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心の持ち方を変えた、セルマ・トムソンの感動のお話

2010年09月04日 | 好きな人好きなもの

 いつもありがとうございます。toshiです。  

 今日、あるお方から一通の封書が届きました。

 以前このブログでも少し書かせていただきましたが、一昨年の7月に各務原市で受けたあるセミナーの第1回目の講師を担当された、経営コンサルタントの澤芳美先生からでした。

 封書の中に入っていたのは、数日前に電話でお願いしていた、セルマ・トムソン(アメリカの女性小説家)の事が書かれたA4 1枚の文章です。

 この文章を澤先生が講義の中で読まれ、大変感銘を受けました。

 澤先生は、セルマ・トムソンの心の変化のことが書かれたこの文章を何回も何回も繰り返し読むことによって、どんな時にもプラス発想ができるようになられたそうです。そして、長い年月で茶色く変色したその用紙を、今もカバンの中に大切に持っておられるとのことでした。

 どうしてもほしかったその文章が、今日、手に入ったのです。

 

 この文章には、以前このブログでも2回ほどご紹介させていただいたことのある、 

 二人の男が、監獄の窓から、外を眺めた。

 一人は泥を、ほかの一人は、星を見た。

 という短い文章が出てきますが、これは、返信の手紙に書かれた、たった2行の文章だったそうです。

 私はこの短い文章が大好きですが、その背景には実はこんなことがあるんですよ・・・ということを皆様に知っていただきたくて、今回、澤先生にご無理をお願いしました。その方が、この2行の深みが分かるからです。

 それでは、その全文をご紹介させていただきます。

 

 戦争中、私の夫はカリフォルニアのモジューブデザートに近い、陸軍教練所に配属されていました。それで私は、夫の近くにいるために、そこへ引っ越して行きましたが、私はそこが嫌いでした。大嫌いでした。

 みじめなことといったらお話になりませんでした。夫はモジューブデザートの演習に参加を命じられたので、私は、掘っ立て小屋にたった一人で残されたのです。

 サボテンの日陰でさえ華氏125度という激しい暑さで、その上話し相手といったらメキシコ人とインディアンばかり。それも英語は話せないのです。絶えず風があって、食べ物はもとより、呼吸する空気も砂、砂、砂でいっぱいでした。

 私は、わが身があまりにもみじめで悲しいので、両親に手紙を書いて、どうしても我慢ができないから、思い切って家へ帰る。こんな所にいるくらいなら監獄の方がまだましだ、と訴えたのでした。それに対する父の返事はわずか2行の文句でした。だが、私は一生決して忘れないでしょう。それが、私を一変させたのですから。

  二人の男が、監獄の窓から、外を眺めた

  一人は泥を、ほかの一人は、星をみた。

 私は、この文句を何回も何回もくり返して読み、自分自身が恥ずかしくなりました。

 私は現在の状態から、何か良いものを探し出そうと決心しました。星を捜そうとしました。

 私は、インディアンたちと友達になりました。それに対して示した彼等の反応は、私をびっくりさせました。私が、彼等の編み物や焼き物に興味を示すと、彼らは、旅行者には決して売らない大事な品物をあれこれと私にプレゼントしてくれました。

 私は、またサボテン、いとらん、ヨシュアの木などの面白い形を研究しました。それから、草モルモットのことを調べたり、砂漠の落日を眺めたり、何百万年もの昔、砂漠が海の底であった時、そこに残された貝殻を探したりしたのです。

 一体、何が私にこの驚くべき変化をもたらしたのでしょうか。モジューブデザートは変わらない、インディアンも変わらない。

 そうです。私が変わったのです。私が心の持ち方を変えたのです。そうすることによって、私はみじめな経験を、私の生涯の最も面白い冒険に変えたのです。

 私は、私の発見した新しい世界によって刺激され興奮させられました。

 私は、興奮のあまり、それを材料にして「輝く城壁」と題する小説を書きました。

 私は、自分の作った監獄から、外を眺めて、遂に星を捜しだす事ができたのです。

                  (アメリカの女性小説家 セルマ・トムソン)

  

 誰にでも、人生を変えた何かがありますね。

 それは、人との出会いであったり、書物であったり、そして今回のように父親からの手紙であったり・・・。

 しかもそこには、長い短い、大きい小さいなど、関係ないようですね。

 人それぞれ、その人に合った何かが用意されてるようです・・・。

 私の場合は、母親の散らかしが単なる散らかしではなく、ちゃんとした意志を持ってやってる 「お仕事」 と勘違い(笑)したことも、そのひとつといえそうです。

 今日の写真は、そのことに初めて気が付いた記念すべき光景です。  

 この光景を見て以来、それまでの散らかしが、とっても楽しいものに変わりました。「母のお仕事」 と勘違いした散らかしは、カメラ撮影の対象に変わりました。もっとやってもっとやって!・・・。帰宅して、そんな光景を見るのが本当に楽しくなりました。それと同時に、認知症の母に対する見方が一変、母がとっても可愛く思えるようになりました。母のことを理解するようになりました。

 母のやっていること、家で起きていることは何一つ変わっていないのに、まったく同じことが起きているのに・・・。

 私の心が変わっただけで、外で起きてることがこんなにもハッピーに思えるようになったんです。

 セルマ・トムソンの文章と、すごく重なるように感じます・・・。

 この文章、今日皆様にご紹介できて、とっても嬉しいです。

 

 お読みいただき、有難うございまぁ~す。 (toshi)

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