3157号 29.08.22(火)
厥の身を修めて、允徳(いんとく)下に協(かな)ふは、惟れ明后なり。先王困窮を子恵して、民厥の命に服し、悦ばざる有る罔し。先に奉ずるには孝を思ひ、下に接するには恭を思ひ、遠きを視るには明を惟(おも)ひ、徳を聴くには聰を惟へ。朕王の休を承けて斁(いと)ふこと無からん。『書経』(太甲中)423
「自分の身を修めて、誠の徳によって下のものたちと和合するものは、賢明な君というものです。先王湯は困窮している人たちを慈しみ恵みましたので、人民はその命令に服従して、その政治を喜ばないものはありませんでした。
祖先に仕えるに当たっては孝であるように心がけ、下の民に対するに当たっては、慎み深くするように心がけ、遠くを見通すに当たっては、明であるように心がけ、徳についてきくに当たっては、聰であるように心がけてください。そのようになされれば、私は王のすばらしさを身にうけて、うむことがないでしょう。」
【コメント】人間が身を修め、かつ修養して、譲り合いの精神を根底にして共に生きていくことに徹すれば、大概の難関は突破できるのではないかと考えます。他人は関係なく自分さえよければいいのだという人が存在すれば、いろいろ問題が発生すると思います。
そして、自分があるということは人様のお陰だ、と感謝する必要があると思います。自分だけの事に固執すれば、自分の体調を害し、病院で暮らすことになるでしょう。
とにかく必要以上の欲をだすということは、自らの命を縮めることになると思います。
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『不動心』(第25回)
死と生、名誉と不名誉、苦痛と快楽、富と貧
いかなることを行い、話し、考える場合においても、この世からいつでも自由に身を引けるのだということを思い起こしたまえ。
もしも神々が存在するならば、人間に別れを告げるのはちっとも怖くない。なぜなら、神々はあなたをひどい目にあわせるようなことはしないから。しかし、仮に神々がいなかったり、いたとしても人間のことなどに見向きもしないならば、その摂理もない世界に生きることにいったい何の意味があろう。
だが神々は存在し、人間の世界と関わりあっているのだ。そして果てしのない悪に人間が陥らぬよう力を与えてくれる。たとえどこかで現実に不幸があるとしても、そこに陥るのを避けるだけの力はあらかじめ万人に賦与しているのだ。その人自身が悪くならない限り、その人生が悪い方へ向かうわけはない。
神々は、人間が悪い方へと向かっていくのを見過ごすほど無力であるはずもない。また、善人であろうが悪人であろうが、相手かまわず幸福と不幸を分け与えるようなヘマをするほど能なしであるとも考えられない。ただし、生と死、名誉と不名誉、苦痛と快楽、富と貧困などのようなものは等しく善人にも悪人にも分け与えられるが、こういうものは別に名誉でも恥でもなく、したがって幸福とか不幸とかいうにはあたらないのである。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第102回)
明治十年当時の社会情勢は、政府にとって最も多事多難なものでありました。すなわち、愛媛県士族某の挙兵計画発覚、福岡県士族某の福岡城襲撃、大分県士族某の中津支庁襲撃、大分県一揆、東京府士族某の挙兵発覚、山口県士族某の挙兵発覚、林有造、陸奥宗光の西郷通牒事件が発覚するなど、政府は気の許せない日々であったのですから、庄内にたいする警戒も一朝にして解除できる状況ではなかったのです。
忠篤・忠宝下野隠退
開墾士たちの期待であった忠篤、忠宝は明治十二年六月、八年ぶりに帰国しました。そして父忠発の墓に詣で、松ヶ岡開墾場に立ったのですが、出発当時の、あの月山山麓にかけた壮大な夢は縮小され、伐木の音も止んでいました。それを見た忠篤、忠宝の心事はどうだったでしょうか。
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厥の身を修めて、允徳(いんとく)下に協(かな)ふは、惟れ明后なり。先王困窮を子恵して、民厥の命に服し、悦ばざる有る罔し。先に奉ずるには孝を思ひ、下に接するには恭を思ひ、遠きを視るには明を惟(おも)ひ、徳を聴くには聰を惟へ。朕王の休を承けて斁(いと)ふこと無からん。『書経』(太甲中)423
「自分の身を修めて、誠の徳によって下のものたちと和合するものは、賢明な君というものです。先王湯は困窮している人たちを慈しみ恵みましたので、人民はその命令に服従して、その政治を喜ばないものはありませんでした。
祖先に仕えるに当たっては孝であるように心がけ、下の民に対するに当たっては、慎み深くするように心がけ、遠くを見通すに当たっては、明であるように心がけ、徳についてきくに当たっては、聰であるように心がけてください。そのようになされれば、私は王のすばらしさを身にうけて、うむことがないでしょう。」
【コメント】人間が身を修め、かつ修養して、譲り合いの精神を根底にして共に生きていくことに徹すれば、大概の難関は突破できるのではないかと考えます。他人は関係なく自分さえよければいいのだという人が存在すれば、いろいろ問題が発生すると思います。
そして、自分があるということは人様のお陰だ、と感謝する必要があると思います。自分だけの事に固執すれば、自分の体調を害し、病院で暮らすことになるでしょう。
とにかく必要以上の欲をだすということは、自らの命を縮めることになると思います。
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『不動心』(第25回)
死と生、名誉と不名誉、苦痛と快楽、富と貧
いかなることを行い、話し、考える場合においても、この世からいつでも自由に身を引けるのだということを思い起こしたまえ。
もしも神々が存在するならば、人間に別れを告げるのはちっとも怖くない。なぜなら、神々はあなたをひどい目にあわせるようなことはしないから。しかし、仮に神々がいなかったり、いたとしても人間のことなどに見向きもしないならば、その摂理もない世界に生きることにいったい何の意味があろう。
だが神々は存在し、人間の世界と関わりあっているのだ。そして果てしのない悪に人間が陥らぬよう力を与えてくれる。たとえどこかで現実に不幸があるとしても、そこに陥るのを避けるだけの力はあらかじめ万人に賦与しているのだ。その人自身が悪くならない限り、その人生が悪い方へ向かうわけはない。
神々は、人間が悪い方へと向かっていくのを見過ごすほど無力であるはずもない。また、善人であろうが悪人であろうが、相手かまわず幸福と不幸を分け与えるようなヘマをするほど能なしであるとも考えられない。ただし、生と死、名誉と不名誉、苦痛と快楽、富と貧困などのようなものは等しく善人にも悪人にも分け与えられるが、こういうものは別に名誉でも恥でもなく、したがって幸福とか不幸とかいうにはあたらないのである。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第102回)
明治十年当時の社会情勢は、政府にとって最も多事多難なものでありました。すなわち、愛媛県士族某の挙兵計画発覚、福岡県士族某の福岡城襲撃、大分県士族某の中津支庁襲撃、大分県一揆、東京府士族某の挙兵発覚、山口県士族某の挙兵発覚、林有造、陸奥宗光の西郷通牒事件が発覚するなど、政府は気の許せない日々であったのですから、庄内にたいする警戒も一朝にして解除できる状況ではなかったのです。
忠篤・忠宝下野隠退
開墾士たちの期待であった忠篤、忠宝は明治十二年六月、八年ぶりに帰国しました。そして父忠発の墓に詣で、松ヶ岡開墾場に立ったのですが、出発当時の、あの月山山麓にかけた壮大な夢は縮小され、伐木の音も止んでいました。それを見た忠篤、忠宝の心事はどうだったでしょうか。
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