味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

賢を佑け徳を輔け、

2017-08-21 09:48:13 | ブログ
第3156号 29.08.21(月)

賢を佑(たす)け徳を輔(たす)け、忠を顕し良を遂げ、弱を兼ね昧(まい)を攻め、亂を取り亡を侮(あなど)り、亡を推し存を固くすれば、邦乃(すなは)ち其れ昌(さかん)なり。『書経』(仲虺之誥)397

 〔通釈〕賢者には手をかし、徳のあるものはもり立て、真心のあるものは世に表し、立派なものは位を進め、これに反して、力の弱いものは合併し、劣って愚かなものは改め、乱れているものは取り、亡びそうなものは無くし、このように亡ぶべきものはそのまま押し倒し、存立すべきものはしっかり守ってやるならば、王の国は初めて盛んになっていくことでしょう。398

 【コメント】我々末端に生きていて何か事を成そうと思う人は、仲虺之誥を参考にし、鋭意努力すれば効果が期待できるものと信じます。とにかく何事も誠心誠意事にあたることが要諦だと思います。

 昨夜は中島先生とご令嬢様が拙宅においでくださいました。ご令嬢様に久々に空手の舞を演じて貰いました。彼女の精神思想の見事さが見てとれた空手の舞でした。

 邪心のない乙女子の純真無垢な心の表現でした。出来ればそういう美しい姿で歳を重ねて貰いたいと思うことでした。

 今朝は民報テレビで、若い女性たちに男の悪口を喋って貰う番組がありました。それはそれは思ったままずばり男たちの精神の未熟さ、作法のいたらなさを並べ立てました。

 喋っている女性たちの奥ゆかしさ、品性・品格の見事さは感じられませんでした。皇后陛下がお答えになるとすれば、言葉遣い、語り口、すべてに気品が漂っているのですが。

 教養書とか漢籍等々繙いたことがないような、そこいらのネェチャンたちの心から出るヒトコトでした。
  
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『不動心』(第24回)

 罪というものは比較するにあたって、「情欲のもたらす罪は憤激のもたらす以上に許しがたい」という真理を認めている。というのは、怒りのあまり理性に背く場合は、少なくともある種の不安感と漠然とした気まずさを伴うものだが、情欲による罪では快楽のほうが幅をきかせているので、いっそうわがままでめめしくいやらしいところが目につくからである。
 したがって、快楽を伴う罪が苦痛を伴う罪よりも責めが重いというのは、経験上からもまた哲学上からみてもうなずけることだ。苦痛を伴う罪を犯すのは、なにか不正をされてついカッとなり自制心を失った結果だが、快楽を伴う罪というのは、情欲を満たしたいがために自らの意志で悪を行うことなのだ。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第101回)

  林らは、「政府今後、開墾士に疑いをはさまない」という条件を大久保に認めさせて、開墾継続に同意しました。それが認められれば、開墾の成功を期して励むのは当然であるともいっています。菅が仕組んだ大芝居は成功しました。大胆な外交交渉です。おそらく『孫子』の「実をもって虚を打つ」戦法戦略だったかもしれません。

 しかし政府の庄内敵視はそうたやすく転換できるものではなかったのです。庄内の試練はこれからです。菅は五月に上京していますが、詳細は分かりません。あるいは黒田清隆に会ったのかも知れませんし、旧知の人々と会い西南戦争後の政府の動向を見定めたのかもしれません。大久保は五月十四日暗殺されました。

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満は損を招き、謙は益を受く、

2017-08-20 09:22:30 | ブログ
第3155号 29.08.20(日)

益禹を賛(たす)けて、曰く、惟れ徳天を動かす。遠しとしていたらざる無し。満は損を招き、謙は益を受く、時(こ)れ乃(すなわ)ち天道なり。『書経』(大禹謨)377

 〔通釈〕益は禹に助言していった。「徳こそは天をも感動させることができます。どんな遠い所でも届かない所はありません。自ら足れりとするものは損を招き、自らへり下るものは益を受けるもので、これこそ天の道理というものです。」

 【コメント】連日漢籍を繙き、そして書棚の書籍を読んでいますが、徳の恩恵、功徳について論じています。

 ややもすると徳を施すものが損をするように思われがちですが、そういうことはないと思います。ただ、徳を施す代償として利を求める、期待するのは如何かと思います。

 西郷隆盛の漢詩にある「利をみては全く循う勿れ」、「平生偏に勉力し、終始身に行うべし」とあるように、そういう透徹した精神思想を構築したいものです。
 
 昨夜の空手道教室の際も、子供たちに人には親切にするよう、そして知的に劣る人であっても見下げることなく大事にしてあげましょうととお話致しました。
 
 そういう精神の錬磨は幼少の頃からしっかりと教え込む必要があるのです。

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『不動心』(第23回)

