第3151号 29.08.16(水)
至善は是れ心の本體なり。只だ是れ明徳を明らかにして、至精至一の處に到れば便(すなわ)ち是なり。30
父に事(つか)ふるの孝、君に事ふるの忠、友に交わるの信、民を治むるの仁の如き、其の間許多の理の在る有り。『伝習録』(伝習録巻上)31
〔通釈〕至善の理こそ心の本体であって、わが明徳を明らかにすることによって心を天理に純一にし、その極点に到達すればよいのである。30
父によく事える孝や、君によく事える忠、朋友と交わる信や、民を治める仁などについても、そこには為すべき多くの理があるのです。33
【コメント】このところは至善の質問から始まって、孝行の問題が中心的な話題ですが、孝行は形式的な要素が多いので、書物に基づいて学ぶ必要があると考えたのに対して、王陽明は、まず孝の根本を心に求め得たなら、細かい孝行の仕方は自然に理解できるようになると説いています。
孝の根本とは、わが心を天理に純一にして、一毫の人欲も留めないことであります。人欲を去って人間本来の純真な精神で臨めば、人は自ら孝行せざるを得なくなると言うのです。一部に拘泥して根本の精神を忘れ、形式のみを論ずる人にとっては、理解し難い教えにとられるでしょう。
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『不動心』(第19回)
時は過ぎ去り、機会は二度と自分のものにならない
なすべきことをずるずると延ばし延ばしにしてきた長い歳月について考えてもみてください。しかも、どんなに猶予の期間をくりかえし与えられたところで、それを利用しようとはしなかったのだ。もうこの辺で、あなたの属している宇宙の本質と、あなたを生み出したその支配的な力について自覚し、時間には限りがあるということを理解してもいい頃だ。自分を啓発するために時間を使いなさい。さもなければ時は過ぎ去り、二度とあなたの意のままにはできなくなってしまう。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第96回)
「その後不逞の徒は、県(旧藩出身者で構成された当時の県)そのものを転覆させなければ、開墾を止めさせることができないとして、県庁の過誤失策を探索して大衆に呼びかけ、中央の諸官庁に反覆提訴しました。表面では謝金を要求しております」
「政府においては、初めは正当に理解された開墾の趣旨が、ここに至って真意がぼやけ、かえって疑いを抱く結果になりました」
「すなわち明治八年には元老院大書記官の取り調べ、次いで九年には臨時裁判を開廷して審理の結果、規則に抵触する者がありましたが、それらは開墾を奨励する趣旨からでたものであったにもかかわらず、有罪とされるなど、開墾の趣旨が正しく認識されず、開墾への謗りが紛々としている状態であります」
「このような状態にあって、開墾に従事する者は政府の嫌疑を憚って、開墾をすてて離散する者もでるなど、われわれ有志の者は、長年の努力がこのような事態を招いたことをはなはだ残念に思いますが、なおも初一念を奮って勉励すれば、政府は開墾の本旨を正しく理解される日もあることを確信して、(政府への)憤りを鎮め怒りを押さえて開墾に勉励している次第であります」
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昨夜はNHKテレビでインパール作戦のドキュメンタリー報道がありました。半世紀以上前の出来事であったとは申せ、上層部の理不尽な指導によって不毛の死を遂げられた方々の悲哀は想像を絶するものがありました。
中でも大将・東條首相が明治天皇に虚偽めいた報国をしたことを知った時は、東條首相への信頼の想いが消え失せて行く思いでした。
東條首相は戦争責任者としてNHK元解説委員長・岡村和夫氏らの厳しい指弾を受けたことがありました。その時でも私は、東條氏を庇う気持ちがありました。
それは長年付き合いをしてきた平井政明先生が、東條氏に殊の外敬愛の情を寄せていたからでした。平井先生からも東條氏の人柄を聞いていたからでした。
平井先生は京都大学卒業後、東京で教鞭をとっていました。実は平井先生は東條氏の愛娘・マキコ様を担当していたのでした。そこへ或日軍刀を提げた東條氏がやってきたのでした。その祭、東條氏は平井先生に最敬礼をして(娘・マキコを)よろしくお願いします、と深々と挨拶をしたのだと平井先生から伺ったものです。
戦後70年が経過しました。二度と戦争をしてはならないと思います。だが、お隣には若殿様が物騒な物を打ち上げ楽しんでおられるように思います。ですから、国を防備する術は準備しなければならないと思います。
戦争をせず、平和・安全・繁栄は大変いいことですが、教育理念上は戦時体制同様、厳しく教育する必要があるように思われます。厳しさがないと、特に男子は遊び心としてワルの方へ行きがちです。
昨日は枕崎水産高校の講師がスマートホンで女性のスカウト内を映そうとして捕えられ逮捕される事態になっています。 思うに、漢籍の世界を逍遥するキチガイになって欲しいものだと思います。これほど楽しいものはないと確信します。
