EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

どうなっている、愚陀仏庵の復元は

2017年05月08日 | 伊予松山歴史散策

画像は、昭和20年7月26日、松山大空襲で焼失する前の愚陀仏庵で、場所は、松山市二番町三丁目7番地にあった。愚陀仏庵は、上の義方宅の離れの屋敷で、漱漱石の俳号「愚陀仏」から命名した。

 倒壊後、愚陀仏庵再建について大いに検討され、再建場所も、松山大空襲で焼失し本来の地、倒壊前の萬翠荘の裏地、道後地区の上人町(宝厳寺前)と候補地が上がり直ぐにでも再建されるのかと思っていたが、もう倒壊してから7年が経過した。

今は、松山市も愛媛県も今秋開催される第72回全国体育大会・えひめ国体(平成29年9月30日~10月10日)第17回全国障害者スポーツ大会(平成29年10月28日~10月30日)の開催準備でてんてこ舞い、国体が終了してから再建問題は浮上するのか?立ち消えになるのか今は再建の声は聞こえてこない。

 昭和57年に松山市一番町三丁目にある萬翠荘の裏に復元した愚陀仏庵で此れが平成22年7月12日土砂崩れで倒壊する

前の愚陀仏庵。

 倒壊前の愚陀仏庵で、句会や、お茶会が開催されていた。 場所も、久松定獏の松山邸宅として建設した萬翠荘(国指定重要文化財)の裏手にあり、松山城の山麓に位置する歴史文化が漂う場所にあった。 萬翠荘は、大正11年、旧伊予松山藩主の子孫にあたる久松定謨伯爵が、別邸として建設したフランス様式の建物です。

  

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« NHK「にほん縦断心旅」愛... | トップ | 日本三代八幡造り 石清水八幡宮 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

伊予松山歴史散策」カテゴリの最新記事