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正岡子規の俳句にメロディをつけたなら・新井満さんが新曲を発表

2014年06月29日 | 伊予松山歴史散策
市民の愛唱歌として親しまれている楽曲「この街で」が誕生して10年目を迎えることを記念して、昨日(6月28日)松山市コミュニティセンター文化ホールで「もし正岡子規の俳句にメロディをつけたなら」新井満さんが素晴らしい曲を発表し、1000人の観衆が歓喜した。
昨年9月のシンポジウムで「子規の俳句2万5千句の中から好きな作品を選句し、作曲した新曲を作ってくれませんか」子規記念博物館名誉館長であった天野祐吉氏から是非ともと依頼された新井満さんは、短歌に曲書いたことはあるが、俳句は初めて575の17文字に作曲するには大変難しいのでお断りするつもりでいたが、突如昨年10月20日天野さんが逝去され、断る人がいなくなり作曲する事にしたと言われた。
新井満さんは、曲を作る為に松山市の小学生にアンケートを取った。その中で一番多かったのが「春や昔十五万石の城下かな」」次に「松山や秋より高き天主閣」で、その他の俳句を春夏秋を捩り、曲の編成は、序章、第一楽章「ふるさとの春・春や昔」~第8楽章「旅立ち」になっていて、第一楽章「ふるさとの春・春や昔」の局が素晴らしい、リズムは、三拍子のワルツ調で、歌いやすく、親しみのある曲であった。先ずは、新井満さんが自分で歌って曲を披露、次に松山市内の小学生、正岡子規の母校である番町小学校を始め市内の小学生120人が舞台に上がり大合唱、続いて松山市民合唱団が披露、そして最後に愛媛県知事、松山市長、他関係者も舞台に上がり、観客席の皆さんも起立して大合唱の内「正岡子規の俳句にメロディをつけたなら」新井満さんの新曲発表の幕は終了した。・・約1000人の歓喜・称賛・喝采であった・・流石新井満さんである。


もし正岡子規の俳句にメロディをつけたなら・新井満さんが新曲を発表するポスター。


もし正岡子規の俳句にメロディをつけたなら・新井満さんが新曲を発表した帰りに配られた資料。


新曲発表会は開演午後3時で、その時を迎える会場舞台。この日の為に北海道からそして全国からお越しになった。人もいた。


新曲発表会に当たり主催者の挨拶をする、野志松山市長。


来賓を代表しての挨拶をする中村愛媛県知事。市民の愛唱歌として親しまれている楽曲「この街で」元は、中村愛媛県知事が松山市長時代に仕掛けて出来た。


昨年9月、子規記念博物館で開催された画像をバックにトークをする左から、野志市長、竹田子規記念博物館長、新井満さん。バック画像左から二人目が故天野祐吉さん。


いよいよ「もし正岡子規の俳句にメロディをつけたなら」の新曲発表、作曲経緯を語る新井満さん。


新井満さんが作曲した楽章で、序章「うれしきも」で始まり、第一楽章「ふるさとの春・(春や昔)」から第8楽章「旅立ち」からなる。特に第一楽章「ふるさとの春・(春や昔)」が素晴らしい。


「もし正岡子規の俳句にメロディをつけたなら」の楽章の中「第一楽章」を新井満さん自身が歌い紹介した。歌は上手いし、声がいい・・そして帽子をかぶると歌手になり、帽子をとると作家になるそうです。


続いて、正岡子規の母校である、番町小学校の生徒さんを始め松山市内の小学生100数名が舞台に上がり合唱、歌詞は暗記しての歌いである。・・歌詞は全て俳句で沢山俳句が出て来るので覚えるのは大変であったと思う。曲は文部省唱歌の様な曲で、小学生にぴったり、舞台で生き生きとして子供たちは歌っていた。歌詞は、子規が作った2万5千句の中から42句を選句している。小学生たちは42句を暗記しての合唱凄い。


次は、大人の松山市民女性合唱団、さすが歌詞は暗記とはいかない、楽譜を見ての合唱、歌は小学生の方が上手に聞こえた。


最後は、市長、県知事、関係者が舞台に上がり、観客席の観衆は全員起立して一緒に大合唱。曲は直ぐに脳裏に残り歌いやすく正岡子規を偲ぶには打って付けの名曲であると感じた。新井満さんは、此れからこの曲を皆さんで育てて下さいと言われた。・・会場の参加者はその言葉に大拍手で答えた。


大合唱が終わり、正岡子規の俳句にメロディをつけた「新井満さん」にお礼の感謝状を贈る野志松山市長。


1000人の大拍手の前で嬉しそうに新井満さん感謝状を受け取られ、感謝状を観衆に披露。
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