昨年から拙宅では、終活を始め二人のアルバム・書籍・衣類など特に重量物を資源ごみに出し、一部文庫本・絵本・ノート類など児童館・公民館・幼稚園へも提供した。合わせて年末に年賀状も最後にしたいとしたためた。
12月の晦日に予期せぬ義母が急に亡くなった、戌年で8回クリアーした96歳だった。妻の兄弟家族はてんてこ舞いになった。
明けて、1月3日19:00通夜、1月4日は葬儀が安芸郡府中町でつつがなく行われ、埼玉・京都・大阪から親族一同がはせ参じた。大阪からの義母の弟さん91歳は新幹線で来広、お通夜・葬儀と2日間お勤めされた。広島駅近くのホテルで一泊何と葬儀には歩いて府中町の会場まで来られたとみんなを驚かされた。2014年の7月豪雨で八木地区が洪水被害に見舞われた時、親戚の泥カキでもしてやろうと飛んでこられたが、その時は運よく両側地区がえぐり取られ無傷で残っていたそうだ。まさに平成最後のボランティアおじさんに元気をもらい、早すぎる終活宣言を反省した。
おじさんとは平成5年3月義父の葬儀以来25年ぶりだった。
12月の晦日に予期せぬ義母が急に亡くなった、戌年で8回クリアーした96歳だった。妻の兄弟家族はてんてこ舞いになった。
明けて、1月3日19:00通夜、1月4日は葬儀が安芸郡府中町でつつがなく行われ、埼玉・京都・大阪から親族一同がはせ参じた。大阪からの義母の弟さん91歳は新幹線で来広、お通夜・葬儀と2日間お勤めされた。広島駅近くのホテルで一泊何と葬儀には歩いて府中町の会場まで来られたとみんなを驚かされた。2014年の7月豪雨で八木地区が洪水被害に見舞われた時、親戚の泥カキでもしてやろうと飛んでこられたが、その時は運よく両側地区がえぐり取られ無傷で残っていたそうだ。まさに平成最後のボランティアおじさんに元気をもらい、早すぎる終活宣言を反省した。
おじさんとは平成5年3月義父の葬儀以来25年ぶりだった。