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市内電車・一日松山散策 その5 大杉神社

2013年05月06日 | 伊予松山歴史散策
一日松山散策最後は、松山城北山麓にある大杉神社に行ってみた。
場所は、松山市緑町一丁目3番1号、松山市役所緑町詰所の裏に鎮座します。神社入口に注連石があるが社は見えないので知らない人はこんな場所に神社が在るなど到底気が付かない。

大杉神社の南は松山城の崖、残り三方はビルに囲まれひっそりとある。大杉さんには、次のような話が伝わっている。大杉さんには三つの御神体がる。何故三つもあるのかは、松山城初代藩主加藤嘉明時代、城主のお叱りを受けた儒者が、長者が平(現松山城ロープウエイー山頂駅舎)で割腹した。その首を城山の谷にある池で洗った。割腹した儒者は今ある大杉神社よりも少し上に埋め、その元に杉を植えた。

御神体の一つはその儒者の霊をお祀りしている。池は首洗いの池と言われるようになりその池に何時の間にか白蛇が住むようになった。誰が言うとなく白蛇は儒者の霊生まれ変わりだろうと言われた。その白蛇を「白龍大明神」としてお祀りしている。三つ目の御神体は、「稲荷大明神」で、昔各地の田畑で怪我など不都合が起こり、それも同じ田畑で何度もあっておかしいなと思っていると、田畑の下からお稲荷さんが埋まったままになっていた。罰が当たったか、それを大杉さんの下に捨てに来た。それがたまりたまって、それが祠になりそれらをまとめた。

植えられた杉は大きくなりこの当たりの町の名前を杉谷町と称した。(現緑町一丁目)杉は戦中伐採され、現在は二世の杉が植えてあり霊験あらたな神社として松山市が保存している。お世話は地元婦人会・老人クラブ・公民館の奉賛会がしている。以前直ぐ傍にあった愛媛自動車学校が吉藤町に移転する時、分身を頂きお祀りし、現在も仕事納めの時に全職員が拝んでいる。
5月5日の子供の日にはお祭りをしている。

(松山市立清水小学校発行・清水の里より)
画像は、5日のお祭りに参列させて頂き撮らせて頂きました。


大杉神社注連石、此処からは聖域一礼して社にお参りをする。
昭和63年11月発行の松山市立清水小学校編集・清水の里よりと5月5日に祭典をしていると記載されているので、午前10時に行ってみた。最近はもしかして祭典は行われていないのかもと?すると一人の女性と遭い伺うと、11時から行うとの由、一緒に参加させてもらう事をお許しを得た。


9時45分現在祭典の気配なし。しかし先日行った時は落ち葉が沢山落ちていたが、今日は綺麗に清掃されていた。


すると一人の女性が来られお供え物を準備されだした。現在お世話をされている代表者の奥さんでした。


祭典の準備も整い、後は宮司さんをお迎えするのみ。


鳥居の左の木が大杉二世で、大杉があった場所は、現在の松山城ロープウエイ山頂駅舎にあったが、昭和30年ロープウエイ設置に伴い伐採された。現在の杉は、その後植栽された木で58年経過している。本日(5月5日)二世の杉を計ってみた。地上1mの所で幹の大きさは95cmあった。


東雲神社の宮司さんが来られ、関係者の皆さんもお揃いになり、代表者のご挨拶があり祭礼が始まりまった。


先ず宮司さんが社に拝礼。


祝詞を上げられ。


参列者一人ひとりが宮司さんから玉串を受け取り奉納。


大杉神社は御神体が三体祀られていて、手作りの幟が揚げられている。
三方はビルに囲まれていて一日中直射日光は殆ど当たらない。


大杉神社の直ぐ上が東雲神社で、境内には画像のように「なんじゃもんじゃの木」があり、いま花が満開である。
なんじゃもんじゃの木は、昭和51年3月8日、松山市の天然記念物に指定された。
先代の宮司さんが実生から育てた、なんじゃもんじゃの木、を25年前に頂き我が家にも植えてあり大きく育っている。


松山城ロープウエイ山麓駅舎前で、松山市大街道三丁目(通称・ロープウエイ街)。
大杉神社は直ぐ近くにある。


松山城ロープウエイ山頂駅舎前広場で、ここにあった大杉は、駅舎建設の為伐採された。
ここは、長者が平(ちょうじゃがなる)と呼ばれている。
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