EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

北方文化博物館

2010年03月24日 | 往年の名車 メグロ
北方文化博物館
 
平成22年3月17日に新潟市江南区沢海二丁目に新たに発見された秋山好古揮毫石碑の取材に行きお世話になった博物館である。

この博物館は、江戸時代中期から初代が身を起こし代を重ね富を築き越後随一の豪農の伊藤家である。明治に入り全盛期には1市4郡64ヶ町村に1370町歩あり昭和に入り新潟県下一の3万俵の収穫があったそうだ。

戦後GHQにより農地は解放され伊藤家の家屋も解体の命令が出たらしいですがGHQの司令官が特別の計らいで文化財として価値あるものだからとの事で残してくれたそうだ。
伊藤家本宅の敷地が8800坪、建坪が1200坪で、現在は財団法人北方文化博物館となっている。

画像は全部旧伊藤家です、画像上の駐車場もそうです。そして平成12年に国指定の登録有形文化財になっている。

中には、レストラン・沢海カフエ・お土産売り場・地酒館・野外音楽堂・考古資料館・・まあ凄いものでした。
西日本では見る事の出来ない施設だ。

凄い施設に隣接している神社に石碑がありますから、石碑の造りも立派である。
現在好古揮毫の石碑は全国で46基発見されているが、一番立派な石碑、日本海側で発見されたのは新潟市のみで貴重な存在である。

画像左の建物が日枝神社で此処に好古の石碑がある。
神社も伊藤家の一角といった感じだ。

3月17日はここ伊藤家「現北方文化博物館」で丸一日お世話になった。

画像は、上空から見た北方文化博物館「旧伊藤家本宅」で、黄色で石碑とある記載場所に好古揮毫石碑「忠魂碑」ある。
    

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続日本100名城紀行 44番目・新発田城その2

2010年03月24日 | 往年の名車 メグロ
続日本100名城紀行 44番目・新発田城その2

新発田城の本丸表門、旧二の丸隅櫓があり、「昭和32年に国指定重要文化財の指定を受けている」カメラに収め帰ろうと思いふとある銅像があるのに気づきよく見るとなんと堀部安兵衛であった。

この日まで堀部安兵衛はてっきり江戸生まれの江戸育ちとばかり思っていたが新発田の人とは知らなかった。
その横には、忠臣蔵の関係で赤穂市との交流があると記してあった。


画像は、堀部安兵衛(旧姓中山)の銅像である。
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続日本100名城紀行 44番目・新発田城

2010年03月24日 | 往年の名車 メグロ
続日本100名城紀行 44番目・新発田城

信州上田市で一泊して新潟越後に向った。
長野新幹線高崎で上越新幹線に乗り継ぎ折角だからと思い二階建て新幹線に乗るため高崎の駅で一時間待った。

高崎を出ると直ぐ日本で一番長い清水トンネルで、トンネルを出るとなんと一面雪景色「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」川端康成の雪国そのままであった。

高崎は、春の気候、谷川岳を越えるとこんなに気候が違うのか日本は狭いが気候の差は広いなと痛感した。先日の東京は初夏で信州が春、越後は冬真っ盛りであった。そして新潟平野の広大な事、四国全体で生産される米が、新潟だけで取れるのではと思った。

新潟駅で新発田行きの列車に乗り継ぎ新発田駅に降りた。天気は霙で寒かった。東京では防寒コートが邪魔であったが、此処ではマフラーを身にまといコートを着て手袋にマスク寒さ対策である。

新発田城は、6万石溝口秀勝が築城、現在は新潟県で唯一現存する本丸表門、旧二の丸隅櫓があり、昭和32年に国指定重要文化財の指定を受けている。

復元された御三階櫓の棟はT字型になっていて鯱が三個上がっていた。これは非常に珍しく日本の櫓では新発田城だけではないのか??初めて見た。

新発田城は、日本100名城第31番目の指定で、私は44番目の紀行である。

画像は、3月16日に訪問した新潟県の新発田城で、平成16年に復元された御三階櫓である。
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続日本100名城紀行 43番目・上田城

2010年03月24日 | 往年の名車 メグロ
続日本100名城紀行 43番目・上田城

秋山好古揮毫石碑取材、新潟市行きを利用して日本100名城紀行も計画した。
最初に訪問したのは、信州上田城である。
真田昌幸が上田城を築城、1585年第一次上田合戦と1600年第二次上田合戦ともに徳川の大軍を退けた。1600年の戦いでは、徳川秀忠は関ヶ原の戦いに間に合わなかった。・・家康に大目玉をくっらたとか??

今回行ってみると城は、平城でありながらよく徳川の大軍を退けたものだと感心した。・・さすが戦略家真田昌幸、幸村である。・・そして描かれるのが真田十勇士である。
城内を散策したが、立派な真田神社があり、目に付いたのが大きな真田石があり、本丸東虎口には櫓門が復元してあった。

明日は、新潟県の新発田城跡紀行をする。

上田城は、日本100名城第27番目で、私は43番目の紀行である。

画像は、3月15日に訪問した信州上田城で、本丸櫓門前に置かれた写真撮影ようの施設である。
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