味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

力を同じくすれば徳を度り、徳を同じくすれば義を度る。

2017-08-26 09:31:27 | ブログ
第3161号 29.08.26(土)

天下民を佑(たす)けて、之が君と作(な)し、之が師と作す。惟れ其れ克(よ)く上帝を相(たす)けて、四方を寵綏(ちょうすい)す。罪あるも罪無きも、予曷(なん)ぞ敢えて厥の志を越(おと)すこと有らん。力を同じくすれば徳を度(はか)り、徳を同じくすれば義を度る。『書経』(秦 誓上)455

 天は下々の人民を助け育てようとして、予をその君とし、その師とされた。そこでよく上帝を助けて、四方をいつくしみ安んじようとするのである。罪があるものはこれを討ち、罪がないものはこれを安んずるので、予はどうしてその志を失墜することなどがあろうか。力量が同じである場合は徳の方を量り、徳が同じである場合は義の方を量るのがよい。

 【コメント】ここでは徳が大事であるが、徳が双方同じである時は義を量るとしているところがいいと思います。

 翻って我が国の為政者も徳と義を重んじて戴きたいものです。森友学園、加計学園もウヤムヤの内に済まそうとしている感なしとしません。

 当事者たちは権力をかさに着ていい加減にするように思えてなりません。ですから、保守の受け皿に変わる勢力を若狭さんが模索している組織に担って欲しいものだと思っています。

 今の民進党を中心とする野党には国民は期待していないので、若狭さんなら信用があるような気が致します。是非、頑張ってほしいものです。

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『不動心』(第30回)

 自分自身をうまく用うること

 一日一日と人生は過ぎ、残された時間も次第に少なくなっていく。それだけではない。たとえ人の寿命が延びていこうとも、自らの本分を理解し、神や人間に関することがらをじっくり考えるだけの精神力が持続していくかどうかは疑わしい。 もうろくしばじめたからといって、必ずしも呼吸や消化、知覚、衝動などの機能が衰えるわけではない。しかし自分の才能をうまく生かし、義務を正当に評価し、さまざまな問題を片っぱから処理していく能力、そして自らの人生に終わりを告げる時期かどうかを判断したり、そのほか経験豊富な知性が必要とされるような決定を下したりする能力というものは、すでに衰えかけているのだ。だから急がなくてはいけない。というのも、刻一刻と死が近づいているというだけでなく、死以前にすでに認識したり理解したりする力が減少しばじめるるからである。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第106回)

 このころ「国辱をそそぐ」べく、東京で学んでいた給費の秀才たちも、忠篤の下野にしたがってそろって帰郷しました。東京開成学校で学んでいた菅の甥、富山利勝も、忠篤の意をうけて陸軍教導団に入り小異だった加藤景重も、辞表をだして帰郷しました。
 この時代、もし忠篤らが恥を忍んでも職にとどまり、隠退を思い止まってゐたら、庄内の俊秀たちは続々と中央に進出して----などと考えるのは道ではありませんが、考えたくなるのも人情というものでしょう。

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この所交通事故が多発しているようです。昨日も高知でマイクロバスにトラックが追突事故を起こし、高校生たちが死傷したとの由です。
 
 私は鹿児島健康スポーツランドに週に二回ほど行っていますが、高速道路から出てきた大型トラックの暴走が目立つようです。
 これらは運転手のモラルも大切ですが、それらを所有している雇用主が無理な工程で運送させているのではないかと考えます。事故をすれば悪くすると刑事事件になることもあります。行政当局は指導の徹底をしてほしいものです。
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古訓に学べば、乃ち獲ること有り。

2017-08-25 09:51:17 | ブログ
第3160号 29.08.25(金)

人は多聞を求めて、時(こ)れ惟(こ)れ事を建つ。古訓に学べば、乃(すなわ)ち獲ること有り。事古を師とせずして、以て克く世を永くするは、説の聞くところに匪ず。惟れ学ぶには志を遜し、務めて時に敏なれば、厥の修むること乃ち来る、充に玆懐へば、道厥の躬に積る。惟れ斅(おし)ふるは学ぶの半(なかば)なり。終始を念(おも)ひて、学に典(つね)にすれば、厥の徳修まりて覚ゆること罔(な)けん。『書経』(説 命下)447

