EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

秋山好古 揮毫石碑紀行 16番目「石槌神社遥拜所」

2009年12月08日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古 揮毫石碑紀行 16番目「石槌神社遥拜所」
 
一時期、石碑は横倒しになっていたが、地主の千葉農園先代社長が再建立した。
裏面に建立した経緯らしい文言が記載されているが判読困難である。

秋山好古揮毫の石碑写真集 P34に掲載
平成17年7月24日に写真取材をした。

1.碑   文 :  石槌神社遥拜所 
2.所 在 地:  松山市祝谷三丁目5番1号
3.揮 毫 者:  陸軍大将従二位勲一等 秋山好古
4.建 立 者:  記載無し
5.建立年月日: 大正13年 甲子5月 
6.碑石大きさ: 高さ 2m 35㎝  横幅 2m16㎝  厚さ 23㎝
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秋山好古 揮毫石碑紀行 15番目「五色濱神社」

2009年12月08日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古 揮毫石碑紀行 15番目「五色濱神社」

藤谷豊城は、安政6年(1859年)6月29日、大洲藩士稲葉六良右衛門
第三子として誕生。明治8年10月、郡中藤谷家の養子として入籍した。

明治11年に20歳で町会議員になりその後、郡連合会議員、町政・郡政に参
画すること40年の長きに及び、この間郡中銀行、南予鉄道会社、伊予汽船会
社設立に参画など地方の振興に寄与した。 

明治44年2月、郡中町長に就任すると苦しい財政を克服して郡中港の大改修を実施
しこれが郡中の発展の根源になった。港南の地に五色濱神社の建立を計り、町内各
社も合祀して完成した。 

 藤谷豊城の功績を顕彰して大正13年10月五色濱神社前に銅像を建立したが太平
洋戦争に金属供出で消失、台座は残っており、昭和48年3月28日再建立された。 
揮毫(きごう)は、陸軍大将 秋山好古である。

なお、五色濱神社本殿にある、社号額は内閣総理大臣伊藤博文の揮毫である。
伊藤博文は、満州に行く前体調を壊し養生の為、道後温泉に来ている。
その時に揮毫したものである。
           

秋山好古揮毫の石碑写真集 P42に掲載
平成17年7月27日に写真取材をした。

1.題   額 :  藤谷豊城翁像 
2.所 在 地:  伊予市灘町309番地  五色濱神社
3.揮 毫 者:  秋山好古
4.建 立 者:  記載無し
5.建立年月日:  昭和48年3月28日再建立
6.石碑大きさ:  高さ 2m60㎝ 横幅  66,5㎝  


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秋山好古 揮毫石碑紀行 14番目「正八幡神社」

2009年12月08日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古 揮毫石碑紀行 14番目「正八幡神社」
 
正八幡神社、正面向って右側の注連石に 作善降之百祥の揮毫があり横に揮毫者、陸軍大将従二位勲一等功二級 秋山好古の名前が刻印されている。
境内には、日露戦役凱旋紀念の碑「明治40年9月1日建立」がある。


秋山好古揮毫の石碑写真集 P16に掲載
平成17年7月23日に写真取材をした。

1.注連石碑文 :  作善降之百祥 不善降之百殃
2.所 在 地:  松山市窪野町北谷甲1、098番地  
正八幡(しょうはちまん)神社(じんじゃ)
3.揮 毫 者:  陸軍大将従二位勲一等功二級 秋山好古
4.建 立 者:  世話人氏名裏面に記載あり
5.建立年月日:  昭和3年4月
6.石碑大きさ:  高さ 3m  56㎝ 表幅 37㎝  横幅 33㎝
7.石碑の由来: 正八幡(しょうはちまん)神社(じんじゃ) 
注連石(しめいし) の揮毫
作善降之百祥は、「よいことをすれば百の嬉しいことがあり」」
不善降之百殃は、「悪いことをすれば百の災いがある」


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秋山好古 揮毫石碑紀行 13番目「護国神社」

2009年12月08日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古 揮毫石碑紀行 13番目「護国神社」
 
