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松山市城東地区散策 1 軌道跡を辿る

2013年05月13日 | 伊予松山歴史散策
松山市城東地区散策 1

松山観光ガイドの会主催で松山旧市内散策が開催された。
今回は、道後観光センターを出発して、忘れかけている軌道跡を辿る散策をした。明治21年開通した伊予鉄・明治28年に開通した道後鉄道、明治44年開通の松山電気軌道跡の確認、教育会館、六角堂、念斎堀跡、松山城の石垣(野面積)東ノ郭跡(現 東雲学園)を最終地点として歴史を辿った。
註、伊予鉄道は
明治21年10月28日松山・三津間で坊ちゃん列車が営業開始。
  明治33年道後鉄道と南予鉄道を合併、大正10年松山電気軌道株式会社を合 
 併する。
 松山電気軌道会社は、明治44年9月1日、三津⇔一番町⇔道後間に電車運行開始。
 道後鉄道は、明治28年開業、明治33年伊予鉄道と合併。
画像は、軌道跡を主に、途中戦前からの史蹟建造物等を散策した。


5月9日、午前9時30分、道後温泉駅前で、本日の主な史蹟散策の説明を担当者が行う。


明治時代の道後温泉駅構内で、右が伊予鉄道、左が道後鉄道。


現在の伊予鉄道道後駅操車場で、左の道路が明治・大正時代の伊予鉄道軌道跡。


右の建造物は、愛媛県文化会館でその北側に伊予鉄道の軌道があった。


県文化会館西に下り現在の道後一万町を左に曲がり矢野産婦人科横を通り。


昭和町を抜けて、北持田町の高級住宅街を通り、松山地方気象台の西を、そして愛媛銀行本店北側に出て現在の軌道で一番町に出ていた。
大正・昭和(戦前)時代は、電車通り沿線に居住するのが誇りとしていた。


北持田町にある愛媛県教育会館で、愛媛県技師浅香了輔によって設計された木造3階建の重厚な建物で 建築は昭和12年建築。 材料は、桜や栂を使用し、洋風意匠に和風装飾を組み合わせた特徴的な意匠を持っており、昭和前期の建物としては、類例のない貴重な建築様式で、屋根の破風には懸魚が施されている。


教育会館の西隣に、現在の松山東警察署庁舎がある。


昭和15年5月勝山町に落成した松山東警察署庁舎で城郭を模した建物であった。


警察署庁舎内に建立されている「愛媛農業教育発祥之地」石碑。現在の愛媛大学農学部の前進、明治33年、愛媛県農学校が創設されて時にはこの地にあった。
また近くに松山測候所(現在の松山地方気象台)もあった。


松山測候所の目の前を電車が走り始め、その振動で地震計測が出来なくなり、昭和3年に現在の松山地方気象台は北持田町に移転、最近周囲に高層マンションが建ち特に風速測定が困難と成り、県立松山東高校屋上に風速計を設置して計測している。


愛媛銀行本店北側で、これから手前を左に曲がり、現在の勝山二丁目の電車軌道に出て一番町に行っていた。


松山東警察署庁舎前、斜め北に六角堂こと、常楽寺がある。


六角堂の本殿には画像の家紋が描かれている。


六角堂境内には、地元民もあまり知られていない「白鷺石」がある。


六角堂南横にそば吉勝山店がありその前と、労研饅頭の裏道が斜めに延びている。この道は松山電気軌道の電車軌道跡。画像は、一番町一丁目の現在の軌道から見た松山電気軌道会社の軌道跡。
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