 人は多くの意見をきくようにつとめて、初めて事業を打ち立てることができるものです。古の教えに学んで、初めて成果をあげることができるものです。事を行うに当たって、吉のことを師とすることをしないでいて、それでよく末長く続くということは、私はきいたことはありません。学ぼうとするには、へり下った気持ちになり、つとめていても敏捷にしていれば、身に修めることは自然に果たされるでしょう。本当にそのことを深く思っていくならば、道はその身に積み蓄えられてくるでしょう。人に教えることは、半分は自分が学ぶことになっているのです。始めと終わりをよくよく考え、常に学ぶことに心がければ、徳の修まることは、自分で気がつかぬ間に進みましょう。447

 【コメント】上の『書経』は、物事を為す要諦を教えてくれています。どのようなことであっても、先ずは謙虚な姿勢で、真摯に取り組むことが大事だと思います。私は空手道教室で子どもたちに接していますが、本当に素晴らしい子供たちが集ってくれます。ですから、一言一言に気を遣ってお話することに努めています。昨夜のカナコ様は特にすばらしかったです。
 
 昨夜は本永超優秀君のお父上様が見学に来てくれました。迚もおだやかな素晴らしい社会人でした。息子を大声で叱り飛ばすということはなさらないであろうと思うことでした。先の週のおけいこで号令をかけてリーダーを務めたことをお話しました。

 稽古のはじめに、薩摩詩吟会で稽古をした詩吟を朗詠しました。超優秀君に漢詩を創作し、頼山陽みたいな人間になってくださいとお話しました。

 とにかく現在は、大した御稽古もしないで、すぐテレビに出たがる人が多いようです。昨夜の終わりにはお辞儀の仕方を御稽古させましたが、誰が見ても、背筋が真っ直ぐなり、その所作に芸術性が無ければならないのです。

 見る人が見て、惚れ惚れするような挨拶の御稽古をしたいものです。型が抜群にうまい森永礼弥君は、私をアッと言わせようと思うお辞儀をしてくれました。

 そして女の人に抱き付くなどの非違行為をしないよう、話して聞かせました。今朝の新聞報道によると福岡県警35歳の巡査部長が若い女性宅へ上がり込み、飲み物を要求し、そして女性に触ったとかで処分された由、そして依願退職されたとのことです。今頃後悔していることでしょう。

 人間で気をつけなければならないことは、とにかく威張らない事です。ですから、西郷隆盛の漢詩「外甥政直に示す」「子弟に示す」を覚えるよう特訓をしています。

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『不動心』(第29回)

 内なる神霊を守ること

 人の一生において、時は束の間のものにむすぎない。人生は絶え間なく流転する。感覚はほのかなロウソクのごとくゆらめき、肉体は虫けらの餌食となり、魂は渦をまいて動いている。運命は暗く、そして名声もまた定まることをしらない。一言でいえば、肉体は流れゆく河であり、魂ははかない夢だ。人生は戦いであり、ほんのひととき異郷に身を寄せているにすぎない。名声の後には忘却が待ち受けている。だとすれば、人の歩みを護り導く力はどこにあるのか。それはただ一つ、哲学の中にのみある。哲学だけが人の内なる神霊を汚れなきままに保つのだ。
 神霊の力によって、人はどんな快楽や苦痛にも打ち克ち、安易な気持ちや偽善の心でものごとを引き受けたりもせず、他人が何をしようとしまいと意に介することなく、与えられたものをみな神霊と同じく一つの源泉から出づるものとして受け容れることができるのだ。さらに何より重要なのは、死を純然たる生物構成要素の分解作用として快く待ちのぞめようになることだ。生物の構成要素自体にとって、絶えず形成と再形成をくりかえしても何ら害がないのなら、なぜ万物の変化と分解を不信の眼でながめる必要があろう。それが自然のやり方であり、自然のやり方に悪いところは一つもないのだ。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第105回)

