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EEK紀行回顧・鹿児島県、開聞岳移動 「JA1AKA宮之浦岳移動地上支援として」

2017年03月16日 | 伊予松山歴史散策

開聞岳移動。

 

アマチュア無線でFMATV(画像通信)JAで第一人者、東京練馬区在住であった、JA1AKA荒川さんは、深田久彌の日本百名山、二分の一50座に登山して山頂からFMATV運用をする事をライフサイクルの一つとしていた行動していた。その頃、登山ブームは起こってなく、勿論現在の様なカラフルな服装で登山する「山ガール」など居なかった。その後「日本百名山ブーム」が起き、現在は山ガールと呼ばれる女性がカラフルな服装で登山を楽しんでいる。

ある日、私にJA1AKAOMから四国、中国、そして九州の屋久島にある宮之浦岳で運用したい旨の連絡があった。松山地区SHF研究会総会にこの事を紹介し、議案に上程し検討した結果支援を行うことに決定した。

先ず、平成13年8月12日、西日本最高峰の愛媛県の石鎚山(1982m)の運用支援をした。支援隊は、山頂運用隊のチーフを、JA5GYU、支援隊、JA5IDH、JA5JSU、JA5MFY(女性局)、JR5IFA(女性局)、JR5MRTが山頂支援として登山、地上支援隊は、JA5MX,JA5REF,JA5RVY,JR5EEKがF5/F9(画像通信)のバンドで運用支援しM5Cで成功した。

続いて、平成14年9月28日、徳島県剣山(1955m)移動、支援隊はJA5GYU、JA5IDH、JA5JSU、JA5MFY(女性局)、JR5IFA(女性局)、がF5/F9のバンドで運用支援した。

そして、平成15年9月6日、鳥取県の大山「1729m」移動支援隊は、JA5IDH、JR5IFA(女性局)、がJA1AKAを山頂支援、地上運用支援隊は、JA5MX、JA5GYU,JA5JSU、JA5MFY(女性局)、JR5EEK、JA4OAE,JN4KQV各局がF5/F9のバンドで運用支援しM5Cで成功した。

 

さて最大の移動地が鹿児島県熊毛郡屋久島町にある西日本第3の高峰「宮之浦岳・1936m」で雨の多い地であった。

平成16年7月13日、JA1AKAは東京からJRで鹿児島移動、松山からは海上&陸路車2台で、そして今回の宮之浦岳移動の先達は、宮崎県西都市のJA6BQUが登山に経験があるのでガイドした。

7月14日、鹿児島港から宮之浦港に海上移動し、15日早朝5時宮之浦岳移動、懸念していた天候は良好で無事山頂に到達した。私は鹿児島県指宿市の開聞岳に移動するも予定していた地点は屋久島が見えず不適当、指宿ゴルフクラブの支配人にお願いして、運用場所を確保して支援した。

画像は、その時の様子です。

数年前に、JA1AKA荒川さんは、残念にご死去されました。突然のご逝去に言葉もありません。ご冥福をお祈り申し上げます。

指宿ゴルフクラブの支配人にお願いして運用地を確保、後方は開聞岳(924m)

指宿ゴルフクラブ支配人の了解を得て車で乗り入れFMATV設備の設営をした。

画像のように芝生を植栽し手入れの行き届いた場所であった。普段は車の乗り入れは不可の場所、支配人の特別な計らいであった。

宮之浦岳も天候は良かったが、開聞岳も良かった。

JR5EEKのFMATV設備。

FMATV1,2GHz・5GHz・10GHzの設備。

 

何時でも宮之浦岳からの電波受信出来るよう待機した。

連絡は、1200MHzで行った。

鹿児島県揖宿郡開聞町開聞岳山麓自然公園移動。
車乗り入れについては、指宿ゴルフクラブ支配人の了解を得て運用地確保、後方の海は、東シナ海である。この日の開聞岳は好天、但し屋久島の眺望は出来なかった。ガスがなかったら見えるそうだ。

 

この車で、富士山、日光、北海道と良く移動してくれた私の愛車。走行しながらHF帯から2,4GHz帯まで運用できる無線機を積載していた。

7月15日、宮之浦岳移動する各局登山口で記念写真。・・これからの画像は、JA5JSU提供。

宮之浦岳登山入り口で:左より JA1AKA・JA6BQU・JA5IDH・JA5JSU・JA5MFY、宮之浦岳目指して登山開始。

8合目あたりからの宮之浦岳山頂を望む。

鹿児島県熊毛郡屋久町:宮之浦岳「1935m」山頂の各局運用開始の設備セット準備。

鹿児島県熊毛郡上屋久町・屋久町:宮之浦岳「1935m」山頂の各局、いよいよ開聞岳移動のJR5EEKとFMATV運用開始。その後鹿児島県薩摩郡柴尾山移動:九州各局と交信する。

鹿児島県熊毛郡上屋久町・屋久町:宮之浦岳「1935m」山頂のJA5MFYさん。この日は好天に恵まれ最高の宮之浦岳だったそうです。

石鎚山移動前日、JA1AKAさんの希望でしまなみ海道の来島大橋からの運用で案内した。

JA1AKAさんの希望で松山城本丸から。

JA1AKA荒川さんの希望で松山城本丸からATV運用。

自作した機器で松山各局と通信する、JA1AKAOM、

平成14年、東京ビッグサイトで開催されたハムフェアで出品された自作品コンテストでは最優秀賞(総務大臣賞)を受賞されるとともに,「ひとりぽっちのテレビ局1/2日本百名山」50座を制覇され、山頂からATV運用を達成されるなど山岳移動運用にアクティブにご活躍され、日本では第一人者のATV無線局でした。

松山城天守をバックに記念写真を一枚。

JA1AKA、荒川さん、日本百名山、石鎚山移動で来松、松山地区SHF研究会メンバー

が道後温泉で歓迎会開催。

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