
東京大空襲の記録資料(1)根津山小さな追悼会10周年記念文集についてその1
毎年、東京空襲が激しかった3、4月には大空襲の記録資料が出されております。
61年前の4月13日に真夜中から未明にかけ、B29編隊330機による爆撃により、城北大空襲被災を受け、豊島区の死者741人、全焼家屋3万4千戸、被災者16万1千6百有余人というもので、鎮魂の願いとともに、もう二度と戦禍に町を晒たくないという平和への祈念をこめて、戦後50年目の1996年4月13日から毎年心ある人々が寄り合い、ささやかに小さな追悼会を続けてきました。
今年は11回目で、根津山(豊島区南池袋公園)で「4・13根津山小さな追悼会」が開かれました。
「小さな追悼会」の実行委員会では、10周年を記念して会の呼び掛けでご寄稿された空襲被災体験を掲載した文集の「4・13根津山小さな追悼会 ―10周年記念文集― 私たちの街に大きな空襲があった」を発行しました。文集はA4判80ページで500部作成し、希望者に実費配布するほか、区立図書館にも置かれる予定。
追悼会では、ぜひ一人でも多くの方々にお読みいただき、これからの平和について考え、かつて起きた取り返しのつかない戦争を二度と繰り返す事なく平和への希望の道を切り開く社会であるよう、身近でできることからはじめるきっかけにしてもらえたら…と呼び掛けております。

若山武義氏の手記(1946年記述) 「戦災日誌(大森にて)」第2回
戦時下最後の新年会
明けて20年(1945年)の元旦になった。
それでも、大森の美原通りの商店街は、昨年程でなくとも、お正月らしいお飾りではあるが、例年のようなよっぱらいのないお正月である。いくらアメリカの鬼でも、お正月三ヶ日はお休みだから、鬼の来ぬ間の洗濯と、我が隣組の新年常会を開く事にし、三日の晩拙宅で開催した。
当夜集まった人々は、喜多さん、小林さん、中田さん、田中さん、関井さん、伊東さんの御夫婦連、伊藤さん、お母さん、子供さん連と隣組全員総動員である。例年の通り御酒肴持参、例によって例の通り賑やかな事、なごやかな事、毎日毎夜顔見合わせて生活しているのだが、こうゆう席上は亦格別、歓談歓語尽きず、とにかく戦局が急迫して来たので非常時態の打合わせもすまし、且つ組長で防火群長を兼ねる事は至難だからとの理由から、防火群長は帰還勇士の田中義雄さんに、副群長は土地っ子の伊藤利雄さんに決定、楽しみの恒例の福引に子供連を喜ばせ、一同歓を尽して散会した。
昨年の新年常会の余興には、喜多さん、伊東さん御夫婦の夫唱婦随の謡いと音曲、みんな隠し芸やら表芸やらで賑やかであったが、然し本年は戦局の緊迫下、新年常会もどうかと思うたに、無事終了して何よりであった。
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毎年、東京空襲が激しかった3、4月には大空襲の記録資料が出されております。
61年前の4月13日に真夜中から未明にかけ、B29編隊330機による爆撃により、城北大空襲被災を受け、豊島区の死者741人、全焼家屋3万4千戸、被災者16万1千6百有余人というもので、鎮魂の願いとともに、もう二度と戦禍に町を晒たくないという平和への祈念をこめて、戦後50年目の1996年4月13日から毎年心ある人々が寄り合い、ささやかに小さな追悼会を続けてきました。
今年は11回目で、根津山(豊島区南池袋公園)で「4・13根津山小さな追悼会」が開かれました。
「小さな追悼会」の実行委員会では、10周年を記念して会の呼び掛けでご寄稿された空襲被災体験を掲載した文集の「4・13根津山小さな追悼会 ―10周年記念文集― 私たちの街に大きな空襲があった」を発行しました。文集はA4判80ページで500部作成し、希望者に実費配布するほか、区立図書館にも置かれる予定。
追悼会では、ぜひ一人でも多くの方々にお読みいただき、これからの平和について考え、かつて起きた取り返しのつかない戦争を二度と繰り返す事なく平和への希望の道を切り開く社会であるよう、身近でできることからはじめるきっかけにしてもらえたら…と呼び掛けております。

若山武義氏の手記(1946年記述) 「戦災日誌(大森にて)」第2回
戦時下最後の新年会
明けて20年(1945年)の元旦になった。
それでも、大森の美原通りの商店街は、昨年程でなくとも、お正月らしいお飾りではあるが、例年のようなよっぱらいのないお正月である。いくらアメリカの鬼でも、お正月三ヶ日はお休みだから、鬼の来ぬ間の洗濯と、我が隣組の新年常会を開く事にし、三日の晩拙宅で開催した。
当夜集まった人々は、喜多さん、小林さん、中田さん、田中さん、関井さん、伊東さんの御夫婦連、伊藤さん、お母さん、子供さん連と隣組全員総動員である。例年の通り御酒肴持参、例によって例の通り賑やかな事、なごやかな事、毎日毎夜顔見合わせて生活しているのだが、こうゆう席上は亦格別、歓談歓語尽きず、とにかく戦局が急迫して来たので非常時態の打合わせもすまし、且つ組長で防火群長を兼ねる事は至難だからとの理由から、防火群長は帰還勇士の田中義雄さんに、副群長は土地っ子の伊藤利雄さんに決定、楽しみの恒例の福引に子供連を喜ばせ、一同歓を尽して散会した。
昨年の新年常会の余興には、喜多さん、伊東さん御夫婦の夫唱婦随の謡いと音曲、みんな隠し芸やら表芸やらで賑やかであったが、然し本年は戦局の緊迫下、新年常会もどうかと思うたに、無事終了して何よりであった。
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