 菅の決断に反対するものは、この際恥を忍んでも、忠篤、忠宝の将来に期待すべきだと考えたのでしょう。
 忠篤の洋行に随行した神戸善十郎は自刎しました。忠篤らの辞任に猛烈反対したのが容れられなかったのです。
 藩主の側近で活躍していた和田光観も、自らも中央を窺いながら、忠篤、忠宝の出馬を真剣に考えていた人でしたが、和田が病死したとき、忠篤、忠宝が帰国して二十年もたってからだったのに、「和田は餓死した」と赤沢が評したそうです。餓死は憤死というべきかもしれません。忠篤、忠宝の下野がどれほどの悔恨事であったか。察するにあまりあります。

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善を慮りて以て動き、動くこと惟れ厥の時をす。

2017-08-24 09:17:13 | ブログ
第3159号 29.08.24(木)

善を慮りて以て動き、動くこと惟れ厥の時をす。其の善を有りとせば、厥の善を喪ひ、其の能に矜れば、厥の功を喪ふ。惟れ事を事とすれば、乃(すなわ)ち其れ備え有り、備有れば患無し。『書経』(説 命中)441

 物事を処理する時には、善であるかどうかよくよく考えて行動し、それは時宜をえたものであるべきです。自分の善徳があることをうぬぼれれば、その善徳を失ってしまうし、自分の能力があることを自慢にすれば、その仕事は失敗いたします。すべての事を着実に行っていけば、そこで初めて物への備えができてきます。物への備えができれば、心配事はなくなります。442

 【コメント】人生には千差万別の事象が訪れますが、その処理については、誠実に対応することが要諦だと思います。一時的な損得にふりまわされるようなことがあってはならないと考えます。

 誰が考えても納得できる方法で収束への道を行けば、善処できると思います。

 世の中には常識的に考えて、何故そう言うことができるのですか、と首を傾げるようなことをする人がいるようです。 

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『不動心』(第28回)

 自分の精神にとっての「腫瘍」について

 人間の魂が自らをもっとも傷つけるのは、その魂が周囲に対して一種の腫瘍やはれものになってしまうときだ。というのは、置かれた境遇に腹を立てるのはどんな場合でも自然に対する反逆になってしまうからだ。魂が自分を傷つける第二は怒った場合によくやることだが、悪意をもって相手を拒絶したり妨害したりすることだ。第三に、快楽や苦痛に服従してしまうこと。第四に、自分を偽って不誠実な発言をしたり、正しくない行動をとったり、すること。第五には、行動や努力にこれといった目標もなく、そのエネルギーが無意味に、しかも無頓着に浪費されている場合である。どんな些細なことをするにしても目的を持たなければならない。理性を有する動物にとっての目的とは、根源的な意味での都市と国家の理法に調和することである。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第104回)

 さきには頼りにした西郷を失い、いままた忠篤、忠宝への期待が絶たれようとは、人々はどんなにか落胆したことでしょう。しかし菅にとつては予想された事態であったにちがいありません。下野隠退は菅の決断であったでしょうが、これには多くの反対がありました。反対を無視する形で下野隠退がおこなわれた背景には、「菅の声望実力が飛び離れて高かったために、反対をいい出す者がいなかったのだ」と山口白雲は『菅臥牛観』の中でいっています。
 忠篤が政府の決定にしたがって中尉となり、千葉の佐倉分署に左遷されることを受け入れることは、菅にとっては、いな、庄内にとっては、開墾地返上のときの、開墾士に疑いをはさまないという約束にも反することであり、また政府の敵視政策を認めることになり、そういう恥かしめに承服することはできないことであったのです。

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克く天心に享り、天の明命を受け

2017-08-23 09:53:07 | ブログ
第3158号 29.08.23(水)

惟れ尹の躬曁(みおよ)び湯(とう)、咸一徳(みないっとく)有り、克く天心に享(あた)り、天の明命を受け、以て九有の師を有(たも)ち、爰(ここ)に夏正を革(あらた)む。、天我が有商に私するに非ず、惟れ天一徳を佑(たす)く。商下民に求むるに非ず、惟れ民一徳に帰す。徳惟れ一なれば、動きて吉ならざる罔く、徳二三なれば、動きて凶ならざる罔し。惟れ吉凶僭(たが)はず人に在り、惟れ天災祥を降り徳す在り。『書経』(咸有一徳)429

