味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

禮は器なり。

2017-08-02 16:03:32 | ブログ
第3138号 29.08.03(木)

禮は器なり、是の故に大いに備はる。大いに備はるは成徳なり。禮は囘(まが)れるを釋(す)て、美質を増す。措けば則ち正しく、施せば則ち行はる。其の人に在るや、竹箭(ちくせん)の筠(いん)有るが如く、松柏の心有るが如し。二つの者天下の大端に居る。『礼記』(礼器第十)355

 礼とは規範であるから、完全に作られていなければならない。完全であるということは、人で言えば成徳(聖人)の人格のようなものである。即ち礼はすべて邪悪なる物を除去し、善美なる物を増大せしめるための手段である。故に礼は、これをひとりひとりの身に当てがって、正しいしつけをすることもできるし、広く天下にふれ出し、人びとに守り行わしめることもできる。355

 【コメント】上の訓戒は、人々が生きて行く上において大変大事なことであると思います。その大事なこととは、自分勝手であってはならないということです。

 人はそれぞれ仕事があるわけですが、人間の人格も自然と仕事に相応しいものになるよう努力をしたいものです。そのようにあるということは、人々の期待と信頼を裏切ることがあってはならないからです。
 
 お隣のお殿様が物騒なものを打ち上げるので、世の中大変物騒になっているようです。話し合いをすれば大半は良好な方に向け解決していくのにと権力者の度量の小ささに唖然とする思いです。

 叶うものなら孔子様のように人々を導き、その軌跡を歴史に燦然と光輝くように遺してくれればと思います。『不動心』をブログでご紹介していますが、できれば可愛い子供たちに、人生かくあるべしと教えて欲しいものです。

 このことは『南洲翁遺訓』や西郷隆盛のことを論じたことと同じでございますので、可愛いお子様がたにお聞かせいただければよろしいかと思います。

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『不動心』(第6回)

 自分の特質を正しく鍛えること

 三 ストア派の哲学者・ルスティクスから指摘されて、私は自分の性格が鍛錬と保護を必要としていることに気づいた。また、純理論の論文を書き、訓戒をたれることに血道をあげているソフィスト連中のところに迷いこんではならず、自分を修行者や利他主義者に見せかけてもいけないことを悟った。彼はまた、修辞学や詩や口先だけの言辞を弄する態度とか、家の中でも気どって正装して歩くような堕落した趣味は避けるべきだと教えた。
 彼がイタリアのシヌエッサの町から私の母宛てに書いた手紙の文体を手本に、平易な書簡体を書く練習もさせられたものだ。腹立ちまぎれに仲たがいをした相手が後から和解を申し出た時には、即座に歩み寄る姿勢をとれるようになったのも彼のおかげだ。読書の際にも精読を心がけ、大ざっぱな理解だけでは満足しなくなったし、口達者な人間にやすやすと乗せられてしまうこともなくなった。彼を通じて、私はエピクテトスの『提要』を知ったが、その本は彼が自分の蔵書の中から私にくれたものである。


 自分の特質が何であるかは経験を積まないと分からないと思います。そこで若い時は情熱の限りをもって事に処すことが大事でしょう。そういう努力と趣向が相俟って自分の特質を発見できると信じます。先ずは実践してみることです。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第83回)

 菅は、
 「君の志は立派だ。しかし政府を敵視するのはいけない。西郷先生にかわる徳望もないのに、政府を窺うのは反逆者だ。それにこの戦はかならずしも政府打倒が目的ではなく、政府の罪を問うのが目的であろう。事の成就(西郷の目的成功)を頼みとするのは、ひとり東北(庄内)だけではない。もし万一の事態(不成功)に至ったならば、これは天がいまだわが方に味方しないからではないのか」
 「果たしてそうなら、今後はお前とともに顔淵を見習うしかあるまい。克己復礼、天下をして仁に帰せしめ、用舎行蔵、誰を怨もう、誰を咎めよう。そして泉下に(西郷)先生にお目にかかったら、先生は必ずやわが心を知ってくれたと喜ばれるであろう」
 「しかしこれは決して並大抵の苦心で到達しうるものではない。努力、努力、ただこれあるのみ。すでに余生を生きている身、なんで死を惜しもうや。死なるかな。死は人の難しとするところ。死ぬ気になれば何事か成らざらんや」
と。菅の腹は決まった。