昭和3年松山市立清水小学校開校及び昭和天皇即位の大礼を記念して20数名の先生方が醵金して校庭に建立した。

昭和20年10月米英を主とする連合軍が松山に進駐し、先般の吉田町の石碑の如く、「連合軍最高司令官マッカーサー元帥の命令で撤去せよ」と、松山進駐軍第24師団司令官・トーマスD、ドレーク陸軍大佐から撤去指示が出され撤去した。

撤去した石碑は、平成7年9月まで清水小学校の用具室に眠っていたのを、同年10月渡部校長の許可を得て愛媛県護国神社、波爾荘(はに) 識(さかえ)宮司の努力で境内に再建立した。

碑石が割れているのは、撤去作業時に破損したものである。撤去指示が出されたのは、義務教育の施設である小学校の校庭に陸軍大将揮毫の石碑それも「天壌無窮」の碑文も原因であったのではないかと思う。

昭和16年3月、国民学校が公布され教育の目的は、「皇国(こうこく)ノ道ニ則(のっと)りテ初等普通教育ヲ施(ほどこ)し国民ノ基礎的練成ヲ為(な)スヲ以(もつ)テ目的トス」(第一条)とあって、「皇国(こうこく)ノ道」とは「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スル道」と意味づけされたと言う。・・天壤無窮の碑文碑が校庭にある事が進駐軍ににらまれ、司令長官命令で石碑が撤去されたと思う。陸軍大将と天壌無窮が重なって。

秋山好古は、当時(昭和3年)北豫中学校長在任中であり先生方が依頼したものである。なお、醵金建立した先生方の名前が碑石裏面に刻印してあったが、風化で消えて見えない。

参考事項:神勅(しんちょく)とは神の与えた命令、またその文書をさす言葉である。
昭和16年3月、国民小学校が公布され4月1日に明治以来親しまれてきた「小学校」の名称が「国民学校」に改められた。教育の目的には「皇国の道に則り(のっとり)テ初等普通教育ヲ施(ほどこ)シ国民ノ基礎的練成ヲ為(な)スヲ以(もつ)テ目的トス(第一条)とあって、「皇国ノ道」とは「天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スル道」と意味づけされた。教科書は、知育が軽視され神秘的な儀式教育が重視され国家主義的・軍事的色彩が強く示されていた。

秋山好古揮毫の石碑写真集 P10掲載
平成17年7月14日に写真取材をした。
1.碑   文 :  天壤(てんじょう)無窮(むきゅう)  昭和3年御大典・清水小学校開校記念碑
2.所 在 地:  松山市御幸一丁目476番地  愛媛県護国神社
3.揮 毫 者:  陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者:  裏面に建立者20数名の先生記載殆ど判読困難
5.建立年月日: 昭和 3年 
6.碑石大きさ: 高さ 1m35cm  横幅1m10cm  厚さ 35㎝
参考資料:昭和3年清水小学校開校及び昭和天皇即位の大礼を記念して20数名の先生方が醵金建立した。
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秋山好古 揮毫石碑紀行 12番目「雄郡神社」

2009年12月08日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古 揮毫石碑紀行 12番目「雄郡神社」
 
 
平成17年6月14日、秋山兄弟生誕地のスタッフ、河端久美子さんのお孫さんが七五三お祝いで雄郡神社本殿で行い扁額を発見した。
紹介している好古揮毫石碑の中で、特別番外編として扱っている。
普段は、本殿には上がる事が出来ず見る事が出来ないし、直筆の扁額が神社本殿に残っている事は珍しいので取上げた。


秋山好古揮毫の石碑写真集 P32に掲載
平成17年7月14日に写真取材をした。

1.扁   額 :  照 明   「昭和3年11月10日昭和天皇即位の大礼記念・奉納」
2.所 在 地:  松山市小栗三丁目4番12号  雄郡神社本殿
3.揮 毫 者:  陸軍大将従二位一等功二級 秋山好古
4.奉 納 者:  池田清二郎 他17名の記載あり
5.奉納年月日: 昭和 3年 11月 
6.扁額大きさ : 計測不能
7.扁額の由来:当時の雄郡神社の宮司・高市豫興(たかいちよこう)氏が北豫中学で教鞭を取っていた関係で、好古に依頼し揮毫してもらった。直筆の扁額が神社に残っている事は珍しい。
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