第3161号 29.08.26(土)
天下民を佑(たす)けて、之が君と作(な)し、之が師と作す。惟れ其れ克(よ)く上帝を相(たす)けて、四方を寵綏(ちょうすい)す。罪あるも罪無きも、予曷(なん)ぞ敢えて厥の志を越(おと)すこと有らん。力を同じくすれば徳を度(はか)り、徳を同じくすれば義を度る。『書経』(秦 誓上)455
天は下々の人民を助け育てようとして、予をその君とし、その師とされた。そこでよく上帝を助けて、四方をいつくしみ安んじようとするのである。罪があるものはこれを討ち、罪がないものはこれを安んずるので、予はどうしてその志を失墜することなどがあろうか。力量が同じである場合は徳の方を量り、徳が同じである場合は義の方を量るのがよい。
【コメント】ここでは徳が大事であるが、徳が双方同じである時は義を量るとしているところがいいと思います。
翻って我が国の為政者も徳と義を重んじて戴きたいものです。森友学園、加計学園もウヤムヤの内に済まそうとしている感なしとしません。
当事者たちは権力をかさに着ていい加減にするように思えてなりません。ですから、保守の受け皿に変わる勢力を若狭さんが模索している組織に担って欲しいものだと思っています。
今の民進党を中心とする野党には国民は期待していないので、若狭さんなら信用があるような気が致します。是非、頑張ってほしいものです。
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『不動心』(第30回)
自分自身をうまく用うること
一日一日と人生は過ぎ、残された時間も次第に少なくなっていく。それだけではない。たとえ人の寿命が延びていこうとも、自らの本分を理解し、神や人間に関することがらをじっくり考えるだけの精神力が持続していくかどうかは疑わしい。 もうろくしばじめたからといって、必ずしも呼吸や消化、知覚、衝動などの機能が衰えるわけではない。しかし自分の才能をうまく生かし、義務を正当に評価し、さまざまな問題を片っぱから処理していく能力、そして自らの人生に終わりを告げる時期かどうかを判断したり、そのほか経験豊富な知性が必要とされるような決定を下したりする能力というものは、すでに衰えかけているのだ。だから急がなくてはいけない。というのも、刻一刻と死が近づいているというだけでなく、死以前にすでに認識したり理解したりする力が減少しばじめるるからである。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第106回)
このころ「国辱をそそぐ」べく、東京で学んでいた給費の秀才たちも、忠篤の下野にしたがってそろって帰郷しました。東京開成学校で学んでいた菅の甥、富山利勝も、忠篤の意をうけて陸軍教導団に入り小異だった加藤景重も、辞表をだして帰郷しました。
この時代、もし忠篤らが恥を忍んでも職にとどまり、隠退を思い止まってゐたら、庄内の俊秀たちは続々と中央に進出して----などと考えるのは道ではありませんが、考えたくなるのも人情というものでしょう。
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この所交通事故が多発しているようです。昨日も高知でマイクロバスにトラックが追突事故を起こし、高校生たちが死傷したとの由です。
私は鹿児島健康スポーツランドに週に二回ほど行っていますが、高速道路から出てきた大型トラックの暴走が目立つようです。
これらは運転手のモラルも大切ですが、それらを所有している雇用主が無理な工程で運送させているのではないかと考えます。事故をすれば悪くすると刑事事件になることもあります。行政当局は指導の徹底をしてほしいものです。
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天下民を佑(たす)けて、之が君と作(な)し、之が師と作す。惟れ其れ克(よ)く上帝を相(たす)けて、四方を寵綏(ちょうすい)す。罪あるも罪無きも、予曷(なん)ぞ敢えて厥の志を越(おと)すこと有らん。力を同じくすれば徳を度(はか)り、徳を同じくすれば義を度る。『書経』(秦 誓上)455
天は下々の人民を助け育てようとして、予をその君とし、その師とされた。そこでよく上帝を助けて、四方をいつくしみ安んじようとするのである。罪があるものはこれを討ち、罪がないものはこれを安んずるので、予はどうしてその志を失墜することなどがあろうか。力量が同じである場合は徳の方を量り、徳が同じである場合は義の方を量るのがよい。
【コメント】ここでは徳が大事であるが、徳が双方同じである時は義を量るとしているところがいいと思います。
翻って我が国の為政者も徳と義を重んじて戴きたいものです。森友学園、加計学園もウヤムヤの内に済まそうとしている感なしとしません。
当事者たちは権力をかさに着ていい加減にするように思えてなりません。ですから、保守の受け皿に変わる勢力を若狭さんが模索している組織に担って欲しいものだと思っています。
今の民進党を中心とする野党には国民は期待していないので、若狭さんなら信用があるような気が致します。是非、頑張ってほしいものです。
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『不動心』(第30回)
自分自身をうまく用うること
一日一日と人生は過ぎ、残された時間も次第に少なくなっていく。それだけではない。たとえ人の寿命が延びていこうとも、自らの本分を理解し、神や人間に関することがらをじっくり考えるだけの精神力が持続していくかどうかは疑わしい。 もうろくしばじめたからといって、必ずしも呼吸や消化、知覚、衝動などの機能が衰えるわけではない。しかし自分の才能をうまく生かし、義務を正当に評価し、さまざまな問題を片っぱから処理していく能力、そして自らの人生に終わりを告げる時期かどうかを判断したり、そのほか経験豊富な知性が必要とされるような決定を下したりする能力というものは、すでに衰えかけているのだ。だから急がなくてはいけない。というのも、刻一刻と死が近づいているというだけでなく、死以前にすでに認識したり理解したりする力が減少しばじめるるからである。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第106回)
このころ「国辱をそそぐ」べく、東京で学んでいた給費の秀才たちも、忠篤の下野にしたがってそろって帰郷しました。東京開成学校で学んでいた菅の甥、富山利勝も、忠篤の意をうけて陸軍教導団に入り小異だった加藤景重も、辞表をだして帰郷しました。
この時代、もし忠篤らが恥を忍んでも職にとどまり、隠退を思い止まってゐたら、庄内の俊秀たちは続々と中央に進出して----などと考えるのは道ではありませんが、考えたくなるのも人情というものでしょう。
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この所交通事故が多発しているようです。昨日も高知でマイクロバスにトラックが追突事故を起こし、高校生たちが死傷したとの由です。
私は鹿児島健康スポーツランドに週に二回ほど行っていますが、高速道路から出てきた大型トラックの暴走が目立つようです。
これらは運転手のモラルも大切ですが、それらを所有している雇用主が無理な工程で運送させているのではないかと考えます。事故をすれば悪くすると刑事事件になることもあります。行政当局は指導の徹底をしてほしいものです。
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