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一遍上人生誕地 宝厳寺 再建鍬入れ式 工事始まる

2014年12月23日 | 伊予松山歴史散策
昨年8月10日、午後2時過ぎ不審火で全焼した時宗の開祖、一遍上人誕生の寺、宝厳寺本堂、庫裏等々が焼失した。
昨日(22日)、松山市道後湯之町の時宗の開祖一遍上人誕生の地縁の宝厳寺で再建「宝厳寺造営」の鍬入れ式が関係者一同集い、地元選出の国会議員、塩崎労働大臣も多忙の中時間を割いて式に参列され厳かに行われ再建工事が始まった。
焼失した国指定重要文化財「木造一遍上人立像」の復元像等、一遍上人に関する資料展示をする、顕彰施設「一遍上堂」も併設される。完成は、平成28年3月予定。
宝厳寺(ほうごんじ)は愛媛県松山市道後湯月町にある時宗の寺院で、時宗開祖一遍の生誕地。山号は豊国山。寺号は詳しくは豊国山遍照院宝厳寺と称する。愛媛県指定史跡である。
寺伝では天智天皇4年(665年)、越智守興が誓願院として創建したという。平安時代中期、天台宗寺院となる。往時は松ヶ枝町一帯に12の支院があったという。
正応5年(1292年)、寺は時宗の祖・一遍の弟にあたる仙阿によって再興され、時宗に改宗し、時宗十二派のうちの奥谷派本山となった。一遍は延応元年(1239年)、この寺の一角で誕生したとされている。一遍は、伊予の守護、河野通信の第3子で、河野通広として誕生、その生涯は国宝『一遍聖絵』(一遍上人絵伝)があますところなく伝えられている。時宗の総本山は、神奈川県藤沢市の遊行寺(清浄光寺)である。寺紋は、河野氏の家紋と同じ、折敷に三文字である。


宝厳寺で再建「宝厳寺造営」の鍬入れ式表示板。


鍬入れ式式次第。


昨年10月亡くなった長岡前住職の後継者として、川崎玄倫・新住職、広島県尾道市の海徳寺住職(宝厳寺住職を兼務)が読経を上げ工事の安全を祈った。


川崎玄倫・新住職、広島県尾道市の海徳寺住職(宝厳寺住職を兼務)が読経上げる。


鍬入れ式の祭壇。


工事の安全を祈願して関係者による鍬入れの儀。


塩崎労働大臣の挨拶。


此れからの再建工事を地元報道関係者に説明する宝厳寺檀家代表者。


焼失した歴史ある宝厳寺を再建するポスター。


再建される宝厳寺の完成予定図。


焼失前の宝厳寺の本堂。


平成25年8月10日、私が松山城観光ガイドの途中天守最上階(160m)から撮った宝厳寺の火災の煙。
宝厳寺は、道後温泉本館の直ぐ近くにある。


平成25年8月10日、私が松山城観光ガイドの途中撮った宝厳寺の火災、この時既に本堂の屋根は焼け落ちていた。本堂にあった国指定重要文化財・一遍上人立像が焼失した。


平成25年8月11日付けの地元紙「愛媛新聞一面の記事」


平成25年8月11日付けの地元紙「愛媛新聞の記事」


神奈川県藤沢市にある、一遍上人が開いた、時宗の総本山、清浄光寺(しょうじょうこうじ)で、藤沢山無量光院清浄光寺と号す。近世になって法主(ほっす)・藤沢上人と遊行上人が同一上人であるため遊行寺(ゆぎょうじ)の通称の方が知られている。藤沢道場ともいう。


寺の東側にある県道30号の坂は道場坂(遊行寺坂)と呼ばれ、箱根駅伝では8区後半の難所として知られる。


以上3枚の画像は、時宗の総本山、清浄光寺(遊行寺)で、近知人から頂いたので掲載した。境内には大きな樹があるそうだ。


平成27年1月3日、箱根駅伝TV画像より引用しました・・遊行寺。
コメント (2)
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