東京の日本橋に「たいめいけん」というお食事処が
あります。
ここの5Fだったか、広い座敷があります。
月に一回、八代目正蔵が落語会を開いていました。
第二水曜日で、二水会という名前です。
たいめいけんに移る前は上野本牧では?
八代目が珍しい話などをたっぷりと噺します。
同時に一門若手が修業をする場でもありました。
照蔵や正雀といった、ごく若手です。
少し年上の林蔵なども出ていました。
或る時ここで『たがや』を演じた若手がいました。
後に出た正蔵が「失礼しました。」と切り出し、
「あがった、上がった・・たがや~」とやりましたが
レコードなどで手抜きして覚えようとするから
不様なことになります。
首が上がったのは、目で示し、『たがや』とやらねば
ならない。
レコードではそれが出来ないからやむをえず
「あがった」とやるのです。
師匠にこう言われちゃったのが九蔵。
田舎者が噺をする、というイメージでした。
●
話が少し飛びますが、八代目正蔵と六代目円生は
晩年仲たがいしてました。
円生が昭和天皇の前で噺をしたころから態度がでかく
疎遠になっていったとは正蔵の説です。
円生が真打昇進問題で楽語協会を飛びだしたのですが
ま、イチャモンをつけて自分が思うような協会を作ろう
としたようです。
正蔵の弟子、照蔵をさして、あんなに下手が真打か
と言ったのですから正蔵も怒った。
真打は修業の年月によるのが暗黙の了解だったから。
(たしかに当時は下手でした)
いろいろあって現在も円生一門は協会に戻れないのです。
●
彦六になって少しで正蔵も亡くなります。
そのとき、正蔵の喧嘩相手の円生一門に移ったのが
上記九蔵です。(現、好楽)
喧嘩相手へ行くか・・・
あります。
ここの5Fだったか、広い座敷があります。
月に一回、八代目正蔵が落語会を開いていました。
第二水曜日で、二水会という名前です。
たいめいけんに移る前は上野本牧では?
八代目が珍しい話などをたっぷりと噺します。
同時に一門若手が修業をする場でもありました。
照蔵や正雀といった、ごく若手です。
少し年上の林蔵なども出ていました。
或る時ここで『たがや』を演じた若手がいました。
後に出た正蔵が「失礼しました。」と切り出し、
「あがった、上がった・・たがや~」とやりましたが
レコードなどで手抜きして覚えようとするから
不様なことになります。
首が上がったのは、目で示し、『たがや』とやらねば
ならない。
レコードではそれが出来ないからやむをえず
「あがった」とやるのです。
師匠にこう言われちゃったのが九蔵。
田舎者が噺をする、というイメージでした。
●
話が少し飛びますが、八代目正蔵と六代目円生は
晩年仲たがいしてました。
円生が昭和天皇の前で噺をしたころから態度がでかく
疎遠になっていったとは正蔵の説です。
円生が真打昇進問題で楽語協会を飛びだしたのですが
ま、イチャモンをつけて自分が思うような協会を作ろう
としたようです。
正蔵の弟子、照蔵をさして、あんなに下手が真打か
と言ったのですから正蔵も怒った。
真打は修業の年月によるのが暗黙の了解だったから。
(たしかに当時は下手でした)
いろいろあって現在も円生一門は協会に戻れないのです。
●
彦六になって少しで正蔵も亡くなります。
そのとき、正蔵の喧嘩相手の円生一門に移ったのが
上記九蔵です。(現、好楽)
喧嘩相手へ行くか・・・