第3165号 29.0830(水)
格物は是れ誠意の工夫、明善は是れ誠身の工夫、窮理は是れ盡性の工夫、道問學は是れ尊徳性の工夫、博文は是れ約禮の工夫、惟れ精は是れ一の工夫と説くが如き、諸々の此の如きの類は、始めは皆落々として合ひ難かりしも、其の後之を思ふこと既に久しくして、手の舞ひ足の踏むを覚えず。『伝習録』(伝習録巻上)69
物の理を明らかにすることは、そのまま意を誠にする修行であり、善を明らかにすることは、そのまま身を誠にする修行であり、外の理を窮めることは、そのままわが性を尽くす修行であり、学問に従うことは、そのまま自己の徳性を尊ぶ修行であり、博く文を学ぶことは、そのまま礼に引き締める修行であり、物を精しく分けることは、そのまま一にする修行である、などの諸説は、始めは胸の中にごつごつしていて、ぴったりとしないように感じられたが、その後久しく思索を重ねて行く間に、自然と心に融け込んで、遂には手の舞い足の踏むのを覚えないほどの感激となった。
【コメント】上の解説にある説や学なるものが、今日の客観的な学のことではなくて、信ずるに足るものであり、教説・教義に近いものであるように思われます。
昨日は北朝鮮が日本の国土を横断するミサイルを事前の通告なしに発射したため終日大変な騒ぎでした。対話をすれば良い方向に行くのでしょうが、一方的な行為はのっぴきならぬ事態に行くような気が致します。
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『不動心』(第34回)
よりよいものとは有利なもののこと
人生があなたに、正義や真実や克己心や勇気よりすぐれたもの、つまり理性にかなった行動をとることで得られる心の平安や、どうにもできない宿命が降りかかってこようとも、それをそのまま受け容れる穏やかな心を与えてくれるとしたら、さらに、それ以上にすばらしい何かをこの人生に見出せるとしたら、全精力を傾けてそのすばらしい宝と向き合い、それを見付けたことを喜びとしたいものである。
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死に代えた『南洲翁遺訓』」(第110回)
「開墾場一切差出」のことが元どおりときまったあとも、事業は着々信行して、大蚕室が続々と建設されていきます。
その敷地整備のとき、忠発は現場に臨み、酒、にしん汁をふるまったと記録されています。
このころ開墾場の幹部首席であった山口将順は、しばしばここ開墾場を訪れたさですが、この日は開墾の目的を詩に託して激励しています。
嫁事 必ずしも老圃の為ならず
耒鉏便ち是れ干城の錍
桑田十里 平かなること砥の如し
成周郁々の基を照らさんことを要す
という詩です。
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格物は是れ誠意の工夫、明善は是れ誠身の工夫、窮理は是れ盡性の工夫、道問學は是れ尊徳性の工夫、博文は是れ約禮の工夫、惟れ精は是れ一の工夫と説くが如き、諸々の此の如きの類は、始めは皆落々として合ひ難かりしも、其の後之を思ふこと既に久しくして、手の舞ひ足の踏むを覚えず。『伝習録』(伝習録巻上)69
物の理を明らかにすることは、そのまま意を誠にする修行であり、善を明らかにすることは、そのまま身を誠にする修行であり、外の理を窮めることは、そのままわが性を尽くす修行であり、学問に従うことは、そのまま自己の徳性を尊ぶ修行であり、博く文を学ぶことは、そのまま礼に引き締める修行であり、物を精しく分けることは、そのまま一にする修行である、などの諸説は、始めは胸の中にごつごつしていて、ぴったりとしないように感じられたが、その後久しく思索を重ねて行く間に、自然と心に融け込んで、遂には手の舞い足の踏むのを覚えないほどの感激となった。
【コメント】上の解説にある説や学なるものが、今日の客観的な学のことではなくて、信ずるに足るものであり、教説・教義に近いものであるように思われます。
昨日は北朝鮮が日本の国土を横断するミサイルを事前の通告なしに発射したため終日大変な騒ぎでした。対話をすれば良い方向に行くのでしょうが、一方的な行為はのっぴきならぬ事態に行くような気が致します。
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『不動心』(第34回)
よりよいものとは有利なもののこと
人生があなたに、正義や真実や克己心や勇気よりすぐれたもの、つまり理性にかなった行動をとることで得られる心の平安や、どうにもできない宿命が降りかかってこようとも、それをそのまま受け容れる穏やかな心を与えてくれるとしたら、さらに、それ以上にすばらしい何かをこの人生に見出せるとしたら、全精力を傾けてそのすばらしい宝と向き合い、それを見付けたことを喜びとしたいものである。
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死に代えた『南洲翁遺訓』」(第110回)
「開墾場一切差出」のことが元どおりときまったあとも、事業は着々信行して、大蚕室が続々と建設されていきます。
その敷地整備のとき、忠発は現場に臨み、酒、にしん汁をふるまったと記録されています。
このころ開墾場の幹部首席であった山口将順は、しばしばここ開墾場を訪れたさですが、この日は開墾の目的を詩に託して激励しています。
嫁事 必ずしも老圃の為ならず
耒鉏便ち是れ干城の錍
桑田十里 平かなること砥の如し
成周郁々の基を照らさんことを要す
という詩です。
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