EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山義士祭 9 終 伊予松山藩江戸中屋敷のいま

2014年12月22日 | 伊予松山歴史散策
松山義士祭の関係について書いて来たが、最後は、伊予松山藩江戸中屋敷の現在はどうなっているのかを見て終わりにする。
その前に、江戸末期伊予松山藩は親藩であったため、幕府の命により長州征伐の先鋒隊として攻め込み、第二次長州征伐も参戦、その為、維新後新政府から朝敵とされ、制裁金15万両を課せられた。松山藩は15万両の大金を調達するに大変な苦労をした。その為江戸屋敷を手放したとか?
元禄16年2月4日、大石主税以下10名の赤穂義士が伊予松山藩江戸中屋敷で切腹した。
現在、伊予松山藩江戸中屋敷は、イタリア大使館となっており、大使館内に赤穂義士が切腹した事件の記念の石碑が建立されている。
私も是非とも石碑を見たいが、特別の要人でないと大使館に入れない。
それが一度だけNHKのカメラが入り放映された。それはブラタモリの番組であった。ここに掲示する画像は、その時放映されたTV画像を撮ったものである。


江戸時代の伊予松山藩江戸中屋敷で、松平隠岐守と記載されている所である。伊予松山藩主、松平定直の時代で、松平松山藩第4代目の時代の出来事であった。松平定直(万治3年・1660~享保5年・1720)61歳没 、定直42歳の時の大きな出来事であった。


イタリア大使館の表札。


イタリア大使館の庭に立派な大きな記念石碑があるそうだ。


石碑に書かれている文字、大石主税の文字と介錯人の名前まで刻まれている。
大石主税の介錯人は、羽賀清太夫で、禄は15石3人扶持、身分は、寄合大小姓とある。
ともあれ、石碑の建立は、流石にイタリア大使館で、何時の時代の大使が建立したのか立派な事をされた。
一時期、三国同盟をした国家だけの事はあり、アッパレである。一度見れるものなら見てみたい。

コメント
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