自分の句などに採点をして頂く、という趣味はありません。
絶対的な基準のない世界で「評価」とはありえないからです。
華道や茶道と同様で御金儲けの手段として「評価」が
使われているように思います。
大いにお叱りを受けそうですが、本来、和歌や俳句は
自分の為に謳うものと考えます。
人さまから、あれはよい、とか此処を直せとか言われる
筋合いはないものですね。
「添削」をされる俳人って人の心が見えるの?
●
しかし十年ほど前突如始めた私の作句について
流石に心配になり、小学校の恩師で卒業後も
時折お世話になっていた高田先生に頼ってしまいました。
お忙しい先生に申し訳ない事をお願いしたものです。
郵便で句を届け、先生、長年の宿題を果たせているで
しょうか?
すぐにご返事を頂戴しました。
「句集を作れ」とのお言葉まで。
もちろん昔の生徒を励ますために言って下さった事は
よくわかります。
舞いあがるなんてことはありませんでした。
それに、お金が勿体ない。
出来た句集を家に積んでおくのか、という不安もあり
いまだに手を付けられません。
ま、このままで良いのでしょう。
いつかあの世で先生にお叱りを受けるでしょうが。
絶対的な基準のない世界で「評価」とはありえないからです。
華道や茶道と同様で御金儲けの手段として「評価」が
使われているように思います。
大いにお叱りを受けそうですが、本来、和歌や俳句は
自分の為に謳うものと考えます。
人さまから、あれはよい、とか此処を直せとか言われる
筋合いはないものですね。
「添削」をされる俳人って人の心が見えるの?
●
しかし十年ほど前突如始めた私の作句について
流石に心配になり、小学校の恩師で卒業後も
時折お世話になっていた高田先生に頼ってしまいました。
お忙しい先生に申し訳ない事をお願いしたものです。
郵便で句を届け、先生、長年の宿題を果たせているで
しょうか?
すぐにご返事を頂戴しました。
「句集を作れ」とのお言葉まで。
もちろん昔の生徒を励ますために言って下さった事は
よくわかります。
舞いあがるなんてことはありませんでした。
それに、お金が勿体ない。
出来た句集を家に積んでおくのか、という不安もあり
いまだに手を付けられません。
ま、このままで良いのでしょう。
いつかあの世で先生にお叱りを受けるでしょうが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます