話題の?『マイ・バック・ページ』見ました。
原作が川本三郎ですからね、興味を惹かれて。
(妻夫木くんじゃ余りに川本氏と違うけれども)
真面目な良い映画だと思います。
暗いかもしれないけれども。
私はラストシーンは甘いと思います。
日本人向けだなあ。
それにこういう話は昔からパターンでよくあるし。
山下監督は力量がある方なんでしょう。
(ここんとこ日本映画にご無沙汰で分かりません)
あえて余りドロドロな表現はしなかったのでは?
○
そのうちTVでやるだろうからタダで見られるのを
待とうか、とも思ったのではありますが
野球だってTVで見るのと球場での観戦は違います。
歌舞伎だって能だってTV中継では面白くありません。
映画も(TV中継)では不十分で、やはり映画館で見る
のが本当ですよね。
時間と体力とお金が少しあれば。
○
俳優が良い。
松山ケンイチも難しい役を実に「らしく」演じます。
監督も良いのでしょうが近頃は役者のレベルが高い?
小道具もロケも特撮も、スタッフのレベルが高いのでしょう
昭和の感じがよく出ていると思いました。
(細かくは注文できそうだけれど)
あの時代を懐かしむという見方も可能です。
また、話の内容に関して、こういうことがあったのか
という見方もできますね。
実はオソマツな「新左翼ごっこ」だった、ということも
多いはずです。
勿論すごい世界(本物)もあったとは聞きます。
若さということを描いた映画としても見られます。
あのころは真面目に生きていたのに、などと人生を
反省する映画かもしれません。
人それぞれでしょうが、私は以下の感想を持ちました。
今の日本がこうなっている責任の一端は団塊世代
もしくは全共闘世代にある、と。
団塊世代は立派にやって日本を発展させ、その後の人が
まずかったなどと考えてはいけないのです。
当時の考え方が悪かったわけでもありません。
若気の至りもあれど、100%間違っていたわけではなく
世界の思想の潮流とシンクロしていたはずです。
「人間は自分がどう生きるか、個々人が真摯に考えるべき
であり、そのためには既成概念に捉われる必要はない」
ここを出発点にして生きていれば、運動が政権に敗れ
暴力的な極左が自滅しようが、そんなの関係ねー
筈だったのです。
ところが現実は、ゲバ棒を振り回して「資本の走狗め」
などと言っていたはずのその銀行に就職したり
国家権力と対峙するはずが官僚になってたりします。
理屈は色々とコネますが、要は自分個人の利益優先。
生物ですから種や個体の生存を優先させるのは結構ですが
少なくとも我々はただの動物である以上の存在なんだから
自分の利益ばかりを優先させるのは人間としては
どうなんでしょう。
(「センセもここまでしか出来ないの、ごめんね」
・・・これは明らかに自己利益優先の例
「俺もいろいろ手を尽くしたが及ばなかった、
苦渋の決断なんだ。許してくれ」
これも同様ですね。自分は生き残る。)
自分の利益を優先する人間ばかりになれば
良い国ができるワケがないのです。
政治家とか東電とかを見れば分かりますね。
「菅は嫌いだ、だから震災復興は後回しでやむを得ない」
なんていうのが自分の利益しか考えていない代表です。
○
私など、デモといえば広島でベ平連がやったのに
二度ほど後尾にくっついた程度のノンポリで、
自分の考えも行動力もない事が常に恥ずかしかったけれど
気後れしていた相手の連中がさっさと変わっちゃった。
私は社会に出ても優秀なサラリーマンにはなれず(当然)
塾を任されれば「儲けない主義」を批判され
ぐずぐずと生きてきましたが、変わり身の速かったやつより
変われなかった分だけはマシだと思っています。
同窓会など行きたくもない。
「小さな居酒屋やってる知り合い」がいたら邂逅したいなあ。
○
川本三郎の言いたかったことは、↑こうではないか
と私流の解釈なのですが、やはりヒガミっぽいようですねえ
PS
臨場感が足りないという意見を聞きました。
そりゃ、映画じゃムリです。
血が騒ぐような異様な空気はナマでないとね。
人の気持ちも大きく関係します。
広大に機動隊が入った日、遠くから見ているしかなかった
居ても立ってもいられないあの感じ。
ふだんの論争だって内容は今思えばカワイイものですが
意気込みは「てめえ、ぶっ殺すぞ」くらい・・必死でしたね。
再現できると思う方がおかしいでしょう。
また表面だけ似せられたとして、その効果は何?
