味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

知行如何ぞ分ち開かん。

2017-08-17 15:11:59 | ブログ
第3153号 29.08.18(金)

知行如何ぞ分ち開かん。此れ便ち是れ知行の本體にして、曾て私意の隔斷有らざる的(もの)なり。聖人の人を教ふる、必ず是れ此の如きを要(もと)む。方に之れを知と謂ふ可し。然らずんば、只だ是れ曾て知らざるなり。此れ卻って是れ何等の緊切着実の工夫ぞや。『伝習録』(伝習録巻上)38

 〔通釈〕知と行とはどうして分けることができようか。分けられないのが知行の本来のすがたであり、私意によって少しも隔てられない状態なのである。聖人が人を教えるには、必ずこのように知と行の一体となることを求めるのであって、そこに至ってこそ始めて知ったということができ、そうでなければ何も知ったことにならないのである。とすれば、この知行合一は、何という大切な、また実際的な修行ではなかろうか。39

 【コメント】知行合一の学問の世界を逍遥したのが青年時代のことでした。分けがわからないまま、難解な本を読み続けて来たものです。今でもそうですが。

 そういう積み重ねが今日幾らか奏功しているのだと思います。人間の一生はいろいろなことがありましても、大体似たり寄ったりだと思います。

 そういう日々の中で、人々と語らい如何に有意義に生きるかが、賢者と愚者の分かれ目だと聞いたことがあります。

 昨夜の空手道教室は6人でしたが、賑やかでした。入会4か月目の超優秀君も張りきりました。幾ら教えても身に覚えられなく、模索しながらの御稽古ですが、最終版に前に出て貰い、号令をかけて貰いまして。

 中学一年であるだけに、元気のよいリーダーぶりでした。別府小学校教頭・中島先生喜んでください、歩希君が生れて始めてリーダーとして号令かけたのですよ。御稽古していた子供たちも殊の外喜んで、拍手をしてくださいました。

 私も嬉しさのあまり、本人の肩を引き寄せ喜びを伝えた次第でした。超頭脳だと言われているだけに、通常言う頭は良いのですが、手足が思うように機能しないため、仲間の子供たちもあきれていたのでした。

 そういうお兄ちゃんが、どうにか出来たため、子供たちが喜んでくださったのです。

 二部では田上青年と二人でおけいこしました。17年目を迎えた田上さんは素晴らしい限りです。その昔、一所におけいこしていた山ノ川君は早々と止めていまいましたが、大変残念なことでした。

 田上さんとの修行メニューは次のとおりです。私が詠んだ「武者 田上慈昭兄を詠ず」の漢詩の朗読と吟詠、そして漢詩の解説です。解説の内容は、

「有徳の武者が徒手空拳の空手道と出会い、修行に志し精進している。
 常に前進しようとする心意気で、道を究めんと情熱を滾らせ、二十年という積年の間、苦しく辛い修行を通じて、自分との闘いを演じ己の姿を歴史に刻もうとしている。
 純粋にして大らかで、実りある将来が嘱望される行者としての武者は、大きな大きな翼を広げ、人の範たらんとしてこれからも倦むことなく羽ばたいていく。
 空手道に精進している武者の招来は、前途洋々たりとして、その美しい闘魂の容姿を世界に誇る大和文化の象徴として極む、之天に誓約する壮士の心意気である。


 田上慈昭・人生に挑む章句

 一、空手の道に  こころざし
   精魂込めて  突きをする
   自ら決めた  道なれば 
   強固な信念  貫くぞ
 二、自ら心に   灯をともし
   毀誉の言葉も 気にもせぬ
   滾る情熱   胸に秘め
   優しき中に  意地通す
 三、我に厳しく  人さまに
   慈悲の心で  臨むべし
   心豊かに   世に生きる
   男 慈昭   独り行く 

  田上慈昭・私の人生訓----その一

  人に誉められたり、貶されたりするのを「毀誉褒貶」と言います。
  私は褒められたときは感謝し、静かに微笑み、貶されても逆上しないように努めます。
 特に怒りを表すことは、健康を維持して行く上においても善くないからです。

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『不動心』(第21回)

 自分の幸福源を他人の魂の中におくな

 ああ私の魂よ、おまえは何とひどく私のことを誤解しているのだ。自分を大切にするには、時間はもうほとんど残されていない。人生は一度しかないのだ。しかもその人生が終わりに近づいているというのに、自らに敬意を払うこともせず、他人が自分をどう思っているかという一点にのみ自分の幸福を費やしているとは。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第98回)

 これを携えた林、赤沢の両人は大久保にも面会して上申しました。もはや県の手を離れて内務卿大久保との交渉になったのであります。
 黑崎のいう「あのこと」つまり、西郷と連携して起つ、そのための開墾だとはいえません。当然ながら根も葉もない讒言誹謗であると、繰返し繰返し強調して、政治を責めています。しかし大久保は真に受けるはずはありません。

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