園経営、僧侶、謡曲教授、新聞記者など、職業を転々とする。
  37歳のときに「あやかしの鼓」を発表、奔放な想像力と巧妙な文体によって一躍、注目をあびる。
  その後、「瓶詰地獄」「氷の涯」「ドグマ・マグラ」など、大胆な着想にもとづく異色作によって強烈な衝撃を与えた。
  「人の顔」は昭和3年の作。




 かつて、角川文庫に収められた夢野久作の本の表紙カバーは米倉斉加年の筆によるものだったそうだ。「人の顔」は、「瓶詰の地獄」に収められていた。




コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

へっぴり腰


 佐久間ダムで見かけたへっぴり腰の人。そんなに怖いのなら無理して写真など撮らなくてもいいのに・・、と思ったりしたが、彼には彼なりの事情があるのだろう、そっと写真を撮らせてもらって傍らを通り過ぎた・・。

 「へっぴり腰」という言葉が気になって、広辞苑で調べてみた。

【屁っ放り腰】身体をかがめて後ろへ尻をつき出した腰つき。おちつきや自信のない腰つき。およびごし。「-で対応する」「-になる」

 表記を見ただけで意味が分かる。これほど分かり易い語もないだろう・・。
 腰を使った語は他にもたくさんある。例えば、上の広辞苑にも出ている「及び腰」。それは「遠くにある物を取ろうと手を伸ばすと、足はつま先立ちになり腰が浮いた不安定な姿勢になる。それを「及び腰」といい、その不安定な状態から自信がなくおどおどしている様子をも意味するようになった」のだそうだ。また「逃げ腰」。「まっすぐに構えずに腰が引けた姿勢ということから責任をのがれようとする態度」を意味し、「及び腰」よりも後ろ向きな気持ちを表している。さらに、「弱腰」とは「最初から諦めて意気地のない消極的な態度を取ること」なのだそうだが、いずれも態度や心理状態を表すのに「腰」が使われていて実に面白い。

 以前、「尖閣問題」で対応を批判された仙谷官房長官が「弱腰ではない。しなやかにしたたかに対応する『柳腰』だ」と言ったというのは記憶に新しいが、民主党政権になって以来、政府の対応がすべて「へっぴり腰」に見えてしまうのは私だけではないだろう。「へっぴり腰」「及び腰」「逃げ腰」「弱腰」・・、これらの言葉がすべて当てはまるように思えてならないのは、腰が据わってないからに他ならない。
 菅直人が正式に辞任を表明して、民主党は一気に代表選挙に突入するようだが、立候補を表明している名前を見てもまるで魅力が感じられない。誰がなろうと大した期待は持てないだろうし、結局は小沢一郎の「腰巾着」が選ばれるような気がするのだが・・。

 いっそのこと上の写真の「へっぴり腰」さんに任せた方がいいくらい・・。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「君に捧げるほろ苦いブルース」

 1週間ほど前、塾バスを運転しながらNHKラジオを聞いていたら、懐かしい曲が流れてきた。荒木一郎の「君に捧げるほろ苦いブルース」。
 荒木一郎と言っても、もう知らない人の方が圧倒的に多いだろうが、私たち世代には複雑な印象の入り交じった芸能人として多少記憶に残っているかもしれない。それは彼の引き起こした事件(詳しくはWikipediaで)から見れば当然の反応かもしれないが、彼の多才さは多くの人が認めるであろう。今はどこで何をしているのか知らないが、久しぶりに聞いた彼の歌声がずっと私の耳から離れない。
 この曲が発表されたのは1975年。当時高校生だった私は、テープに録って何度も繰り返し聞いていた。(裏面の「ジャニスを聴きながら」もまたいい曲だった)。そのお陰で、今でも歌詞は全部歌える。そんな曲はそんなに多くないから、この曲は紛れもなく私にとって「珠玉の一曲」だ。都会的でありながら、どことなく土臭さの残る歌、そんな歌が私は好きだったのかもしれない・・。


作曲・作詞:荒木一郎

淋しさに一人飲むコーヒーは
ひきたてのほろ苦い味がする
ゆきずりの夜に買う綿あめは
君と愛した味がする
BYE BYE まだ 夢のようさ
BYE BYE 君 ドアの外の
気に入りの紫蘭の花
昨日の朝 枯れたよ

淋しさに一人弾くセレナーデ
イントロはほろ苦い音なのさ
ゆきずりの街に聞く汽車の音は
君と愛した音がする
BYE BYE まだ 夢のようさ
BYE BYE 君 ドアを開けて
六月の空を見れば
まぶしすぎる僕だよ
BYE BYE MY LOVE 永すぎた
BYE BYE BYE MY LOVE 僕の歌もやがて
BYE BYE MY LOVE 終るだろう
BYE BYE BYE MY LOVE もうすぐ