刺激が強くないとダメというのは韓国映画の見過ぎです。
想像力が必要なのです。
原作が川本三郎ですからね、興味を惹かれて。
(妻夫木くんじゃ余りに川本氏と違うけれども)
真面目な良い映画だと思います。
暗いかもしれないけれども。
私はラストシーンは甘いと思います。
日本人向けだなあ。
それにこういう話は昔からパターンでよくあるし。
山下監督は力量がある方なんでしょう。
(ここんとこ日本映画にご無沙汰で分かりません)
あえて余りドロドロな表現はしなかったのでは?
○
そのうちTVでやるだろうからタダで見られるのを
待とうか、とも思ったのではありますが
野球だってTVで見るのと球場での観戦は違います。
歌舞伎だって能だってTV中継では面白くありません。
映画も(TV中継)では不十分で、やはり映画館で見る
のが本当ですよね。
時間と体力とお金が少しあれば。
○
俳優が良い。
松山ケンイチも難しい役を実に「らしく」演じます。
監督も良いのでしょうが近頃は役者のレベルが高い?
小道具もロケも特撮も、スタッフのレベルが高いのでしょう
昭和の感じがよく出ていると思いました。
(細かくは注文できそうだけれど)
あの時代を懐かしむという見方も可能です。
また、話の内容に関して、こういうことがあったのか
という見方もできますね。
実はオソマツな「新左翼ごっこ」だった、ということも
多いはずです。
勿論すごい世界(本物)もあったとは聞きます。
若さということを描いた映画としても見られます。
あのころは真面目に生きていたのに、などと人生を
反省する映画かもしれません。
人それぞれでしょうが、私は以下の感想を持ちました。
今の日本がこうなっている責任の一端は団塊世代
もしくは全共闘世代にある、と。
団塊世代は立派にやって日本を発展させ、その後の人が
まずかったなどと考えてはいけないのです。
当時の考え方が悪かったわけでもありません。
若気の至りもあれど、100%間違っていたわけではなく
世界の思想の潮流とシンクロしていたはずです。
「人間は自分がどう生きるか、個々人が真摯に考えるべき
であり、そのためには既成概念に捉われる必要はない」
ここを出発点にして生きていれば、運動が政権に敗れ
暴力的な極左が自滅しようが、そんなの関係ねー
筈だったのです。
ところが現実は、ゲバ棒を振り回して「資本の走狗め」
などと言っていたはずのその銀行に就職したり
国家権力と対峙するはずが官僚になってたりします。
理屈は色々とコネますが、要は自分個人の利益優先。
生物ですから種や個体の生存を優先させるのは結構ですが
少なくとも我々はただの動物である以上の存在なんだから
自分の利益ばかりを優先させるのは人間としては
どうなんでしょう。
(「センセもここまでしか出来ないの、ごめんね」
・・・これは明らかに自己利益優先の例
「俺もいろいろ手を尽くしたが及ばなかった、
苦渋の決断なんだ。許してくれ」
これも同様ですね。自分は生き残る。)
自分の利益を優先する人間ばかりになれば
良い国ができるワケがないのです。
政治家とか東電とかを見れば分かりますね。
「菅は嫌いだ、だから震災復興は後回しでやむを得ない」
なんていうのが自分の利益しか考えていない代表です。
○
私など、デモといえば広島でベ平連がやったのに
二度ほど後尾にくっついた程度のノンポリで、
自分の考えも行動力もない事が常に恥ずかしかったけれど
気後れしていた相手の連中がさっさと変わっちゃった。
私は社会に出ても優秀なサラリーマンにはなれず(当然)
塾を任されれば「儲けない主義」を批判され
ぐずぐずと生きてきましたが、変わり身の速かったやつより
変われなかった分だけはマシだと思っています。
同窓会など行きたくもない。
「小さな居酒屋やってる知り合い」がいたら邂逅したいなあ。
○
川本三郎の言いたかったことは、↑こうではないか
と私流の解釈なのですが、やはりヒガミっぽいようですねえ
PS
臨場感が足りないという意見を聞きました。
そりゃ、映画じゃムリです。
血が騒ぐような異様な空気はナマでないとね。
人の気持ちも大きく関係します。
広大に機動隊が入った日、遠くから見ているしかなかった
居ても立ってもいられないあの感じ。
ふだんの論争だって内容は今思えばカワイイものですが
意気込みは「てめえ、ぶっ殺すぞ」くらい・・必死でしたね。
再現できると思う方がおかしいでしょう。
また表面だけ似せられたとして、その効果は何?
刺激が強くないとダメというのは韓国映画の見過ぎです。
想像力が必要なのです。
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