 自分の魂の動きを見守ること
 
 他人の心の動きに無関心だからといって悲嘆する人間はそうめったにいない。だが、自分の心の動きに関心を払おうとしない人間には、必ず不幸が訪れるものだ。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第100回)

 それに、この時点で庄内を敵にまわすことは政府として大きな負担でもあったのです。このころ不平士族の暴動一揆は、後述のように全国で頻発し、政府はその対応に追れていたのです。
 結局、大久保は開墾を継続してもらいたいと林らをなだめ、大久保は山形県令三島に、「開墾の成功に深く留意せよ」と指令を発しました。

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允を成し功を成すは、惟れ汝の賢なり。

2017-08-18 18:49:03 | ブログ
第3154号 29.08.19(土)

帝曰く、来れ禹。降水予を儆(いまし)む。充を成し功を成すは、惟れ汝の賢なり。克く邦に勤め、克く家に倹にして、自ら満假(まんか)せざるは、惟れ汝の賢なり。汝惟れ矜らず、天下汝と能を争ふ莫し。汝惟れ伐らず、天下汝と功を争ふ莫し。予乃(なんじ)の徳を懋とし、乃の丕績を嘉す。『書経』(大禹謨)371

 〔通釈〕帝舜はいった。「さあ禹よ。天は洪水を出して予を戒められた。そのとき、真心をつくして治水の事業を成しとげることができたのは、汝が賢明であったればこそである。よく国家のためには勤労にはげみ、一家においては倹約につとめ、しかも自分を尊大にすることがなかったのは、汝が賢明であったればこそである。汝が自分から才能を誇ることをしないので、天下の人々も汝と才能を争おうとすることがないし、汝が自分から功績を誇ることをしないので、天下の人々も汝と功績を争おうとすることがない。予は汝の徳を盛んだと認め、汝の大功を美としてたたえる。

 【コメント】賢明な帝王として歴史に名高い、堯・舜・禹の人格が表明している歴史的所産であると思います。為政者の皆様も大いに参考として貰いたいものです。

 そして我々一般庶民にも、その美しい精神の処世法を教えて欲しいものです。『書経』『詩経』等々を拝読しながら、西郷隆盛が菅実秀先生にこれらを読みなさいと言われたことを思い出しています。

 学問の都・荘内南洲会の先生方の人格美はそういう過程を経て形成されてきているのだと学問の凄さを実感しています。学歴能力ない私ですが、荘内南洲会の先生方のお導きを賜り今日があるとして、子供たちに荘内精神を学んでくださいとお話しています。

 このことは私の詩吟道師匠であった竹下一雄先生が、毎週の詩吟指導終了後、盃を重ねるたびにお話したものです。竹下先生は、『南洲翁遺訓』改竄事件には大いに憤慨していることと思います。

 『南洲翁遺訓』改竄事件が、鹿児島市が公的に謝罪し終焉したことを欣快としたいものです。これはつい先般、ご他界された伊牟田茂夫先生の発案ありてこその成果でございました。

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『不動心』(第22回)

 雑念の入らない不退転の目的を持つこと

 世間のわずらわしさに心がかき乱されているとでもいうのか。それなら休息して楽しいことでも考え、いらいらを鎮めるがいい。
 また、毎日うんざりするほど多くの仕事をこなしながらも、そういうあらゆる努力、いやむしろあらゆる思考が向けられるべき目的を何一つとして持っていないのだとすれば、それも愚かなことである。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第99回)

 西郷亡き後の庄内は孤立無援でありました。黒田ももう相手にはできない。菅たち首脳は、庄内が政府との関係を修復する機会は今だと考えて、開墾放棄という大芝居を打ったと思われます。
 政府がこの願書を受入れる余地は全くなかったのです。なぜなら、政府は当時、士族授産、殖産興業を政策の柱とし、開墾を奨励していましたから、どうしても開墾放棄を許可するわけにはいかなかったのです。

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知行如何ぞ分ち開かん。

2017-08-17 15:11:59 | ブログ
第3153号 29.08.18(金)

