EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

日本100名城紀行 彦根市の鐘馗さんその2

2010年03月25日 | 往年の名車 メグロ
日本100名城紀行 彦根市の鐘馗さんその2

夢京橋キャッスルロード「民芸と駄菓子の店・たかさご」から少し左に入ったお宅の棟に彦根の鐘馗さんが揚がっている。
 「民芸と駄菓子の店・たかさご」の北村さんに連れていいてもらった。今回持参した350mmレンズでは大きく撮れなかった。車で移動する時は670mmレンズを持参するのであるが今回はだめでした。

暫く彦根の町を散策したが鐘馗さんは見つからなかった。
帰りに北村さんにご挨拶をしに伺いますと大津市の長等の町にあると教えて頂いたこの次に行ってみたいと思う。

此処で昼食、夢京橋キャッスルロードの一角にあるレストランで美味しい近江牛が食べれると評判の店で昼食をとり、歩いてJR彦根駅にそして新大阪に出て新幹線で岡山に出た。連休の始まりで新幹線は満員で岡山まで立って行き、松山行きの特急しおかぜに乗り継いだ。

帰り伊予川之江駅で強風のため約3時間列車は立ち往生松山駅には3時間遅れで到着、松山は豪雨でした。

此れで今回の旅は終わった。
15日、戦艦三笠から始まった旅は、上田城・新発田城・新潟市の秋山好古揮毫石碑取材・北方文化博物館・春日山城・高岡城・七尾城・金沢城・兼六園・彦根市と生まれて始めての長旅であった。

画像は、彦根市本町二丁目の鐘馗さんで今回の旅で最後に切ったシャッターである。

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日本100名城紀行 彦根市の鐘馗さん

2010年03月25日 | 往年の名車 メグロ
日本100名城紀行 彦根市の鐘馗さん
 
金沢城&兼六園紀行のあと今回のもう一つの目的地滋賀県彦根市に移動した。
兼六園からJR金沢駅に向う途中埼玉県川越市から観光に来た老夫婦と出会い世間話をしながらバスに乗り込んだ。

町並みも綺麗に整備されていて気持ちがいい城下町である。茶屋町散策をしたかったのだが又次の楽しみに取っておこう。
13時55分の特急サンダーバード26号に乗り込み大阪に向った。

車窓からは北陸新幹線の工事が始まっている何時頃金沢に来るのか??
新潟・直江津・高岡・七尾からの特急は空いていたが、さすが金沢から京都・大阪に向う列車だけあり乗客が多い。

大阪に16時37分に着き夜は、アマチュア無線の友人と一献酌み交わし久しぶりの無線談義であった。

20日JR大阪発08時15分の新快速野洲行きに乗り、ここから彦根行きに乗り継ぎ彦根に09時49分に着いた。

今回最後の目的地は、彦根市のキャッスルロードにある、雑貨店「たこさご」店に上がっている鐘馗さん撮影が目的で伺った。

正確には「夢京橋キャッスルロード」と呼ぶそうだ。

彦根城内、彦根東高校の南西にある京橋は、一千石以上の武士が居住していた第二郭(かく)(内曲輪(うちぐるわ))と中級以下の武士や商人、職人が居住していた第三郭(かく)(内町(うちまち))をつなぐ橋でした。当時、本町は商人町で大変活気があったといいます。京橋から本町を抜ける通りを本町通りといい、町割りのたたずまいや白壁と格子窓のある街並みに、江戸時代の面影がわずかに残っているだけでしたが、現在「OLD NEW TOWN」をテーマに、本町通りに沿って立ち並ぶ街並みは、商人屋敷の良さを生かした江戸時代感覚の新しい建物に建て替えられています。喫茶店やブティック、一般民家も江戸時代の街並みに再現され、この本町通りは「夢京橋」という名前で親しまれています。
とある。

この街並みの一角に「民芸と駄菓子の店・たかさご」がある。経営者は、北村久雄さんで、暫く店内でお話をさせて頂き「名刺交換をし」目的の鐘馗さんを撮らせて頂いた。

北村さんから近所にもう一体の鐘馗さんを紹介して頂き撮影したが屋根の棟に上がっている為今回持参した350mmレンズでは大きく撮れなかった。車で移動する時は670mmレンズを持参するのであるが今回はだめでした。