 〔通釈〕尹自身と湯王は、みな純一な徳を身につけていましたので、よく天の心にかない、天の明らかな命を受けて、九州の衆民を保有することができ、夏の暦を殷の暦に改めたのでした。これは、天がわが殷にえこひいきをしたのではなくて、天が純一な徳のものを助けたのです。また、殷が下々の人民に無理に求めたのではなくて、人民が自然に純一な徳のものに付き従ったのです。徳が純一であるならば、その行うことはみな吉でないことはなく、徳が不純であるならば、その行うことはみな凶でないことはありません。吉と凶は、間違われずにその人の行うことに基づくのですし、天が幸いと災いを下すのは、その徳の如何に基づくのです。430

 【コメント】この書経のくだりを読み、考えさせられます。上の解説にある<天が幸いと災いを下すのは、その徳の如何に基づく>のですとありますが、この所の気象変動の凄さを見て思うことです。

 先般、弟の三年忌の祭、お寺の住職さんも私が思っていることと同じようなことを述べられました。気象予報士の方々は雲の発生等によっての事を解説されますが、私が言うのはその前段階のことなのです。

 地球上を多くの車両が走り回っているわけですが、その動く熱量だけでも地球に及ぼす影響は計り知れないものがあると思います。

 人間の生き方は人それぞれですから、出来るだけ質素倹約に勤めたいものです。空手道教室で私は、「人様を見下げない、暴言を吐かない、贅沢をしない、人を大事にする、勤勉であること、勤労精神旺盛であること」等々を子供の内から培うように心がけましょうとお話しているのです。

 今朝はナマゴミを棄てる日でしたので、ゴミステーションまで行きました。ところが煙草の吸殻が4本捨てられていました。歩きながらのポイステ行為なのですが、テレビコマーシャルもくだらないのを終日放送していますが、煙草のポイステ、車の暴走行為をやめましょう」と何故言わないのでしょう。それでは世の中悪くなり放題だと思います。

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『不動心』(第27回)

今失おうとしているこの「現在」以外を生きることはできない。

 覚えておきたまえ。仮に三千年、いや三万年の間生きようが、死によって失われるのは「現在」の一瞬を生きているその生にほかならないということを。さらにいえば、生とは、死によって失われようとするその一瞬以外の何物でもない。だからどんなに長生きしようが短命であろうが、それは同じなのだ。誰にも等しく与えられているのはこの過ぎ去りゆく一瞬だけで、過ぎ去ってしまえばもはや誰のものでもない。死が奪うものは飛び去るように過ぎる現在の瞬間だけで、過ぎ去った過去やまだ見ぬ未来が失われるわけではない。なぜなら、誰も持っていないものは奪われようがないからだ。
 以上のことから、二つの点を銘記しておこう。一つは、世界が始まって以来万物は変わることなく循環し回帰していくので、それを百年にわたって、あるいは二百年にわたって、いや永遠にわたって見続けたとしても、それらの間には少しの違いもないということ。もう一つは、長寿を全うする人間も夭折する人間も、その失うものは等しいということ。というのは、人間が「現在」という時だけしか持たず、しかも持っていないものは失われようがないとすれば、死によって失うものは長命・短命を問わず誰の場合でも、この「現在」のみということになるからである。


 コメントとして、西郷南洲翁は不幸にして短命に終わりましたが、死んでも尚「現在」に生きているような存在だと思います。それは上の解説にもありました、人間の徳からくる思慕の情であります。

 西郷どんの大河ドラマに伴い、その人物を紹介する専門家に遊郭出身と思われる女性がいると知人の人から連絡がありました。そういう歴史的偉人を人々に紹介をするような人は、人間の品性が人々に優れて豊かでなければならないでしょう。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第103回)

 留学に出るとき中佐で、一旦辞任したとはいいえ、最新のドイツ兵制を八年間も学んできた忠篤に、政府は二階級下げの中尉の辞令を与えました。西郷の息のかかった忠篤への明からさまな憎しみ、捧腹、懲罰的処遇であったことは、誰の目にもはっきりしていました。政府の庄内敵視はここにもあらわれていたのです。明治十三年三月のことでした。
 忠篤は即座に辞任して鶴岡に引上げました。忠宝もそうしました。開墾士たち周囲の人々の失望が大きかったことは想像に余りあります。

