映画『マイ・バック・ページ』

2011-06-04 10:48:06 | 塾あれこれ
話題の?『マイ・バック・ページ』見ました。

原作が川本三郎ですからね、興味を惹かれて。
(妻夫木くんじゃ余りに川本氏と違うけれども)

真面目な良い映画だと思います。
暗いかもしれないけれども。

私はラストシーンは甘いと思います。
日本人向けだなあ。
それにこういう話は昔からパターンでよくあるし。

山下監督は力量がある方なんでしょう。
(ここんとこ日本映画にご無沙汰で分かりません)
あえて余りドロドロな表現はしなかったのでは?


そのうちTVでやるだろうからタダで見られるのを
待とうか、とも思ったのではありますが
野球だってTVで見るのと球場での観戦は違います。
歌舞伎だって能だってTV中継では面白くありません。

映画も(TV中継)では不十分で、やはり映画館で見る
のが本当ですよね。
時間と体力とお金が少しあれば。


俳優が良い。
松山ケンイチも難しい役を実に「らしく」演じます。

監督も良いのでしょうが近頃は役者のレベルが高い?

小道具もロケも特撮も、スタッフのレベルが高いのでしょう
昭和の感じがよく出ていると思いました。
(細かくは注文できそうだけれど)

あの時代を懐かしむという見方も可能です。

また、話の内容に関して、こういうことがあったのか
という見方もできますね。
実はオソマツな「新左翼ごっこ」だった、ということも
多いはずです。
勿論すごい世界(本物)もあったとは聞きます。

若さということを描いた映画としても見られます。

あのころは真面目に生きていたのに、などと人生を
反省する映画かもしれません。

人それぞれでしょうが、私は以下の感想を持ちました。

今の日本がこうなっている責任の一端は団塊世代
もしくは全共闘世代にある、と。
団塊世代は立派にやって日本を発展させ、その後の人が
まずかったなどと考えてはいけないのです。

当時の考え方が悪かったわけでもありません。

若気の至りもあれど、100%間違っていたわけではなく
世界の思想の潮流とシンクロしていたはずです。

「人間は自分がどう生きるか、個々人が真摯に考えるべき
であり、そのためには既成概念に捉われる必要はない」

ここを出発点にして生きていれば、運動が政権に敗れ
暴力的な極左が自滅しようが、そんなの関係ねー
筈だったのです。

ところが現実は、ゲバ棒を振り回して「資本の走狗め」
などと言っていたはずのその銀行に就職したり
国家権力と対峙するはずが官僚になってたりします。

理屈は色々とコネますが、要は自分個人の利益優先。

生物ですから種や個体の生存を優先させるのは結構ですが
少なくとも我々はただの動物である以上の存在なんだから
自分の利益ばかりを優先させるのは人間としては
どうなんでしょう。

(「センセもここまでしか出来ないの、ごめんね」
  ・・・これは明らかに自己利益優先の例

 「俺もいろいろ手を尽くしたが及ばなかった、
  苦渋の決断なんだ。許してくれ」
  これも同様ですね。自分は生き残る。)

自分の利益を優先する人間ばかりになれば
良い国ができるワケがないのです。
政治家とか東電とかを見れば分かりますね。

「菅は嫌いだ、だから震災復興は後回しでやむを得ない」
なんていうのが自分の利益しか考えていない代表です。


私など、デモといえば広島でベ平連がやったのに
二度ほど後尾にくっついた程度のノンポリで、
自分の考えも行動力もない事が常に恥ずかしかったけれど
気後れしていた相手の連中がさっさと変わっちゃった。

私は社会に出ても優秀なサラリーマンにはなれず(当然)
塾を任されれば「儲けない主義」を批判され
ぐずぐずと生きてきましたが、変わり身の速かったやつより
変われなかった分だけはマシだと思っています。

同窓会など行きたくもない。

「小さな居酒屋やってる知り合い」がいたら邂逅したいなあ。


川本三郎の言いたかったことは、↑こうではないか
と私流の解釈なのですが、やはりヒガミっぽいようですねえ

PS
臨場感が足りないという意見を聞きました。

そりゃ、映画じゃムリです。
血が騒ぐような異様な空気はナマでないとね。

人の気持ちも大きく関係します。
広大に機動隊が入った日、遠くから見ているしかなかった
居ても立ってもいられないあの感じ。
ふだんの論争だって内容は今思えばカワイイものですが
意気込みは「てめえ、ぶっ殺すぞ」くらい・・必死でしたね。
再現できると思う方がおかしいでしょう。

また表面だけ似せられたとして、その効果は何?
刺激が強くないとダメというのは韓国映画の見過ぎです。
想像力が必要なのです。


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