JA8MEMのつれづれ日誌

趣味のアマチュア無線での出会いやカメラ片手の散策の出来事を写真とともに綴るブログです。

歴史ロマンを感じる小さな教会...

2009-12-17 21:56:39 | せたな町・今金町
 北海道の上空に強い寒気が入り込み、各地で連日厳しい冷え込みが続いている。函館も今日で3日連続の真冬日、さらに大雪に見舞われ、「この冬は暖冬傾向...。」と予想した気象関係者を恨みたい...。
 この寒さの中、今日は早朝からせたな町へ所用で車を走らせた。ところが、道路はアイスバーンでツルッツル...、石川町の函館新道入口ではトラックがスリップして登れず立ち往生...、その影響で2、300mほどの渋滞で、20分程度時間を食ってしまった。この先の不安を募らせハンドルを握る...。

            
 先日、せたな町で「日本最初の女医 荻野吟子」の像について掲載したが、「今金町に荻野吟子とご主人や信者たちが建てた教会が残っている。」とのコメントをいただき、立ち寄ることにした。教会はの名は「インマヌエル教会」...、役場で訪ねると地図を見ながら「道なりに行った左手にある。ただ、小さいので物置と間違って見落とさないように...。」とのアドバイス...。田園風景が広がる小さな木立の中に十字架が乗った屋根が見えた...。

 
 荻野吟子の夫、志方之善を始めとするキリスト教徒が明治24年(1891)に理想郷を築こうと入植、神への祈りと開墾作業を行った。そして、その土地に建てられた小さな「インマヌエル教会」...。インマヌエルはヘブライ語で「神我と共にあります」という意味を持ち、この地を「インマヌエルの丘」と名付けた。(今金町観光リーフレットから)

                        
 この教会は、昭和43年(1968)に修復されたとのことだが、木立に囲まれ、正面には狩場岳の秀峰、背後には清流で知られる利別川が流れる。かっては吟子を始め信者の住居として使われ、その記念碑が建立されている。
 「荻野吟子」は日本最初の女医さんの話だったのだが、ところが農業を目的として本格的に移り住む「夫・志方之善」が今金町農業開拓の始まりであること、また、現在の神丘と改名を余儀なくされるまで、この地の名称はインマヌエルと呼ばれていたこと、さらに、今金町の名前の由来は、その後入植した「今村藤次郎」と「金森石郎」の2人の名前の頭文字をとったことなど、歴史ロマンにも触れることが出来た。
 教会の周辺は町内でも有数の田園地帯、来年、ジャガイモの花が咲く頃にもう一度立ち寄ることにしようっと...。

               
 ところで、せたな町の帰り森町本茅部から見た駒ヶ岳、夕陽の輝きに見惚れてカメラのシャッターを押した1枚。ただ、雪化粧の駒ヶ岳はやっぱり寒そう...。
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