味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

父子篤く、兄弟睦じく、

2017-08-05 09:39:43 | ブログ
第3140号 29.08.05(土)

四體既に正しく、膚革充盈(ふかくじゅうえい)なるは、人の肥えたるなり。父子篤く、兄弟睦じく、夫婦和するは、家の肥えたるなり。大臣法あり、小臣廉に、官職相序し、君臣相正しきは、國の肥えたるなり。
 天子徳を以て車と為し、樂を以て御(ぎょ)と為し、諸侯禮を以て相與し、大夫法を以て相序し、士信を以て相考し、百姓睦を以て相守るは、天下の肥えたるなり。是を大順と謂ふ。---故に順に明かにして、然る後に能く危を守るなり。『礼記』(礼運第九)352


 さて和順とは何であろうか。四体完全で、肉は豊かで、皮膚に張りのある人は、身が良く肥えているのである。親子仲よく、兄弟睦まじく、夫婦和合しているのは、家が良く肥えているのである。大臣は法を犯さず、百官は廉直、上下乱れず、君臣の礼が正しいのは、国が良く肥えているのである。
 天子は 徳を乗り物とし、音楽を御者とし、諸侯が礼を守って天子に従い、大夫は法に遵って秩序を保ち、士は信義を重んじて職務を果たし、万民は親睦して平和に暮らすのは、天下が良く肥えているのである。このように個人の身から天下全体に至るまで良く肥えている世界これをば大順の世と言うのであり、大順の道は、人びとが生きている父母を充分に養い、亡くなったら心残りなく葬り、かつもろもろの神に仕えることのできる、その基本条件である。-----このように万人それぞれが職務を果たし、いささかの過失も衝突も起こさない。これが和順の至極の世というものであって、こうした和順の境に至る道を心得てこそ、始めて良く國を治めて、危険に至らずに済ますことができるのである。352


 【コメント】一部長々とした訳文を省略しましたが大変よい教えだと思います。昭和の碩学として名声を博している安岡正篤氏が『礼記』を読みなさい、と言われている意味が理解できるように思います。

 昨日第三次内閣改造をした安倍総理も読んで欲しいものです。過去に大臣経験をした練達の士を陣容に構えましたが、その前に森友・加計問題もそのままではいけないでしょう。

 特に夫人が、軽々に名誉校長を受けるなんて、自分の未熟さ、浅はかさを露呈しているものです。多額の金額が差し引かれたことは、総理夫人令室ということがあったと思うのは自然のことです。

 東京に在住している物書きの明晰なご夫人にも意見をもとめたら、バカアキエとテレビに怒鳴っていると述懐しました。多くの国民が同様の見解であろうと思います。

 私は安倍さんは大好きですが、今回の問題は良くないと思っています。そして法政大学空手道部で鍛えたと言われる菅さんの対応も未熟だったと思います。

 かといって今の受け皿となる政党がないのは残念です。若狭勝さんに期待しています。民進党が受け継いだらますます悪くなります。そのことは過去のブログで言及しました。

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『不動心』(第8回)

 自分にとって真の味方となる処世術

 五 セクストスからは、優しさとは何か、父の威厳をそこねず家庭を治めるにはいかにすべきか、そして自然に従って生きるとはどういうことかを学んだ。さらに、さり気なくにじみ出る気品、友人の利益を思いやる心、そして素人考えや空想家に対する忍耐をも学んだ。
 彼は誰にでも礼儀正しく接したが、友人にはそれがどんなお世辞よりも魅力であり、同時に彼への尊敬の念を否が応でも高める結果になった。
 人生の根本法則を把握し体系づける彼の方法は、深い理解力に裏づけられ、しかも理路整然としていた。怒りや、どんなに激しい感情の起伏も顔には出さず、いつも冷静でありながら、心には情愛が満ちあふれ、人をほめるにもつつましく控え目で、自分の博学の才をひけらかしたことなど一度もなかった。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第85回)

 ところがその七日後の日記には、
 「四日(九月)の新聞によれば義軍は延岡から山路を越えて六百里、吉田から鹿児島に突入、県庁の役人もみな船で長崎に落ち伸び、金銭、兵糧、武器、ことごとく義軍の手に帰すると。盛んなるかな、義軍の用兵作戦。まさに定石を越えたもの、奸軍の胆を破り、天下の耳目を驚かす。古今千年、こんな戦争を成しえた者があろうか。諸先生(菅はこの場にいたかどうか)は口をそろえて『これで天下の形勢は決まった、さ、戦勝祝いだ』と新徴組に集まる。会する者二十有余人。歌って踊って歓を尽くす。ああ、人世一生のうちこんな嬉しいことが二度とあろうか」
とありますが、これが誤報であることが七日後に判明します。三矢堅弥が黒崎に駆け込んできて伝えたのです。

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