28年前の昭和63年(1988)3月13日青函トンネルが開通...。伴って、本州と北海道を結ぶ大動脈だった青函連絡船は80年の歴史を閉じた。当時の函館にとって青函連絡船はなくてはならないもので、当然のように市民の間から連絡船の存続を求める声が上がった...。
しかし、利用者の減少と国鉄の分割・民営化による影響もあって存続は叶わなかったが、市民の強い要望の甲斐あって「函館のシンボル」として青函連絡船最後の日まで運航していた“摩周丸”を旧函館第二岸壁に係留・保存することとなった...。
岸壁に係留されている“摩周丸”は、函館港にまた函館の街にしっかりとなじみ原風景としてなくてはならないものになっている...。現在は函館市の「青函連絡船記念館」として操舵室・無線通信室などが当時のまま残され見学できるほか、青函連絡船の歴史や仕組みを実物の部品や模型、パネルなどで解説している。
当時は、、修学旅行や出張で本州に渡るとき、必ず青函連絡船を利用したものだが、特に昭和63年に「青函トンネル開通記念博覧会」が開催されたとき、JARL渡島檜山支部がアマチュア無線特別局(8J8XPO)を“摩周丸”の無線室に開設し、博覧会期間中の72日間仕事を投げて通い詰めたことが、忘れることのできない思い出として残っている...。
“摩周丸”は平成20年度に経済産業省の「近代化産業遺産」,23年度に「機械遺産」という認定を受けているが、函館市の事業仕分けでは「将来的な維持修繕費も勘案しながら,施設のあり方(現行どおり・モニュメントとしての保存・ 廃止など)について判断していく」と、廃止も視野に入っているそうだ。確かに、建造されて50年近くにもなり、老朽化が進み維持するのも大変だと思う。しかし、青函連絡船をなくしたら函館の街は消えてしまわないだろうか...。
青函連絡船から青函トンネルへ...、そして、北海道新幹線と時代の流れを感じてしまうが、函館にとっとはどれもその時々に重要に役割を果たしているものの、いま北海道新幹線の開業を目の前にして改めて青函連絡船の歴史を見つめ直したい気分にさせられた...。
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