「会議がある」と呼び出されて行ってみると
塾長+楽々園メンバーが着席して待っており
その前に席を勧められました。
10:1くらいの感じかな。
旧共産圏の映画で見たような光景です。
「・・・早い話が、あんたの下ではやっていけないと
ここの皆が言っておる、こりゃどういうことだ」と塾長。
よい年をしたバイトのオッサンまでが「あんたねえ」と
塾長のそばに座って(弾劾)です。
お前、小学部について先頃「こんな塾には自分の子供は
絶対来させない」なんて陰で喋ってたじゃないか。
どこからバイト代をもらっていてそんなことを言えるの?
ベテラン職員から、そのバイトの悪口を他にも多々
言われており、それを誰が聞かされてたと思うのか・・・
全部オレのところで止めてたじゃないか。
○
しかし一事が万事バイトの調子で皆さんの意気のみ上がり
塾長「ま、よく考えるように」・・・だって。
生まれて一度きりの経験ですが、徹夜で悩みました。
そこまでいうのなら辞めますよ、というのと
途中で放りだしてお前の責任をどうする、と。
昨日書いた塾長との「節目会談」でも私は
「そこまで仰るのならクビにしたらどうですか」
「で、君はどうする?」(←愚問。笑えるでしょ)
「このビルの真ん前に塾を開きます」
塾ってのは初期投資があまり掛かりませんからね。
そう返事すると、むにゃむにゃ引っ込むのでした。
ただし、よい気持ちは残らない。
だったら初めから変なことを聞かなきゃいいのです。
ま、そんな事が何度もありましたから、あらためて
「ハナから引き受けるんじゃなかった」の思いもあります。
連中が陰で飲み会を開いて(クーデタ-)をしかけた
のですから、向こうも本気で嫌だということ。
これは上手くいくはずがありません。
私も気が悪い。
通常、会社ならば一人を呼んで、飲みながらでも
「君、こんな話が聞こえてくるんだがね、
やり方を変えなきゃいかんだろ、どう?」
なんてのがあって、それでもダメなら査問会議か
左遷の辞令ですよね。
一発で塾長が乗った話ですから途中で責任放棄では
あれど、辞めるのもやむを得ないでしょ。
一応これでもオトコだ(当時では珍しい草食系だけど)
翌日、塾長に電話を入れ
「辞めます」
「君、そりゃ困る」
私は「はあ~!」
(爺、何言うとんじゃ)と思いつつ
「じゃ、どうしろと言われるのですか、到底無理でしょ」
「君の方で考えてくれたまえ」
彼にも腹案がある、なんてことはなかった。
(それじゃ、「経営者」じゃねえだろ)
でも、無責任に放り出すことをしないで済むチャンス。
私が塾を辞めなければ不満な人も多いでしょうが。
数日考えて「これがダメなら辞めます」と
提示したのが(3A)という特別進学クラス構想でした。
私が一人で3Aを教える{英・数・国を一人で}がミソ
(理科はイマイチでしたのであちらへ寝返ったKに
仕方なく頼み、その時間は3Bで社会を教えます。
理科をやってもよかったのですが生徒に悪いし
密室状態になるのも避けたいし、3Bも見ていたいし)
ということで8番教室を3A専用にし、私もそこに常駐。
私が職員室からいなくなるのであちらも気楽でしょう。
実際、毎日仕事始めの定例ミニ会議以外は私は一人で8番に
(持ち込みのTV冷蔵庫付き教室)でノンビリさせてもらいました。
予習他仕事の準備で恒常的に寝不足だったしね。
平常時ならこんな案が通るわけがありませんね。
3A体制にすると難関校合格率が驚異的にあがりました。
(優秀な連中を一人で特訓すれば誰が担当しても可能なのです)
つまり3Aの栄光はひとえに「生徒たちの努力」の賜。
○
ところが3Aが有名になると、塾内からは
「井上はイイトコドリ」なんて陰口が聞こえてくるのです。
つくづく情けない。
もしくは私の器量が小さいのか・・
何回も年度替りに「私がいなくなったら困るから
3Aを一緒にやる人は・・・?」
シーーン
ついにある年、私が3Bを担当、他の方達でご自由に3A
ということを強引に実現させました。(3A社会は井上)
3Aを担当された方もプレッシャーでしたでしょう。
皆さん良く頑張られ、結果は良いものでした。さすが。
私の3Bは?