淋しさに一人書く置き手紙
宛先はほろ苦い友達さ
横書きの白い地の便箋は
愛を記した時もある
BYE BYE まだ 夢のようさ
BYE BYE 君 ドアを閉めて
思い出の紫蘭の花
庭の隅に埋めたよ
BYE BYE 君 すぐに行くよ
BYE BYE BYE MY LOVE 君と同じとこへ
BYE BYE MY LOVE 夏になれば
君のいる処へ…
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィカス・アルテシーマ(2)

 昨年秋に買って冬越しに失敗したフィカス・アルテシーマ、葉が落ち、枝も折れてしまって幹だけになってしまった後も、ひょっとしたら再生するんじゃないか、と淡い期待を抱いて室内に置いてあった。しかし、5月になっても何の変化もなかったので、業を煮やして幹を半分に切ってしまった。

 

 こうすれば、栄養分が芽吹きに使われるんじゃないかと、素人考えで無茶をしてしまったが、夏になって他の葉っぱたちはどんどん伸びていったのに、まったく変化なく、幹が佇立しているだけだった・・。
 「やっぱりこれは死んでるんだな・・」
と部屋から出して塾舎の土間に置いて、たまに水遣りをするだけでその存在を忘れかけていた。ところが、なんと1週間ほど前に芽が出ているのを見つけた!!!


 滅茶苦茶驚いて記念に写真を撮ってみた(黄色っぽいのが芽で、緑色はサンスベリアの残骸・・)が、幹から新芽が出てくるとばかり思っていた私の予想を裏切って、根元の土から芽が出ているから余計驚いた。
 「幹はしっかりしていたから、死んではいないと思ってたけど・・」
妻が言う通り、私たちから見えないところで、営々と新芽を育んでいたようだ。
 その後は驚くほどの勢いでぐんぐん伸びていった・・。嬉しい・・。

 


 まだ出たばかりの葉なのに、しっかりとアルテシーマ特有の斑が入っていて実に美しい・・。

 これなら部屋に戻してもいいな、とジャングル部屋に並べてみた。


 さすがに古参だけあって、新入りのテ-ブルヤシを睥睨している・・。
 
 温度が高い間に伸びられるだけ伸びろよ!!
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひけらかす

 「日曜日に君のお勧めの映画見てきたぞ」
 「何?」 
 「コクリコ坂」
 「そうなの。どうだった?」
 「君のお母さんが言ったとおり、俺たち世代には良い映画だった」
 「私も良かったと思うよ」
 「そうか、君も結構大人なんだなあ・・」
 「でもね、主人公の女の子が何で「メル」って呼ばれてたかがよく分かんなかった・・。だって名前は「海」でしょ」
 「ああ、あれね。フランス語で海は「mère(メール)」て言うからだよ。「メル=海」ってこと」
 「そうなの、知らなかった。お母さんも分からないって言ってたから家に帰ったら教えよう」
 「三好達治の詩は知らないのか?」
 「どんな?」
 「日本語では海の中に母が入っていて、フランス語では母の中に海があるっていう詩」
 「三好達治って人自体知らない」
 「「測量船」って詩集を文学史で習ったことないの?」
 「私は理系だから・・」
 「じゃあ、説明してやるけど、漢字の「海」の中に「母」があるってのは分かるだろ?」
 「あるねえ、確かに」
 「で、フランス語で「母」は「m-è-r-e」て書いて「メール」、「海」は「m-e-r」って書いてこれも「メール」。mèreの中にmerがあるだろ?」
 「本当だ、ある!すごいね!!」
 「すごいだろう。感動するよな」
 「本当、感動する。先生、物知りだね」
 「こんなこと当たり前の常識だ」
 「そうなの?」
 「こう見えても、大学はフランス文学専攻だったからな。大学の頃は英語よりフランス語の方がよく分かった」
 「へえ・・。じゃあ、フランス行ったらフランス語で話せるの?」
 「話せるわけないだろ!話せたら、ここで君に勉強教えてなんかいないさ」
 「そりゃそうだね」
 「そりゃそうだ。はははははは・・・」


ちなみに三好達治の詩。

「郷愁」
蝶のような私の郷愁!
蝶はいくつか籬(まがき)を越え、
午後の街角に海を見る・・・。
私は壁に凭れる。
隣の部屋で二時が打つ。
ー海よ、
僕らの使ふ文字では、
お前の中に母がゐる。
そして母よ、
仏蘭西人の言葉では、
あなたの中に海がある。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月下美人

 「コクリコ坂より」を見る前に、三貴フラワーセンターに立ち寄った。前回行ったのは3週間ほど前だったが、観葉植物に関してはあまり目新しい物はなくて、ちょっとがっかりした。夏も終わり近くになると、観葉植物のピークも過ぎたようで、そろそろ冬越しのことを真剣に考え始めねばならないようだ・・。
 