知行如何ぞ分ち開かん。此れ便ち是れ知行の本體にして、曾て私意の隔斷有らざる的(もの)なり。聖人の人を教ふる、必ず是れ此の如きを要(もと)む。方に之れを知と謂ふ可し。然らずんば、只だ是れ曾て知らざるなり。此れ卻って是れ何等の緊切着実の工夫ぞや。『伝習録』(伝習録巻上)38

 〔通釈〕知と行とはどうして分けることができようか。分けられないのが知行の本来のすがたであり、私意によって少しも隔てられない状態なのである。聖人が人を教えるには、必ずこのように知と行の一体となることを求めるのであって、そこに至ってこそ始めて知ったということができ、そうでなければ何も知ったことにならないのである。とすれば、この知行合一は、何という大切な、また実際的な修行ではなかろうか。39

 【コメント】知行合一の学問の世界を逍遥したのが青年時代のことでした。分けがわからないまま、難解な本を読み続けて来たものです。今でもそうですが。

 そういう積み重ねが今日幾らか奏功しているのだと思います。人間の一生はいろいろなことがありましても、大体似たり寄ったりだと思います。

 そういう日々の中で、人々と語らい如何に有意義に生きるかが、賢者と愚者の分かれ目だと聞いたことがあります。

 昨夜の空手道教室は6人でしたが、賑やかでした。入会4か月目の超優秀君も張りきりました。幾ら教えても身に覚えられなく、模索しながらの御稽古ですが、最終版に前に出て貰い、号令をかけて貰いまして。

 中学一年であるだけに、元気のよいリーダーぶりでした。別府小学校教頭・中島先生喜んでください、歩希君が生れて始めてリーダーとして号令かけたのですよ。御稽古していた子供たちも殊の外喜んで、拍手をしてくださいました。

 私も嬉しさのあまり、本人の肩を引き寄せ喜びを伝えた次第でした。超頭脳だと言われているだけに、通常言う頭は良いのですが、手足が思うように機能しないため、仲間の子供たちもあきれていたのでした。

 そういうお兄ちゃんが、どうにか出来たため、子供たちが喜んでくださったのです。

 二部では田上青年と二人でおけいこしました。17年目を迎えた田上さんは素晴らしい限りです。その昔、一所におけいこしていた山ノ川君は早々と止めていまいましたが、大変残念なことでした。

 田上さんとの修行メニューは次のとおりです。私が詠んだ「武者 田上慈昭兄を詠ず」の漢詩の朗読と吟詠、そして漢詩の解説です。解説の内容は、

「有徳の武者が徒手空拳の空手道と出会い、修行に志し精進している。
 常に前進しようとする心意気で、道を究めんと情熱を滾らせ、二十年という積年の間、苦しく辛い修行を通じて、自分との闘いを演じ己の姿を歴史に刻もうとしている。
 純粋にして大らかで、実りある将来が嘱望される行者としての武者は、大きな大きな翼を広げ、人の範たらんとしてこれからも倦むことなく羽ばたいていく。
 空手道に精進している武者の招来は、前途洋々たりとして、その美しい闘魂の容姿を世界に誇る大和文化の象徴として極む、之天に誓約する壮士の心意気である。


 田上慈昭・人生に挑む章句

 一、空手の道に  こころざし
   精魂込めて  突きをする
   自ら決めた  道なれば 
   強固な信念  貫くぞ
 二、自ら心に   灯をともし
   毀誉の言葉も 気にもせぬ
   滾る情熱   胸に秘め
   優しき中に  意地通す
 三、我に厳しく  人さまに
   慈悲の心で  臨むべし
   心豊かに   世に生きる
   男 慈昭   独り行く 

  田上慈昭・私の人生訓----その一

  人に誉められたり、貶されたりするのを「毀誉褒貶」と言います。
  私は褒められたときは感謝し、静かに微笑み、貶されても逆上しないように努めます。
 特に怒りを表すことは、健康を維持して行く上においても善くないからです。

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『不動心』(第21回)

 自分の幸福源を他人の魂の中におくな

 ああ私の魂よ、おまえは何とひどく私のことを誤解しているのだ。自分を大切にするには、時間はもうほとんど残されていない。人生は一度しかないのだ。しかもその人生が終わりに近づいているというのに、自らに敬意を払うこともせず、他人が自分をどう思っているかという一点にのみ自分の幸福を費やしているとは。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第98回)

 これを携えた林、赤沢の両人は大久保にも面会して上申しました。もはや県の手を離れて内務卿大久保との交渉になったのであります。
 黑崎のいう「あのこと」つまり、西郷と連携して起つ、そのための開墾だとはいえません。当然ながら根も葉もない讒言誹謗であると、繰返し繰返し強調して、政治を責めています。しかし大久保は真に受けるはずはありません。

