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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ(17) 鎮魂!大森町大空襲(第10回)

2006年05月18日 | 大森町界隈あれこれ 空襲
若山武義氏手記の解説 その3
若山武義氏手記(第7回)の大森町爆撃被災状況の記述を抜書きして見ると、
 「とたんに空襲警報となった。
  .....すっかり準備はよいかと組内を一巡してロータリーの前に立つ。
  .....京浜国道夫婦橋(トップ掲載の拡大地図 京浜蒲田付近の呑川に架かる橋)先に猛烈なる大炸裂音と共に一面火の海の火柱がたった。
  .....京浜国道帝銀の前、警備隊と一連に猛炎を吹き上げて来たと同時に、瓦斯会社⑩方面、南は第一国民学校③から十全病院⑨(ロータリー①から呑川⑦までの避難説明地図)に亘り次ぎ次ぎに爆撃され、三方火の海となって迫り来る。

  .....第二、第三次ぎ次ぎの爆撃必至だ。とにかく森ヶ崎⑥(避難説明地図参照)から東海岸に出ようとして、羽田街道②(産業通り 避難説明地図参照)を国民学校の猛火の下をくぐって一散に、一団の人々とかだまりあって駆け出した。
  .....呑川の川端⑤(避難説明地図参照)迄辿り付き、
  .....とにかく森ヶ崎から中の島の方へ行こうと避難の人混みに押しつ押されつ行くと、
  .....何万とゆう人と荷物の波だ。この森ヶ崎には高射砲陣地がある筈、ここが爆撃されたら、被服廠の二の舞となる。
  .....これならうっかり森ヶ崎には行かれないぞ、ここで暫く形勢を見ようと、河の土手に陣どって観望して居た。」とあります。

4月15日の空襲は、午後10時頃からの第1波の爆撃が始まり、16日午前4時頃までの6時間に亘る執拗な波状攻撃により、大森町は壊滅的に破壊されました。その空襲の跡は凄しく、1945年秋に栃木県の学童疎開から引き上げて「学校裏駅」を降りたら、澤田通り(現環七通)付近から南方の京浜蒲田までが見渡せる焼野原で、疎開前に瞼に残っていたびっしりと建並んでいた家屋が跡形もなく焼き尽くされている(六郷橋から第一京浜国道の焼野原を見る)のを目の当たりにして、大きな衝撃を受けました。何と、国民に大きな犠牲を強いる、無茶苦茶な戦争をしたのでしょう。

日頃隣組では、防空演習を繰り返し行い空襲に備えていたのですが、何せ防護の装備が防火用水と火はたき防空頭巾にモンペでは何の役にも立ちません。ただ、身の安全の所に逃げだすのみです。
この日の手記記述者若山氏が命辛辛の避難経路を再現(避難説明地図参照 地図の赤線が避難の予想経路と思われます)して見ました。避難先の呑川の川端は、幸いと産業通りから東側の大森八丁目④と対岸の大森九丁目⑧、森ヶ崎地域は爆撃目標から外れ周囲の建物焼失の被害は免れました。
なお、この日の爆撃で山谷駅⑪(大森町駅)は完全焼失し、昭和27年(1952年)に「大森町」駅と改名され再建されるまでは、7年もの年月がかかりました。  (続く)

防火用水


若山武義氏の手記(1946年記述) 「戦災日誌(大森にて)」第9回
大森町灰燼焼野原、今晩はどこで寝る
焼跡の我が家のスタンドに、我が隣組全員無事に集合した時は本当に嬉しかったのみならずお互いに嬉し涙である。
万一の用意に埋めて置いた米を掘り出し、小林さんの家の焼けてイビツになったお釜に、焼け味噌を持ち出し、御飯を炊いて、お互いにまっくろになった顔と顔を見合わせて、おにぎりを食べたらうまさは一生忘れられぬ味である。
これで、今日やられるか明日やられるかの不安がなくなった。何もかも、惜しげなく、きれいさっぱりと焼いて、これで戦災者の仲間入りが出来たからサバサバしたと笑い合った。だが然し、今晩はどこに行くのか、このまま別れるのかと思うと全く心細い。処へ前組長の喜多さんが見舞いに来られて、みんな揃うて来てくれるようにとの御厚意にあまえ、関井さんだけ目黒の奥さんの実家に、あとは私、小林さん、田中さん、伊藤さん、お母さんともに揃って喜多さんの家にお世話になった。

風呂で昨夜来の辛苦と危機の冷汗を一切洗い流し、炊き立ての御飯に、うまい味噌汁に、本当に蘇生の思いであった。二階に、みんな枕をならべて安心して寝た時は、夜来の死ぬ苦しみはすっとんで忘れ、まるで温泉に団体で行って寝た時と同じようだと朗らかに笑いだした。

前回 大森町界隈あれこれ(16) 鎮魂!大森町大空襲(第9回) 
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