 「月下美人咲かせてよ」
それでもテーブルヤシを見つけて嬉しがっていた私に妻が声をかけてきた。
 「月下美人?あの一晩だけ咲くってやつ?」
 「そう。500円だって・・」
 「そりゃ安いなあ・・。でも難しいんじゃないか?」
 「だから咲かせてって言ってるじゃない」
 「オレが生き物を育てるのが下手なのは知ってるくせに」
 「葉っぱで修行してるでしょ」
 「そうだけど・・」
 「きれいだよ、この花。頑張って!」
 「やってみてもいいけど・・。あんまり期待するなよ」
ダメ元で買ってはみたが、いったいどうやって育てればいいのだろう?一応、家に帰ってから鉢に植え替えてみた。



 NHK「趣味の園芸」のHPから育て方を引用してみる。
【栽培環境】  
 11月から4月は、日当たりのよい室内に置きます。日によく当てることで花芽がつきやすくなるので、5月から6月は戸外の日なたで直射日光に当てましょう。少し葉が黄ばむくらいにするとよく花芽がつきます。梅雨明けから9月中旬の日ざしが強い時期は、葉焼けを防ぐために、戸外の半日陰に移動させ、日中の直射日光を避けます。再び9月中旬から10月は、しっかり日に当てます。寒さには弱いので、霜が降りる前に室内に取り込む必要がありますが、乾かし気味に管理すれば0℃近くまで耐えます。
【水やり】  
 5月から10月は、用土の表面が乾いたらたっぷり水を与えましょう。11月から4月は、用土の表面が乾いて数日待ってから、少量の水を与えるようにし、乾かし気味に管理します。
【肥料】  
 チッ素分の多い肥料を施すと花芽がつかず、茎葉ばかりが茂ってしまうので、リン酸分やカリ分に富んだ肥料が向いています。4月から9月は緩効性肥料(N-P-K=8-12-10)を、10月には液体肥料(N-P-K=6-10-5)を施しましょう。なお、さし木でふやした苗には、水と肥料を多めに施して、茎葉の成長を促しましょう。

 なかなか大変そうだが、観葉植物と同じように育てれば余程いいように思うがどうだろう?白い綺麗な花が咲くそうだから是非とも咲かせてみたいのだが・・。


 (PS)一緒に買ってきた「テーブルヤシ」と「マンゴー」。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コクリコ坂から」

 「コクリコ坂から」を見た。7月に公開した当初から「見に行こう」と妻を誘っていたのだが、なかなかOKがもらえず、1ヶ月も経ってやっと見に行くことができた。
 あらすじはこんな感じ。

 「翌年に東京オリンピックを控えた、1963年の横浜。古いものを壊し、どんどん新しいものを作っていこうとする気運のなかで、横浜のとある高校でも老朽化した文化部部室の建物「カルチェラタン」の取り壊し計画が持ち上がる。そんな騒動の中、学生たちを率い、部室棟を守ろうとする少年・俊と、高校に通いながら下宿宿を切り盛りする働き者の少女・海が出会う。二人は順調に距離を縮めていくが、ある日を境に、急に俊がよそよそしくなって…?」

 取り立てて言うほどの筋立てでもなく、昭和30年代後半に高校生だった若者の生活の一断面を切り取った物語、くらいに思えばいいのかもしれない。私よりも10才ちょっと年上の世代、いわゆる「団塊の世代」と称される人たちの青春を描いた物語といえるのかもしれない・・。
 そう考えると、「カルチェラタン」の存続を求める生徒たちと学校側の交渉にまるで学生運動の影が見えないのは不思議だ、いくら何でも生徒の学校に対する姿勢が温和すぎる、などと思ったりもしたが、まあ、そんなことを描いたところで今のジブリファンには全く受けないだろうし、誰もそんな闘争を期待してもいないだろうから、割愛したのは賢明だろう。高校生が自分たちの願いを実現するために懸命になれた時代の出来事、というくらいの時代背景で見てみると、純粋にスクリーンに没頭できるように思った。
 

 見終わったとき、心が浄化されたように思った。クラブ活動などとは全く無縁で、一人好きなことをやっていただけの高校生活を送っていた私なのに、なぜか懐かしく、心の奥底に溜まった澱みを少しばかり洗い流してくれたように思った。どうってことない話なのに、どうして?・・・そんなことを照れずに妻に言ってみたら、
「私は元々心が綺麗だからそこまでは思わなかったけど、良い映画だと思うよ」
と答えた。前日に宮崎駿と宮崎吾朗の対談のような番組をNHKで見ていて、この映画の出来上がった過程を知ることができたから、余計気持ちを入れて見ることができたのだそうだ。
「でも、私たちよりも下の世代だと感情移入するのはちょっと難しいかもね・・」
「そうだね。子どもには無理だよなあ・・。何人も子どもが見ていたけど、つまらなかっただろうな・・。ジブリも、たまにはこの映画みたいに、大人のためのアニメを作っていってもいいと思うけどなあ」

   
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 前ページ