『昔山』part5、一人残らず向こう側

2012-08-13 09:40:39 | 塾あれこれ
「会議がある」と呼び出されて行ってみると
塾長+楽々園メンバーが着席して待っており
その前に席を勧められました。

10:1くらいの感じかな。
旧共産圏の映画で見たような光景です。

「・・・早い話が、あんたの下ではやっていけないと
ここの皆が言っておる、こりゃどういうことだ」と塾長。

よい年をしたバイトのオッサンまでが「あんたねえ」と
塾長のそばに座って(弾劾)です。

お前、小学部について先頃「こんな塾には自分の子供は
絶対来させない」なんて陰で喋ってたじゃないか。
どこからバイト代をもらっていてそんなことを言えるの?

ベテラン職員から、そのバイトの悪口を他にも多々
言われており、それを誰が聞かされてたと思うのか・・・
全部オレのところで止めてたじゃないか。


しかし一事が万事バイトの調子で皆さんの意気のみ上がり
塾長「ま、よく考えるように」・・・だって。

生まれて一度きりの経験ですが、徹夜で悩みました。

そこまでいうのなら辞めますよ、というのと
途中で放りだしてお前の責任をどうする、と。

昨日書いた塾長との「節目会談」でも私は
「そこまで仰るのならクビにしたらどうですか」
「で、君はどうする?」(←愚問。笑えるでしょ)
「このビルの真ん前に塾を開きます」
塾ってのは初期投資があまり掛かりませんからね。

そう返事すると、むにゃむにゃ引っ込むのでした。
ただし、よい気持ちは残らない。
だったら初めから変なことを聞かなきゃいいのです。

ま、そんな事が何度もありましたから、あらためて
「ハナから引き受けるんじゃなかった」の思いもあります。

連中が陰で飲み会を開いて(クーデタ-)をしかけた
のですから、向こうも本気で嫌だということ。
これは上手くいくはずがありません。
私も気が悪い。

通常、会社ならば一人を呼んで、飲みながらでも
「君、こんな話が聞こえてくるんだがね、
 やり方を変えなきゃいかんだろ、どう?」
なんてのがあって、それでもダメなら査問会議か
左遷の辞令ですよね。

一発で塾長が乗った話ですから途中で責任放棄では
あれど、辞めるのもやむを得ないでしょ。
一応これでもオトコだ(当時では珍しい草食系だけど)

翌日、塾長に電話を入れ
「辞めます」
「君、そりゃ困る」
私は「はあ~!」
(爺、何言うとんじゃ)と思いつつ
「じゃ、どうしろと言われるのですか、到底無理でしょ」
「君の方で考えてくれたまえ」

彼にも腹案がある、なんてことはなかった。
(それじゃ、「経営者」じゃねえだろ)

でも、無責任に放り出すことをしないで済むチャンス。
私が塾を辞めなければ不満な人も多いでしょうが。

数日考えて「これがダメなら辞めます」と
提示したのが(3A)という特別進学クラス構想でした。

私が一人で3Aを教える{英・数・国を一人で}がミソ
(理科はイマイチでしたのであちらへ寝返ったKに
仕方なく頼み、その時間は3Bで社会を教えます。
理科をやってもよかったのですが生徒に悪いし
密室状態になるのも避けたいし、3Bも見ていたいし)

ということで8番教室を3A専用にし、私もそこに常駐。
私が職員室からいなくなるのであちらも気楽でしょう。

実際、毎日仕事始めの定例ミニ会議以外は私は一人で8番に
(持ち込みのTV冷蔵庫付き教室)でノンビリさせてもらいました。
予習他仕事の準備で恒常的に寝不足だったしね。

平常時ならこんな案が通るわけがありませんね。

3A体制にすると難関校合格率が驚異的にあがりました。
(優秀な連中を一人で特訓すれば誰が担当しても可能なのです)

つまり3Aの栄光はひとえに「生徒たちの努力」の賜。


ところが3Aが有名になると、塾内からは
「井上はイイトコドリ」なんて陰口が聞こえてくるのです。

つくづく情けない。
もしくは私の器量が小さいのか・・

何回も年度替りに「私がいなくなったら困るから
3Aを一緒にやる人は・・・?」

シーーン

ついにある年、私が3Bを担当、他の方達でご自由に3A
ということを強引に実現させました。(3A社会は井上)
3Aを担当された方もプレッシャーでしたでしょう。
皆さん良く頑張られ、結果は良いものでした。さすが。

私の3Bは?
しばしば自慢していますがその年の3Bは史上唯一の好成績、
「見たか」ですよね。

この体制ならば更なる合格者増大が見込めます。
少しだけ小学部に近づいた。。。


ところがその翌年度、
またも塾長がやってくれます。


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