EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊予松山城天守

2009年12月01日 | 伊予松山歴史散策
伊予松山城天守

春や昔15万石の城下哉・・子規が東京に旅立つ時に詠んだ句

今年もいよいよ師走、今日松山城ガイド当番であった。
松山城は、標高132mに本丸を、山麓に二ノ丸、平地に三ノ丸を配置する平山城で、天守は現存12天守の一つである。
城郭全体は、国指定の史跡公園で面積は、232,216平方メートル(70,245坪・東京ドームの5倍の面積がある。
史跡には針葉樹、落葉樹がり、木々は紅葉し今一番の見頃である。
今日は、横浜市からこられた女性5人組の皆さんを時間を掛けてご案内した。松山城は、書籍や写真で見たお城よりも実物のほうが素晴らしいとお褒めの言葉を頂いた。

画像は、本丸の紅葉を入れ込んで撮りました伊予松山城天守である。
      天守の高さは、標高161mある。
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鐘馗さん

2009年12月01日 | 伊予松山歴史散策
鐘馗さん

 某倶楽部の会報誌12月号特集で「京の伝統に見る・ありがたき逸品、嵯峨野面・鐘馗さん・清浄歓喜団」が掲載されている。
その一つに、町家の暮らしに寄り添う小さな守護神、鐘馗さんを紹介する。

以前にも京の鐘馗さんをブログに書いたが、再び書くことにする。
京の人々に「鐘馗さん」と呼び親しまれている。中国古来の宗教である道教で信仰を集める道士の一人をかたどったもの。

楊貴妃の故事で有名な玄宗皇帝の夢に現れ夢の中で帝を悩ませた小鬼を退治したことから、魔除けの神として広く崇められるようになった。髭をたくわえ、剣を携えた勇ましい風体のためか日本では室町時代頃から端午の節句の祝いと結びつき、絵や幟像といった形で厄払いの象徴とされたと伝わっている。

京の三条で向かいの家が増築した時に鬼瓦を上げこれを見た店の女将さんが病気になり対面する自宅の屋根に鐘馗の像置いたところ快癒したという、江戸時代の言い伝えが残るせいか京都は今もこの鐘馗さんが多く見られる。

最近の町家ブームとともに京の暮らしに根付いた縁起物として、鐘馗さんの人気は高まってきている。
伝統的な町家だけでなく新築マンションの外壁にもこのどこか愛嬌のある姿を見つける事が出来るほどで「昔から町家の向かいの家が鐘馗さんを置くと、自

分の家にも置く人が多かったようで、時々見かける斜め上を向いた鐘馗さんは、向かい合い同士で睨み合うのは良くないと考え京都人らしい感性で目をそらしている。

この中国から来た道士の小さな像は、千年の都に生きる信心深い人々の暮らしを見守り続けてきた。・・・以上は、某倶楽部の会報誌から引用。

現在京都で唯一鐘馗さんを製作しているのは「浅田製瓦工場」とある。
愛媛県今治市に菊間瓦製作所が沢山あるが、此処でも鐘馗さんを製作している製瓦工場がある。我が家にも菊間瓦製の鐘馗さんを上げている。

画像は、私も何故か鐘馗さんにひかれ写真を撮りに出かけている。
今年4月11日に京都の鐘馗さん撮影に行った時撮影した新築マンションの外壁に4体の鐘馗さんを発見したその一体である。
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