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はねる謙信逃げる信長 (手取川合戦)5

2008年03月06日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は戦国時代を代表する対照的な二人、弱きを助け強きを挫く正義の軍神「上杉謙信」、時代の寵児、魔王「織田信長」が激突するという、歴史ファンが望んだ合戦こそ「手取川合戦」なのです。
おまたせしました、本日がこちらのラストなのですよ。

天正五年(1577)
出陣した「上杉謙信」は計略によって、目事「七尾城」を落城せしめておりました。
一方、その救援に向かう「柴田勝家」以下の部隊でしたが、作戦の相違から後の太閤「羽柴秀吉」は勝手に撤退してしまうという有様。
遅れて出陣した信長を欠いた先発部隊は、そんな具合で内部に問題を抱えたまま進軍していたのでした。

さて、加賀の手取川(※石川県能美郡美川町)渡河後にて、ようやく落城の報を聞いた織田勢は慌てて撤退命令を出しました。
しかし、万全の態勢で待ち構えていた「上杉謙信」率いる上杉勢は、そんな逃げる織田勢を追撃し、散々に打ち破るのでした。

なにしろ、川を背にしてしまった織田勢は折からの増水もあって逃げることすら容易でなく、渡河に手間取っていた千人あまりが為す術もないまま討ち取られてしまうのです。さらに、増水していた手取川に溺れる者はそれ以上の人数であったとされております。

こうして、戦国時代を代表する両雄の決戦は信長の到着を待たずして、まともに戦うこともできぬまま織田勢の大敗にて幕を下ろすのでした。
兵数でははるかに劣っていた「上杉謙信」ですが、いつものように数をものともせず、勢いにて大軍を破ったのです。
(※謙信はあちこちの合戦で、敵よりも少ない兵力で勝利しているのですよ。はう!)

この勝利に、都では「上杉に逢ては織田も名取川(手取川) はねる謙信逃げる信長」という狂歌が流行したといわれております。

将軍を追って畿内を固め、時代の波に乗っていた織田家。
それをたやすく大敗させた上杉勢の評価は、ぐんと高まることとなりました。

反織田勢力には、まさしく期待の星となった「上杉謙信」
こちらでの華々しい戦功がため、後の上杉勢上洛という報に各武将の運命が大きく狂わされることとなるのです。
事実、「松永久秀」などは謙信上洛の報に飛びついて反織田として挙兵しますが、結果は孤立無援のまま敗死するのでした。

天正六年(1578)三月
五万六千という軍勢と共に上洛への出陣準備を進める謙信は高血圧のため俄かに倒れ、そのまま「春日山城」にて死亡するのです。
享年四十九。

…その報を聞いた信長は、
これで天下のことは定まった
と手を叩いて喜んだと言われております。
なお、天目山へと追いつめられた武田家が滅亡するのは、それから四年後の天正十年(1582)のことなのでした。


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