朝日新聞8月5日「西日本豪雨」あの日の惨状、戻らぬ日常と題した記事 C、広島市安芸区のJR山陽線瀬野駅周辺は流れ込んだ大量の土砂が取りの除かれていたと、7月7日と7月27日の2枚の写真が掲載されていた。
本日、広島大学へ向かったのは、今月29日まで伊能忠敬没後200年記念企画展示「地図を作る 地図がわかる」が広島大学総合博物館本館で開催を承知していた。瀬戸内海、広島周辺の地図「伊能図」や、測量道具のレプリカの展示、測量方法や地図を使った広島大の研究パネルなど見学した。
帰り、山陽線の車窓から瀬野川沿いを見たが、瀬野-八本松間で特に土砂崩れの跡が目立ち、列車もそれぞれの場所では徐行運転をしていた。瀬野川に架かる橋の橋脚には、今も流木が残り、河岸も土嚢で応急手当のままになっていた。
昔から瀬野約50m、八本松約250mと海抜差が大きく、1,000m走る間に200mも昇る計算になり、蒸気機関車の時代は重連であえぎながら客車を牽引していた。
本日、広島大学へ向かったのは、今月29日まで伊能忠敬没後200年記念企画展示「地図を作る 地図がわかる」が広島大学総合博物館本館で開催を承知していた。瀬戸内海、広島周辺の地図「伊能図」や、測量道具のレプリカの展示、測量方法や地図を使った広島大の研究パネルなど見学した。
帰り、山陽線の車窓から瀬野川沿いを見たが、瀬野-八本松間で特に土砂崩れの跡が目立ち、列車もそれぞれの場所では徐行運転をしていた。瀬野川に架かる橋の橋脚には、今も流木が残り、河岸も土嚢で応急手当のままになっていた。
昔から瀬野約50m、八本松約250mと海抜差が大きく、1,000m走る間に200mも昇る計算になり、蒸気機関車の時代は重連であえぎながら客車を牽引していた。