味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

何をか人情と謂ふ。

2017-08-08 16:06:35 | ブログ
第3144号 29.08.09(水)

何をか人情と謂ふ。喜怒哀懼愛惡欲なり。七つの者學ばずして能くす。何をか人の義と謂ふ。父は慈、子は孝、兄は良、弟は弟、夫は義、婦は聽(てい)、長は恵、幼は順、君は仁、臣は忠なり。十の者之を人の義と謂ふ。信を講じ睦を脩む、之を人の利と謂ふ。争奪相殺す、之を人の患(うれへ)と謂ふ。故に聖人の、人の七情を治め、十義を脩め、信を講じ睦を脩め、辭譲を尚び、争奪を去る所以は、禮を舎きて、何を以てか之を治めん。『礼記』(礼運第九)342

 いったい人の心情とはどんな物であろうか。それは喜怒哀懼愛悪欲の情意であって、これら七つは人びとの生まれつきの能力である。次に人の道義とは何であろうか。それは、父の慈、子の孝、兄の良、弟の弟、夫の義、妻の聴(従)、長の恵、幼の順、君の仁、臣の忠である。これら十を道義というのである。また、互いに信頼しうるように努め、親睦を深くすることが、万人の利益であり、互いに奪い殺し合うのは、万人の災害である。それゆえ聖人は、七情が適度に表出され、十義が正しく実践され、人びとの間に信頼と親睦が深められ、譲り合いが尊ばれ、争奪が行われないように人びとを教え導くのであるが、そのためには、礼という物を用いなくては治めることができない。342

 【コメント】人びとが生きて行く上において大事な十の道義の解説であります。フェアプレイで事に臨むのなら人々は納得されるでしょが、権力ある人地位についている人が、それらを利用・悪用することがあってはならないと思います。

 お手本を示すべきは政治の世界であろうと思います。物騒な物を飛ばして人々を威嚇するお隣の国のお殿様は別として、精神に良心がある人は耳を傾け、人の道に反しないようにするがいいと思います。

 如何に近代民主主義社会であるとは申せ、人間は天が産み出した所産、真摯に対応したいものです。思うに人々の「我」が先行している感なしとしません。

 特に内閣支持率が浮揚していないということは、国民は真摯な心と目で、現実を観ているのです。それらを権力でふみにじってはいけません。

 思うに若狭さんが奮闘し「日本ファーストを立ち上げよう」としている事は、国家の正当性を睨み、後々を考慮し事に処すとしているのだと思います。何の力もない私ですが、後々、私の足跡について、空手道教室の子供たちが、私の師匠の精神には悪が芽生えていたと思われることがあってはならないと自覚しているつもりです。

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『不動心』(第12回)

 いわれなき抗議でも軽視しないこと

 九 ストア派の哲学者カトルスから教わったこと。それは、友人の非難はどんなに理不尽なものでも無視せず、友好関係を回復するよう全力を尽くすべきこと。また自分の師に対しては、ドミティウスやアテノドトスの言行録にもあるようにすすんで讃辞を述べ、子供に対しては心底から愛情を抱くべきこと。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第89回)

 鳩首協議の末にだされた案は、驚天動地のもので、開墾地の一切を挙げて借金のかたに返上するというものでした。開墾放棄であります。
 旧藩首脳の開墾場再建の協議は、黒崎日記では、明治十一年二月二十三日が最初です。
  「夜、隊長の家で後田山(松ヶ岡)開拓地の問題が報国される。隊長のいうには、初めわれわれは後田の土地を抵当にしてお上(山形県)から七千円を借りたが返済することができず、また別途県庁から借りようとしている。もしできなければ、この土地を返そうと思う。開墾が完成しなくても別に恨むことはない。何となれば、『志すところはあのことであり、このことではない』。費用が賄い切れなければ、いかに同志といえども耐えられぬことであろうことは、最初から知らぬ訳ではなかった。志を同じゅうする者は、建前として自己一身を顧みず、ひたすら生産をあげたいと願っている。この志は嘉すべきではないか。何ゆえ県庁の役人は僅かばかりの出費を惜しんで、志を助けないのか----」
 その後は三月三日です。

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今日の読売新聞にも若狭勝さん提案の日本ファーストの組織づくりが報道されています。自民党一強に対してアレルギーを抱いている人々が挙って参画するかもしれません。

 自民党に対しては安倍さんを信用できないという人が多いようです。かといって老い先短いと言われる民進党には魅力はないし、と言えば日本ファーストしかないのかも知れません。

 何れにしても、将来を嘱望する青少年に自分も他人も力強く支え、そして真摯にして、勤勉で勤労精神旺盛な人間たるべく指導して行ける政治団体でなければならないと思います。

