味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

忠信は禮の本なり。

2017-08-03 15:16:03 | ブログ
第3139号 29.08.04(金)

先王の禮を立つるや、本有り文有り。忠信は禮の本なり。義理は禮の文なり。本無ければ立たず、文無ければ行はれず。禮なる者は、天時に合(かな)ひ、地財を設け、鬼神に順(したが)ひ、人心に合ひて、萬物を理(おさ)むる者なり。『礼記』(礼器第十)356 

 先王は礼を制定するに当たり、これに根本(実質)と形式とを持たせた。即ち礼を行う人の誠意は礼の根本であり、礼儀礼節の定めは礼の形式である。根本を欠いては礼は存立せず、形式を欠いては実行ができないのである。----礼は、君子たる者が、天時の推移に応じて事を行い、地の生産の力に頼って物資を積み蓄え、鬼神を敬い、人びとと和合し、こうして万事を処理し、天下を治めてゆくための基本的な手段である。356

 【コメント】<礼を行う人の誠意は礼の根本>であるとはまさしくその通りだと思います。世の中の急激な変化に伴い日本人が大事にしてきた「礼」の文化が形骸化し、心ある人々は首を傾げている向きがあるのではないでしょうか。

 そういった日々であるからこそ私共は『南洲翁遺訓』を始めとし漢籍を繙かなければならないと考えます。そのようなことが常態化すれば、青少年を含めた資質の向上、学業への意欲も高まると思います。

 昨夜は第二道場での空手道教室で子どもたちともども空手道と『南洲翁遺訓』を堪能しました。

 自宅を出ようとしたら携帯電話に着信履歴がありました。南九州市にある別府小学校に教頭先生として赴任した仲間の中島先生からでした。

 早速折り返し電話をして、久々にお元気な声をお聞きしました。中島先生は、管理職としての日々であることから、日常がとにかく大変忙しいとのことでありました。

 お話している声が元気でしたので、頑張って欲しいと念じた次第でした。

 第三次安倍内閣が組閣されました。安倍総理は組閣してからの挨拶で、内閣不支持率の降下にともない「国民の皆様に大変申し訳なく反省し、心からお詫び申し上げます」と陳謝ししました。

 総理は閉会中審査でも「反省しています」とは言いましたが、「お詫び申し上げます」というのは初めてでした。その時、「衷心からお詫び申し上げます」と何故言わないのだ、と私はテレビに向かって叫んだものです。

 さて新内閣で支持率アップに繋がるのでしょうか。大して望めないと思います。支持率低下は総理自身の政治姿勢にあるのだとは、識者の見解でもあります。そして森友・加計を封印しているからです。

 今までの支持率が良すぎたものだから、総理も官房長官も思い上がっていたのだろうと思います。今回の陣容は素晴らしいとは思いますが、どれだけ国民がヨシとして認めるかということです。

 日本人が美徳としてきた「礼の文化」いわゆる謙虚さがなくてはならないのです。

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『不動心』(第7回)

 独立心を持つこと、運命をたのまぬこと

 四 アポロニウスは私に、決断は自らで行い、決して運命の偶然にゆだねてはならない、一瞬たりとも理性を見失ってはならないと教えてくれた。また激痛の発作や息子の死、あるいは飽きるほど長く続く病気に直面したときにも、平静心をもって対処できるよう訓練を受けた。
 彼自身、烈火のごとき激情と寛大な精神が、同じ人物の中に共存しうることを身をもって証明していた。私に何かを教えるときにはきわめて明確に説明してくれたが、自らはその豊富な経験や哲学の素養を取るに足らないものだと考えていたようだ。もう一つ、友人から好意のしるしの贈物を受け取るときにも、自尊心を傷つけず、さりとて相手をつれなく無視するような態度もとらないですむ方法についても彼から学んだのである。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第84回)

 明治四年四月、西郷と盟約した理想の実現に向けて、諸士を開墾に結集して、幾多の困苦に耐えさせてきたことを思えば、断腸の思いであったろう。西郷との盟約に背かざるをえなかった。西南戦争という形での西郷の決起をも恨みとしたかもしれない。しかしそれは天命であったのだ。そう決断すると、菅は深く内面に沈潜していったのである。
 黑崎はなおも、
 「南方鹿児島を望んで心おののく。思うては涙は溢れ、衣を濡らす。ああ百年の大業も万事休す。今後われらは誰に頼って仁の道を学ぶべきか。心は乱れ、前途は闇。哀しいかな、哀しいかな」
と、若き血潮が騒ぎに騒ぐのをとどめようもなかったのです。
 「顔淵を見習う」とは、『論語』に、孔子と(一番弟子)顔淵との対話が出ています。時代がわれわれを必要として国政を任せたならば中原に出て存分の働きをしようではないか。しかし、時代がわれわれを見捨てたならば、鳴かず飛ばずじっと克己のの学を努めようではないか。われと君なら、きっとできるであろう、というのです。思うべし、菅の心事、黒崎の心事わ。

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