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今日は内閣改造が行われます。内閣を組閣し、今後の実務に移行してからは、後々、国民から疑義を持たれることをしてはいけません。
 多くの国民は森友・加計問題に首を傾げているのです。天に誓って正直であるべきです。総理自身には、先ずは家庭をしっかりしてくださいと申しあげたいです。安倍総理は国家の標準(お手本)なんです。

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君子は其の独りを慎むなり。

2017-08-02 09:20:26 | ブログ
第3137号 29.08.02(水)

禮の少なきを以て貴しと為すは、其の心を内にする者を以てなり。徳産の致すこと精微(せいび)なり。天下の物を観るに、以て其の徳に稱(かな)ふ可き者無し。此の如くなれば則ち少なきを以て貴しと為さざることを得んや。是の故に君子は其の獨りを慎むなり。『礼記』(礼器第十)363

 物の少なく、小さく、低く、簡素であるほど上級とされる礼は、その制定の立場が、人の心を内に向けて、純粋な愛情や敬意を相手に伝え表そうと努めることに置かれている。その立場においては、人の徳性の発露ほど善美なものはなく、天下いかなる品物を待ち出してみても、優れた徳性の発露に及ぶものはないのであって、そうであれば、礼を行うのに、物は少なく簡素にするほど良しとせざるを得ないのである。即ちこうした場合、君子は深くみずから戒めて、真の愛情や敬意を相手に致さねばならないのである。

 【コメント】日々の行いは簡素であっても、その中の善美な徳性の発露ほど大切なものはないと思います。
 世の中、大へん目まぐるしく動いていますが、真摯・忠恕・勤勉・継続・勤労・努力・節倹等々の精神が大事ではないでしょうか。

 明日三日は内閣支持率浮揚を願って閣僚らの一部入れ替えをするとのことですが、今回の支持率低下は総理自身の体質に関することであろうと識者の方々も発言しています。

 思うに総理自身の家庭環境にメスを入れなければならないと思います。そうすれば多くの国民は納得するのではないかと思います。総理が君子ならば、「其の獨りを慎む」べきだと思います。

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『不動心』(第5回)

 自分を厳しく律すること、つまらぬことに力をそそがぬこと。
 画家で哲学者のディオグネートのおげで、私はつまらぬことに熱中したり、魔術師・呪者・悪魔払いを事とする連中などを信じたりすることもなくなった。闘鶏のような娯楽にも夢中にならず、無遠慮な発言に憤ることもなくなった。彼のおかげで、私は哲学に親しむようになり最初にバッケイウスを、次にはタンダシスとマルキアヌスを学んだ。幼い頃から文章を書いたのも、床板に毛布を敷いただけで寝るというように厳格なギリシァ的修養を好むようになったのも、彼の教えのたまものである。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第82回)

  「天の視るところ、民の視るところ、西郷先生は身を以て道を行い、敬天愛人、大功を立ててしかもいよいよ慎み深く、大徳を積んでますますへり下り、公儀を先にして、毫末の私なく、日夜怠らず克己に努め、断じて礼に背く行いはなかた。どうしてこれが天の嘉するところではないのか。----(西郷)先生のことが成功しないときは、わが日本の滅亡のときである。」
  「九州の南、想うべし。胸はふさがり、肝は破れんばかり。----われ不肖なりといえども、このままに捨て置こうか、かならず敵の失敗に乗じ、不和に付け入って罪を鳴らし、弔い合戦を戦って義軍の霊を慰めずにいようか----」
 こうしていたたまれない思いにかられる黒崎は菅の胸の内をたたきます。

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