
熊本城は、大坂城、名古屋城と共に、日本三名城と言われ清正流の石垣に5層の大天守、大坂城、名古屋城は徳川幕府が天下普請で全国の大名の援助で築いた城であるのに対して、熊本城は、加藤清正・忠広父子という外様大名が居城として単独で築いた城、まさに天下一の名城である。
熊本城築城の難問は、阿蘇山の噴火による軟弱な火山灰層からなる丘陵(茶臼山)に如何に石垣を築くかであった。
火山層を傷めないように裾を緩やかに積み、次第に勾配を付け上部を垂直にする技法、文禄・慶長・の役(朝鮮出兵)での経験も城造りに生かされた。
熊本地震、平成28年(2016)4月14日21時26分発生した震度7の地震で名城もかなりの被害が出た。
11月5・6日、松山市で開催された「全国ゆるキャラグランプリ2016」で「くまモン(熊本県)」も来ていた。参加者から熊本の早期復興を応援しております。・・と声を掛けると、有り難うと応答があった。

西南戦争前、明治7年頃の熊本城。

西南戦争前、明治7年頃の熊本城、大天守と小天守。(宇土櫓より観た)

地震前の熊本城、大天守と小天守。(宇土櫓より観た)

南坂下から見た飯田丸櫓で西南戦争前の画像。

飯田丸櫓で西南戦争前の画像。

20mの高石垣の上に建つ宇土櫓で、櫓の高さは19m、西南戦争での戦火に耐えて残り現存である。
画像は西南戦争前のもの。

現在(地震前)の宇土櫓。

二之丸、西大手から観た「宇土櫓・小天守・大天守」。

西大手から観た西出丸の続塀で、手前に西大手門がある。奥の櫓は戌亥櫓。

大天守内に設置してある大小天守の模型。
熊本城天守は、市制70周年記念で外観復元として、昭和35年8月31日竣工、経費は1億8千万円でその内、松崎吉次郎氏が5千万円を寄付した。模型は、外観復元を記念し制作された大きさは、10分の1である。

今回も前撮りの場面に出会した。・・この時から8年の歳月が流れた。
お二人も幸せな家庭を築かれている事と思います。お幸せに。
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