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孝子の深愛有る者は、必ず和気有り。

2017-08-16 18:11:25 | ブログ
第3152号 29.08.16(木)

禮記に言ふ、孝子の深愛有る者は、必ず和気有り、和気有る者は、必ず愉色有り、愉色有る者は、必ず婉容有り、と。須(かなら)ず是れ箇の深愛の根となる有って、便ち自然に此の如し。『伝習録』(伝習録巻上)33

 〔通釈〕礼記の祭義篇に、『孝子で父母に深い愛情のあるものには、必ずなごやかな気分があり、なごやかな気分のあるものには、必ず楽しげな顔色があり、楽しげな顔色のあるものには、必ず従順な態度があるものだ。』とあるが、必ず深い愛情が根となっていて、自然にこのような結果となるのである。」34

 【コメント】孝子で父母に深い愛情のある人間になりたいものですが、併せて世の人々にも同様の感情を抱き処世を送りたいものです。
 
 多くの漢籍を繙き、世の生業を知り、友と共に生き甲斐或る人生にしたいものです。自分の幸せのみに拘泥すると、幸せが綻びから落ちてしまうのです。

 昨日は円心会で修行していた樋高さんがやってきました。若いせいもあって大変お元気の様子でした。清廉実直な好青年であります。酒は飲まず煙草も吸わないということでした。こういう元気な青年と対話し、元気を少しく頂きました。

 今朝は先の大戦の後始末としての御前会議等の模様が報道されました。結果的には陸軍の数人が反対したため、収束の方へ向かうことがなかったため、広島、長崎に原爆が落とされたということです。

 仮に無条件降伏という形で陸軍軍人が反対しなければ、クーデターが起こっていたであろうとの推測されます。

 先のブログでもご紹介しましたが、昭和天皇は、「私はどうなっても構わないから国民を助けて欲しい」とお願いしたとのことです。

 昨日も書きましたが、二度と戦争をしてはならないと思いますが、国民も平和に浮かれることなく、精神をしっかり確立し、非違行為などすることなく、日々に挑みたいものです。

 今日、歩きスマホなるものを見乍ら歩いている人が多いですが、それに因んで交通事故も発生しています。歩きスマホは事故につながるとして、法的規制が必要ではないかと考えます。 

 自由な世の中だから何をしてもいいのだというのは許されないと思います。自由であり平和であるからこそ、自らを厳しく律する精神があってこそ、本当の幸せが感じられると思うのです。

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『不動心』(第20回)

 一つ一つの行動を一生の最後のもののごとく行うこと

 一人の人間として、一分の隙も気どりもない威厳と慈悲の心と独立心と正義をもって、手がけている仕事を果たすようにしなさい。ほかのことは考えなくていい。一つ一つの行動に、これが生涯で最後だというくらいのつもりで取り組むことだ。気まぐれ、理性への反発、名誉欲や自己陶酔、そして自分のめぐり合わせに対する不満を捨てるだけでいい。日々を平穏かつ敬虔に暮らしていくために、人はいったいどれほどのことを知らねばならぬというのだろう。先に述べたほんのいくつかの忠告を守っていくだけで充分ではないか。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第97回)

 「今、前述のようなご処分(赤沢源弥の禁固など)を受けては、われわれの国事に報じようとする真心も、不逞の者の企みによって覆い隠され、すべては画餅に帰してしまいました」
 「政府において今後、開墾に対し特別の取扱いをしてくださろうとも、われわれは開墾を永続していく見込みが立ちません。したがってここに開墾地一切を(山形県に)差し上げますので、適宜の処置を願います」
 「いままでいろいろご指導をいただきましたが、全国に広くわが開墾が注目され、喧しく謗られていることは、政府がわれわれに嫌疑をもっているからだろうと思います」
 「昨年の西南戦争のとき、我が方が暴動を起こすという電報で、宮城の連隊から兵隊が繰り込み、多数の巡査は庄内各地の通路を塞ぎました。これはつまり開墾は国法を乱す叛逆の組織であるという讒言が浸透し(政府はこれを真に受け)た結果でありましょう」
 「このような事では、国のために真心を尽くし、皇恩に報いようとするわれわれの開墾が、かえって行政の妨害になるであろうから、この際、開墾地の一切を挙げて(県に)差し上げる事に決定した次第です」
 というものでした。

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