EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

秋山好古 揮毫石碑紀行 10番目「松前城跡」

2009年12月05日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古 揮毫石碑紀行 10番目「松前城跡」

この石碑は、以前から私自身承知していたが改めて取材に行った。
場所は、東レ愛媛工場正面玄関前に有り直ぐ分かる。
県道22号線沿いにある。

参考資料にあるように。1600年9月15日関ガ原の戦いに東軍と
して加藤嘉明はこの地から兵を連れて出陣した。戦い後、徳川家康は
伊予の国を二等分した。その一つを藤堂高虎に20万石、もう一つを
加藤嘉明に20万石を与えた。

嘉明は、松前城が手狭であったので1602年1月15日勝山に城の
工を起こし、1603年10月に嘉明は家臣及び住民とともに居を新
城下に移しこの地を松山という名称が公にされた・・松山の誕生・以
後伊予松山藩となる。

藩政時代、松山藩5藩あり、山形県飽海郡松山
町に存した藩・出羽松山藩・埼玉県比企郡吉に存した藩・武蔵松山藩・
奈良県宇陀郡大宇町に存した藩・宇田松山藩・岡山県高梁市に存した
藩・備中松山藩・愛媛県松山市に存した藩・伊予松山藩・内伊予松山
藩が一番大きい藩であった。

秋山好古揮毫の石碑写真集P47にある。
平成17年6月27日に写真取材をした。

1.題   額 :  松前城碑
2.所 在 地:  伊予郡松前町筒井・官有地 松前城跡
3.揮 毫 者:  陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者:  記載無し
5.建立年月日: 大正14年10月 
6.碑石大きさ: 高さ 2m 33㎝ 横幅 1m 90㎝  厚み  28㎝
参考資料:1600年9月15日関ガ原の戦いに加藤嘉明はこの地から兵を連れて出陣し1602年1月15日勝山に城の工を起こす1603年10月に嘉明は家臣及び住民とともに居を新城下に移しこの地を松山という名称が公にされた・・松山の誕生・以後伊予松山藩となる。
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秋山好古 揮毫石碑紀行 9番目「三嶋神社」

2009年12月05日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古 揮毫石碑紀行 9番目「三嶋神社」

この石碑は、旧伊予郡中山町佐礼谷の方からの情報出者取材に行きました。
場所は、松山自動車道伊予ICから車で約28分、国道56号線犬寄峠を越え
下長沢にあるガソリンスタンドを左に折れ県道225号線を行くと佐礼谷小学
校の少し上手左側に大きな社がある。境内奥に立派な石碑が目に付く。
石碑の中で二番目に大きな石碑で、形も立派な石碑、全体の石碑でもこの形は
これだけである。

秋山好古揮毫の石碑写真集P44にある。
平成17年6月27日に写真取材をした。

1.碑   文 :  忠魂碑
2.所 在 地:  伊予市佐礼谷甲1456番地1  三嶋神社
3.揮 毫 者:  陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者:  記載無し
5.建立年月日: 昭和3年11月3日
6.碑石大きさ: 高さ 4m 61㎝ 横幅 80㎝ 厚み 80㎝
参考資料:三島神社は、松山自動車道伊予ICから車で約28分

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秋山好古 揮毫石碑紀行 8番目「荒神山」

2009年12月05日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古 揮毫石碑紀行 8番目「荒神山」

この石碑は、最近発見され高浜地区ボランティア団体「ひまわり会・代表・宮
部 富光さん」からの情報で、会員みなさん達が毎週清掃活動をしている。
現地に行ってみると立派な石碑が標高27mの荒神山山頂にあった。

大正11年11月15日昭和天皇が皇太子時に軍の大演習が高浜沖で行われこの荒神山から観閲され皇太子ご結婚記念に大正13年1月に記念して建立した。宿泊は、旧伊予松山藩主、久松定謨が建築した愛媛県で始めてのフランス様式の鉄筋コンクリート造りの建物(久松定謨の松山での別宅)として建築された万翠荘に泊まられ翌朝伊予松山城に登られた。その時のお手植えの黒松が元気に現存している。

秋山好古揮毫の石碑写真集P18にある。
平成17年6月24日に写真取材をした。

1.碑   文 :  摂政宮殿下特別大演習御野立場
2.所 在 地:  松山市高浜町二丁目乙74番地29  荒神山 標高27m
3.揮 毫 者:  陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者:  新濱村
5.建立年月日: 大正13年1月 
6.碑石大きさ: 高さ 2m 97㎝ 横幅 99㎝ 厚み 36cm
参考資料:大正11年11月15日 昭和天皇が皇太子時に軍の大演習をこの荒神山から観閲され皇太子ご結婚記念に大正13年1月に記念して建立した。「海南新聞:大正11年11月15日付に詳細記事有り」
      この記念碑は、最近発見され高浜地区ボランティア団体「ひまわり会・代表・宮部 富光さん」達が毎週清掃活動をしている。
      荒神山は、伊予鉄道高浜駅から徒歩10分・標高27m
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秋山好古 揮毫石碑紀行 7番目「厳島神社」

2009年12月05日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古 揮毫石碑紀行 7番目「厳島神社」

この石碑の所在情報も秋山生誕地に来館された方からお教え頂き取材した。
現地に行ってみると堂々とした立派な石碑が境内にあり直ぐ判明した。


秋山好古揮毫の石碑写真集P12にある。
平成17年6月24日に写真取材をした。

1.碑   文 :  表忠魂
2.所 在 地:  松山市神田町1番7号 厳島神社
3.揮 毫 者:  陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者:  裏面に世話人8名の記載有り判読困難
5.建立年月日: 記載無し 
6.碑石大きさ: 高さ 4m 63㎝ 横幅 2m 50㎝ 厚み 53㎝
           石碑の中で一番大きい石碑である。
7、石碑の由来:裏面に日清・日露戦争で戦病死された氏名が記載されている。
  好古は、日清・日露戦争で従軍し亡くなった部下の事を思い陸軍大将になっても極力華美な生活は控え元帥に推薦の事も断わった。郷里の私立北予中学の校長を引き受け青少年育成に尽くした。この石碑は、平成20年10月3日、NHK四国スペシャル「拝啓秋山校長殿」で紹介された。
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秋山好古 揮毫石碑紀行 6番目「揚神社」

2009年12月05日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古 揮毫石碑紀行 6番目「揚神社」

この石碑の所在情報を頂いたのは、秋山生誕地に来館された方からお教え頂き取材した。
現地に行って境内を隈なく探すにも石碑は発見出来なく、宮司にTELで照会するも知らないとの事。
神社が違ったかと思い帰り、再度確認の為訪ねた。近所の住人に伺うと境内でなく参道入口に在るとの由、行ってみるとあった。何故宮司が知らないのか疑った。幾ら境内にないとはいえ認識不足も甚だしい。

秋山好古揮毫の石碑写真集P45にある。
平成17年6月15日に写真取材をした。

1.碑   文 :  御大典記念
2.所 在 地:  東温市北方  揚(あがり)神社 参道口
3.揮 毫 者:  陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者:  記載無し
5.建立年月日: 昭和 3年11月 
6.碑石大きさ: 高さ1m75㎝ 横幅 67㎝ 厚み 54㎝
7、参考資料:昭和3年11月10日昭和天皇即位の大礼を記念して建立した。
社殿改築落成式に松山から車で好古大将は来られ途中神社手前橋の近くで車が落輪し青年団が車を上げるも、好古大将はいいよここから歩くからと言われ神社式典に参列し揮毫した。  
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