第3159号 29.08.24(木)
善を慮りて以て動き、動くこと惟れ厥の時をす。其の善を有りとせば、厥の善を喪ひ、其の能に矜れば、厥の功を喪ふ。惟れ事を事とすれば、乃(すなわ)ち其れ備え有り、備有れば患無し。『書経』(説 命中)441
物事を処理する時には、善であるかどうかよくよく考えて行動し、それは時宜をえたものであるべきです。自分の善徳があることをうぬぼれれば、その善徳を失ってしまうし、自分の能力があることを自慢にすれば、その仕事は失敗いたします。すべての事を着実に行っていけば、そこで初めて物への備えができてきます。物への備えができれば、心配事はなくなります。442
【コメント】人生には千差万別の事象が訪れますが、その処理については、誠実に対応することが要諦だと思います。一時的な損得にふりまわされるようなことがあってはならないと考えます。
誰が考えても納得できる方法で収束への道を行けば、善処できると思います。
世の中には常識的に考えて、何故そう言うことができるのですか、と首を傾げるようなことをする人がいるようです。
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『不動心』(第28回)
自分の精神にとっての「腫瘍」について
人間の魂が自らをもっとも傷つけるのは、その魂が周囲に対して一種の腫瘍やはれものになってしまうときだ。というのは、置かれた境遇に腹を立てるのはどんな場合でも自然に対する反逆になってしまうからだ。魂が自分を傷つける第二は怒った場合によくやることだが、悪意をもって相手を拒絶したり妨害したりすることだ。第三に、快楽や苦痛に服従してしまうこと。第四に、自分を偽って不誠実な発言をしたり、正しくない行動をとったり、すること。第五には、行動や努力にこれといった目標もなく、そのエネルギーが無意味に、しかも無頓着に浪費されている場合である。どんな些細なことをするにしても目的を持たなければならない。理性を有する動物にとっての目的とは、根源的な意味での都市と国家の理法に調和することである。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第104回)
さきには頼りにした西郷を失い、いままた忠篤、忠宝への期待が絶たれようとは、人々はどんなにか落胆したことでしょう。しかし菅にとつては予想された事態であったにちがいありません。下野隠退は菅の決断であったでしょうが、これには多くの反対がありました。反対を無視する形で下野隠退がおこなわれた背景には、「菅の声望実力が飛び離れて高かったために、反対をいい出す者がいなかったのだ」と山口白雲は『菅臥牛観』の中でいっています。
忠篤が政府の決定にしたがって中尉となり、千葉の佐倉分署に左遷されることを受け入れることは、菅にとっては、いな、庄内にとっては、開墾地返上のときの、開墾士に疑いをはさまないという約束にも反することであり、また政府の敵視政策を認めることになり、そういう恥かしめに承服することはできないことであったのです。
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善を慮りて以て動き、動くこと惟れ厥の時をす。其の善を有りとせば、厥の善を喪ひ、其の能に矜れば、厥の功を喪ふ。惟れ事を事とすれば、乃(すなわ)ち其れ備え有り、備有れば患無し。『書経』(説 命中)441
物事を処理する時には、善であるかどうかよくよく考えて行動し、それは時宜をえたものであるべきです。自分の善徳があることをうぬぼれれば、その善徳を失ってしまうし、自分の能力があることを自慢にすれば、その仕事は失敗いたします。すべての事を着実に行っていけば、そこで初めて物への備えができてきます。物への備えができれば、心配事はなくなります。442
【コメント】人生には千差万別の事象が訪れますが、その処理については、誠実に対応することが要諦だと思います。一時的な損得にふりまわされるようなことがあってはならないと考えます。
誰が考えても納得できる方法で収束への道を行けば、善処できると思います。
世の中には常識的に考えて、何故そう言うことができるのですか、と首を傾げるようなことをする人がいるようです。
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『不動心』(第28回)
自分の精神にとっての「腫瘍」について
人間の魂が自らをもっとも傷つけるのは、その魂が周囲に対して一種の腫瘍やはれものになってしまうときだ。というのは、置かれた境遇に腹を立てるのはどんな場合でも自然に対する反逆になってしまうからだ。魂が自分を傷つける第二は怒った場合によくやることだが、悪意をもって相手を拒絶したり妨害したりすることだ。第三に、快楽や苦痛に服従してしまうこと。第四に、自分を偽って不誠実な発言をしたり、正しくない行動をとったり、すること。第五には、行動や努力にこれといった目標もなく、そのエネルギーが無意味に、しかも無頓着に浪費されている場合である。どんな些細なことをするにしても目的を持たなければならない。理性を有する動物にとっての目的とは、根源的な意味での都市と国家の理法に調和することである。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第104回)
さきには頼りにした西郷を失い、いままた忠篤、忠宝への期待が絶たれようとは、人々はどんなにか落胆したことでしょう。しかし菅にとつては予想された事態であったにちがいありません。下野隠退は菅の決断であったでしょうが、これには多くの反対がありました。反対を無視する形で下野隠退がおこなわれた背景には、「菅の声望実力が飛び離れて高かったために、反対をいい出す者がいなかったのだ」と山口白雲は『菅臥牛観』の中でいっています。
忠篤が政府の決定にしたがって中尉となり、千葉の佐倉分署に左遷されることを受け入れることは、菅にとっては、いな、庄内にとっては、開墾地返上のときの、開墾士に疑いをはさまないという約束にも反することであり、また政府の敵視政策を認めることになり、そういう恥かしめに承服することはできないことであったのです。
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