しばしば自慢していますがその年の3Bは史上唯一の好成績、
「見たか」ですよね。
この体制ならば更なる合格者増大が見込めます。
少しだけ小学部に近づいた。。。
○
ところがその翌年度、
またも塾長がやってくれます。
塾長+楽々園メンバーが着席して待っており
その前に席を勧められました。
10:1くらいの感じかな。
旧共産圏の映画で見たような光景です。
「・・・早い話が、あんたの下ではやっていけないと
ここの皆が言っておる、こりゃどういうことだ」と塾長。
よい年をしたバイトのオッサンまでが「あんたねえ」と
塾長のそばに座って(弾劾)です。
お前、小学部について先頃「こんな塾には自分の子供は
絶対来させない」なんて陰で喋ってたじゃないか。
どこからバイト代をもらっていてそんなことを言えるの?
ベテラン職員から、そのバイトの悪口を他にも多々
言われており、それを誰が聞かされてたと思うのか・・・
全部オレのところで止めてたじゃないか。
○
しかし一事が万事バイトの調子で皆さんの意気のみ上がり
塾長「ま、よく考えるように」・・・だって。
生まれて一度きりの経験ですが、徹夜で悩みました。
そこまでいうのなら辞めますよ、というのと
途中で放りだしてお前の責任をどうする、と。
昨日書いた塾長との「節目会談」でも私は
「そこまで仰るのならクビにしたらどうですか」
「で、君はどうする?」(←愚問。笑えるでしょ)
「このビルの真ん前に塾を開きます」
塾ってのは初期投資があまり掛かりませんからね。
そう返事すると、むにゃむにゃ引っ込むのでした。
ただし、よい気持ちは残らない。
だったら初めから変なことを聞かなきゃいいのです。
ま、そんな事が何度もありましたから、あらためて
「ハナから引き受けるんじゃなかった」の思いもあります。
連中が陰で飲み会を開いて(クーデタ-)をしかけた
のですから、向こうも本気で嫌だということ。
これは上手くいくはずがありません。
私も気が悪い。
通常、会社ならば一人を呼んで、飲みながらでも
「君、こんな話が聞こえてくるんだがね、
やり方を変えなきゃいかんだろ、どう?」
なんてのがあって、それでもダメなら査問会議か
左遷の辞令ですよね。
一発で塾長が乗った話ですから途中で責任放棄では
あれど、辞めるのもやむを得ないでしょ。
一応これでもオトコだ(当時では珍しい草食系だけど)
翌日、塾長に電話を入れ
「辞めます」
「君、そりゃ困る」
私は「はあ~!」
(爺、何言うとんじゃ)と思いつつ
「じゃ、どうしろと言われるのですか、到底無理でしょ」
「君の方で考えてくれたまえ」
彼にも腹案がある、なんてことはなかった。
(それじゃ、「経営者」じゃねえだろ)
でも、無責任に放り出すことをしないで済むチャンス。
私が塾を辞めなければ不満な人も多いでしょうが。
数日考えて「これがダメなら辞めます」と
提示したのが(3A)という特別進学クラス構想でした。
私が一人で3Aを教える{英・数・国を一人で}がミソ
(理科はイマイチでしたのであちらへ寝返ったKに
仕方なく頼み、その時間は3Bで社会を教えます。
理科をやってもよかったのですが生徒に悪いし
密室状態になるのも避けたいし、3Bも見ていたいし)
ということで8番教室を3A専用にし、私もそこに常駐。
私が職員室からいなくなるのであちらも気楽でしょう。
実際、毎日仕事始めの定例ミニ会議以外は私は一人で8番に
(持ち込みのTV冷蔵庫付き教室)でノンビリさせてもらいました。
予習他仕事の準備で恒常的に寝不足だったしね。
平常時ならこんな案が通るわけがありませんね。
3A体制にすると難関校合格率が驚異的にあがりました。
(優秀な連中を一人で特訓すれば誰が担当しても可能なのです)
つまり3Aの栄光はひとえに「生徒たちの努力」の賜。
○
ところが3Aが有名になると、塾内からは
「井上はイイトコドリ」なんて陰口が聞こえてくるのです。
つくづく情けない。
もしくは私の器量が小さいのか・・
何回も年度替りに「私がいなくなったら困るから
3Aを一緒にやる人は・・・?」
シーーン
ついにある年、私が3Bを担当、他の方達でご自由に3A
ということを強引に実現させました。(3A社会は井上)
3Aを担当された方もプレッシャーでしたでしょう。
皆さん良く頑張られ、結果は良いものでした。さすが。
私の3Bは?
しばしば自慢していますがその年の3Bは史上唯一の好成績、
「見たか」ですよね。
この体制ならば更なる合格者増大が見込めます。
少しだけ小学部に近づいた。。。
○
ところがその翌年度、
またも塾長がやってくれます。