味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

厥の身を修めて、允徳下に協ふは

2017-08-21 16:38:55 | ブログ
3157号 29.08.22(火)

厥の身を修めて、允徳(いんとく)下に協(かな)ふは、惟れ明后なり。先王困窮を子恵して、民厥の命に服し、悦ばざる有る罔し。先に奉ずるには孝を思ひ、下に接するには恭を思ひ、遠きを視るには明を惟(おも)ひ、徳を聴くには聰を惟へ。朕王の休を承けて斁(いと)ふこと無からん。『書経』(太甲中)423

 「自分の身を修めて、誠の徳によって下のものたちと和合するものは、賢明な君というものです。先王湯は困窮している人たちを慈しみ恵みましたので、人民はその命令に服従して、その政治を喜ばないものはありませんでした。
 祖先に仕えるに当たっては孝であるように心がけ、下の民に対するに当たっては、慎み深くするように心がけ、遠くを見通すに当たっては、明であるように心がけ、徳についてきくに当たっては、聰であるように心がけてください。そのようになされれば、私は王のすばらしさを身にうけて、うむことがないでしょう。」


 【コメント】人間が身を修め、かつ修養して、譲り合いの精神を根底にして共に生きていくことに徹すれば、大概の難関は突破できるのではないかと考えます。他人は関係なく自分さえよければいいのだという人が存在すれば、いろいろ問題が発生すると思います。

 そして、自分があるということは人様のお陰だ、と感謝する必要があると思います。自分だけの事に固執すれば、自分の体調を害し、病院で暮らすことになるでしょう。

 とにかく必要以上の欲をだすということは、自らの命を縮めることになると思います。

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『不動心』(第25回)
 
 死と生、名誉と不名誉、苦痛と快楽、富と貧

 いかなることを行い、話し、考える場合においても、この世からいつでも自由に身を引けるのだということを思い起こしたまえ。
 もしも神々が存在するならば、人間に別れを告げるのはちっとも怖くない。なぜなら、神々はあなたをひどい目にあわせるようなことはしないから。しかし、仮に神々がいなかったり、いたとしても人間のことなどに見向きもしないならば、その摂理もない世界に生きることにいったい何の意味があろう。
 だが神々は存在し、人間の世界と関わりあっているのだ。そして果てしのない悪に人間が陥らぬよう力を与えてくれる。たとえどこかで現実に不幸があるとしても、そこに陥るのを避けるだけの力はあらかじめ万人に賦与しているのだ。その人自身が悪くならない限り、その人生が悪い方へ向かうわけはない。
 神々は、人間が悪い方へと向かっていくのを見過ごすほど無力であるはずもない。また、善人であろうが悪人であろうが、相手かまわず幸福と不幸を分け与えるようなヘマをするほど能なしであるとも考えられない。ただし、生と死、名誉と不名誉、苦痛と快楽、富と貧困などのようなものは等しく善人にも悪人にも分け与えられるが、こういうものは別に名誉でも恥でもなく、したがって幸福とか不幸とかいうにはあたらないのである。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第102回)

 明治十年当時の社会情勢は、政府にとって最も多事多難なものでありました。すなわち、愛媛県士族某の挙兵計画発覚、福岡県士族某の福岡城襲撃、大分県士族某の中津支庁襲撃、大分県一揆、東京府士族某の挙兵発覚、山口県士族某の挙兵発覚、林有造、陸奥宗光の西郷通牒事件が発覚するなど、政府は気の許せない日々であったのですから、庄内にたいする警戒も一朝にして解除できる状況ではなかったのです。

  忠篤・忠宝下野隠退
 
 開墾士たちの期待であった忠篤、忠宝は明治十二年六月、八年ぶりに帰国しました。そして父忠発の墓に詣で、松ヶ岡開墾場に立ったのですが、出発当時の、あの月山山麓にかけた壮大な夢は縮小され、伐木の音も止んでいました。それを見た忠篤、忠宝の心事はどうだったでしょうか。
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賢を佑け徳を輔け、

2017-08-21 09:48:13 | ブログ
第3156号 29.08.21(月)

賢を佑(たす)け徳を輔(たす)け、忠を顕し良を遂げ、弱を兼ね昧(まい)を攻め、亂を取り亡を侮(あなど)り、亡を推し存を固くすれば、邦乃(すなは)ち其れ昌(さかん)なり。『書経』(仲虺之誥)397

 〔通釈〕賢者には手をかし、徳のあるものはもり立て、真心のあるものは世に表し、立派なものは位を進め、これに反して、力の弱いものは合併し、劣って愚かなものは改め、乱れているものは取り、亡びそうなものは無くし、このように亡ぶべきものはそのまま押し倒し、存立すべきものはしっかり守ってやるならば、王の国は初めて盛んになっていくことでしょう。398

 【コメント】我々末端に生きていて何か事を成そうと思う人は、仲虺之誥を参考にし、鋭意努力すれば効果が期待できるものと信じます。とにかく何事も誠心誠意事にあたることが要諦だと思います。

 昨夜は中島先生とご令嬢様が拙宅においでくださいました。ご令嬢様に久々に空手の舞を演じて貰いました。彼女の精神思想の見事さが見てとれた空手の舞でした。

 邪心のない乙女子の純真無垢な心の表現でした。出来ればそういう美しい姿で歳を重ねて貰いたいと思うことでした。

 今朝は民報テレビで、若い女性たちに男の悪口を喋って貰う番組がありました。それはそれは思ったままずばり男たちの精神の未熟さ、作法のいたらなさを並べ立てました。

 喋っている女性たちの奥ゆかしさ、品性・品格の見事さは感じられませんでした。皇后陛下がお答えになるとすれば、言葉遣い、語り口、すべてに気品が漂っているのですが。

 教養書とか漢籍等々繙いたことがないような、そこいらのネェチャンたちの心から出るヒトコトでした。
  
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『不動心』(第24回)

 罪というものは比較するにあたって、「情欲のもたらす罪は憤激のもたらす以上に許しがたい」という真理を認めている。というのは、怒りのあまり理性に背く場合は、少なくともある種の不安感と漠然とした気まずさを伴うものだが、情欲による罪では快楽のほうが幅をきかせているので、いっそうわがままでめめしくいやらしいところが目につくからである。
 したがって、快楽を伴う罪が苦痛を伴う罪よりも責めが重いというのは、経験上からもまた哲学上からみてもうなずけることだ。苦痛を伴う罪を犯すのは、なにか不正をされてついカッとなり自制心を失った結果だが、快楽を伴う罪というのは、情欲を満たしたいがために自らの意志で悪を行うことなのだ。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第101回)

  林らは、「政府今後、開墾士に疑いをはさまない」という条件を大久保に認めさせて、開墾継続に同意しました。それが認められれば、開墾の成功を期して励むのは当然であるともいっています。菅が仕組んだ大芝居は成功しました。大胆な外交交渉です。おそらく『孫子』の「実をもって虚を打つ」戦法戦略だったかもしれません。

 しかし政府の庄内敵視はそうたやすく転換できるものではなかったのです。庄内の試練はこれからです。菅は五月に上京していますが、詳細は分かりません。あるいは黒田清隆に会ったのかも知れませんし、旧知の人々と会い西南戦争後の政府の動向を見定めたのかもしれません。大久保は五月十四日暗殺されました。

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