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至善は是れ心の本體なり。只だ是れ明徳を明らかにして、至精至一の處に到れば便(すなわ)ち是なり。30
父に事(つか)ふるの孝、君に事ふるの忠、友に交わるの信、民を治むるの仁の如き、其の間許多の理の在る有り。『伝習録』(伝習録巻上)31
〔通釈〕至善の理こそ心の本体であって、わが明徳を明らかにすることによって心を天理に純一にし、その極点に到達すればよいのである。30
父によく事える孝や、君によく事える忠、朋友と交わる信や、民を治める仁などについても、そこには為すべき多くの理があるのです。33
【コメント】このところは至善の質問から始まって、孝行の問題が中心的な話題ですが、孝行は形式的な要素が多いので、書物に基づいて学ぶ必要があると考えたのに対して、王陽明は、まず孝の根本を心に求め得たなら、細かい孝行の仕方は自然に理解できるようになると説いています。
孝の根本とは、わが心を天理に純一にして、一毫の人欲も留めないことであります。人欲を去って人間本来の純真な精神で臨めば、人は自ら孝行せざるを得なくなると言うのです。一部に拘泥して根本の精神を忘れ、形式のみを論ずる人にとっては、理解し難い教えにとられるでしょう。
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『不動心』(第19回)
時は過ぎ去り、機会は二度と自分のものにならない
なすべきことをずるずると延ばし延ばしにしてきた長い歳月について考えてもみてください。しかも、どんなに猶予の期間をくりかえし与えられたところで、それを利用しようとはしなかったのだ。もうこの辺で、あなたの属している宇宙の本質と、あなたを生み出したその支配的な力について自覚し、時間には限りがあるということを理解してもいい頃だ。自分を啓発するために時間を使いなさい。さもなければ時は過ぎ去り、二度とあなたの意のままにはできなくなってしまう。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第96回)
「その後不逞の徒は、県(旧藩出身者で構成された当時の県)そのものを転覆させなければ、開墾を止めさせることができないとして、県庁の過誤失策を探索して大衆に呼びかけ、中央の諸官庁に反覆提訴しました。表面では謝金を要求しております」
「政府においては、初めは正当に理解された開墾の趣旨が、ここに至って真意がぼやけ、かえって疑いを抱く結果になりました」
「すなわち明治八年には元老院大書記官の取り調べ、次いで九年には臨時裁判を開廷して審理の結果、規則に抵触する者がありましたが、それらは開墾を奨励する趣旨からでたものであったにもかかわらず、有罪とされるなど、開墾の趣旨が正しく認識されず、開墾への謗りが紛々としている状態であります」
「このような状態にあって、開墾に従事する者は政府の嫌疑を憚って、開墾をすてて離散する者もでるなど、われわれ有志の者は、長年の努力がこのような事態を招いたことをはなはだ残念に思いますが、なおも初一念を奮って勉励すれば、政府は開墾の本旨を正しく理解される日もあることを確信して、(政府への)憤りを鎮め怒りを押さえて開墾に勉励している次第であります」
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昨夜はNHKテレビでインパール作戦のドキュメンタリー報道がありました。半世紀以上前の出来事であったとは申せ、上層部の理不尽な指導によって不毛の死を遂げられた方々の悲哀は想像を絶するものがありました。
中でも大将・東條首相が明治天皇に虚偽めいた報国をしたことを知った時は、東條首相への信頼の想いが消え失せて行く思いでした。
東條首相は戦争責任者としてNHK元解説委員長・岡村和夫氏らの厳しい指弾を受けたことがありました。その時でも私は、東條氏を庇う気持ちがありました。
それは長年付き合いをしてきた平井政明先生が、東條氏に殊の外敬愛の情を寄せていたからでした。平井先生からも東條氏の人柄を聞いていたからでした。
平井先生は京都大学卒業後、東京で教鞭をとっていました。実は平井先生は東條氏の愛娘・マキコ様を担当していたのでした。そこへ或日軍刀を提げた東條氏がやってきたのでした。その祭、東條氏は平井先生に最敬礼をして(娘・マキコを)よろしくお願いします、と深々と挨拶をしたのだと平井先生から伺ったものです。
戦後70年が経過しました。二度と戦争をしてはならないと思います。だが、お隣には若殿様が物騒な物を打ち上げ楽しんでおられるように思います。ですから、国を防備する術は準備しなければならないと思います。
戦争をせず、平和・安全・繁栄は大変いいことですが、教育理念上は戦時体制同様、厳しく教育する必要があるように思われます。厳しさがないと、特に男子は遊び心としてワルの方へ行きがちです。
昨日は枕崎水産高校の講師がスマートホンで女性のスカウト内を映そうとして捕えられ逮捕される事態になっています。 思うに、漢籍の世界を逍遥するキチガイになって欲しいものだと思います。これほど楽しいものはないと確信します。
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