社労士(社会保険労務士)さんのひとり言

社会保険労務士ブログは早く卒業して、グルメブログにしたいものです。

「デクラート」による確執Ⅱ~最終稿。

2013年10月13日 11時29分11秒 | Weblog
帳合っていう言葉がありまして…。

この医薬品は何処の卸から入れてもらうか…なんですけど…。

私は、某病院のデクラートの帳合は、Sにお願いすることに決めていました。

岡山ではHが強かったのですが、私としてはH以外も使わないと我社の発展はない…と思っていたのです。


後で聞いた話なんですけど…。

デクラートはHから納入されたそうです。

私が、SとHのセールスと話を付けていたものを、Hが逆転でモノにした…ということです。

詳しい経緯はわかりませんけどね。


その後、私が決めていた帳合の順番。次の新薬はTさんへ…という話も飛んでいました。

その理由が、「我社はH社を中心に仕事を行う。」という本社の意向があったから…って…。

そういう意向は、岡山に行った最初のときに伝えておけや。

会社の意向を聞かされたのは、だいぶ後のことでしたからね。


まあ、三連休?の中日で、ほとんどの人が、このブログは読まないでしょうから…。

ちょっと愚痴を書きました。

ま、私の不本意な時代の、不本意な話ですね。
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「デクラート」による確執Ⅱ~4。

2013年10月13日 11時14分16秒 | Weblog
某病院にデクラートを納入する話は、ほとんど決定していたんですよ。

そこに松江への転勤で、納入まで岡山に居ることが出来なくなった。

で、松江転勤後にデクラートが発売となったわけです。

私は…。その頃から会社に嫌気がさしていました。

岡山時代の人事考課が悪いのも分かっています。

しかも、その理由が自分では納得できないものですから…。


しかし、デクラートは松江時代で最初に発売された薬なので、それなりの努力はしたつもりです。

それが評価されたかどうかは別として…。


期初めに行われる会議の席で…。

称賛されたのは私ではありませんでした。

私の後を継いで、某病院にデクラートを納入した後輩でした。

その場面は、今でも鮮やかに覚えています。

得意顔で「私は、こうやって売った。」と発表し、最後に「また買ってくれるそうです。」と満面の笑みを浮かべましたね。


松江所長は岡山所長に「ふとっちょも褒めてやってくれ。」と言ったそうです。

しかし、岡山所長は私とソリが合わなかったですから…。完全に無視された形になりました。



最終稿へ。
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カニ事件とあいさつ事件。

2013年10月13日 10時54分41秒 | Weblog
何か、「デクラートによる確執」のことを書いていて、横道にズレてしまっていますね…。

まあ、岡山⇒松江への転勤って、私が納得していない事件なんで。

触れだしたらカッカと来てしまう…。

まだ、許すことが出来ないんですね…。


実は、その時に岡山の女の子と松江の新入社員が恋愛関係で…。

その2人を一緒にするために、岡山所長が動いた?という面もありそうなんですが…。

こちらはたまったもんじゃあなくてね。

(その2人は最終的には会社を辞めちゃいましたけど…。私が辞める前だったと思います。)



Y君が辞めた理由については、前にも書いていましたね。

カニ事件⇒カニをお世話になっている先生に配布するのですが…。Y君が卸セールスに一部の配布を頼んでしまい…。セールスが、そのカニを自分で食べてしまった事件。

岡山所長、これを卸の所長に言ってしまい、Y君が排斥されちゃったんですよ。

私だったら自分の経費でカニを買って医者に持って行かせますね。

卸セールスは不問。

その方が波風が立たない。


あいさつ事件。

Y君の父親が入院した病院へ行かせて、わざわざ院長にあいさつさせた事件。

「父親を拡宣の道具にされた。」

これが決定的な退職事由。


その時の支店長も癖のある人物で…。

慰安旅行のときに岡山所員だけ集められて…。

「(Y君が辞めるのは)お前らの責任じゃ!!」だもんな。


その慰安旅行には岡山所長は不参加で…。

野球部人事では、岡山所長の方が重要視されていたみたいで…。

それで、岡山所長には物が言えなかったんですよね、この支店長…。

その割を食ったのが岡山所員…。


人事は元野球部が優遇されていたからなあ…。


(あ、言うの忘れていたけど、支店長・岡山所長は野球部出身です。今は、どうかわかりませんが、その頃は、元野球部だと人事評価がマイナス査定がないから、営業畑よりも優遇される場合が多かったんですよ。)
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「デクラート」による確執Ⅱ~3。