 私が勉めていた会社では、職員の性質が悪かった印象がぬぐえないのです。ですから私は5年早く退職したのでした。5年早く退職をしても現職時代死にもの狂いで働いてきた私は直ぐ請負会社に再就職しました。

 その時の条件が空手道教室で子どもに空手道を教えているので、忙しい時は何時でも早退しても良いという条件でした。でも早退した時は、深夜に会社に出向き、向うハチマキをして徹夜で書類作成をしたものです。

 親会社から書類は何時提出するかと問われた時、日時を明確に申し上げ、一分の誤差もないようにして提出したものです。

 兎に角、中身をインチキせず、約束を履行することです。これを実践すれば天も味方してくれると信じています。

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楽は内を脩むる所以なり。

2017-08-08 09:55:50 | ブログ
第3143号 29.08.08(火)

楽は内を脩むる所以なり。禮は外を脩むる所以なり。禮樂、中に交錯して、外に發形す。是の故に其の成るや懌(よろこ)び、恭敬にして温文なり。----君子に徳と曰ふ。徳成りて教尊くして官正しく、官正しくして國治まる。君の謂なり。『礼記』(文王世子第八)312

 音楽には心を美しくする力があり、礼儀には行いを美しくする効がある。ゆえに両者が一身に兼ね備わり、その魅力を発揮すれば、そこには快活で行儀正しく、温和で上品な人がらが表わされるのである。----そもそも君子にはそれにふさわしい徳が説かれるのであり、その徳が充分に備わってこそ、君子の教が尊ばれ、教が尊くてこそ官人たちも慎んで行政が正しく、それでこそ国は治まる。そうあってこそ君主というのである。

 【コメント】夏殷周三代の聖王たちが世子を教育する方法を論じたものですが、このようにご紹介しながら、心が洗われる思いです。

 叶うものなら、我が国を代表する議員諸氏もかくあって欲しいものです。特に総理たる人がこのようであれば世の中見違えるようになることでしょう。その場合、家族をはじめ関係者も教育しなければなりません。

 今日の読売新聞に、元検事で衆議院の若狭 勝さんが「国民ファースト」を組織するとのことです。各新聞等の世論調査では多くの国民は支持しないとのことですが、私は必ず伸びると信じています。それは日本の国家という視点に立脚しているからです。

 地検で仕事をしていた若狭さんが小池都知事を応援した時、私は心から悦びました。若狭さんは検事という職名で世のため人のために仕事をしてきた人だと信じていたからです。

 今時的で地位と名誉と金がほしくて議員に立候補したのではないと信じています。上に立つ人が、清廉にして真摯なる仕事をすれば天も人々も認めそして応援するでしょう。

 今回の組閣に対して、民進党の国体委員長が国会軽視だと息巻いていましたが、先ずご自分たちの組織をこそ、改革しなければなりません。

 以前のブログでも言及しましたが、青少年をはじめとして子供たちがおかしくなっているのは、民進党の前身の人々の政策によるものだと書きましたが、私はそういう時代で労組の副委員長を30年近く仰せつかって来たから言えるのです。

 昨夜のプライムニュースでは、桜井よしこ氏が今回の組閣を論じていましたが、是々非々で対応することこそが賢明だと思います。

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『不動心』(第11回)

 多忙は弁解にならない

 八 プラトン学派の哲学者アレクサンダーは、本当に止むを得ない場合でもないのに「忙しすばる」などと広言したり手紙に書いたりすることをきつく戒めた。彼にいわせると、人間は多忙を口実に、社会に対して果たすべき義務を怠ってはならないという。


 私は家の事情で多くの仕事をしてきましたが、寝る間もない位、仕事と格闘してきました。大概のことはやる決心があれば出来るのです。そしてズルをしないことが大事なのです。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第88回)

 開墾の危機

 西南戦争を戦い、西郷が城山の露ときえた明治十年ごろの松ヶ岡開墾の経営は、ピンチに陥っていました。それは、前に書いたワッパ事件の痛みが癒えずはなはだ深刻であったのです。
 その痛みというのは、いままでしばしばでてきました藩首脳の松平権十郎親懐が、庄内藩が維新後は酒田県となり、県参事(知事)の職についていたころ、県の租税を松ヶ岡開墾に費消したという嫌疑で告訴され、大審院で禁獄二三五日の判決をうけたこと。その開墾費用に充てた税の一部を全て返済せよ、という政府の決定が内達されたこと。
 また開墾地を抵当にいれた政府への債務七千円が、ここにいたって返済の見込みが立ちません。そこで別途県庁から融資を受けて、返済しようとするのですが、県が貸さなかったらどうするか、これは大変な問題であったのです。

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