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厥の身を修めて、允徳下に協ふは

2017-08-21 16:38:55 | ブログ
3157号 29.08.22(火)

厥の身を修めて、允徳(いんとく)下に協(かな)ふは、惟れ明后なり。先王困窮を子恵して、民厥の命に服し、悦ばざる有る罔し。先に奉ずるには孝を思ひ、下に接するには恭を思ひ、遠きを視るには明を惟(おも)ひ、徳を聴くには聰を惟へ。朕王の休を承けて斁(いと)ふこと無からん。『書経』(太甲中)423

 「自分の身を修めて、誠の徳によって下のものたちと和合するものは、賢明な君というものです。先王湯は困窮している人たちを慈しみ恵みましたので、人民はその命令に服従して、その政治を喜ばないものはありませんでした。
 祖先に仕えるに当たっては孝であるように心がけ、下の民に対するに当たっては、慎み深くするように心がけ、遠くを見通すに当たっては、明であるように心がけ、徳についてきくに当たっては、聰であるように心がけてください。そのようになされれば、私は王のすばらしさを身にうけて、うむことがないでしょう。」


 【コメント】人間が身を修め、かつ修養して、譲り合いの精神を根底にして共に生きていくことに徹すれば、大概の難関は突破できるのではないかと考えます。他人は関係なく自分さえよければいいのだという人が存在すれば、いろいろ問題が発生すると思います。

 そして、自分があるということは人様のお陰だ、と感謝する必要があると思います。自分だけの事に固執すれば、自分の体調を害し、病院で暮らすことになるでしょう。

 とにかく必要以上の欲をだすということは、自らの命を縮めることになると思います。

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『不動心』(第25回)
 
 死と生、名誉と不名誉、苦痛と快楽、富と貧

 いかなることを行い、話し、考える場合においても、この世からいつでも自由に身を引けるのだということを思い起こしたまえ。
 もしも神々が存在するならば、人間に別れを告げるのはちっとも怖くない。なぜなら、神々はあなたをひどい目にあわせるようなことはしないから。しかし、仮に神々がいなかったり、いたとしても人間のことなどに見向きもしないならば、その摂理もない世界に生きることにいったい何の意味があろう。
 だが神々は存在し、人間の世界と関わりあっているのだ。そして果てしのない悪に人間が陥らぬよう力を与えてくれる。たとえどこかで現実に不幸があるとしても、そこに陥るのを避けるだけの力はあらかじめ万人に賦与しているのだ。その人自身が悪くならない限り、その人生が悪い方へ向かうわけはない。
 神々は、人間が悪い方へと向かっていくのを見過ごすほど無力であるはずもない。また、善人であろうが悪人であろうが、相手かまわず幸福と不幸を分け与えるようなヘマをするほど能なしであるとも考えられない。ただし、生と死、名誉と不名誉、苦痛と快楽、富と貧困などのようなものは等しく善人にも悪人にも分け与えられるが、こういうものは別に名誉でも恥でもなく、したがって幸福とか不幸とかいうにはあたらないのである。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第102回)

 明治十年当時の社会情勢は、政府にとって最も多事多難なものでありました。すなわち、愛媛県士族某の挙兵計画発覚、福岡県士族某の福岡城襲撃、大分県士族某の中津支庁襲撃、大分県一揆、東京府士族某の挙兵発覚、山口県士族某の挙兵発覚、林有造、陸奥宗光の西郷通牒事件が発覚するなど、政府は気の許せない日々であったのですから、庄内にたいする警戒も一朝にして解除できる状況ではなかったのです。

  忠篤・忠宝下野隠退
 
 開墾士たちの期待であった忠篤、忠宝は明治十二年六月、八年ぶりに帰国しました。そして父忠発の墓に詣で、松ヶ岡開墾場に立ったのですが、出発当時の、あの月山山麓にかけた壮大な夢は縮小され、伐木の音も止んでいました。それを見た忠篤、忠宝の心事はどうだったでしょうか。
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