2013年10月13日 10時24分26秒 | Weblog
私が岡山から松江に飛ばされた経緯。

結局、高梁市の某病院内科医長からのクレームなんですよ。

おかしな話で、そのクレームが杉本新和(医薬品卸・現在名はセイエル。)のセールスを通じて岡山所長に伝わったんですよ。

普通ね。上司が他社から言われたことについて、私の話を聞きませんか??

事実関係を確かめるというか…。

岡山所長は、私に確かめる前に支店長に情報を上げちゃったんですよ。


私なら、部下をかばいますよ。

医者が怒ったのなら、一緒に謝りに行ってやるとか…。

その病院だけは自分が持つとかね、

それをポ~ンと上に上げてしまう…。

それじゃあ上司の意味がないよ。


Y君が辞めたのも、何故か、岡山所員のせいにされたみたいですが…。

本当は岡山所長の責任。

カニ事件とあいさつ事件で岡山所長を嫌ったからなんですけどね。


まだ続く。
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「デクラート」による確執Ⅱ~2。

2013年10月13日 10時11分37秒 | Weblog
前項の続き。


前にも書きましたが…。

私が松江に転勤させられたのは、高梁市の某病院内科医長(今は理事長らしい。)に「法令順守」するように言ったから。

つまり、治験用サンプルって上限があるんですよ。それを超えるサンプルは手渡せないわけです。

それを要求されてもねえ…。

まあ、会社にも責任を持って、それを言いに行く人間というか、そういう上司がいなかったんですけどね。

私に責任を全部負わせた…てのが実際。


まあ、その時の岡山の所長が野球部崩れで…。(実際は、内科医長に直言したのは、前所長のときですが…。)

高齢の社長がマトモに座れないから、社長が座ろうとしたところに椅子で受け止める…。

そんな仕事をしていた人なんですけど…。

本社の評価は、「良い人。」だったけど、私に言わせれば「裏のことが出来ないボンボン。」で…。

「悪いことはすべて部下の責任。」というタイプでした。

そんな人間を営業に出したのは、「社長が替わったから、前社長の秘書は営業に出そう。」という訳のわからない人事。


ただ…。私が医師に対して、もう少しオブラードに包んだ話し方をしていれば…と思うことはありますね。

そう考えると、私が青かったのかも知れませんね。


しつこく続く…。
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「デクラート」による確執Ⅱ。

2013年10月13日 09時51分22秒 | Weblog
デクラートって薬がありましてね。

というよりも「ありました。」と言った方が良いんでしょうけど。(今は、私のいた会社では売っていないらしい。)

褥瘡(床ずれ)の薬でした。


発売が、私が岡山から松江に転勤させられる直後だったんですよね。

だから岡山でも拡宣はしていました。

私が目を付けたのが、某老人病院です。(ある理由により病院名は公表しません。)

入院患者さんが、高齢者だし、褥瘡が多いという情報があったのです。

(褥瘡患者さんが多いという事実について、病院は認めたがらない。何故かというと褥瘡は「定期的な体位変換」で、ある程度は防ぐことが出来るから。つまり、病院にとって褥瘡を認めることは、恥という概念があります。)

で、拡宣は…。大成功で…。

「発売日に大量発注する。」ということになったのであります。

相手会社(日医工)が手を出す前に話を付けることが出来、後は、収穫するのみ…だったのですが…。


この項、続く…。
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