またの機会にしたい。
帰り車窓から安土城跡も見たが此処にも近い内に紀行予定である。
ここ安土城が近世の城郭創設された原点の城だから。ゆっくりと見る予定である。


画像は、夢京橋キャッスルロードの一角にある「民芸と駄菓子の店・たかさご」北村さん宅の鐘馗さん
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日本100名城紀行 金沢城跡 兼六園

2010年03月25日 | 往年の名車 メグロ
日本100名城紀行 金沢城跡その2兼六園
 
金沢城紀行のあと隣接してある日本三名園兼六園を見学した。「水戸偕楽園・岡山後楽園」
ここも十数年ぶりである。
初夏のような天気で汗を掻きながら散策、雪吊は初めて見る光景である。
兼六園は、加賀藩主第5代綱紀が創作し歴代藩主が現在の形にしたそうだ。

見所は沢山あり、兼六園で必ず画像に出てくる場所が、霞ヶ池の北岸に燈籠が配された景観「徽軫灯籠・ことじとうろう」や冬の季節でないと見れない「唐崎松、からさきまつ」の雪吊りの景観が素晴らしく、外国からの観光客が盛んにカメラに納めていた。

時間も余り無いので早足で周縁し最後に今朝は朝食抜きで来たので「07時の列車に乗るには早起でないと」兼六園で朝昼兼用の昼食をした。
兼六園レストランお勧めの金沢旬の和食で・・そして好物のビールも飲んだ。

兼六園は白加賀・赤加賀の梅が満開であった。


画像は、兼六園の代表的な風物詩「唐崎松の雪吊り」である。

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日本100名城紀行 七尾城跡

2010年03月25日 | 往年の名車 メグロ
日本100名城紀行 七尾城跡
 
高岡城を跡に高岡発13時40分の普通列車に乗車し津幡で下車、津幡発14時45分の七尾線に乗り換えて七尾に向った。七尾に16時14分着、直ぐタクシーで七尾城資料館に向った。ここも雨であった。

七尾城は、1408年守護大名として能登一国を納めた畠山氏の居城で、1576年上杉謙信に攻められ、1577年再び謙信に攻められ能登畠山氏は滅びた。1581年織田信長は前田利家に能登一国を与え小丸山に城を築く。

前田利家が築いた城は、七尾城跡とは違った場所で現在のJR七尾駅近くの小丸山公園だそうだ。前田利家時代は、北前舟が寄航する港として栄ていたそうだ。・・金沢以上に
その後前田利家は加賀に移り100万石の城下町を構築していく。

この日は、七尾市に宿泊しホテルお勧めの寿司屋さんを紹介してもらい昼食抜きであったためかなりの空腹、新潟と同じく鮨ネタが新鮮で非常に美味しかった。そして地酒も

明日は今回最後の100名城紀行で日本海側最大の城下町金沢城に行く。

七尾城は、日本100名城第34番目の指定で、私は47番目の紀行である。

画像は、七尾城入り口にある石碑でこの奥7,4kmに七尾城跡がある。
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日本100名城紀行 高岡城跡

2010年03月25日 | 伊予松山歴史散策
日本100名城紀行 高岡城跡
 
春日城を跡に直江津発11時38分の特急はくたか6号に乗車し次の目的地高岡城に向った。

このあたりから日本海が見えてくる、暫く走ると親不知らず海岸を通過、北陸自動車道の橋桁はなんと海岸に建っている

高岡駅に12時58分に着いた。直ぐに高岡市立博物館に伺い高岡城の資料を受け取り高岡城散策未だ昼食しておらず。

高岡城は、加賀前田家第2代当主・前田利長が隠居していた富山城にいたが1609年大火により城町を失い徳川家康・秀忠の許可を得て高岡台地に「標高15m」築城したとある。

城跡には藩政時代の建造物は現存せず、唯当時に石垣が少し残っていた。
この石垣には沢山の刻印があった。

本丸跡には鋳物師の町だけあって沢山の多彩な銅像が建立してあった。
平成17年1月18日秋山兄弟生誕地が再建され秋山好古の騎馬像・秋山眞之の胸像もこの高岡市で製作されている。製作会社を訪れてみたかったが時間が無く高岡を後に次の訪問地七尾城に向った。

高岡城は、日本100名城第33番目の指定で、私は46番目の紀行である。

画像は、本丸に建つ前田利長の騎馬像である。
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